220.箸休めー至高神を知りし世界②ー
「陛下だ!」
隠れ家へと急ぐ国民達の一人が宙を指差す。そこには見知らぬ男に背後から抱かれた女王が写し出された。
『我が愛しき娘』
抱き締めている男が力ある言葉を紡ぐ。敬愛する女王に向けられる瞳は優しいものだ。
「やはり陛下は神子姫様だ!」
「ああ……だが俺たちの国の王族の姫でもある!」
獣人と元デュシスの住人の間で、いつもの言い争いがおきかけた。
『我が愛しき娘を害するのは誰そ?』
それを叱責するかの様に、神の声が空から降る。
「薬剤師さんは妖精王のお姫様で神様のお姫様だよ。ほら、早く行こうよ、お父さん。
私たちが怪我をしたら姫様が悲しい顔をしちゃう」
近くで口論を見ていた少女が、お下げを揺らしながら父親の手を引く。
「ああ、そうだな、ディア。神子姫様は姫君様だ。早く薬剤師さんの隠れ家に行こう」
何かあればすぐに避難をと、防衛戦に出た女王や、残った騎士達からしつこく周知されていた。手に手を取って走り出そうとした住人達を、地震が襲う。
「きゃ!」
「大丈夫か?」
倒れかけた少女を支えたのは、小さな角を持つ獣人の少年だった。
「何か嫌な予感がする。女王様の隠れ家に急ごう!」
その少年に引きずられる様に、少女と父親は足を早める。
逃げる人々を追う様に、外から爆発音と衝撃が断続的に襲う。何処かで魔物が町に入ったと悲鳴も上がり始めていた。それまで住民の避難誘導をしていた者達が武器を手に走り出す。
「隠れ家へ早く逃げろ!!」
いくつかの角を過ぎた所に、隠れ家の方角を指差し住民を急がせる男達がいた。
「オヤジさん?!」
「先生?! そっちじゃない!」
酒場のオヤジと学校で常識を教える教師が、魔物が出たと悲鳴が上がる方角へ走り去る。
「ほら、早く! あの人達は大丈夫だ!
君たちは早く逃げるんだ!!」
まだ安全なルートを教え誘導する男達の声が響く。
リベルタ中の戦えない住民達は、方々で助け合いながら一団となり女王の隠れ家を目指していた。
****
『我が愛しき娘を害するのは誰そ』
同じ頃、城壁の外にもメントレの声が響く。
『ああ……、我が背の君』
感極まったミセルコルディアの声が城壁に響く。上空を見上げて動きを止めたミセルコルディアに、チャンスとばかりにハルトが斬りかかった。
「ッ!!」
ミセルコルディアを守るために振るわれたドラゴンゾンビの尾にはね飛ばされ、地面に這うハルトに向け、ミセルコルディアは艶然と微笑む。無数に蠢く根がその歓喜の念を伝えていた。
『ああ、我が背の君! 愛しきメントレ様!
ワタクシはここです。貴方の妻はここにおります』
背を向けられ見えていないと分かるはずだが、両腕を差し伸べミセルコルディアは訴える。
「バケモノめ……」
それまでの攻防で満身創痍のハルトは口に溜まった血を吐き出しつつ呟いた。
「我が背の君の変わりに、そなたを愛でようかと思ったが、もう要らぬな。
喰ろうてしまえ。我が君の気配を纏いし羽虫。不愉快だわ」
それまでは甚振り屈伏させようとしていた攻撃が殺気を帯びる。
「主!」
いまだに立ち上がれないハルトの前に、エルメアが立ちふさがる。
「エルメア! 駄目だ!!
また死ぬ気か!!」
この二年で強くなったとは言え、肉弾戦を得意とする女戦士のエルメアにドラコンゾンビの相手は荷が重すぎる。そう判断したハルトは、震える膝を叱咤して飛び出した。
『水の精霊よ! ハルト様とエルメアを癒して!!』
「わっちがお相手いたしんす!!」
「あんたの相手はワタシだよ! オバサン!!」
剣を盾にし何とか防ぎきったハルトにステファニーからの治癒が飛ぶ。
ドラゴンゾンビはケーラの幻術、浄化の焔を受けて足止めされていた。
「小賢しい真似を……」
敏捷性を生かし、行動の邪魔をするミレースを煩わしそうに見たミセルコルディアは早めに潰そうと腕を振るう。
「キャ……ぐ。負けない! ハルトが復帰するまでは!!」
ただ一撃で血塗れになりながらも何とか致命傷を避けたミレースは、投擲武器を使い距離をとる。
その勢いを殺さぬまま煙玉を投げ、ミセルコルディアの視界を奪った。
「小賢しいわ!!」
ミセルコルディアの怒声と共に爆風が吹き荒れハルト達を襲う。
煙が晴れ、地面に伏すハルト達の姿が明らかにあり、城壁から勇者の戦いを見ていた冒険者達が悲鳴を発する。
「とどめを……」
「ま、まだだ……。俺は負けない」
力の入らない腕を無理に動かし、ハルトは起き上がろうとしている。何度か失敗し地に伏すハルトを見るのに飽きたミセルコルディアは、上空へと視線を戻し、その動きを止めた。
『……………………何故』
痛いほどの沈黙の後、ポツリと呟く。
『何故、なぜ、ナゼ!!
メントレ様! 我が背の君よ!!
何故そのような羽虫に、貴方は口付けを!!
貴方が想うのは我だけでよい!!
貴方の視界に入るのは、我だけが許される!!
メントレ様! 我が愛しき調律神よ!!
ああ……あああアアアアアァァァァ!!!
イヤ! イヤです!
その様な下等生物に!!」
背後から抱きしめ口付けを贈り、更には向かい合って抱き合う二人の人影を指差しミセルコルディアは頭を抱える。身体を二つに折り、狂乱状態となった女神に当てられたのか、魔物達も動きを止めた。
「な……何が起きているんだよ」
「今のうちに回復を」
忙しく体勢を建て直そうとするハルト達を尻目にミセルコルディアの狂乱は続く。
「………………うふふ。そう。そうなのね。
我が背の君。貴方は私を迎えにきて下さったとそう思っていたのですが違うのですね……。
ならば共に滅しましょう。
貴方の愛したこの世界ごと!」
ゆらりとミセルコルディアから紅の焔が立ち上る。
「防御を!」
ステファニーとケーラの二人が協力し結界を張るが、押し寄せてきた焔に簡単に壊された。
「俺の後ろに!!」
ハルトはとっさに仲間達を守ろうと前に出る。衝撃に備えてきつく閉じられた瞳だったが、いつまでも痛みが来ない。不審に思ったハルトが薄く目を開けると、甲冑姿の女が背を向けていた。
両手から涌き出た青白い光がミセルコルディアの紅の焔を抑えている。
「ハルト! 無事?」
少女の声が響く。一瞬振り返り、勇者の無事を確認した少女は透明の羽を羽ばたかせた。
「ミセルコルディア! 堕ちたる女神!!
ボクのハルトにこれ以上手は出させないよ!!」
元気な声を響かせ、女神を指差す。
「クスリカ?」
「そうだよ! 久々だね!!
ボクが来たからにはもう大丈夫!!
ほら、ステファニーだっけか? 早くハルトを治して!」
宙返りをしてハルトとの再会を喜んだクスリカは、ステファニーに指示を出すとミセルコルディアを睨む。
「何者じゃ?」
「ボクは至高神にして調律神たるメントレ様より造り出された存在!! この世界の異物たる女神を倒しに来た!!」
「ほう? そなたのような弱い羽虫が我を倒すと?」
「ボクだけじゃないよ! こっちにはハルトもいる!! その腐りかけのトカゲしか味方がいないオバサンに負けるわけがない」
「……言わせておけば」
ドラゴンゾンビを愚弄されたミセルコルディアから怒気が漏れる。その威圧にクスリカは怯えを表情に表した。
「クスリカ、下がってろ」
まだ怪我が癒えきっていないハルトがクスリカを庇い前に出る。
「ほう。まだ戦うか」
「ああ、俺は諦めない」
「そうか、ならば死ね。そなたを殺し、愛しき方の力を啜り出してやろう。そなたの女達もすぐに後を追わせよう」
いっそ無邪気とも言える笑みを浮かべたままミセルコルディアは力を掌に集めた。
「させるかっ!!」
攻撃させまいと突っ込むハルトを鼻で笑い、ミセルコルディアが攻撃を放つ。
「ハルト!」
「ハルト様!!」
直撃したかと思われたソレは、ひとりの男によって防がれていた。
「…………神さまかよ」
「メントレ様」
「至高神様……」
男の姿を確認したミセルコルディアは、蕩けるような表情になり、膝を曲げて挨拶を贈る。
「我が愛しき背の君、ようやくお出まし下さいましたか。お待ち申しておりました」
「ミセルコルディア」
対するメントレの表情は何処までも苦い。
「ハルト、女神は俺が狩る。お前はドラゴンと城壁を襲う眷族を始末しろ」
メントレが示す先には、クレフの援護を受けたクルバと戦うミセルコルディアの眷族の姿があった。
「ああ? 何を途中から出て来て言ってやがるんだ。コレは俺の獲物……」
『黙れ、勇者よ。
これは神世の戦いである。お前は人として戦え』
メントレは神としての威圧を出し命令すると、ミセルコルディアに向き直る。
「背の君? 何故妾と戦うと仰られるのですか?」
「我はこの世界を作りし至高神。そなたが約定を守りこの世界に侵攻するならば我とて顕現する気はなかった。だが、そなたは越えてはならぬ一線を越えてしまった。
堕ちたる地母神ミセルコルディアよ。
権限を失いし管理者よ。
我、上位管理者の権限により、そなたを断罪せん」
メントレは宣言すると共に力を使い、ミセルコルディアと自身を別の空間へと移動させた。突然消えた神に動揺を隠しきれない死龍にクスリカの援護を受けたハルトが襲いかかる。
「今のうちだよ! ハルト!!
ミセルコルディアをメントレ様が抑えている間に、勝負を決めるんだ!!」
そのクスリカの声を聞いた冒険者達もまた、統率を失い出した魔物を狩るために雄叫びを上げた。
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