ハヤセ湖畔の戦い1
オムニバスです。
第一段、ジルベルト。2話くらいで終わります。
もやッと注意!
湿った風を鼻に感じて、狼たちは顔を上げた。丈長の草に隠れるように伏せた頭上を、のんきにトンボが飛んでいる。
草を刈り作られた野営地には敵国の旗がたなびき、魔法使いを主力とした部隊が集結していた。
(閣下……)
(待て。民を逃がすことを優先する。夜を待つぞ)
大国リベルタの護国将軍ジルベルトが、逸る年若い部下を諌める。部下たちはそれぞれ一騎当千と言われてはいるが、魔法職が少ない。特に陣地の維持だけを命じられていたジルベルトには、気心の知れた部下をと言うことで、獣人や子飼いである守護隊のメンバーが付き従っていた。
近くにハヤセ湖がある為に大地は湿気を帯びて柔らかい。女王に贈られた武具を汚すことに内心悲しみを感じつつも、ジルベルトは慎重に味方陣地に戻っていく。
「将軍!」
「閣下!!」
はためく女王旗と赤鱗騎士団の旗の下、多くの市民を守った部下達がジルベルトの帰りを待っていた。
「敵陣はいかがでしたか?」
側近の問いかけには頷くだけで済ます。数年前から赤鱗の一隊を率いている息子の姿を見つけて、ジルベルトは手を上げた。
「騎士団の代表はオルフリートだな。ならばちょうどいい。同行しろ。それと女王守護隊から数名集めろ。状況を確認する」
指示を出す手に浮き出した血管や、艶がなくなった肌。そして若い頃に比べて太ってきた体型。貫禄がついたと周りからは評価されるが、騎士としては複雑だった。
若くない自分を受け入れながらも抵抗し、なけなしの威厳をかき集めてジルベルトは若い部下たちに指示を出す。
あと数ヵ国落とせば大陸の統一が見えてくる。そんな中、リベルタの政策に強硬に反対する国が宣戦布告してきたのが、今回の戦いの始まりだった。
女王の母の出身地であるテリオ王国との同盟も結び、周辺各国とも友好な関係を築いていたリベルタは、即反撃を開始。赤鱗騎士団と国防軍を動員し、一時は敵国を陥落寸前にまで追い詰めた。
だがそこで、友好国だった一部の国がリベルタからの離反を選択。戦線は伸び、泥沼化していくことになった。
それでも種族進化した騎士達を主力としたリベルタは、じりじりと戦況を盛り返す。女王リュスティーナが一国ずつ潰していくことを選択した結果でもあった。
「…………ごめん。強硬策でいく。
リベルタの価値観を広め経済的な結び付きで優位を確立しようとしたけれど、それだけじゃやっぱり駄目だね。この世界は力を見せつけなくちゃ、安全は手に入らない。
護国将軍ジルベルト!! 赤鱗騎士団団長フォルクマー!! 国防軍軍長ラインハルト!!
兵を興せ!! 今回は私も出る!!」
いまだに二十歳半ばの見た目を維持している美しい女王の声が脳裏に過る。
「負けるわけにはいかんな……」
保護した人々の不安げな顔を見ながら、ジルベルトは天幕へ向かって足を早めた。
「「「「「「閣下!!」」」」」」
ジルベルトが天幕に入ると、軍議の準備を整えた部下達が一斉に立ち上がり、姿勢を正して頭を下げる。
「民はどうだ?」
「我が国への恭順を示した民たちは落ち着いております。ですが敵国に怯えているものも多く、不安が蔓延しております」
保護した民を担当する騎士のひとりが報告をする。それに頷きながら、ジルベルトは席に座った。
「今夜、ハヤセ湖畔を抜け、リベルタ支配地域に向けて脱出する。準備を開始しろ」
「かしこまりました。他の戦線に動きは御座いません。女王陛下が出られた地域は平定まであと少しとのこと。ここをしのげば増員も望めます」
「そうだな。本来であれば増員がくるで砦を守ることを優先すべきであったが、敵国がリベルタに好意的な自国民を惨殺し始めるとは思わなかった。半数近くを救出することが出来たのが幸いだ」
敵国の中枢はリベルタとの敵対を選択しても、末端の民はそうではなかった。特に貧民や奴隷たちはリベルタの侵攻を心待ちにしているもの達もいたのだ。
「夜更けを待って撤退を開始する。護衛は赤鱗騎士団がつけ。オルフリート、出来るな?」
ジルベルトの面影がある青年が力強く頷く。幼い頃からリベルタ本国で育ったジルベルトの子供たちは、全員自力での種族進化を果たし古狼種となっていた。
「はい、閣下。お任せください。民の保護する部隊を抽出し、配置を決めております。既に撤退の準備は整っております」
仕事中は親と思うな。その教育を徹底されたオルフリートは、一人の騎士として答えた。兄であるアイクはフォルクマーの直属騎士のひとりとして、別の戦線で華々しい戦果を挙げていると聞く。
ジルベルトが任された任務は現状の維持だけであり、敵国の住民の救出は含まれていない。オルフリートはそれでも助けられた犠牲を見るだけで、手をこまねいていれば女王が悲しむと判断し、兵を動かしたジルベルトを騎士として尊敬していた。
「俺が殿だ。敵部隊には、魔法使いも多い。気をつけて撤退しろ」
「閣下! 万一があってはいけません。閣下はお早く撤退を」
「民の救出を命じたのは俺だ。俺に万一があれば、副官が引き継げ。いいな」
「お断りしますよ」
「命令に逆らう気か?」
にべもなく答えた副官の男に、ジルベルトは牙を剥いた。
「我々は女王守護隊。言うなれば閣下の子飼いですからね。何処へなりとお供しますよ。
万一の時には、赤鱗のトップが引き継げばいい。ご子息のオルフリート殿であれば経験も十分でしょう」
「な? 私ではッ……」
動揺する息子を黙らせてから、ジルベルトは副官に向き直った。
「命令だ。先に撤退し、万一の時には女王陛下の命令を果たせ」
「お断りします。陛下は将軍をこの地に送り出すとき、守護隊に生きて帰れと命令されました。
陛下が出た前線を除けば、閣下が任されたここが最もキツい戦場になっちまいました。あんたは更に難易度をあげやがったからですよ。だからこそ、俺達はお供します」
「閣下、諦めてください。私たちは一蓮托生。陛下の信頼厚い閣下なら、女王守護隊をご自身の種族で固めることも出来た。それなのにリベルタの将来を考えて、種族を問わずに実力と忠誠心で取り立てて下された」
「それに、ここであんたを置いて逃げ帰ってみろよ。やっぱり混合部隊なんぞは駄目だと言われッちまう」
騎士達からすれば気安す過ぎる口調で女王守護隊の隊員たちはジルベルトに訴えた。決意は変わらないと感じたジルベルトはため息混じりに「馬鹿どもが……」と呟き一度顔を伏せる。
「分かった。では殿は我々、女王守護隊で勤める。よいな」
「「「「ハッ!!」」」」
「では作戦開始時刻を二十二時とする。それまで警戒を怠らず待機しろ!!」
ジルベルトの命令を受けて、部下たちは散っていった。
「……閣下、お休みのところ失礼致します」
「なんだ?」
「赤鱗騎士団のオルフリート殿が閣下に面会を求めております」
天幕で状況を確認するジルベルトに、外から声がかかる。見つめていた地図から目をあげ許可を出すと、オルフリートが滑るように入ってきた。
「なんだ?」
「ハッ! 住民に脱出計画を通知。準備が完了いたしました。それと情報が漏れぬように監視も強化しております」
「ご苦労。下がって休め」
「…………閣下」
許可を出したにも関わらず、退出しなかったオルフリートは躊躇いがちにジルベルトに呼び掛けた。
「どうした?」
「父上、申し訳ございません。少しだけお話させては頂けませんか?」
オルフリートは思い詰めた表情でジルベルトに話しかける。普段は私情を挟まぬ息子の願いを受けて、ジルベルトは椅子のひとつを指差した。
「手短にな」
「感謝いたします」
軽く頭を下げたまま沈黙を続ける息子に、ジルベルトは苦笑を浮かべた。本人は気がついていないようだが、尻尾が腹に巻かれている。
「そう怯えるな。俺の子だからと差別されないように厳しく指導することも多かったが、オルフリートももう一人前の騎士だ。子供も大きい父親がが何を怯えている?」
「父上……。そのような……。
お願い致します。リベルタにはまだ父上が必要です。どうか殿は我々赤鱗騎士団に命じ、先に撤退を」
お願い致しますと頭を下げる息子に、ジルベルトは苦笑を浮かべる。
「お前たちは俺を年寄り扱いする気か? まだまだ働けるつもりなのだが」
「そんな事は! ですが父上に万一があれば、士気に関わります。それにきっとリュスティーナおばさまも哀しまれます」
幼い頃の呼び方で女王を呼んだオルフリートはよほど切羽詰まっているらしい。
「大丈夫だ。確かに全盛期の体力はないが、それでもお前たちよりは強いつもりだ。犠牲を少なく撤退する為には俺達、女王守護隊が戦うのが一番だ。何と言ってもティナはホイホイと前線に出るからな」
しばらく押し問答の末、ジルベルトの決意が変わらないと判断したオルフリートはせめてもと、赤鱗騎士団の一隊を殿に残すことに同意させた。
夜半、撤退予定時刻。静かに野営地を出発していく味方を見送るジルベルト。その背後には突撃準備が整った女王守護隊が揃っている。
「閣下」
「ああ、一当てしてかき回したら我々も撤退だ」
これだけの部隊が動けば敵にもすぐに知られるだろう。だからこそ華々しく戦うと決めていた。
馬を部下に預けてジルベルトは完全獣化をする。リベルタ建国前から女王を支え続けた、古兵にふさわしい威風堂々たる白銀の大狼だ。
無言で敵陣に向けて疾駆し始めるジルベルトに女王守護隊が続く。
幾分も行かぬ間に、自分達に向かってくる相手に気がついたのだろう。敵陣が騒がしくなった。
グルゥ! ガァオォォォォォ!!
ジルベルトの雄叫びが闇を裂く。迎え撃つ様に敵陣から明かりの魔法が上空に打ち上げられた。
「突っ切るぞ!!」
ジルベルトの背後、両翼の位置に並んだ守護隊のメンバーは武器を構えて馬をあおった。
(C) 2016 立木るでゆん




