33.ちなみにお前が母親な
結界を解除し、武器屋に戻ると、ロジャーさんが入口に置物の様に立っていた。いや、動かないし、喋らないし、本当に防具陳列用の置物かと思ったよ。挨拶がわりに手をあげられた瞬間、魔物かと思って悲鳴上げそうになった。
ジルさんは、何処か疲れた顔をして、新装備に身を包んでいる。黒のハードレザーの上から要所に艶消しの金属で補強してある機能的な防具。お揃いの籠手に脛当て。
「ただいま、ジルベルト。新装備はそれ? 格好いいね」
「ああ、全て魔法品らしい。詳しくは、おやっさんに聞いてもらえるか?」
あらら、すっかり疲れきっちゃって、口調も元に近くなってる。
「おやっさん、見立てありがとうございます。サラッと説明してもらえますか?」
「おう、嬢ちゃん、おかえり、任せてくれ! まずは鎧だがな、迷宮産のカプロス、その更にレア……」
「まった! おやっさん、悪いが次の予定が押してるんだ。効果だけで頼むよ。詳細は追々、ジルに聞くから」
滔々と解説を始めたおやっさんをカインさんが慌てて止めた。
「そーかい? 残念だ。なら鎧は、防御力が高くて特に打撃攻撃に有効だな。鎧にかかった魔法は防御力アップと、一時的な状態異常無効。籠手は同じ素材で作られていて、魔法は筋力増強と命中強化。脛当ては、素早さアップと、地形効果無効だな」
へ? なんか凄い効果の一式だね。カインさんも目を剥いているし。
「えーっと、やり過ぎ??」
コクコク周りの大人たちがうなずいている。おやっさんだけは不満げだ。
「なんでぃ。どうせなら最良な物を選んだ方が良いんだぜ。命を預けるんだからよ。これは滅多に作れねぇ良品だ。嬢ちゃんの装備には負けるが、見劣りはしないはず」
「えーっと、ジルベルトはこれで良いの? 気に入った?? あと、本当に予算内で全部買えるの? コレ」
「良い品過ぎて、ご主人様が、一体何と戦うつもりなのかが恐ろしい」
だよねー。これ異常だよね。私は何かと戦うつもりなんかないんだけどね。
「おう、金貨30枚ぽっきりで良いぜ。良いもの見せてくれた礼だ。それにコレを装備できるヤツは少ねぇからな。作ったは良いが、長く在庫になってたんだ。俺も買って貰えるなら御の字さ。」
「装備できるヤツが少ない?」
「呪いの防具とかじゃないでしょうね??」
「ちげぇよ! ただ、軽鎧としては重たい、板金鎧よりは防御力が低いし、何より値段が高いからな。人間の戦士には敬遠されてたんだよ。板金でも、安いものなら金貨3枚もあれば買えるからな。獣人は筋力も持久力も人間よりあるし、嬢ちゃんの金銭感覚もアレだから全く問題なくなったけどよ!」
「スミマセンねぇ。金銭感覚がアレで。別に良いじゃありませんか」
「おう、俺としては大助かりだから別に構わねぇぜ。それよりもよ、嬢ちゃん。メイン武器、見せちゃくれねぇか? 獣人にも聞いたけど、主の事を話すわけにはいかないの一点張りでなぁ。このままじゃ、気になって夜も眠れねぇ」
まだ諦めてなかったんだ。どうしようかな? ジルさんに良い物を見立てて貰ったしなぁ。
「うーん……、鑑定しないなら。あと見るだけですよ?」
「良いのかっ?! やったぜ。ほら、早く出せ! 今すぐ出せ!!」
はしゃぐおじいちゃんに、はいどうぞ、と、弓形態のままの武器を渡す。じっくり舐め回す様に観察していたと思ったら、ため息混じりで恭しく返してきた。
「流石だ。少なくともこれだけの品は見たことがない。……良いものを見せてもらった。礼を言うぜ」
「どういたしまして。ところで、ジルベルトの装備ですけど、武器と防具と発注したはずですが、何故、防具だけなのですか?」
思いの外防具が凄い品過ぎて、危なく忘れるところだったけど、剣はないのかな?
「予算内では、どっちかだけしか無理だった。ランクを落とすことも考えたが、嬢ちゃんの装備とのバランスを見るならこれくらいは最低でもいる。
あと、金貨20枚も足してもらえたら、武器も渡せるが無理だろう? なら命を守る物を先に買っとけ。攻撃は嬢ちゃんがすればいい」
私の装備とのバランスって、おじいちゃんの中では何と戦わせる予定なのさ。ただこう言うって事は、何か凄い武器が有るってことだよねぇ? 頭の中でざっと残金の計算をする。何とかなるか?
「おやっさん、いくらなんでも20枚は……」
カインさんがツッコミを入れているし、ロジャーさんはありえないと言うように、首を振ってる。確かに全部合わせて金貨50枚ってどんだけだよ。首都で家族4人が10年暮らせるぞ。でも、最悪、ダンジョンで稼げばいいやと思ってる私もいる。私もずいぶんこっちに染まってきたな。
「良いですよ、払います。その代わり、予定外の高額な買い物です。後悔しないだけの良品があるんですよね?」
「ティナ!? そんなに散財させるわけにはいかない!!」
驚きすぎて、耳と尻尾をピンとたてたジルさんが肩を掴んで揺さぶってくる。……いてて、首が揺れて気持ち悪いわ。
「ジルさん、落ち着いて。おやっさんも言ってたでしょ? 命を預けるんです。私は、ジルさんにしろ、ダビデにしろ、手に入る最大限良い物を身に付けて欲しい。かすり傷ひとつ負って欲しくない。だから、受け取ってください。
大丈夫、本気だしてダンジョン攻略なり、ポーション作成なりすればまた稼げますよ」
数呼吸分固まっていたと思ったら、小さな声で「すまない」と言われてしまった。別に気にすることないのに。最悪、親の遺産に手を出せば、まだまだ手持ち資金はあったりするし。使う気ないけど。
「……良い関係だな。まぁ、奴隷とその主と言うよりは、兄弟か親子だがよ。ちなみに、嬢ちゃんが母親な。昔を思い出すぜ。
ヨシ! 俺も男気出そうじゃねぇか。チビっとだけ待ってろよ!!」
涙ぐんでおやっさんはそう言うと、裏に走り去ってしまった。
「ティナ、今回は大目に見るが、ジルとの会話、気を付けるんだ。おやっさんは、獣人と普通に隣人として付き合っていた昔を知ってるから、まぁ、良いけどな。…あ、俺達も偏見はないから安心しろ? 長く冒険者やってると、国境を越えることもあるしな」
心配そうに、カインさんに釘を刺される。そういえば、すっかり忘れていつもの口調で話してたね。失敗したわ。
「ごめんなさい、気を付けます」
「すまない」
私とジルさんが同時に謝ると、辺りが笑いに包まれた。すっかりジルさんもこのメンバーだと普通に話すようになって嬉しいな。
「おう、待たせたな! 奥にしまってたからよ、引っ張り出すのに時間が掛かっちまった。コレを持ってけ!!」
おやっさんがジルさんに渡したのは歴史を感じる剣だった。全体的に地味。パッと見、木製に金属装飾の鞘に、飾り気のない柄、長さは長剣としては少し短め。
ジルさんが試しに、剣を抜くと、細身で両刃の直刀だった。
「鞘は、世界樹を中心に精霊樹を組み込んだ寄せ木細工。
鞘の装飾はヒヒイロガネ。
柄に巻かれた革はフェンリルのなめし革。
刀身は聖鋼とヒヒイロガネ、そしてオリハルコンの混合金属。
俺の最高傑作だ。……銘を『聖呀』と言う」
えーっと、また凄いものが出てきましたよ? 名前持ちの剣なんて初めて見た。スカルマッシャーさん達は顎外れかけてる。
「おやっさん、これ、家宝予定だろ? 絶対に売らんって、国の申し出も断ったって伝説あるヤツ」
あら、驚きすぎて、カインさんの口調が変わっている。
「ふん。宝の持ち腐れになる連中に売ってどうなる。剣は使われてなんぼだ。
元々、獣人と俺達の関係がギクシャクしてきたときに、国に帰る獣人に贈るために作った剣だ。…とうとう受け取らせる事は出来なかったがな。だからよ、嬢ちゃんと獣人の兄ちゃんに譲る。お前らを見てるとよ、昔を思い出すんだ。あの、自由で豊かだったあの頃をな。
供養だと思って、持ってってくれや」
しんみりと頼まれた。ジルさんはみいられた様に剣を見つめている。尻尾の揺れが早くなっちゃってまぁ。
「しかし……」
いくらなんでも家宝予定品は不味くないかい?
「良いんだよ。嬢ちゃんの装備をみて、そこの獣人と会話してよ、もう一度、死ぬ前に最高の一振りを打つ気になったんだ。
そいつがあると決意が鈍る。構わないから持ってってくれや」
押し問答の末、剣も含めて、全ての支払を終えて店を出る。汎用の品物はジルさんが自分の魔法のバックに入れておいてくれたから、素早く終わらせることが出来た。真っ直ぐにギルドに向かうと、アンナさんではない受付嬢に応接室のひとつに案内される。
「お、帰ってきたな! 非常識娘、お前、悪辣薬剤師なんだって?」
リックさん! せっかくのシリアスが台無しだわ!!
「ちょっと! 何処で聞いてきたんですか?! 私のドコが悪辣薬剤師ですかっ!!」
とりあえず、脊髄反射でツッコミを入れる。出掛ける前にスカルマッシャーさん達からキチンと説明したでしょうがっ!! この脳筋!!
部屋には食材やら、衣類やらがうず高く積まれている。
「ドコでって、コイツ。後、ソレ」
ニヤニヤ笑いながら身体をずらしニッキーを示してから、おもむろにジルさんを指差す。正しくは、ジルさんの首元。燦然と輝く黒歴史。
ー……あー、マジでスミマセン。
「お気遣いなく。主から与えられた大切な物です」
無言で頭を抱える私をフォローするためか、ジルさんが他所行きの口調で控え目に援護射撃してくれる。
「ニッッキィィー、ねぇ、教えてくれないかしら。一体全体、どんな噂になっているのよー!」
「え、あ、わりぃ、駄目だったか? いや、みんな知ってるし、楽しい噂はすぐ広がるから……」
地を這う私の声に驚いてニッキーが謝るけど、楽しい噂って何さ、本当にどんだけ広まってんのよ。もうヤだ。早く引きこもりたい。
「アンナさんは何処に? 支払いと納品をしてしまいたいんですけど……」
「足りないものはないか? 万一の場合を考えて、ニッキーに待っていて貰ったんだが。大丈夫なら、ホレ、これが新しいバックだな。手分けして入れるぞ」
なるほど、買い忘れた時に追加があると困るから、ニッキーがここにいたんだ。ならもしかして、別室にFランクの子供達も待ってたりする??
「ええ、ざっと見たところ、問題ないかと思います。いっぱいだから重かったよね。助かった、ありがとう、ニッキー」
「良いって。気にすんな。冬は子供が出来る依頼、減るからよ。みんな助かったんだ。またなんかあったら、呼べよな」
そう言うと外から子供達がワラワラと入ってきて、バケツリレー方式で、リックさんが買ってきたバックに詰め込みはじめた。人海戦術で片付けられて、瞬く間に、会議室が綺麗になっていく。
完全に部屋が綺麗になると、子供達が並んで、ギルド嬢に依頼の完了報告をし始めた。外のカウンターでお駄賃を支払うからと告げられて口々に私に礼を言いつつ、外に出ていく。
最後に残ったニッキーを慌てて呼び止めた。おそらく、大人のフォローも入っていたとは思うけど、寒い中余計な仕事をさせてしまったしね。お礼はしておこう。
「あ、ちょっと待ってね、ニッキー。コレ持ってって、みんなで温かいものでも食べて? 市場まで寒かったでしょ??」
そういって、半銀1枚を渡す。貰えないとごねるニッキーに、達成の特別報酬、心付けだと無理に押し付けた。
リックさんもニッキーと同時に室外に出ていく。中々勘がいいね。このままここにいたら、今回の件に巻き込んでやろうと思ったのに。残念。
「ティナさん、チーフ・アンナですが今は別件で手が離せません。ポーションの買い取りでしたら、今回のみの特例ですが、私でもお伺いできます。如何されますか?」
あー、どうしようかな? 最初にクルバさんから偽名を名乗る様に言われたときに、本名は隠すように言われたんだよね。ギルドカードの裏には、名前と種族とランクが書かれてるしなぁ。
「なら、納品だけして、支払いとポイントは後からって出来ますか? そろそろ帰りたいので、また今度来たときに、まとめてお願いしたいです。あ、あと、今回の諸々の清算をお願いします」
「分かりました、では、買掛金として預り票を出します。依頼の清算ですが、自由の風に渡した金額が物品の金額より多かったためそちらから一部清算済です。残金として銀貨5枚頂戴します」
銀貨を渡して、こっそり買い物中に準備していた納品用のバスケットを無限バックから出す。ずっしりと重いそれをテーブルの上に置いた。
「この中身全てです。しばらくこちらに来られなさそうなので、2ヶ月分の納品も入っています。よろしくお願いします」
スカルマッシャーさんたちに、後の事を頼んでデュシスの町を後にした。
城門を出て、つけられていない事を確認しながら目視されない、いつもの丘の陰を目指す。
「疲れましたね。なんだか思ったより大事になっちゃって、しかも、首輪…ごめんなさい」
「俺の事はいい。気にするな。それよりも、新入りの二人だ。ティナ、一体どうする気なんだ?」
深刻そうな顔のまま問いかけられる。正直、超展開過ぎて、私がどうしたいかとか、よく分からないんだよね。
「どうしましょうか? なんだか、軽い気持ちで参加したオークションでこんなことになるなんて。別に私自身は、奴隷とか要らないし、元公爵様がどうなろうと気にしないんですけどねぇ。
逃げられるもよし、救出されるもよし、何らかの方法で解放するもよし……」
ぶっちゃけ、好きにしてくれ、ただし、ウチの子達に手出しをしたら許さん!! としか思ってない。
「では、殺すのも選択肢の内と言うことで構わないな? 高額な買い物だったから、躊躇するかと思ったが、ティナがそう思ってくれているならやり様はいくらでもある」
「え、いきなり何で物騒になってんですか? 殺すって……」
「ギルドの連中もその選択肢に傾いている様だったが?」
はい?? 何故その結論に達した!!
「あの年増が、始末と言っていたからな。おそらく間違いないだろう」
「年増??」
「いつも相手をする、金髪の受付嬢」
「……アンナさんか! 怒られますよ、本人の前では絶対に口に出さないように。あんな美人さんを年増だなんて失礼な」
そこで肩をコミカルに竦めるな!
「えーっと、アンナさんが、゛始末゛と言っていた?? 言ってたっけ? そんな事??」
「あぁ、執務室から下に降りる途中でな。始末を含めて大して時間はかからないと話してたぞ」
げ。キチンと聞いてくれば良かったわ。
「どうして教えてくれなかったんですかっ!!」
「一緒に聞いていただろう?」
心底不思議そうにジルさんに言われてしまった。
「ジルさん、予想で良いです。ジルさんはギルドがどういう考えに傾いている、もしくは計画していると思いますか?」
平和ボケした私よりも、荒事が本業の元軍人さんのジルさんの方がハズレはないだろう。本当なら丘の陰に着いたし移転する所だけど、足を止めてジルさんに向き直る。ジルさんは1拍考えてから、話し出した。
「ただの予想だが…、執行局がこれ以上デュシスの町に介入するのを防ぐ為、ギルドの連中は本気で敵対勢力の排除にかかるだろう。元々は執行局とギルドは犬猿の仲だ。
特に、あの元公爵家の事件から端を発する一連の騒動では、あちこちの冒険者ギルドが迷惑を被ったと言う噂だ。ここまで、薬剤師不足になったのもヤツラが原因だと言う話だしな。薬がないことで死んだ冒険者達も多い、前の主人の情報だから何処まで正しいかは知らん。
一網打尽、しかもどさくさに紛れて、諸悪の根源である公爵も始末してしまおうと画策する気だ。……おそらくだがな」
「その公爵様、本当に恨まれてますね。この国で敵対している貴族、冒険者ギルド、戦争で身内を失った町の人達、それにジルさんも恨んでますよね?
とりあえず、私の判断は一時保留です。
一方の言い分だけ聞いて、罪状を決めてはいけないんだそうですし、そういうの、欠席裁判って言うらしいですよ?
ダビデがあそこまでなつくなんて、良いところも何かはあるんでしょうし、双方の言い分をよく聞いて、私自身で見て決めようかなと思います。何が出来るのか、何をしていいのかはわかりませんけどね。
もちろん、その結論次第では、始末と言う風になるかも知れませんけどね。その時は、知恵を貸してください」
「無論。その時は任せてもらおう」
新調した剣を鳴らして、ジルさんが太く笑った。
どこか気が重いまま隠れ家に移転する。外から見る限り、朝と変わりはないみたい。
「ただいまー、ダビデ、変わりはなかった??」
「おかえりなさい、ティナお嬢様!! 町はどうでしたか?!」
リビングに入って呼び掛ける私の顔を見て、ダビデが駆け寄ってきた。
「大丈夫だったよ。寒くなるから、これからしばらくは町には行かないで引きこもってた方が良いよって言われただけ」
ジルさんとの話し合いの結果、ダビデには何も言わない事にしたんだよね。気を揉ませても悪いし、決まったら言えばいいさ。
「わぁ!! ジルさん、凄い装備ですね!! ボクそんな装備、初めて見ました!」
「ああ、ありがとう。それより、新入りの二人は目覚めたのか?」
自分の周りをクルクル回りながら新装備を確認しているダビデに声をかけているジルさんは、困った顔かな?
そうだよね、あんまりにも無邪気過ぎると、どうしていいか分からなくなるよね。
「さっき見たときには、そろそろ目覚めそうでした。目が覚めたら、リビングに連れてきますね!」
尻尾パタパタさせて、本当に嬉しそうに言う。
「あ、なら、着替え、新調したんだ。それも一式ずつ持っていってくれない? 多分サイズ合ってないから、着替えた方がいいと思うし。ジルさんも運ぶの手伝ってもらえますか? 後ね、食料もたっくさん買ってきたから、後で保冷庫に入れようね」
ダビデのもあるんだよー、コートとかのフリーサイズのものは、後から分けようね! と話ながら、ジルさんが持ってくれていた新調した拡張型バックの中から適当に元公爵様と従者さん用の服を出す。
廊下を歩き、客間のひとつをダビデが開けた。
「アレ?」
「どうした?」
ジルさんが後ろから覗き込んで、ダビデと同じく動きを止めた。
二人の隙間から私も覗くと、あれ、誰もいない。
「さっきまでは居たようだな」
躊躇うこと無く室内に入り、ベットを確認したジルさんがそう言う。ダビデは慌てて向かいの客間に走った。
勢い良く扉を開けた瞬間に手が延びてきて、ダビデの襟首を掴み、中に引きずりこむ。
「ダビデ!? ジルさんっ!」
まだ空の客間を点検しているジルさんに、注意を促すために一声叫ぶと、私もダビデが引きずりこまれた扉を開けた。
「ダビデ! 大丈夫?! ちょっと、何するんですか!!」
客間の隅には金髪のまだ若い貴族が立ち、その前にはダビデを抱えた従者がいる。その腕はダビデの首に絡み付いていて、力を籠めれば、最悪首の骨を折られてしまうだろう。
「ティナ! 奴隷紋だ!! 命令しろ!!」
状況を見て、ジルさんが叫んでくる。
「おっと、今、奴隷紋で命令されたら、オレは力加減を間違えて、このコボルドを傷付けてしまうかも知れないよ? 可愛らしいハニー・バニー。少し話をしないかい??」
ウインクしながら軽薄に話しかけて来ている。
ほほぅ、ウチのダビデを人質に、交渉ですか、そうですか。
……覚悟は出来てるんだろうな。昔の恩人に人質にされて、ウチの子が泣きそうになってるんですがねぇ。
「内容は?」
怒りで漏れ出す魔力に乗せて口を開いた。新入り二人は、顔をしかめている。
「まず確認だよ、リトル・キティー。君が我々を買い取ったと言うことで間違いないかな?」
得物を抜いて、間合いを詰めようとするジルさんを押さえながら、回答する。少しでも隙があったら、ダビデを奪還して後悔させてやろう。
「ええ、そうですよ。貴方は意識があった。確認するまでもないでしょう」
「そう毛を逆立てないでおくれ、子猫ちゃん。ただの確認だよ。さて、スイートレディ、我々をどうするつもりなのかな?」
隙を探すが見つからない。おそらくこの従者はただの従者ではなくて、そう言う戦闘訓練も受けているのだろう。イラつくなぁ。
「貴方が今抱えているダビデに聞きなさい。貴方達の生殺与奪はダビデに与えています」
「……ダビデ?」
部屋の隅から小さく呟きが漏れた。
「ええ、コボルドのダビデです。記憶、ありませんか?」
「…オルランド」
元公爵が、小さな声で従者を呼ぶ。
「少しお待ちください、マイ・ロード。スイートキティ、君は我々をどうする気なのかな?」
「私は猫でもなければ、兎でもないですよ。ティナです。短い付き合いになるとは思いますが、どうぞよろしく。
さて、我々をどうするか? そんなの、こうするに決まってるでしょ!!」
後片付けが大変だからやりたくなかったけれど、無言で従者の真後ろで爆発を起こす。無論、ダビデだけは結界でしっかり守っていますとも。これを計算するために、ムカついても我慢して、会話してたんだからね。
咄嗟の事でバランスを崩す従者からダビデを無理やり奪い取って、ジルさんパス。片手でダビデを上手くキャッチしたジルさんはそのまま私の脇をすり抜けて、元公爵の元に向かう。
私は、目の前でバランスを崩している従者を思いっきり蹴飛ばして床に転がした後で、魔力を込めて叫んだ。蹴飛ばさなくても、命令すれば終わりだったけどさ、一発くらい良いよね?! 自業自得だよね!!
『全員、暴れるな、両手を見えるところに!! ゆっくりと床に這え!! ダビデ、起きてこっちに来なさい。 ジルベルトは、二人を取り押さえて!』
新入り二人の名前が分からないから、とりあえず全員の動きを拘束してから、再度命令を出し直す。命令内容は、前世の警察ドキュメントを参考にしました。
ー……とうとう、命令しちゃったよ。
「やるねぇ、リトル・キャット。まぁ、最初から奴隷紋があるから、敗戦は濃厚だったが何故か拘束が緩かったからな……、さて、それでどうするのかな?」
おそらくまだ奴隷紋に抵抗しているのだろう。オルランドと呼ばれた従者は、脂汗を流しながら、それでもふてぶてしく笑いかけてきている。
後ろ手に縛り上げられて床に転がされてるのに、その瞳はまだ光を失っていない。
さて、どうしますかねぇ。
何も考えてはいなかったけれど、私はにこりと満面の笑みを浮かべてみた。




