56.広まる感染
「さて、神殿の役割についてはもう十分でしょう。
次にお嬢様がギルドで心配されていた奪われると言うことですが、お嬢様は『神学徒』という存在はご存知ですか?」
また新しい単語が出てきたよ! 字面で予想するなら、神様に仕える学生さんだろうけどね。
「知らないよ」
一応、余計なことは言わずにアルの補足説明を待つ。
「神殿は治癒魔法を仕える人員を揃えることで、世間に影響力を持ちます。ただし親から子へ引き継がれる事が多いとは言え、それだけでは神官の数が足りません。
故に才能を感じる子供を小さな時から『神学徒』と言う名前で神殿預かりとし、閉ざされた集団生活を送らせながら育成します。そのまま成人を迎え、治癒魔法に目覚めるか、神殿にとって有益な人間となっていれば、神殿で過ごす事が出来ます。
ただし、神殿にとって価値がないとされた場合、退去を求められます。神学徒には文字や歴史の知識があるために、貴族の家庭教師になったり、それすら一杯だったら町で一般人と混ざって暮らしたりと進路は様々ですが…神殿でお前は特別だと言われ続けて育ってきたのですから、世の中に馴染むのに大変な苦労をするようです」
要するに超青田買いをされて、神殿が望むように育たなければ、ポイって事? うわ、神の慈悲とかいいつつ、駄目じゃないか。しかもいくつからかは知らないけど、幼いときから成人まで閉ざされた空間で集団生活? ぞっとする……。
「ですから、才能豊かな、そしてかなりの魔力を保有するお嬢様は神殿とすれば無理にでも『神学徒』として確保したい人員と言うことになります」
そう締めくくったアルは、私が理解できているか確認するために反応を待っている。
「うん、分かった。ただ、私にはその神学徒とかは無理だわ。集団生活とかゾッとする」
うーん、沈丁花は枯れても香しだったっけ?
流石、元貴族。詳しく知ってるね。今後も政治絡みやパワーバランス関係はアルに聞こう。
「お分かりいただけた様で何よりです。お嬢様が嫌がっても、最悪異端審問と言う形をとり、拘束を目論む恐れがあります。重々ご注意下さい。
お嬢様、失礼ですがご両親は? ギルドの老クレフが後見と言うことと伺いましたが…」
遠慮しつつ、アルは両親と後見人のクレフおじいちゃんについて探りをいれてきた。そう言えば、まだ話してなかったっけ。いい機会だから話しとこうか。
「ウチの両親なら死んだよ。だから未成年の間だけ、少し縁があったクレフおじいちゃんが後見を引き受けてくれたの。周りは私の両親が死んでる事は知らせていないから、そのつもりでいてね」
さらっと答えたんだけど、全員の顔色が変わってしまった。アルに至っては真っ青になって下を向いているし。別に過ぎた事だから良いのにね。逆に可哀想って顔される方がどうしたらいいか分からないよ。
「…過ぎた事だよ。大丈夫、気にしていない。ただの事実だ。
私の力が及ばなくて、助ける事が出来なかった。ただそれだけの事」
「だから、か」
「ん? 何がですか?」
しみじみとジルさんが呟くから問いかけた。
「いや、ティナがどうして誰も見捨てられないのかと、思っていたからな。納得した」
勝手に納得しないで。見捨てられないのは、ただ私がチキンなだけだよ。人殺しになる覚悟がないだけ。親を助けられなかった自責の念とかじゃないから、私はそんな良い子じゃない。そもそも偽物の娘だし。
不満が顔に出ていたのだろう、ポンポンと肩を叩かれて宥められた。
「お嬢様、お話は終わりましたか? そろそろ晩御飯にしても良いでしょうか?」
キッチンから顔を覗かせたダビデの声で今日はここまでにして、周りの生暖かい視線を浴びながら夕飯にする。ただの休暇のつもりだったのに、なんでこうトラブるかなぁ…。
****
何事もないまま3日が過ぎて、もう大丈夫かなぁと思った頃に、ギルドから連絡が来た。歓楽街や裏町、木賃宿等の数ヵ所で七色紋が出たらしい。目下、デュシスの町はこれ以上感染が広まらないか、戦々恐々としているらしい。
領主令嬢イザベル様はこれ以上隠していても被害が広まるだけと判断して、疫病・七色紋の発生を宣言。発症者の隔離、発症場所の消毒措置を指示。中央政府と領主である父親にも使者を送った所だそうだ。
ただ、中央政府や領主の指示を待っていては、手遅れになると独自の判断でギルドにも協力を依頼。それによりギルドは領主への協力を決定。ポーション不足が予想されるため、私にも協力要請が来たらしい。
「ティナお嬢様、デュシスの町にお嬢様が入るのは危険です。我々の誰かがお嬢様の変わりにポーションを届けに行きます」
私がギルドに納品に行くと話したら、一番始めにアルがそう言って止めてきた。珍しいこともあるものだと思っていたら、ジルさんやダビデも代わりに配達をするといい始める。
「いや、申し出は嬉しいけれど、自分で行くよ。これからの打ち合わせもしたいし、私なら防御結界を張ることも出来るからね」
空気感染うんちゃらと言っても、この世界の人に分かるとも思えなかったから、結界という言い方に置き換えたけれど、風を纏ってデュシスの空気を吸わないようにする予定だ。
「しかし、万一があったら大変だろう」
「そうだぞ、子猫ちゃん。勇気があるのは良いことだが、確信が持てないまま危険に突っ込むのはただの蛮勇だ。ハニーには似合わない」
それでも食い下がるオルとジルさんを宥めながら、出発の準備を整える。聞く耳を持たない私に諦めたのだろう、皆が外出の支度を始めた。
「あ、今日もひとりで行きますから、皆さんはお留守番お願いします。町の人達も、疫病発生で気が立っているでしょうし、すぐ帰って来ますね。ダビデ、何か食べ物で補充はあるかな? 市場にも寄ってくるよ」
「お嬢様ッ!! 気が立っているからこそ、誰でも良いので、誰か護衛をお連れください!!」
呑気に食材の不足分を尋ねたら、ダビデが半泣きになって叫んだ。ジルさん達も私を咎める様に見つめている。
「いや、ね、危ない場所に行くなら最低限の人数で行くべきでしょ?」
慌てて言い返すけれど、ダビデも負けじと答えてくる。
「ですからボクらの誰かがお使いに行きます! 危ない場所にわざわざティナお嬢様が行くことはありません! もし大丈夫だとおっしゃるならボクらが同行しても問題はないでしょうッ!!」
確かに正論だと思ってしまって、二の句が繋げない。さて、どうするか。これは一人で行くのは無理かなぁ。
「んー…なら誰か一人だけ一緒に来てくれる?
誰でも良いよ。危険がないようにするから…、あ、アルオルの場合は今回は首輪を晒して行こうか。もう数ヶ月前の話だし、お祭では大丈夫だったから顔を忘れられているとは思うけど、一応は用心しておこう」
視線を交わすジルさんとアルオルを見ながらそういった。こういう単独護衛任務に関しては、実力不足だと言って、ダビデは参加しない。ダビデがもしも護衛してくれるなら、危険がないように頑張って排除するんだけどね。それで楽しく散歩をする。
「俺が行く。アルオルでは逆に住人達を刺激することになりかねない。武装を整える。少し待っていてくれ」
そう言うと、ジルさんは早足で自室に向かっていった。
ジルさんの用意が整うまで、雑談をしつつ時間を潰す事にしたが、手早く準備を整えたジルさんに急かされてギルドに向かった。
いつものように顔パスで城門を抜け大通りに入る。執行局が幅を効かせていた頃と同じくらい活気がない。
かろうじてポツポツと幾つかの生活必需品を扱う店だけは開いていたけれど、多くの店は閉めているようだ。
「ようこそ、デュシスの町の冒険者ギルドへ!
あ、ティナ! 待ってたよ!! 執務室に上がってね!!」
私を見つけた途端にマリアンヌは階段を指差した。なんかこれも毎回になってきたけど、よく考えれば「支社長の部屋に行ってね!」って言われてるのと一緒だよね。変な立場だよ、全く。まばらにいた冒険者達の間を抜けて、そそくさと上に上がった。
「こんにちは。マスター・クルバ。ご依頼の物をお持ちしました」
毎度の事だけど、礼儀正しく声をかけて中に入る。
「来たか。すまなかったな。
ポーションを頼む」
簡潔に言うクルバさんに納品用のポーションを渡しながら尋ねた。
「クルバさん、下の受付にいた冒険者の数が少ないように感じました。何故ですか??」
「ああ、ギルドからの緊急依頼と言う形で、神官の護衛や治安維持、後はサミアド遺跡に調査に入っている者もいる。通常の依頼も春になり数が増えているからな。そのせいで人手が足りないだけだ」
疲れを滲ませる表情のまま、何でもない事のように言われた。
「なら私も何か依頼を受けましょうか? 一応、ほとんど依頼を受けていないとは言え、冒険者の端くれですからDランクまでのもので良ければ受けますよ」
今まではポーションの納品ついでに、ドロップ品を売るくらいだったし、偶然そのドロップ品が依頼にあるものならラッキー位のノリでしか依頼を受けたことがないんだよね。
「お前は通常依頼は受けんで良い。それよりも余裕があるならポーションの作成に力を入れてくれ。今後は、ギルドからの緊急指名依頼扱いにする。下の受付に、大量の各種ポーションの素材を準備させた。頼むぞ」
更なるポーションの納品を求められて困惑する。3日前に今日と結構な数を納めている。まだ欲しいってどれだけ不味い状況なのだろう。不安に思って確認をする。
「そんなに不味い状況なんですか?」
「……あぁ、これから話すことは他の者には絶対に言うな」
低い声でそう言い、頷く私達を見てクルバさんは続きを口にした。
「つい先程、市場の売り子に感染者が出た。市場は他人との接触が多い。ますます感染は広まるだろう。
幸い、リック達以降は冒険者で発症した者はいないが、これからはどうなるか分からん。神官達の手が回るかどうかもな。
だから最悪に備えて、備蓄を増やす。今後はお前が町の中に入らなくても済むように、城門でポーションの受け渡しが出来るように手配しておく。
お前と俺の妻は冒険者ギルドの生命線になりかねん。いいか、決して発症者が出た危険地域に近づくな」
クルバさんに念を押されて頷く。更にはジルさんに何処の地域で感染者が出たのかを詳しく教えて、私が近づかないように見張る様に話していた。ひしひしとクルバさん、ひいては冒険者ギルドが感じている危機感が伝わってくる。
「ティナ、我々もただ手をこまねいているわけではない。内勤の職員を中心に、過去の文献も当たっている。サミアド遺跡の調査にも手練れを出した。すぐにとは言わんが必ず何とかする。お前が強いのは知っているが、今回は身の安全を確保して、ポーション作成を頼む」
珍しく頼み込むクルバさんの迫力に、押しきられて執務室を後にする。下に降りてカウンターで大量の素材入りだと言うマジックバックを渡された。
「ティナ、またね!!」
まだなにも知らないのであろう、元気な笑顔のマリアンヌに見送られてギルドを後にした。




