218.我が手を取れ
『我が娘を害するのは誰そ』
静かにメントレが『世界』へと問いかけている。不気味な程に静かな声なのに、どこまでも恐ろしい。そんな声を向けられた地上では混乱が起きているようだ。
「ユリさん、お久しぶりです」
メントレのおっちゃんの腕の中で硬直していたら、懐かしい声がした。
「ハロさん!」
声の主を探して左右を見回せば、美しい女の人がメントレに付き従うように浮いていた。
「ハロ……さん?」
頷いている輝く笑顔の女性の横には、中学生位の少女がいた。二人ともブレスプレートにランスを持ち、背中には七色に光輝く羽がある。
私の知るハロさんは小さな巨乳妖精さんだ。間違ってもこんな等身大の美人さんではない。
「ユリさん、落ちついて下さい。メントレ様の顕現にお供するのにいつもの姿では、少々問題がありまして。一時的にこの世界の人間が認識する神の従者へと姿を変えただけです」
「へえ。それでこんな戦女神っぽい見た目なんですね。カッコいいですよ」
「ふふん、そうだろう! ハロのところのおばさんもけっこう見所あるじゃないか」
ハロさんの隣にいた少女が自慢するように一度宙を舞った。少し気が強そうな可愛い系の美少女だ。
「えっと、こちらは?」
「ボクはクスリカ! ハルトの担当者だよ!!」
クスリカちゃんは無邪気に挨拶をしてくる。太陽のような明るい笑みとはきっとああいう表情を言うのだろう。
「それはそうと、ユリさん。いえ、リュスティーナ女王とお呼びすべきですね」
雰囲気を変えたハロさんは、私の頭の上で周囲を威圧しているメントレを一瞬見た。
「何度もお止めしたのですが止めきれず、メントレ様がこちらに降臨されてしまいました。申し訳ありません」
宙に浮いたまま、器用に深々と頭を下げたハロさんは続けた。
「この世界が上げ続ける悲鳴を聞き、メントレ様も我慢の限界を迎えられていた様です。
世界の異物たる神、ミセルコルディアの降臨。
勇者と女王の祈り。
そしてリュスティーナ女王が使った世界の理を壊す魔法。
複数の条件を満たされ、メントレ様の力の一部を降臨し得る状況となり、お諌めをしたのですが力及ばすこのようなことに……」
「何を謝ってるんだよ! ハロのところの転生者にお礼を言われることはあっても、文句を言われる筋合いはないよ。なんたってこれで戦わなくても良くなったんだからね」
威張って胸を張るクスリカちゃんだったけど、ハロさんは暗い表情のままだった。
「ユリさんはそんなことは望んでいませんから」
ごめんなさいと謝るハロさんに、地上に恐怖を撒き散らして満足したらしいメントレが話しかけた。
「ユリの望みはリベルタの民への加護だ。俺をここに呼んだのはお前だぞ?」
明らかに作り笑いだと分かる表情を浮かべ、抱き込まれたままの脳天に口づけを贈られた。
「我が愛しき娘……」
「キモいわ」
最初は混乱していたけれど、二度目まで甘んじて受けてやる必要はない。首をおもいっきり後ろへと倒し頭突きを入れた。
クツクツと笑ったメントレは元気そうで何よりと気にしていない。さっきから腕の中から脱出しようと身を捩っているが、さっぱり拘束が緩まない。一瞬力を抜いて油断させてから、全力で離れようとした。
「お、積極的だな」
やはり私ではメントレのおっちゃんには敵わない。腕の中で半回転させられ、向かい合って抱き合う形にされた。
「さっさと放して」
今度は急所でも蹴り上げてやろうと力を込める。
「流石にそれは止めてくれ」
軽くメントレがそう言うと、体が動かなくなった。
「何すんのよ」
「落ち着け。説明する」
文句を言う私に、時間がないと言うと早口で話し出した。
「俺の姿は全世界に写し出されている。空を覆っているだろう。先ほどまでの『声』も同じく世界に届けた。今は音声は切っているがな」
「ちょっと!」
「聞け。
目立たず自由に生きたいと望んでいたお前が、初めて己の夢を捨ててまで『神』へと願った望み。叶えに来たぞ」
「あんなのただの気休め、ただの神頼みよ!」
本気で来るなんて知ってたら、望んだもんか!
私の心の声まで聞こえているのか、当然のようにメントレは頷く。
「知っている。だがお前の望みと俺の願いが一致した。ゆえに俺はお前の祈りを聞き届けよう。
気になっているんだろう? リベルタが。
気もそぞろなのだろう? お前の民が無事か」
メントレから視線がそらせない。
「リベルタにはミセルコルディアが攻め入っている。今の勇者では勝てん。リベルタは滅びる」
断言されて動揺してしまった。腐っても目の前にいるのはこの世界の『至高神』だ。嘘は言わないだろう。
「故に我が手を取れ。お前の民も、お前の国も、ついでにお前の勇者も守ってやる」
「手を取れとは?」
この世界に直接影響を及ぼせないはずの神が降臨して持ちかける話だ。何が仕掛けられているか分からない。
「現在降臨しているミセルコルディアの末端は俺が潰す。望むなら魔物どもも、下にいる愚者共も滅ぼしてやろう。
その代わり、リベルタでは俺を……至高神メントレではなく、『調律神メントレ』として祀れ。この世界の神の一柱ではなく、この世界の唯一の神としてな。そろそろこの世界も元の形に戻ってもよい頃だ。
下位の者達への力の委譲は止める」
「あー……私としてはどうでも良いけど、無理じゃないかな?」
正直、宗教に思い入れはない。メインの信仰対象が何でも気にしないっちゃ、気にならないからね。
でも、リベルタ全体としては無理だろうな。
「何故だ?」
「ほら、ウチ赤鱗いるから」
ああ、と言ったっきりメントレは口を閉じた。ウチの騎士団は神子姫とやらを信じてるからねぇ……。偶像崇拝も甚だしいけど!
「なら俺とお前までは許そう」
「私じゃない。神子姫」
そこだけは譲れない。頑として訂正した。
それをまだ諦めてなかったのかと呆れた顔で見たメントレは、選択を迫ってきた。クスリカちゃんはさっきからチラチラとリベルタの方向を気にしている。もしかしてハルトの奴、ピンチなのか?
「ああ! ハルトが!!
メントレ様、メントレ様ぁ」
クスリカちゃんの涙声と同時に、真紅に輝く強い光が天に登った。
「クスリカ、行け。
勇者を死なせるなよ」
メントレの命令を受けて、泣き出しそうな表情で必死にクスリカちゃんが飛び去った。
「どうする?」
決断を迫るメントレに唇を噛んだ。確かに時間はなさそうだ。
「魔物はそのままでいい。下の者達も手出し無用」
「ほう?」
「そもそもこの世界の住人の喧嘩に神世の住人が出てきたのがおかしい。
だから責任とって始末をつけて」
「ならば下の……ミセルコルディアの力を受けた化け物の始末はどうする? 不公平ではないか」
「はは、なに言ってんのよ。神の力を受けたのがズルなら、こっちの陣営にも二人いるでしょ」
試すように笑いかけるメントレに、私はきっと歪んでいるであろう笑みを向ける。
「この世界の戦いならば、例え力尽きて息絶えようと我々の力で戦うべきだ。法王は私が倒す。仲間達と一緒に」
「そうか。ならばそれも良かろう。では、我メントレ、そなたの召喚を受け異界の女神ミセルコルディアの欠片を滅せん。
ハロ、供は不要だ。お前はユリにつけ」
不本意だがいまだに自由にならない身体のまま、額に祝福の口づけを受ける。ようやく拘束が解かれたと思ったら、メントレは白い光の軌跡を残してリベルタへと飛び去った後だった。
「女王陛下」
気遣わしげに私を見るハロさんと、メントレがいなくなってようやく頭を上げた精霊王達を連れて、アルフレッドの元へと戻る。メントレの降臨に驚いたのか、全ての魔法はキャンセルされていた。
「陛下!」
「神子姫様!」
「我が君!!」
口々に私を呼ぶ兵士達は、ハロさんを見つけると一様に膝をついた。そのまま動かなくなってしまったから、ハロさんの紹介をしつつ立ち上がるように命令する。
「狙うは法王の首のみ。
狩り次第リベルタへと撤退する」
私用の馬へと飛び乗り、敵軍へと向かう。まだ混乱の最中にいるのか反応が鈍い。頭上を飛ぶハロさんの姿を見て、道をあける兵士達も多かった。
「ティナ!」
初めて抵抗らしい抵抗を示してきたのは、獣人の部隊だった。その攻撃を確認して私を庇うように騎士団が展開する。
「バルド殿か!」
フォルクマーが虎の王様に切りかかる。オクスロの相手はエッカルトさんだ。
「フォルクマー、ここは任せたよ!」
元は味方同士だった赤鱗と虎の王様の軍が激突する。戦いに誘発されたのか、法王のいた辺りで土煙があがり、こちらに何かが突進してきている。
「ユリさん! 法王が来ます!!」
上空から状況を見ていたハロさんが警告を発する。味方を撥ね飛ばしながら突進してきた法王は私を見つけると狂った様に襲いかかってきた。
「重い!」
勢いそのままにのし掛かられて悲鳴に近い声を上げてしまう。馬上で何とか踏み止まってはいるけれど、このままじゃ押し潰されそうだ。
「ティナ!」
「我が君!」
慌てたジルさんとアルフレッドが戦いに混ざってきた。ジルさんが背中から斬りかかり、仰け反った所をアルフレッドが盾を使って法王を押し返す。
「化け物め」
吐き捨てる様に話すジルさんの視線の先には、切られたはずの法王の背中があった。モコモコと肉が盛り上がり既に傷はない。
「陛下!」
私に向かってこようとしていた法王を投げナイフで牽制しながらオルランドが近づいてきた。
「ご無事で何より」
私へと言うよりもアルフレッドの無事を確めて安堵した表情を浮かべたオルランドは、法王へと武器を向けつつ、私へと問いかける。
「そちらの麗しの女神は?」
「ハロさんだよ。神……調律神メントレの御遣い様。失礼のないようにね」
「では上空に現れたアレは集団幻覚ではなかったんだね。さすがリトルクイーン」
久々に私の呼び名が変わった所に、オルランドの動揺が滲み出していた。
「報告申し上げる。
忍び込ませた手の者達は、上空の降臨をネタとして、人間、特に宗教国家ペンベハンの撹乱を行っている。法王がああなったのもこちらとしては幸運になったな。
司教が対応に困り動けなくなっている。またゲリエだが、留守居役たる執行局より連絡が入り、ワハシュが国境侵犯をしたらしい。上層部は帰国すべしとする一派と、これを機にこの地でワハシュの兵士を倒してしまえという一派に分かれて口論している。こちらもすぐには動かないだろう」
アルフレッドに叱責される前にとオルランドが報告をしてきた。
「あらら。戦う前に空中分解の危機だね。法王様、聞こえてたかな? ……もう人の言葉も分からないか」
今現在も部下達と連絡を取り合っているらしいオルランドの報告を受けて、勝手に敵が自滅し始めたことに安堵の息を漏らした。
そのまま人数の増えたこちらを伺う法王へと問いかけるが、すっかり魔物に成り果てたナスルは私たちの声を理解していないようだ。
「……陛下」
「どうしたの?」
法王から目を逸らさぬまま、オルランドの声に耳を傾ける。
「ゲリエを襲ったワハシュ軍の旗頭は、若い虎族だとの報告が今入った。もしや……」
……探しても見つからなかった虎の王様の息子さん? まさかね……。
「部下が前線に出ている。間違いなく虎族、しかも族長の血筋と名乗りを上げた」
「……オルランド、部下にその子の保護が出来るか聞いて」
「ティナ! 法王が動く!!」
アルフレッドとジルさんが連携しながらナスルを牽制している。
「距離がある。流石に無理だ。
……ハニーバニー」
部下と連絡をとっていたオルランドが覚悟を決めた顔で私を呼んだ。
「何?」
「ここは任せてもいいかな?」
「突然何を」
「俺が行く。部下との連絡用に移転石がある。片道だけならば、部下に持たせた座標石で跳べる。俺がその少年を保護してこよう」
苦戦するアルフレッド達を見ながらも、オルランドの決意は変わらないらしい。例え法王を討ち取っても、虎の王様達が敵に回ったままではリベルタに未来はないと判断したのだろう。
「通信機を持っていって。確保したら、こっちに引っ張り寄せる。オルランドなら分かる。任せて」
ポイっとアイテムを渡して法王に武器を向けた。オルランドとはアルフレッドの誓約経由で繋がっている。例え何処にいても大体の位置くらいは分かる。そこを目指して移転すればいい。
無言のまま移転石を地面に叩き付け、部下の元へと消えたオルランドを見送り私も法王との戦いに参戦した。
(c) 2016 るでゆん




