100話記念SSー泡沫の揺り籠
これは、管理者により作られた記憶の欠片。
優しいがどこかもの悲しい夢の世界……。
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「リュスティーナ、ティナちゃん、さぁ、こっちへ」
柔らかく微笑む母に向かって、まだ歩くことも覚束ない幼子は必死で足を動かす。這えば早いと思いながらも、二本の足で歩くことに意味があると幼いながらも分かっているのか、ヨロヨロと歩みを進めた。
「良くできました。うふふ、フェーヤ、ティナったらこんなに歩けるようになったのよ?」
「あぁ、流石君の子だ。可愛く賢い。そして成長も早い。リュスティーナ、早く大きくおなり。父様が何でも教えてやろう」
両手で壊れ物を扱うかのように、優しく娘を抱き上げ、フェーヤは現役時代には予想も出来なかった優しい父親の顔で微笑んだ。
「あら、あなただけなんてズルいわ。リュスティーナ、母様だってあなたのためなら、何でもしてあげる。早く大きくなってね。一緒にお料理を作りましょう。絵本を読みましょうね。お花で冠を作りましょうか。
愛しい、愛しいリュスティーナ、沢山一緒にいましょうね」
父親に抱かれたまま嬉しそうに微笑む娘に、ヴィアも抱きしめ頬を寄せる。朗らかな笑い声が響いた。
§§
「とうさま、おかえりなさい!」
子供の無邪気な声が響く。
「あぁ、ただいま、リュスティーナ。
さぁこれが今日のお土産だ」
我が子を抱き締めつつ、その手に魔物のドロップ品の中でも柔らかい毛皮を娘に持たせた。
「わぁ! 柔らかい。ふわふわ。
とうさま、ありがとう!」
「あら、ティナ、良いものを貰ったわね。
おかえりなさい、あなた」
ただいまと返事をしながら、自然と抱き合い唇を交わす両親を幼い娘は、笑顔で見つめていた。
§§§
「もうヤダ!! 父様なんか、キライ!!!!」
手酷く鍛えられて擦り傷を作った娘に涙目で睨まれて、フェーヤは内心たじろいだ。ただそれを表に出しては娘の教育に良くないと、ぐっと我慢して厳しい顔を維持し、意識して低い声を出した。
「嫌いでいい。それでも、木剣は持ちなさい。
軸がぶれている。小技を使うよりも、今は基礎が大事だ。奇をてらうよりも、誰にも防げぬ一撃を求めろ。
さぁ、もう一度、素振りからだ」
疲労で腕が痛んでいるだろう娘に、更なる修練を課すのは辛いが、ここで甘やかしてはこの子が成長しなくなってしまう。そして、成長がなくなれば、死が待つだろう。特に娘の出自を考えれば、武力も知力も最大限鍛えておいた方がいい。普通であることを望めない立場で生まれてしまった子供だ。
例え、この子に恨まれようとも……。
そんな覚悟を決めて、ティナが自分から木剣を持ち素振りを開始するまで、怒りの表情を変えずに立ち続けた。
「あなた、少しやり過ぎじゃない?」
夜、ティナが疲れて眠りについた事を確認したヴィアは、酒を煽るフェーヤに問いかける。
「ならどうすればいい? あの子の将来を守るためだ。成人して町に出れば、否応なく歴史の流れに巻き込まれるだろう。それまでに少しでも力をつけさせなくては……」
「ごめんなさい。私があの時……」
後悔に顔を暗くするヴィアの肩を抱き寄せ、フェーヤは否定する。
「娘には悪いと思っているが、俺はあの時の選択を後悔していない。なぁ、ヴィア。成人しても俺達があの子を守ればいいだけだろう? だが本人にも戦う力があった方が安心できる」
「ええ、そうね。ならまだ早いと思っていたけれど、あの子にポーション作成を教え始めようかしら? 薬草の種類は無数にあるものね、早い方がいいわ」
「ああ、そうしてくれ。俺たちの希望、愛しい娘。あの子が楽に生きられるように、与えられる知識は全て教えよう」
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「ティナ!! 危ない!!」
「父様!!」
自分を庇って魔物の攻撃を受けた父親の顔を見て、リュスティーナは泣き出しそうに顔を歪めた。
「ティナ! 泣くのは後よ!!
今は魔物を倒すことが優先! しっかりしなさい!!」
後衛の母親に叱られ、幼い少女は武器を握り直した。
今日は生まれて初めて、家族で遠出をする日だ。ようやく戦えるようになったから、近くの泉までピクニックに行くかと父親に言われたティナは、その日以来今日を心待ちにしていた。
だが、安全な我が家の周辺から出てしばらく歩いたところで、魔物に襲われた。確かに両親ともに、外には魔物がいるから気を付けるようにと、念を押されてはいたのだ。だが、幼いリュスティーナがその警告を守れるはずもなく、はしゃいでしまった。子供特有の声が、魔物を呼んだのだ。
その結果が目の前での、父親の負傷だ。後悔に涙が溢れる。
「落ち着きなさい」
怪我をしたままの父親は、それを感じされることなく静かに剣を構え、娘を庇う位置に立つ。
「父様……」
手の甲でグイと涙を拭うと、リュスティーナも剣を構えた。
「血の臭いで他の魔物も寄ってくるだろう。戦いながら撤退する。家の周囲に張ってある結界の中へ戻れば大丈夫だ。落ち着いて移動するぞ」
「はい」
止まることなく流れる父の血を眺めながら、リュスティーナは頷いた。そのまま、後退り結界を目指す。
母親も攻撃魔法で近寄る魔物を殲滅し始めた。
「くそッ、キリがない!!」
しばらく戦った所で、余裕を無くしたフェーヤが舌打ちをする。自身も負傷し、妻と娘を守りながらの撤退戦は思いの外、フェーヤに消耗を強いていた。
「フェーヤ、少し防いで!! 範囲攻撃を使うわ!!」
妻であるヴィアも余裕を失っているようで、現役時代の口調に戻っていた。
「分かった!!」
詠唱に入るヴィアを守れる位置に立ちフェーヤは剣を握り直す。治せない傷から流れ落ちる血が剣の握りに付着し、滑り始めていた。
「父様! 母様!!」
そんな両親の死角となる場所から飛び出してきた魔物を見つけて、ティナは警告を発する。しかし、立ち位置からして対応は出来ない。ヴィアはダメージを負うことを覚悟し、奥歯を噛み締めた。
「あああああぁぁぁぁぁ!!」
そんな時、ティナの絶叫が森に響いた。まだ幼いと言うことで、多くは教えていなかったが、いくつかの魔法は既に修めている。魔力が暴走するかのように膨れ上がり、両親を除く周囲の全てに攻撃を始めた。
火球、水球、風の刃、今使える攻撃魔法が、周囲を蹂躙していく。
「ティナ! 落ち着いて、もう十分よ。
ほら、恐い魔物はもういないわ。父様も母様も無事よ。
落ち着いて。大丈夫、大丈夫だからね」
豊満な胸に抱きしめられ、少しは落ち着いたらしいリュスティーナから、魔力暴走の気配が消える。辺り一面何もない荒野になっていた。
「父様……、ごめんなさい」
フラフラと定まらない視線で必死に父親を探し、腕を伸ばす。握り返してやろうと手を伸ばしたフェーヤを避けて、傷を負った肩口を指差した。
『治癒……』
それだけ呟くと、リュスティーナは力尽き、深い眠りに落ちる。
「あなた」
見る見るうちに傷が治っていく夫の肩を見て、ヴィアは驚きに目を丸くしている。
「あぁ、これは治癒魔法だ……」
娘にレア度が高く、非常に優遇される治癒属性の魔法が出現したと言うのに、二人の顔色は冴えない。
「何と言うこと」
絶望したように顔を覆う妻を慰めつつ、フェーヤは尋ねた。
「まさか、リュスティーナにも天啓が来てしまうとは……。だが何方の加護だ? ヴィア、分かるかい?」
「何て言うこと! フェーヤ、大変よ。ティナは、私達の娘は失われし至高神様の……!!」
森にヴィアの悲鳴が響いた。
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台所に少女の鼻歌が響く。
「あらあら、ご機嫌ね。リュスティーナ、何を作っているのかしら?」
「母様、見ちゃダメ!!
今日は私がご飯を作る約束でしょ?! 父様も母様も、お外でデートでもしてきて」
竈の前に立つ娘に声をかけたヴィアは、そう言われると、後ろから押されて家の外に出された。
「もう! 父様もしっかり母様を掴まえていてよ!
今日は母様のお誕生日。何もしなくていいの。ほら父様、母様と一緒にお出かけするんでしょ!」
満面の笑みで早く行ってこいと急かす娘に、両親は揃って笑った。
「おやおや、これは。すっかりティナも大きくなって。これはヴィアを、越える日も近いな」
「うん、もう。フェーヤったら。
ティナ、わかっていると思うけれど、火を使うときは気をつけて。お鍋をかけている間は、目を離さないのよ。結界を破って魔物が入ってきたら一目散に逃げなさい。それ以外は私たちがいない間は、決して外に出たら駄目よ」
何度も約束させられた内容を念押しされて、ティナは膨れっ面になっている。
「大丈夫だよ! 深部にはいかない。魔物には近づかない。家から出ない。火や刃物を使うときは気を付ける。基礎訓練はサボらない。全部守るから、だから安心してデートしてきてね!!」
11歳になり急激に大人びてきた娘を喜び半分、寂しい思いが半分の複雑な視線で見てから、両親は出発した。
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『広域治癒!』
『火球!!』
「ヤァ!!」
「フェーヤ!!」
「ヴィア、範囲攻撃を!!」
親子の声が森に響く。連携にも慣れ、魔物にも怯えなくなった娘の成長は、両親にとっても嬉しいものだ。
「終わったー!!」
「頑張ったな、ほら、ドロップ品を拾ったら帰るぞ」
「はーい、父様!
あ、狩りのこしだ!!」
そう言うと背中に担いでいた弓をとりだし、ティナは素早く放った。狙い違わずに、少し離れた所にいた魔物を串刺しにする。
「もう、本当に強くなって。弓なんて、私やフェーヤよりも上手よね。さぁ、ティナ、お家へ帰りましょう?」
「はーい、母様!!」
「ティナ、明日、父様と母様はお出かけしてくる。ひとりで留守番になるが、待てるな?」
「えー……また私だけお留守番?」
毎回自分一人が置いていかれる不満に、頬を膨らませる娘を見ながらフェーヤは肩をすくめた。
「ごめんなさいね、ティナ。もう少し、ティナが成人したら一緒に町に行きましょうね。それまで我慢してちょうだい」
「……うー。ならお土産、期待してるからね!!」
「あぁ、分かってる。ティナが好きなカラフルな飴玉や、焼き菓子を買ってこよう。他には何が欲しい?」
「防具!!」
「あら駄目よ。防具はもう少し大きくなってからね」
無邪気にねだる娘を宥めつつ、ヴィアは明日の町へと思いを馳せた。
明日は娘の12歳の誕生日だ。昔の仲間に無理を言って、リュスティーナの冒険者ギルドカードの発行を頼む予定である。年々強くなる別れの予感に身を震わせながら、哀しみを押し殺し、ヴィアは微笑んだ。
「フェーヤはほんとうにティナに甘いんだから。その内ティナも恋をして、誰か素敵な人を連れてくるわ。その時にどんな反応をするのかしらね」
「おい、ヴィア、そんなやつ俺は認めないぞ!!」
「あらあら、ティナ、駄目な父様ねぇ」
「大丈夫だよ、母様! ティナは父様と結婚するから!!」
覗き込んだ娘の無垢な瞳を眺めて、イタズラをするように微笑んだ。
「あら、ティナは母様から父様をとっちゃうのね。母様は哀しいわ」
「え、それは……」
慌て出す娘を抱きしめて謝る。額を合わせて微笑んだ。
「可愛いリュスティーナ、頑張りやさんなリュスティーナ。貴女の未来に幸運があらんことを。
大丈夫よ、父様も母様も、ずっとずーっと貴女の味方」
「……母様?」
話す内容が理解できなかった娘に何でもないのだと首を振り、安全な箱庭である我が家への帰路についた。
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その日より一年数ヵ月後、運命の日が訪れる。
この泡沫の記憶は、その日より存在することになるたった一組の親子の為だけに振るわれた、調律神のせめてもの慈悲であったー……。




