225.カルデナルの覚悟
ペンヘバンとの交渉は難航を極めた。最初はメントレのおっちゃんの降臨を祝福しつつ、リベルタの解体を打診してきたことからも、話し合いが平行線だったのは分かってもらえると思う。リベルタを解体しペンヘバンに居を移せば、神に愛された大聖女と世界に向けて発表すると言われて、ふざけんなと即座にキレた私は悪くないと思いたい。それ以来、ペンヘバンとの交渉の席に私が出席することはなくなった。
リベルタとペンヘバンの外交官がお互いに何度も交渉と言う名の通告を行う。双方一歩も譲らず、それ故に捕虜になったペンヘバンの兵士たちはリベルタに長期滞在することになった。
宗教国家の人員という事もあり、フォルクマーやファウスタ達が警戒する中、ある日突然カルデナル大司教が『神子姫教』に改宗を申し出た。無論、それを認める訳にはいかない。神子姫の父神……色々思うところはあるけれど、父神と認識されている調律神メントレに帰依することで話はついた。まあ、それでも一波乱どころではない騒ぎはあったんだけどさ。
流石に息子であり連合軍のトップがペンヘバンを捨てた事に教皇はショックを受けるかと思いきや、怒り狂い責め立てる書簡がカルデナルに届いただけだった。豊穣神の司祭から調律神メントレの信者まで位を落としたカルデナル元大司教の申し出により、リベルタでは彼を呼び捨てにするようになっていた。
カルデナルがペンヘバンと袂を別ってから、久々に謁見の申し出があり今日執務室へと呼び出した。
「陛下」
目の前では神に対するように両膝をつき、私の足の前の地面に接吻するカルデナルがいる。
祈りの力が増しているのか、それとも元々豊穣神の神官として神に仕えるコツを知っているのか、既に調律神の神官として力を振るい始めたカルデナルは、新しく作られた調律神の神官衣に身を包み私の前に現れた。
カルデナルは日々、ペンヘバンから同行してきた他の神官騎士や神殿騎士達に改宗を促している。少しずつだけれど、連合軍からの改宗組も出てきていると報告を受けていた。順風満帆だったはずなのに、一体何が起きたのかと警戒しながら、起き上がるのを待つ。
カルデナルの後頭部を見ながら、立ち上がる様に命じた。
会うたびにコレをやられて何度も止めるよう命じたけれど、無駄だった。今では諦めてカルデナルの好きにさせている。それに毒された住民達もいちいち跪くようになりかけて、必死になって止めた。
「神子姫様に申し上げます。ペンヘバンで動きがございました」
「神子姫じゃないから。それでどんな?」
毎度恒例の惰性で訂正を入れつつ先を促す。ペンヘバン関係も交渉役の臣下を通して、今までも色々と情報を流してくれていた。今回は直接報告しなくては行けない何が起きたのだろうか。
「ペンヘバンで豊穣神の力が弱まり、今まで通りには癒しの力を振るえなくなったとのことでございます」
「大丈夫なの? 医者やポーションは足りているのかしら」
思いもよらない報告に驚くより先に心配がきた。
「ペンヘバンでは神官が癒しの役割を担っておりました。ですのでかなり大変な事になるかと思われます。巡礼者も含む多くの民が動揺しております。てすがそれ以上に上層部が顔色を変える神託がございました」
私は控えていたアルフレッドと視線を交わす。微かに首を横に振り何も知らないことを伝えてきた。今までもそうだけれど、オルランドの部下もペンヘバンの中枢にまでは入り込んでいないらしい。
「豊穣神からの神託により、教皇及びリベルタへの侵攻を行った者達は加護を失ったとのことです。豊穣神もその咎を受け、位を落としたと叱責を受けたそうです。癒しの力の低下を受け、既にペンヘバンでは神殿の威光は弱まっておりました。それに合わせてこの神託。広まれば民の争乱に繋がりかねない状況だと、残してきた者から報告を受けました」
ああ、確かにメントレのおっちゃんも、他の神様への力の移譲は止めるって言ってたっけ。でも急激すぎないかな? ペンヘバン以外ではそんな報告を受けてないから、これもミセルコルディアに与した人たちへの報復……なのかな?
社会を壊すようなことをしなくてもいいだろうに。大人げない。
ちょいワルおやじの対応の過激さを知り、遠い眼になったのは仕方ないことだろう。
「陛下、内々の話ですが、ペンヘバンの教皇が謁見を望んでおります」
謝罪をしたいのだろうと予想を口にするカルデナルをアルフレッドが冷たい視線で見ている。
「陛下が会う利点がございません」
「……カルデナルはどう思う?」
半分くらいは試す気持ちでカルデナルに問いかける。アルフレッドの言う通り教皇と直接会談しても拗れることはあっても何か進展があるとは思えなかった。それなのに何故この人はわざわざ謁見を申し込んでまで、私に伝えてきたのだろう。
「はい。私も陛下のお手を煩わせることはないと思います。ですが相手は失墜したとはいえ宗教国家のトップ。申し出があればお伝えせねば陛下のお為にならぬかと思い、申し上げました」
難色を示すのも当然という顔でカルデナルが話す。断ると言うのであれば、ペンヘバンとの交渉を行っている人員に伝えさせればいいと続ける。
「……カルデナル殿」
思い付いた様にアルフレッドがカルデナルを呼ぶ。
「貴殿がペンヘバンへと伝えてくれませんか」
「宰相閣下、私がでしょうか? 何故……」
基本、寝返り組には厳しい目を向けるアルフレッドから話しかけられて、カルデナルは困惑の表情を浮かべた。
「貴殿がリベルタへと骨を埋める覚悟を決められたならば、一度父上と話された方が良いでしょう。此度の申し入れももしやご子息と会いたいとの親心やもしれません」
情に訴えるアルフレッドの視線は何処までも冷たい。あからさまに試されているのに、カルデナルは柔らかく微笑んでご命令とあればと頭を下げる。
「畏まりました。宰相閣下のお慈悲に感謝いたします」
カルデナルの肯首を受けて、ペンヘバンとカルデナルの会談が押し進められることになった。
………
………………
……………………
「今日は御足労を頂きありがとうございます」
ペンヘバンの使者へカルデナルが柔らかく話しかけた。
「カルデナル大司教」
苦々しげにカルデナルを呼ぶ枢機卿は、かなり高齢にも関わらず血色がいい。太鼓腹を波打たせつつ挨拶を交わす。
ここはリベルタの神殿だ。オーナメントがある場所に現れた使者を奥の部屋に案内してカルデナルとの会談を行う手筈になった。
絵画とカーテンの隙間から会談を見守るのは、私と控えるアルフレッド、そして護衛として控えるジルさんだ。
「大司教、お久しぶりですね。お元気そうで何より」
「私はもう大司教ではありません。ただのカルデナル。調律神様にお仕えするただの人です」
「何を血迷っておいでか。
カルデナル殿、お父上も悲しんでおられます。そして御身の無事を日々豊穣神様に祈っておいでだ。早くペンヘパンに戻って来られよ。
その為にもリベルタの内情を……」
人払いを済ませた室内には、カルデナルと枢機卿しかいない。だからこそ、あからさまに情報を求める枢機卿に、カルデナルは小馬鹿にしたような表情を浮かべ話しかけた。
「我が信仰はメントレ様に捧げております。地上の忠誠はリベルタの女王へ。
貴殿達が何と申されようと我が心を変えることは出来ません。私がリベルタを裏切ることはない。そう父上にお伝えください」
「なにを」
「それと、いまひとつ。
リベルタの女王陛下よりのお言葉です。
教皇猊下との会談はお断りするとのよし。それよりも早く、リベルタへと攻め入った兵士たちの処遇を定めたいとのことです。身代金を払うか、見捨てるのか、早くそちらの意思を表示して欲しいとの御言葉です」
「無礼な!
我々は神の尖兵。混合種族の国家ごときが我らの兵士を拘束する事、許されることではない。無条件での即時解放を要求する!!」
顔を真っ赤にした枢機卿は怒りの声を上げている。アルフレッドと視線を合わせるといつもの事だと言うように肩をすくめられた。
うん、話にならないってこう言うことをいうんだよね。
「リベルタよりの最後の提案です。
平兵士一人金貨十枚。神殿騎士一人金貨百枚。神官及び神官騎士一人につき金貨五百枚。指揮官については個別の交渉をとのことです。
受け入れない場合は、虜囚として扱わせて頂きます。
どうぞ本国に戻ってご検討を」
まあ、払えるとは思ってないけど、これくらいは吹っ掛けさせて貰おう。最初は一人金貨一枚くらいでお引き取り願ってたんだけどね。食費も馬鹿にならないし、値上がりも致し方なし。
ちなみにオルランドの部下とリベルタの息がかかった商人が四、五日前にようやくペンヘバン入りした。今回の申し出はチラシや投げ込みで国民の多くに広めるように指示していた。
別に国に払って貰わなくても私たちは構わない。自腹で払える人達からさっさとお引き取り願おうって事だ。
「カルデナル! この若造がッ!
豊穣神様の慈悲をどう心得る!!
お前は猊下の意を受け、従っておれば良いのだ!
リベルタの女王を捕らえ、それが出来ねば殺し、ペンヘバンへと帰還せよ!!」
法衣の隠しから取り出した装飾過多の短刀をカルデナルに押し付けようとする。それを確認したジルさんが隠し部屋から飛び出そうとするのを止める。
「……お断りです」
「今まで育てて貰った恩を忘れおったか!!」
「もう少しお静かに。ここも無人というわけではございません。
そして先程も申し上げた通りです。私がリベルタを裏切ることは有り得ない」
カルデナルが言い切ると同時に枢機卿が短刀を振りかぶる。とっさに防御したカルデナルの腕を切り、短刀を押さえて揉み合いになりかけた。
「何故?!」
流石に取り押さえようと隠し部屋から飛び出し、入り口に回ったのと同時にカルデナルの悲鳴に近い声が上がった。
「……ぐ……ぅ…………。
陛下……」
扉を開ければ、血塗れの手を私に伸ばす枢機卿がいた。その腹からは、装飾過多の短刀が生えている。
「どうかお助けを。カルデナルに……」
苦しそうに話す枢機卿だったが瞳の奥では満足そうだ。
「違います!
直接己の腹を」
慌てて否定の言葉を口にするカルデナルを押しのけ、枢機卿の横に跪く。既に意識はなく虫の息だ。
「治癒を!」
私の指示を受けてバタバタと人が集まってくる。無論、癒しの術は私が使い、枢機卿は一命をとりとめた。装飾過多の短剣には呪毒も仕込まれていた。私でなくては間に合わなかっただろう。
慌ただしく枢機卿を助け、同行者も含めて監視付きで休ませてからカルデナルを呼び出した。
「申し訳ございません」
開口一番、謝罪される。それに首を振って否定しつつ椅子に座るように促した。
「ペンヘバンは形振り構わなくなったね」
「この上私がここにいては、陛下のご迷惑になるかと。処刑し、首をペンヘバンへとお届け下さい」
私たちと同じ結論に達したらしいカルデナルが覚悟を決めた表情で言う。
「寝返ったカルデナルに命じ、リベルタの女王が聖職者を殺すように命じた」
「……おそらくは。今回は防げましたが次回以降も無事とは限りません。切り捨てて下さい」
「……宰相」
静かに話すカルデナルからアルフレッドへと視線を動かす。
「よろしいかと」
しぶしぶという雰囲気で頷いたアルフレッドを確認して、カルデナルにひとつの命令を下す。
「カルデナル神官。
リベルタの女王としてガイスト村への赴任を命じます」
突然の事に驚くカルデナルに話続ける。
「ガイスト村は私たちリベルタの食料庫となる地域です。人と犬妖精、それと精霊が多く住む村ですがまだ神殿はありません。
前々からガイスト村から神官の派遣の依頼を受けていました。
カルデナル、貴方が行きなさい」
「しかし……」
「これは命令です。今回のような事が起きてしまったからには、少なくともペンヘバンとの交渉がまとまるまで、この街に貴方がいられると面倒なことになる。それにガイスト村へも捕虜を送り、労働を命じています。その者達の支えになってあげなさい」
しばらく悩んだカルデナルはひとつ大きく頷くと、立ち上がり跪いた。
「このカルデナル、ガイスト村へ骨を埋める覚悟でございます。私が信仰を失わずに済む道を示して下さり感謝いたします」
すぐに用意を整えて村へと向かうと話すカルデナルに、赤鱗から護衛をつける話をして退出させた。
「精霊王達」
『なんだ、使徒殿』
「今のがカルデナル。これからよろしくね」
呼び掛けに答えて表れた四人の精霊王達にカルデナルを頼む。
『無論だ』
『ええ、しっかり監視しますわ』
『村の中ならば全て報告を受けています』
『あの戦いで使徒様に弓を引いた愚か者。改心したとは言え、しっかり見守る。心配されるな』
アルフレッド以上に精霊王達の警戒心は強い。これならカルデナルの身の安全は保証されるだろう。
「監視は程ほどに。慣れない土地での生活になるから協力してあげてね」
そんな風に送り出したカルデナルだったが、一年経たずに精霊王達に認められ、終生をガイストに捧げることになるのはまた別の話だ。




