ハヤセ湖畔の戦い2
オオォォォォン!!
ワオォォォォン!!
赤い狼達が遠吠えを響かせる。我々はここにいるぞと、敵に伝えるために宵闇を裂く。
声に押されるように、女王守護隊と選ばれた赤鱗の騎手は駆ける。敵から打ち上げられる光源を避けつつ、弾丸の様に闇に紛れてひた走った。
防御とも言えぬ柵を飛び越え、見張りを引き倒す。抵抗という抵抗も感じぬ弱兵。一当てして感じたのはそれだけだった。
「狼だ!」
「リベルタの夜襲だ!!」
「灯りを! もっと灯りだ!!」
混乱する前線を足を止める事なく蹂躙して、奥へ奥へと兵士たちは進む。
出来れば中枢、指揮官たちへも一撃を喰らわせたい。そうすれば先に撤退していった仲間達への援護となる。
決意を戦意に代えて、百戦錬磨の将軍は先陣をきり、敵陣に躍り込んでいった。
「閣下!」
しばらくして部下達が追い付く。こちらも激戦を潜り抜けてきたようで、返り血で全身を紅く染めている。
身震いをして血を飛ばし、狼の姿から人へとジルベルトは戻る。部下に引かれてきた愛馬が、嬉しそうにジルベルトにすり寄った。
敵からの攻撃をいなしつつ、ジルベルトは愛馬に飛び乗る。
「損害は?」
「我々は軽傷が数名。赤鱗に重症者が出ましたが、既にポーションで回復済みです」
「わかった。布陣は『錐』だ。遅れるなよ」
腰に下げていた剣を抜き、掲げながら部下たちを鼓舞し、ジルベルトは更に突撃の速度を上げていった。
「そろそろ……だな」
ジルベルトは呟くと、副官に目配せをする。部下たちの疲労も溜まっている。それにこれだけ時間を稼げば十分だろう。撤退のタイミングだった。
――――ピー!! ピー!! ピー!!
三度甲高い笛の音が響く。合図を受けて、ジルベルト率いる部隊は、撤退戦へと意識を切り替える。横に広がった部隊が隊列を変え、 流線型となる。中央前よりに怪我をした赤鱗の騎士を配した。
「待て!! これ以上好きにはさせんぞ! コイツがどうなってもいいのか?!」
「ひぃ。お願い、やめて。殺さないで」
「子供だけでも!」
「助けてくれ!」
撤退しかけていたジルベルト達の前に引き出されたのは、救出し損ねた市民達だった。みな疲労の色が濃く、怪我をしている者たちもいる。
惨殺され打ち捨てられていた民の他にも、捕らわれていた者たちがいたらしい。年端もいかない幼子から、年寄りまでおよそ十人。皆一様に武器を向けられ震えていた。
「奴隷と下級民の解放を標榜するリベルタが、まさかこやつらを見捨てるわけがないよな? 武器を捨て投降しろ!!」
勝ち誇った笑みを浮かべて女王守護隊を見る。手柄を確信したその表情は既に褒美で一杯のようだ。
「閣下……」
沈痛な表情でジルベルトを窺う部下に気が付きながらも、一瞥すらせずにジルベルトは、敵将に向けてにやりと笑んだ。
「好きにしろ。我らはリベルタの女王守護隊。貴君らの民を守る兵ではない」
そう話ながら、後ろ手に部下たちに撤退を促す。ぐずぐずしていたら包囲されて損害がでるだろう。例え非難されようとも、女王から預かった部下達を無駄に危険に晒すわけにはいかなかった。
「何だと?! お前たちは奴隷解放するために我が国に攻め込んできたのだろうがっ!!
やはり綺麗事かっ?!」
「そんなっ!!」
「助けて!!」
「お母さん!!」
救いを求めて身をよじる市民たちから視線を外し、ジルベルトもまた撤退しようと馬を駆る。
「約立たずどもめ」と罵詈雑言を浴びせられながら、兵士たちに殺されていく民達の哀願と苦痛の悲鳴に、手綱を握る手から血が流れる。
「閣下、本当に宜しいので?」
「悔しいが、今、助ける術はない。無理に助けようとすれば…………何だ?」
隊列から一部の兵が離脱し、民の救出に向かっていた。動揺が走る部下に、このまま撤退するように伝えて、ジルベルトは馬首を返す。
「閣下!」
「このまま撤退しろ! あの馬鹿どもは俺が連れて帰る!!」
「お待ちください!!」
ジルベルトにつられ、次々と進行方向を変える部下達が目にしたのは、守護隊の中でも特に女王を神聖視していた若手のホープと赤鱗の騎士たちが、周囲の兵を蹴散らし民を馬に引き上げている風景だった。
思えばホープと言われた青年は赤鱗からの昇進組だ。今回貸し出された赤鱗の騎士たちと面識があってもおかしくはない。
配属初日から全ては女王の為にと瞳を輝かす青年を微笑ましく見ていたが、まさか上官の命令を無視し動くとは誰しも思っていなかった。
助ける民に対して半数にも満たない救いの手だ。初めは隙をつき有利に動けたとしてもすぐに形勢は逆転する。
「閣下に続け!!」
「馬鹿ヤロウがっ!!」
口では毒づきつつも、若い同僚を助ける為に部下たちも馬を走らせる。
「二人乗りまでだ! お前らはさっさと退け!!」
民を救っていた騎士を先に脱出させ、女王守護隊の中でも特に馬術に秀でた者達に残りの民を託す。
見る間に狭まっていく脱出路を見ながら、ジルベルトは小さく舌打ちをした。
「…………これを頼む」
押し付けるように部下に腰に下げた剣を託し、馬から滑り降りたジルベルトは完全獣化を行う。
リベルタと戦火を交えた国々では、悪魔とも戦鬼とも言われる護国将軍ジルベルトの本気だ。
「退け。その剣を『聖牙』を女王へ届けろ」
「閣下っ!! これはあんたが陛下から贈られた大切なっ!! 死ぬつもりか?!」
「馬鹿を言うな。俺は死なん。
ただ包囲網が出来てしまった。誰かが食い破らねばならない。このまま腰に下げていたのでは、落としてしまうだろう? だからお前に預ける。行け! 総員、撤退!!
振り向くなよ!!」
建国時から祖国を守り続けた古兵の怒声に驚き馬が走り出す。
「閣下!」
「ご無事で」
「お待ちしております」
民を乗せた味方を中央に配した女王守護隊は、錐から双翼に隊列を変えて突破口を開こうと敵に突撃していく。
混乱から脱した敵陣からは魔法も飛び始めた。少数とはいえ重装騎兵が出てくれば何処まで損害が増えるか分からない。
ただ救いは始めに逃がした馬鹿どもが、包囲網が完成する前に外に出られたことか……。
考え込んでいたジルベルトは、まばたきをして意識を戦闘に切り替える。
敵陣奥地から、重装騎兵が突撃してくる音がする。魔法使いたちも、本格的に投入され始めたようだ。
――――ここが覚悟の決め時か…………。
「すまんな、ティナ」
ため息と同時に小さな呟きがジルベルトの口から漏れる。一瞬だけリベルタ本国の方向を振り向いたジルベルトは、ジリジリと迫る敵兵に向けて名乗りを上げた。
「我はリベルタ将軍、ジルベルト!!
女王の最も信厚き将である!!
武功を求めるものは前に出よ!!
リベルタに思いある者は、名乗りを挙げよ!!
建国よりリベルタを守りし俺が相手になろう!!」
朗々とした名乗りが敵陣に響き渡る。武功をあげようとする兵と逃げようとする兵、そして前線を維持しようとする者達の間で混乱が起きる。
重装騎兵や魔法使いは、ジルベルトに狙いを定めて突撃してきた。
重装騎兵の馬を狙って引き倒し、その装甲に隠れて魔法使いたちを殺す。弓兵の矢は厚い毛皮に阻まれて大したダメージではないと無視し、槍ぶすまを作る槍兵たちに近くにある死体を投げつける。
部下たちが撤退しても退かずに戦い続けたジルベルトの体にはいつしか複数の重い怪我があった。
折れた牙の一本を吐き出し、いまだに包囲を解かない敵兵を睨み付ける。
「これで終わりか? 俺もいい加減疲れてきたぞ。ほら、もう少しだ」
わざと馬鹿にした言い方をし、敵を刺激する。いきり立った兵士がジルベルトに向けて突撃しようとした時、包囲網の一部が割れて、大盾を装備した重装兵士達が一列に並ぶ。
「ジルベルト将軍! 悪いようにはしない。投降しろ!!」
声変わり前のボーイソプラノが、重装騎兵の後ろから発せられる。
「何者だ?」
大盾の間から顔を見せた相手は、まだ幼さが残る少年だった。
「僕はこの国の第三王子トリスタンです!
貴殿の地位に相応しい扱いをすると王家の名に掛けて約束します。このまま無駄死にしては貴国の女王も哀しまれましょう!!
どうか、投降して下さい」
差し出された手の持ち主を噛み殺すことは出来るだろう。第三とはいえ、王族と相討ちならば死に場所としても悪くない。
そう思ったジルベルトだったが、「死ぬな」と言うリュスティーナの命令を思い出して、下を向いた。どんな目にあうとしても少しの辛抱だ。おそらく一年と持たずにこの国はリベルタに飲み込まれる。それまでならば……。
ジルベルトの迷いを感じたかの様に、完全獣化は解けて『獣人』の姿に戻る。
――――ヒュッ!!
「グッ?」
「何て事を!! 誰だ!!」
遠く風切り音を響かせて、ジルベルトの身体を太い槍が貫いた。体の中央を貫き地面に深々と刺さった槍に支えられて、倒れることも出来ずにいる。
片手で身体から生えた柄を握りながら、それでも普段から腰に下げていた剣を探す手に触るモノはない。
混乱した頭だったが、先に部下に剣を預けていた事を思い出してジルベルトは苦笑を浮かべた。
「ゆ……だん……したか」
腰の後ろ、隠しに仕込んでいた短剣を引き抜き、最後の力を振り絞って攻撃した犯人を探し慌てる王子に投げつける。
強化され続けた腕から一陣の光となって放たれた短剣は狙い違わず王子の心臓を貫き、後ろにいた部下の盾に深々と突き刺さる。
「殿下?!」
「このっ!!」
敵兵たちがジルベルトに殺到した。満足げに微笑んだまま動かないジルベルトを数人かがりで引き倒す。
「死んでいるな?」
「はっ!!」
部下たちに死亡の確認をさせた高級将校の一人が、ジルベルトの遺体を運ぶように指示を出す。
大盾に乗せられ運ばれる王子とは裏腹に、その運搬方法は荒縄でくぐり馬で引きずるというものだった……。
******
湿ったまとわりつく風を受けながら、一人の女が敵陣を睨み付けていた。腰には女王守護隊に届けられた『聖牙』が下がっている。
「陛下……」
「オルランドの部下から連絡が来た。ジルさんはこの先の街にいる」
怒りを隠そうともしない女王の声に、宰相を初めとした部下たちは深く頭を下げた。
「ジルベルトを迎えにいく。文句はないよね?」
前線に到着し、砦にて保護民と面談した時には決して見せなかった悲しみを湛えた瞳は、ただジルベルトが晒されている街の方角を見ていた。
「陛下、どうか我々にご命令を!」
「閣下の仇を討たせてください!!」
本来の任務に戻った女王守護隊のメンバーが口々に嘆願する。
「…………駄目だ。お前たちは指揮官不在。前線にそんな部隊を連れていくことは出来ない。
よくも……よくも……ジルベルトを。しかも騙し討ちするなんて」
ジルベルトが最期を迎えた地に仁王立ちになった女王から、危険な魔力が立ち上る。
長く付き従っている者達でも経験したことがないほど、女王リュスティーナは怒り狂っていた。
「いいよ、噂に偽りないことを証明してあげよう。『絶対なる悪辣女王』その真価を発してあげようじゃないか。
……この国に降伏は認めない。捕虜も不要だ。私の前に倒れ伏すだけは認めてあげよう」
「陛下! 落ち着いてください」
「アル、私の何処がダメなの?」
「……ッ! お願いでございます。どうかお怒りを鎮めて」
白髪が混じり始めた細身の宰相が、地に膝をついて必死に女王を諌める。
「これでも我慢してるんだよ?
アイツら、敵国の将軍を城壁に掲げるだけでなく、通行人に石を投げるように命じているとか。……ふざけんな。相手が私たちに敬意を払わないなら、私たちも払う必要はないよね。
もういいや。ちょっと暴れてくる」
埒が明かないと判断した女王は、防御陣を張り攻撃に備える敵中央上空へと移転した。
練り上げた魔力を解放する女王の姿を見て、リベルタの兵士達が慌てて結界の中へと待避する。
…………瞬く間にジルベルトを取り戻した女王は、盛大な国葬と遺族への補償を命じ、また戦地へと戻っていったらしい。
三日三晩、魔力尽きるまで暴れまわった女王は、文字通り一国を焦土とする事となる。
これによりリベルタに対する畏怖が更に高まっていったのは否定しがたい史実である。
(C) 2016 立木るでゆん
【護国将軍ジルベルト 死す】
先輩、挿し絵ありがとうございました。




