25.箸休めージルベルト
面白くもない、良くある、クソみたいな、ろくでもない人生だった。薄れゆく意識の中で、今までの人生が駆け巡る。
クソッ、これが走馬灯ってヤツか。オレもとうとう終わりらしい。
オレは、ジルベルト。栄えある『赤鱗騎士団』本隊直属の武装伝令だった。そう……だった、のだ。
ある隣国、人族至上主義を掲げるその国との大規模衝突で、オレ達、赤燐騎士団は壊滅的被害を被った。
隣国に捕らえられれば最後、楽な死に方は出来ない。それでも、逃げることなくオレ達は戦った。
大勢が決して、雷撃により死ぬことも出来ずに捕らわれた。それからが、地獄の始まりだった。
人族がオレ達の国に捕らえられた場合も変わらないが、戦争で捕らえられた者達の扱いは過酷を極める。それ以上の酷い扱いをされるのは、異端と断された者達だけだ。
手始めに拷問され、隣国に屈服し、自国に仇なすよう求められたが拒絶した。共に捕らわれた仲間達の中には耐えきれず死んでいった者も多い。そして、拷問に連れ出され、二度と戻らなかった者も中にはいる。おそらくは、人族に屈し裏切ったのだろう。
屈する事も裏切る事もなく、死にもしなかったオレ達は、奴隷紋を刻まれた。上級隷属魔法として、奴隷商人たちの間で行われる、目には見えないそれは魂すらも縛り付ける。これで一生逃れることは出来ない。……そんなに長い期間ではないだろうが。
その日から、オレは自分の身体の主ですらなくなった。
一人目の主人は、貴族だった。
オレ達をまとめ買いし、戯れに殺し合わせた。それを他の貴族に見物させ、賭けを行っている様だった。
オレ達の数が半数を割った頃『飽きた』と言って売り払われた。
商人に引き渡される少し前、オレのその目が気に入らなかったと、焼けた松明を押し付けられた。
二人目の主人に引き渡される前、商人がオレにローポーションをかけた。狼獣人はダンジョン探索の囮として高値で取引されている、こんなところで死なせるのは損だ、と、オレを売った利益で何を買うか、ひたすらに嗤い話していた。
片方の瞳は焼きつぶれ、顔には酷い火傷が残ってひきつれたが、また死なずに生き残ってしまった。
その後は、仲間達と再び出会うこともなく、ダンジョン探索の囮として転売され続けた。怪我をしても、まともな手当すら望めなかったが、獣人の体力と回復力のおかげか死ぬことも出来ずにいた。
辺境と言われるこの町に来たのは、一年前の冬。
そこでまた新しい主に売られた。神経質そうな線の細い男で、性質は粘着質だった。食事も稀にしか与えられなかったが、迷宮までの道のりで主人の目を盗み、野生の恵みを獲って食べ、飢えを凌いだ。
小さな幸運と言って良いだろう。神経質な主のパーティーは、森の迷宮の謎を解こうとしているらしく、定期的に森での野営があった。
ー……くそっ、苦しい、痛い、目の前が、紅く…
低い、地を震わせる、嗤い声が響く。
危険だと止めたのだが、主のパーティーは隠し部屋でそこに嵌め込まれていたプレートを外したのだ。これで名が上がると喜ぶ主達に、闇のような低い声が響いた。
黒い靄の中から現れたのは、巨大な老婆。
すぐに戦闘が開始され、そして撤退することになった。
老婆の息には毒が含まれ、配下とする蜥蜴と蝙蝠も状態異常を引き起こす。何より、蜥蜴と蝙蝠ですら、その防御を貫き、皮膚に傷痕ひとつ残せなかったのだ。
『おやおや、逃げるのかい? まぁ、構わないよ。ここから出してくれたお礼だ。見逃してあげようじゃないか。
ただ、この子達からも、逃げ切れるかねぇ』
迷宮から飛び出す寸前に老婆の声が響き、スタンピードが始まった。
主の逃げる時間を稼ぐ為に目立つ古樹に繋がれ、死ぬまで戦えと叫ばれる。主が見えなくなる寸前、獣人本来の戦闘モードである、獣相化も許可され、戦い続けるように再度命令された。
それからしばらくして、いきなり呼吸が止まり、心臓が鷲掴みにされる様な苦痛が襲う。
苦痛に身悶えながらも、命令された通りに体は動き続けた。
唐突に主が死んで、オレも死にかけているのを理解する。
体は戦っているが、心は今までの人生を振り返り始めていた。
上空から若い女の声がして爆煙が上がる。
オレの中の魔法は、戦え、戦え!とせっついてきているが、もうすぐ限界だ。
オレはそのまま、意識を失った。
ー…これで、終わりか。
鼻に強い異臭を感じて飛び起きる。混乱したまま最後の命令に従い、目の前にいた薄幸そうな中年に飛びかかった。
巌の様な拳に急所である鼻っぱしらを叩かれ、地に這わせられる。冷たい声に目を上げれば、見覚えのない部屋だった。
冷たい目をした男と、薄幸そうな中年男、そしてぐったりとしたコボルドを抱いた少女。部屋の隅には冒険者だと思われる一団がいたが、すぐに部屋の外に出ていった。
最後の記憶と現状が繋がらず混乱するオレを置いてきぼりにし、冷たい男は少女に抱いてるコボルドを降ろす様に指示を出す。
獣人を床に寝かせる事すら稀なのに、ソファーに壊れ物を扱う様に優しく寝かせ、柔らかそうな布をかける。心配そうにコボルドを見る少女を信じられない思いで見つめていると、目があった。
どことなく煌めく漆黒の髪、白い肌、七色の虹彩が散った吸い込まれそうな瞳。人間離れした美貌を怪訝そうに歪めて問いかけられる。
この立場になってから、すっかりと忘れていた想いが湧き出る。誰かの為に戦い、所属集団を守る、狼獣人族の本能とも言える、守護欲だ。
ー…自覚しろ。オレは、奴隷だ。ただ使い潰されるだけの、モノだ。
冷たい男に問いかけられるまま、迷宮で見たことを伝える。
話が一段落したところで、男達が打ち合わせに入る。しかし、何故この少女がここにいるのだろう?
打ち合わせが終わった男達は、オレと少女にハッグを討伐する様に命じた。
「はい? なんで私が??」
「オレは奴隷だ。集積場に行くべきだろう」
命じられた少女は、当然の如く拒否した。当たり前だろう。オレも、自分の身を弁えて控え目に抗議をする。
理路整然とオレ達の反論を封じてきたが、それでも、もう一度抵抗した。
「オレが同行する理由はない」
「黙れ、狼人。先程お前は何と言った? 主人の死亡で死にかけていたと言ったんだ。それを誰が解除したと思う?
受けた恩を返さずにいる、それが赤鱗の戦士か?」
オレの何を知っていると言うのか、確信を持って冷たく断じられた。そして、やはりオレを助けたのは少女らしい。
言いたいこと、聞きたいこと全てを飲み込んだまま、冷たい男を睨む。気がつかない間に、歯を食い縛っていた。
「助けてくれ、と言った覚えはない」
「ならば、もうひとつ提案だ。もしプレートを無事に嵌めて戻ったら、お前の所有権をそこのティナに持たせる。
さっきのダビデ…コボルドに対する扱いを見ただろう。悪い提案ではないのはわかるはずだ」
「ちょっと! クルバさん! 私はこれ以上、奴隷を所有するつもりないですよ!! 養えませんって!!」
冷たい男はこれ以上ない、甘やかな提案をしてくる。
獣人奴隷を養うなどと、この少女はどこまで甘いのか。
確かにコボルドへの対応を見る限り、望むべくもない、最良の主となるだろう。そもそも獣人達を虐待しなければ、非常に稀で慈悲深い主人なのだ。一瞬心が浮き立ったが、当の本人である少女は激しく拒絶している。
拾った命、後衛のお前、獣人はパーティーメンバーとして最良、次々と説得の言葉を並べられ、少女はしぶしぶ承諾したようだ。
「オオカミさんがそれでいいなら……」
オレに意思の決定を丸投げしてくるが、否やはない。ただ、少女がオレを望んでいないのが、少しだけ悲しかった。
「……主人とは呼ばない。だが、助けられたのも事実のようだ。ハッグ戦は手伝おう。しかし、たった二人で勝てるのか?」
オレの口から出たのは、可愛いげの欠片もない、無愛想なものだった。少女の表情が曇ったままで、捨てたはずの良心が痛む。
大丈夫だ、もし、勝てなくても、君が逃げる時間だけは必ず稼ぐ。喉元までその台詞が出かけた。本能と言うのは恐ろしい。
「問題ない。もし、ティナが勝てなければ誰も勝てない」
「こんな子供が、な」
冷たい男も、少女も特に問題なさそうにしていたが、本当に状況が分かっているのか。
その後、貸し出されると言う装備一式を別の部屋で身に纏っている時に、装備を持ってきたギルドの受付嬢だと言う年増の金髪女が話しかけてくる。
「ねぇ、オオカミさん。貴方、ティナをどう思っているのかしら?」
「オレを助けてくれたのなら、望んではいなかったとはいえ、感謝はしている」
言葉少なに返す。本当にあのときは死んだと確信した。命を拾った恩は大きい。
「そう、ならお願いがあるの。
ティナは奴隷が身近にいないまま大きくなったの。だから、世の中の"普通"が分からない。自分が下手をすれば、異端と呼ばれる危険性があることにも気がついていないの。
この国では、人族以外を大事にしたり、優しくするだけで、異端と呼ばれる可能性もある。当然、知っているわよね?」
「あぁ」
逆にオレ達の国では、人族に優しくし過ぎれば、異端となる可能性があった。『異端』の定義は場所によって異なる。
「そう、なら分かるわよね? ティナがなんと言おうと、行動しようと、貴方は貴方の立場を忘れないでちょうだい。
出来たら、私は、ティナに貴方を引き取ってもらいたい。絶対に裏切れない味方を仲間にしてほしい。
だから、もし無事に帰って、貴方が奴隷の立場を弁えているのであれば、貴方を引き取れと加勢してあげる」
これでも、あの子の説得は得意よ? と鮮やかに笑って、オレの返答も聞かず外に出された。
ギルドの外に出た途端に、釘を刺された理由が分かった。オレを"さん"付けで呼び、あまつさえ丁寧語で話す。しかも、名前すら聞いてきた。
名前を呼ばれるなど、奴隷落ちしてはじめてだ。それでも、ギルド嬢の言葉を思いだし、何とか略称を答えるにとどまる。まさかとは思うが、本名に"さん"付けでもされたら奇異に写るだろう。
心配は的中し、"ジルさん"と呼んでくる。止めさせようとしたが、その呼び方が過去の暖かい記憶を呼び覚まし、どうしても出来なかった。今後の身の振り方の希望を聞かれた時には、どうしたものかと、途方にくれたが。
どうやら少女は、この町のちょっとした有名人らしく、道や城門で同業の大人たちから声をかけられていた。
『他種族嫌いの疾風迅雷』という単語をよく聞くが一体何があったのやら。
城門から出ると人目のつかない所まで移動し、少女が移転魔法を唱えた。移転魔法など一国の宮廷魔術師ですら、唱えられる人間は少ない。それを気負う事もなく、当たり前の様に唱える。
迷宮でもその規格外ぶりは遺憾なく発揮された。オレから、ハッグを発見した場所を詳しく聞くと、しばらく虚空を見上げて固まる。眼球だけは忙しなく動いていたから、何処かを魔力を使い視ているのかと思い、静かに待機した。
ひとつ頷くと、オレに対して空腹や、喉の渇きを確認してくる。
正直に言えばかなり飢え渇いていたが、経験上この程度ならまだ戦闘力には影響しないので否定した。
見たこともない魔法を使い足を止めることもなく、殲滅させていく少女の後ろをついていく。
死んだ主人が辿った時間より遥かに早く、隠し部屋の入口に着いた。再度、食事をしないか、大丈夫かと確認してくる、少女の顔には緊張感の欠片もない。
ー…これから命がけの殺しあいをする自覚はあるのか。
ギルドで打ち合わせた通りにオレが前衛を勤めて、蝙蝠と蜥蜴を引き付けた。
少女が凛とした声で、歌うように詠唱する。
発動と共に鐘の音色が響き渡り、魔物を滅した。
「おや、これで狩れませんでしたか。なら、もう一撃……」
深手を負ったハッグを見ながら、意外そうに呟くと、少女は次の魔法に取りかかろうとする。しかし、少女の魔法が完成する前に、ハッグの攻撃が来るだろう。
オレは本日何度目かの獣相化を行う。体力を消耗するこの技をもう長く維持は出来ない。それでも、うっすらと光輝く剣を握りしめ、全力でハッグの首元に叩き込んだ。
死んだ主人と共に戦った時には、傷ひとつ、つけられなかった、その皮膚を簡単に裂き首が落ちる。
疲れも溜まり獣相化しているのに限界を感じた為、元に戻った。ハッグの影になり今まで見えなかった台座を示し、プレートを嵌めるように促した。かなり無愛想になってしまったのだが、少女は怒るどころか不快な顔もしなかった。
ボス戦は初めてだった様で、その後の一連の流れに驚き続ける少女のアンバランスさがおかしいが、奴隷の身で笑う訳にもいかない。
少女の指示に従い迷宮を後にした。
デュシスの町近くにある丘の上で、今日は休むと言う少女に従い、夜営の準備をする。
一度城壁近くで休まないのかと確認したが、なにかやりたい事があると言い、丘で休みたいと言われる。
その際に、オレの意思を確認されたが、所詮オレは獣人だ。何処にいても戯れに暴行される事など良くあること。逆に、手出しをしてくるのが少女だけの、危険なフィールドのほうが安全なくらいだ。
その後で、何を思ったのかオレの嗜好を確認して調理を始める。
焚き火の少し遠くに刺された、二種類の肉。
鍋に魔法で作った熱湯を入れて茹で上げた麺。茹で上がった麺のみを残し、魔法でお湯を消すと、手早く厚手に切ったベーコンと、森に自生する滋養強壮によいとされる薬味と、辛さが食欲を誘う乾燥させた別の香辛料を入れて更に炒める。
少女が全てを食べるとしたら多すぎる量だから、もしかしたらオレの分も作ってくれているのだろうか?
口に唾が湧き、腹が鳴る。幸いにして少女には気がつかれなかった様だ。
『奴隷の立場を弁えるなら…』ギルドの受付嬢の警告が甦る。
これ以上見ていることが辛くなり後ろを向いた。
料理が出来たと伝える少女の声はしたが、振り向くことが出来ない。獣人にエサを与えるのは、主人が食べた後だ。
答えないオレを不思議に思ったのか、少女が回り込んできて問いかけられる。
「……奴隷が共に食べるわけにはいかない。先に食べろ。残飯でも恵んでもらえれば十分だ」
体は耐え難い飢えと渇きを訴えているが、貸し出された剣にすがり付くようにして耐え、伝えた。今までの主人ならば、迷わず食べ残しを地面に投げて寄越しただろう。
「困ります。今日はハッグ戦のお疲れ様会です。一緒に食べてもらえないと、私も食べられません」
真摯な瞳で伝えてくる少女に負け、共に食べることにした。待たせた事を謝罪するオレに、冷めたから美味しくないかも、料理はあまり得意じゃない、と照れ笑いを浮かべながら、山盛りの食事を渡してきた。
肉の内、猪肉に塗られたソースが空腹の胃に少し濃厚すぎて苦戦していると、少女が自分の鶏肉と取り替えた。動揺するオレに、故郷の味だからこれを多く食べたかったのだと言い、笑いかける。
こんなにマトモな食事をしたのはいつ振りだろう。
味わって食べようとは思ったが、飢えた体は正直で、咀嚼もそこそこに飲み込んだ。
食べ終わり少女を見ると、まだ半分も食べていない。そのまま、貰った茶を飲んでいようと思っていたら、追加で焼き菓子を寄越された。
一口食べると広がる、甘い森の恵みの香り。木の実だけではない甘味も感じられるから、おそらくは砂糖も使っているのだろう。これも奴隷に与えるのはあまりにも高価な品だ。
ひとつ目を貪るように食い、一息つくと、あとはゆっくりと噛み締めて食べた。オレのお茶が少なくなる度、少女は追加を注いでくる。
しばらくして焼き菓子が最後の一枚になった頃、少女も食べ終わった様だ。のんびりと食後の茶を楽しんでいる。昼間の疲れからか、眠そうな少女に休むように促す。
「あの、ジルさん、何も言わずに、飲んで欲しいものがあります」
今にも眠りそうだった少女が、一転、緊張した面持ちで姿勢を正して話しかけてきた。毒か何かでも戯れに飲めと言うのか、と、この少女なら絶対にあり得ないであろう警戒心が湧く。
「なんだ?」
「是非飲んで欲しいものがあります。
もしかしたら、明日でお別れかもしれません。
だからチャンスは今日だけなんです。お願いします、何も言わずに今から出すものを、飲み干すと約束してもらえませんか?」
問い返したら、再度懇願に近い声音で頼み込まれた。
十分に時間をかけて考える。結論は、「まぁ、良いか」だった。
そもそも、オレの命はこの少女が拾ったモノだ。その上、略称とは言え名前を呼ばれ、望むべくもない、満ち足りた食事に、二度と口にすることはないと思っていた甘味、しかも何処と無く故郷の味を彷彿とさせる甘味も食べられた。
何を飲ませたいのかは知らないが、どうなっても良いか。例え久々に満足を訴える胃から、全てを奪い取る嘔吐剤だろうが、出所の分からない怪しい毒薬だろうが、どんな効果か分からない迷宮産の飲み物の試飲だろうが飲み干そう。そう、覚悟を決めた。
渡された小さな瓶を確認もせずに飲み干す。何が起きるかと身構えるが、身体が温かくなり、狭かった視界が広がっただけだった。
「これは、なんだ? え、視界が……」
信じられない思いで呟く。一体、何を飲ませたんだ。
「効いたようで良かったです。私の『とっておき』です。顔の傷が、何か思い入れのあるものでしたら、今ならさっきまでの状況に戻せますけど」
嬉しそうに、だが何処か申し訳さそうにオレの顔色を伺う少女に、問題ない事を伝える。
「なら、良かったです。さぁ、夜も更けました。少しでも仮眠を取りましょう。
ここには守護結界を張ります。魔物は近づけませんから、眠って大丈夫ですからね」
少女は、今にも眠りそうなトロンとした瞳でそう告げると、手早く食事の後始末をして眠りに落ちた。礼を言う隙もない。
顔の火傷だけではなく、全身にあった拷問痕を初めとした古傷が綺麗に消えている。所々、皮膚が突っ張り、動きに違和感があった箇所も綺麗に治っている。
明日でお別れかもしれないと、少女が、恩人たるオレの主人がそう話していたが、何とかして、その意思を覆すことは出来ないだろうか?
冷たい男の言いなりになるようで、腹立たしいがこれほどの恩を受けて返さないまま別れ、野垂れ死ぬ訳にはいかない。無論、主人がオレの命の使い方を定めたのならば、逆らわない。死ねと言われれば死のう。
奴隷に抵抗があるらしい主人に、何とかしてオレの所有を認めてほしい。焚き火に薪を加えながら、延々と考え続けた。
いつの間にか寝ていたらしい。人の気配を感じ目を開けると、主人が起きていた。慌てて起き上がり周りを見ると、オレが眠ったせいで焚き火が消えてしまっている。
主人は気にしていないようだが、無性に恥ずかしくなり、焚き火から目を離せなかった。それをどう勘違いしたのかは知らないが、朝食を作ると言う主人を残し丘の麓まで歩く。自己嫌悪で沈み込みそうだ。
主人の所に戻ると、スープとパンが渡される。パンは柔らかく癖のない白パンで、それに更にジャムを塗れと言う。どこの王公貴族の朝食のつもりか。スープには、初めて嗅ぐ、優しい薫りが漂っている。おそらく魚から作った何かだろう。
故郷の味を隠し味で入れたと控え目に笑う主人の顔を見て、不覚にも捨てないでくれと泣き縋りたくなる衝動に駆られる。
自分はここまで女々しかったのかと、己自身に愕然とした。
ー…弁えろ。オレが縋り付くことは赦されない。
自分を律する事に必死で、こちらを心配そうに見守る主人の視線に気が付かなかった。
ギルドに戻ると年増の金髪に案内され、冷たい目をした男の所に連れて行かれる。
ハッグの討伐と、プレートの嵌め込みを報告した主人に、約束通りにオレの所有権を認めると言う冷たい男に一生懸命反論する姿を後ろから眺めていた。
金髪女が、チラリとこちらに視線を送ってから、主人への説得を開始する。主人がもしもオレを所有しなかった場合どうなるのか?と聞かれ、言葉に詰まる様子を見、助けるつもりで話に割り込んだ。
「死ぬまで、使い潰されるだけだ。要らないと言っている相手の慈悲にすがり付くようなことはしない。オレを売ればいい」
ただの事実なのだが、殴られでもしたかのように顔を歪めて、ため息をついた。
再度、オレに本当に自分に所有されていいのか?と確認する主人の声に内心舞い上がるが、これだけは言っておかなくては。
「あぁ、よろしく頼む。ただ、憐れみならば不要だ。負担になったら、いつでも集積場に売ってくれて構わないからな」
主人の負担になるくらいなら、捨てられ野垂れ死ぬ方がまだマシだ。それに、オレを売ればそれなりの収入になる。この時だけは、価値が高い狼獣人であったことに感謝した。
「いや、売りませんから。私は後衛メインの冒険者です。前衛は貴重です。秘密も多いですしね」
秘密、か。確かに多そうだ。オレは永年奴隷で解放条件もない。主の秘密ならいくらでも守ろう。
話が一段落した所で、冷たい男がまた割り込んでくる。どうやらオレの契約更新が出来る、上級隷属魔法の使い手が留守にしているらしい。
使い手が戻るまでの繋ぎに、懲罰用の『隷従の首輪』を付けるように言われる。オレはまったく構わないのだが、何故かまた主人が捏ね出した。
構わないから付けるように促すと、渋々首輪を手に取る。オレと主人の身長差だと、首に手が届かないから屈むように言われたが、少し考え、わざと膝を屈した。
同席していた他のメンバーは、太古の祖先より狼獣人が滅多に膝を屈しない事を知っていたのだろう、驚きに目を見開いていたが、当の主人はキョトンとしたまま、首輪を付けた。
主人の魔力がオレの四肢を縛る。懲罰用だけあって、全身に魔力が行き渡るまで苦痛が襲い続ける。抵抗せずに痛みを受け入れ、首輪の支配が浸透し終わると共に、苦痛も終わる。何とか顔にも態度にも出さずに済んだ。
1週間。それが上級隷属魔法の使い手が戻るまでに必要な時間。
それまで、この重たい首輪が、オレの主人との唯一の繋がりだ。




