216.箸休めー諦めてたまるかよっ!
「勇者よ!
リベルタを任せた!!」
自信に満ちた笑みを浮かべた女王はそう叫ぶと、戦場へと戻っていった。自然に人々の視線は、残された勇者に集中する。
「任せろ!
みんなは避難してくれ。あんた達が傷つけば女王が悲しむ。魔物の相手は俺達の仕事だ」
女王の消えた空間に向かってハルトは答えた。そのまま住人達に避難を促しつつ、仲間達をつれ城壁に走る。
「戻ったか」
「マスター・クルバ」
年季の入った武装に身を包んだギルドマスターの姿を見つけ、ハルト達は駆け寄った。同じく城壁に到着したエッカルト達騎士達も、急いで防御の体制を整えている。
「何が起きたんだ?」
「分からん。だが戻った冒険者たちが一様に、溢れ出た魔物の目が紅に染まっていたと話している。ただ事ではない。注意しろ」
リベルタに向かい、不気味に広がるを雲を見つめたまま、クルバは年若い勇者に警告を発した。
「……マスター・クルバ」
「エッカルト殿か。お戻り頂き感謝する。御元達は女王と共に戦いたかっただろうが、すまない」
「気になされるな。我らは女王の意に従う者。かの君が街を守れと命ずるならば、否やはない」
そこでもの言いたげに一瞬勇者を見たエッカルトは、己の悩みを振り切る様に頭をふった。
「何だよ?」
「いや、何でもない、勇者殿」
含みを感じさせるその返答に、ハルトはピンと来たのか、頭を掻いた。
「ババ……あ、いや、女王がお前らに声をかけなかったのが不満かよ」
ババアと言いそうになり、慌てて言い替えたハルトにエッカルトは苦笑を向けた。
「バレたか。まあ、ただ少し誇りを傷つけられただけだ。勇者殿が気にすることではない。すまんな」
良い年をして申し訳ないと苦笑の形に頬を歪めたエッカルトに対し、ハルトもまた苦く笑った。
「俺があんたらよりも頼りにされてるってか?」
「ハルト様」
これ以上、赤鱗騎士団を刺激するなと言うように名前を呼ぶステファニーを宥めつつ、ハルトは続ける。そのハルトを見つめるエッカルトを始めとした赤鱗の騎士達はあるものは不快げで、またあるものは怒りを露にしていた。
「そりゃ違うぜ?
俺は釘を刺さなけりゃ不安な部外者。あんたら騎士達は何も言わなくても、全力で戦ってくれる仲間だと思われてる。
だからリュスティーナは、俺にリベルタを頼んだ。逃げんなよってな」
誰が逃げるか、馬鹿にすんなと暗い笑みを浮かべたハルトは戦意を込めた笑みにその表情を変えて、騎士達を見つめる。
「……陛下」
女王の真意を聞かされたエッカルトは、一瞬でも勇者に嫉妬し、悩んだ己を恥じた。それは他の騎士達も同様だったようで、主君を信じきれなかった自分達の心の弱さを責めている。
「さて、来るな」
指摘したハルトは柄にもない事を言ったと思ったのか、表情を切り替えて照れ臭そうに城壁の外を見つめた。
「ああ、来るな。
まだ遠い!! 引き付けろ!!」
戦闘経験が浅い住民が魔物の気配に怯え、矢を放つ。その方向に向け、クルバは指示を飛ばした。
「やれやれ、この老骨まで引きずり出されるとはのう」
「クレフ老、ご避難をと」
ひょいと顔を覗かせたクレフにクルバは眉をひそめる。
「じいさん、何かあったら誰が指揮をとるんだよ。あんなは冒険者ギルドのお偉方だろう、隠れてろよ」
クルバの言葉に被せるようにハルトもまた呆れた声を出した。長老議会議長であったクレフへの暴言にも近いその一言に周囲のもの達が色めき立った。
「よいよい、勇者よ、年寄りの冷や水とでも言いたいのかね? これでもまだまだ現役のつもりじゃよ」
聞く耳をもたず城壁の上に陣取ったクレフもまた、森へと目を凝らした。
空を重い雲が覆い、何処かで雷鳴の音がする。足下から感じる揺れは既に慣れた。森から発せられるプレッシャーに、人々は身構える。
「……来た」
ハルトの呟きと同時に、木々の間に一つ、また一つと紅の光が灯る。
「なんて数だ……」
折り重なるように増えていく光を見て、冒険者の一人が呟いた。見渡す限りの紅の光に、経験の浅い味方を中心に怯えが走る。
「怯えるでない。まだまだ序の口じゃて」
なにかを感じ取ったのかクレフを初めとする手練れ達は紅点の更に奥を見つめていた。程なくして大きな何かがやって来たのか、紅の光が二つに割れた。
「アラクネ……?」
変異体の魔物を引き連れた、上半身は美しい女の魔物を見て誰かが呟いた。
「ただのアラクネのはずがない」
蠢く根を使いゆっくりと前進してきたアラクネは、森の切れ目で立ち止まると、城壁を見上げた。その瞳に勇者を捉えた瞬間、爆発的に成長した葉が上半身を覆う。
「なんだ?」
「魔術師よ! 攻撃せよ!!」
「弓兵達、射よ!!」
無性に嫌な予感がしたクレフ達の命令を受けて冒険者達から魔法が飛び、騎士達の中でも射手たちが次々と矢を浴びせかける。
しかしその全てが立ちはだかった変異種とアラクネ自身の葉により防がれた。
「な?」
驚く冒険者を尻目に、ひときは禍々しく紅蓮に輝いたアラクネは、勢い良く己の上半身を覆っていた葉を開いた。
ドッッッッッン!!
葉を開いただけで衝撃波が城壁を襲う。揺れに立っていられなくなって多くの者が膝をついた。
「ぐっ!」
「無事か!」
互いの無事を確認する兵士達の声が響く。
「今回は何とか保ったが……」
「っう。何度もやられりゃ危ないな」
「城壁が」
ただ一度の攻撃とも言えない攻撃で、城壁にはヒビが入り、所々で崩れていた。
「勇者よ、久しいな」
面変わりを果たしたアラクネが、城壁の下で悠然と佇んでいた。その側には一人の魔族が跪いている。
「魔物の母!」
「なんと! あやつ、ケッツァーか?! 混沌都市で死んだのではなかったか」
クルバの声に被せるように、クレフもまた消滅したと思われていた混沌都市の先々代ギルドマスターの名を呼ぶ。
「……ミ……ミセ……ル、コル……ディ、ア」
己を殺した相手の顔を見て、あの当時の恐怖でも甦ったのだろうか? その姿を見た、勇者パーティーのケーラとミレーヌが震え出す。
「お前か。クソ女神!!
ステファニー!」
飛び降り様に精霊使いであるステファニーの名を呼んだハルトの声に弾かれたように、術を行使する。
「風よ、ハルト様を守って!!」
突風が吹き上げ、バランスを崩しながらもハルトは魔物の前に着地した。それに続くように仲間達も次々と城壁の下へ降りてくる。
「……ケッツァー、おやり」
城壁の上で守りを固める人々を指差し、魔族の母は配下へと命じた。
「ウィ、ミレディ……」
紅蓮の瞳を輝かせて、城壁へと舞い上がったケッツァーに続くように魔物達が一気に城壁に押し寄せる。ケッツァーの相手はエッカルトとクルバがし、防衛戦はクレフが指揮していた。
「我の前に再び立つか。此度は慢心はせぬぞ」
無言で武器を向ける勇者に艶然と微笑んだミセルコルディアは、その根を緩やかに後ろへと引いた。ミセルコルディアの命令でもあるのか、勇者達の周りだけ、魔物がおらずぽっかりと広場のように空いていた。
「何故、お前がここにいる」
「境界の森は我の支配下。我の胎の中よ。
この地には我の想い人の欠片を受けたものがある。愛しく憎らしい方、我を拒否せしかの方の気配も濃い。ああ、そなたらは邪魔じゃな」
ミセルコルディアが無造作に根を振ると先程以上の衝撃波が放たれる。とっさに仲間達を庇ったハルトは、防御しきることができず、膝をついたままミセルコルディアを睨み付けた。
「ハルト様!」
「主様」
「大丈夫だっ! 下がってろ!!」
血を流す勇者を心配し、声をかけるステファニー達を視界に入れ、ニィィと笑みを浮かべたミセルコルディアは勇者に腕を差しのべた。
「かの方の愛を受けし勇者よ。我のモノになれ。さすればその娘達は助けてやらなくもない」
ゴゴォォォォォ!
ミセルコルディアの声と被せるように、二度目の攻撃を受けた城壁の一部が魔物の侵入を許す程に大きく崩れる。土煙に紛れるように、ケッツァーの指示を受けた魔物達が街へと入り込んでいった。
「断る! 誰がお前なんかに」
「ほう、断るか。ならば仕方ない。おやり」
ミセルコルディアの影から滲み出る様に一匹の龍が現れた。腐臭を放つそれを見たステファニー達は悲鳴を押し殺した。
「ドラゴンゾンビ……」
「何をいっておる? そのような雑魚ではないわ。我の世界の守護者の成れの果て。死して後も我への忠誠を忘れぬ創成のドラゴン。我の可愛いペットだ。
此度は我も油断せぬ。十全の力を発揮できるようにと、このような醜い魔物についたのだからの」
ミセルコルディアから発せられる威圧に怯えつつも、ハルトは己を鼓舞するように叫んだ。
「神話の龍がなんだ!
女神がなんだ!
俺は勇者ハルト!!
この地を統べる女王に、街を頼まれたんだ!
負けてたまるか!
諦めてたまるかよっ!
メントレ、このクソ親父!!
よっっく見とけ!!!!!」
逃げろと叫ぶ本能を無理やり無視し、勇者は絶望的な戦いに身を投じた。




