197.箸休めーケトラ、動く
「………………報告は以上でございます」
重苦しい雰囲気のまま、壮年の男は恭しく王座に向けて頭を下げた。周囲に控える重臣達は王の怒りを予想し、皆、視線を合わせようとしなかった。
こみ上げてきた怒りで拳を白く握りつつ、ケトラの王は頭を下げたまま微動だにしない部下を見つめた。
――――内々に宰相から報告を受けていなければ、今頃怒鳴り散らしていただろうな。
エウジェニロの奴めっ。大口を叩きおってからに、全滅だと! 気に食わんやつだとは思っていたが最期まで腹立たしい奴だったわッ!!
内心のたぎる怒りを面に出さず王は心の中だけで、その野心から最期まで信頼できなかった男への罵倒を続けた。己と同じ、壮年に差し掛かった宰相が差し出したデスマスクを冷たく見据える。首を落とされてから半月近くは過ぎているはずだが、傷みは少ない。氷漬けにしてある為、不快な臭いもなかった。
「それで次なる策はいかがする?
誰か計画があれば申せ」
苛立ったまま問いかける王に、応じる声はない。雰囲気を変えるように幾つかの咳払いが、建国当初から変わらぬ荘厳なの王の間に虚しく響いた。
譲り合う視線を交わす重臣達に押し出されるように、軍務を取り仕切る将軍が立ち上がった。
「…………恐れながら陛下に申し上げます。その唯一戻った者からの報告で、リベルタ……失礼を致しました。境界の森を不法に占拠する集団の数は、数万と聞きました」
将軍が境界の森を国名で呼んだ瞬間、あちこちから警告や不快感を示すざわめきが起きた。それに短く謝罪してから、この国の守護神と呼ばれる武人は続けた。
「ならば、軍務につくものもそれなりにおりましょう。また移住者と思われる馬車の集団もいたとの由、冒険者どもも滞在していると判断すべきでしょう」
事実を述べていく将軍に、ケトラ王は鼻を鳴らす事で不快感を伝えつつ先を促した。
「冒険者が境界の森を占拠する集団の味方に着くかどうか確認せねばなりません。それによって動員する兵力も変わりましょう」
「ほう、そなた境界の森を攻める気か?」
「はっ! 本当に境界の森が不活性化したのであれば、我が国に帰属すべきです。森に呑まれる前はケトラの領土だったのです。なんの疑問がありますか。
ただ相手の兵力が分からないのが戦況を読みにくくしています。斥候を出しますが、狼獣人を中心とした獣人部隊。ただ外にあったと馬車にいたのは人間。ならば護衛の冒険者もいると考えられます。
およそ3割が戦闘に耐えうる人員として、三千から多くて五千程度の兵力に、冒険者ギルドが発表した解放者の女王の存在。
軍参謀部からの報告では、敵対兵力は最大一万人相当ということです」
「いち……まん………」
驚きを隠しきれずに、末席近くにいた若い貴族が呟いた。沈黙が支配する王の間に、その呟きはよく響いた。
「我が国の動員人数に近い」
「はい、だから叩き潰すなら今です。時を与えれば与えるほどに、戦力の差は詰められるでしょう」
「しかし、今でも兵力の差は僅か。しかも冒険者が解放地に入り始めている。奴等が兵力に組み入れられれば逆転すらありえる。危険ではないのか?」
王座に近い老貴族が将軍の考えに難色を示した。それに対して近くにいた別の貴族が、放置する方が危険だと意見を述べる。口々に話し合い始めた臣下達を王と宰相はしばらく自由にさせていた。
ひとしきり自由に話をさせて頃合いかと判断した宰相は、王の足元近くに立ち貴族達へと向き直る。許可を求める宰相に、ケトラ王は頷き返した。
「静まれ!」
宰相の一喝で場が静まり返る。全員の注目を確認した後、宰相は王を振り返り仰々しく頭を下げた。
「陛下、王都にあります冒険者ギルドマスターが謁見を願い出ております。今回の解放地に関する申し出があるとの由につき、この場へ通してもよろしいでしょうか?」
疑問の形で話しているが、宰相と王にとってはこのやり取りは出来レースに過ぎない。それに気がついたのであろう老貴族と将軍が不快感を隠さずに眉をひそめている。
「宰相がそう判断するなら、よほどのことであろう。よい、通せ」
王の許可を得て隣室で控えていた冒険者ギルドマスターが入室してくる。普段から宰相や王に取り入ろうと、登城することが多いギルドマスターの顔を知る者は多い。無粋な成り上がり者として白い目で見つめられることも多いギルドマスターであったが、気にすることなく堂々と入室するとケトラ王の前に跪いた。
「さて、何か私に提案があると聞いた。申してみよ」
深く頭を下げたままのギルドマスターにケトラ王は許可を与える。王へと口を開く際に必要となる前口上をひとしきり述べたギルドマスターは、周囲の王や貴族達があまりに分かりやすいおべっかに鼻白んでいる事にも気が付かず、ようやく本題に入った。
「グランドマスターからの命により、ケトラの冒険者ギルドは今回の解放地攻略に関して、全面的な協力をお約束致します」
「な?!」
「え?」
「まさか!」
何者にも膝を屈さぬのが誇りの冒険者ギルドのその申し出を予想していた者は誰もおらず、驚愕が駆け巡る。
媚びへつらった笑みを張り付けたままギルドはマスターは続けた。
「あの地の女王、いえ、解放者を名乗る僭王を認める触れを出したのは、冒険者ギルド会議の議長にして先代グランドマスター、眠れるキマイラのクレフ。我ら現在のグランドマスターに忠を誓う者たちとは一線を画しております。
そのクレフの口車に乗り、一部の冒険者達が僭王の元へと駆けつけました。故に我々冒険者ギルドはその責任を果たそうと言うのです。
皆様が相手をするのは、僭王小飼の兵士達のみ。冒険者どもは我々がお引き受け致します」
「ふん、それでは足りぬわ!」
「陛下?」
ギルドマスターの提案を受けて、怒りを露にした王は王座の肘置きを拳で殴り付け立ち上がった。
「既に我々は、エルジェニロ卿を失っておる!! そなたら冒険者ギルドがあの忌々しい僭王の小娘を認めたばかりに!!
この失態、どう責任を取る気だ!!」
王の怒声を受けて貴族達は巻き込まれまいと、一部は賛同の声をあげ、また一部はソッと視線を反らした。ただ王の内心を知る宰相だけは無表情のままギルドマスターから視線を移さなかった。
「ではどうせよと?」
困ったように微笑みを浮かべたまま首をひねるギルドマスターだったが、続く王の言葉を受けてその薄ら笑いを凍り付かせた。
「そなたらも前線に立ってもらおう。それと本部で抱える冒険者達もここに送ってもらおうか。
僭王が隠る森は深く、獣人達に有利だ。お前達が道を切り開いて貰おうか」
「な…………それは」
言い淀むギルドマスターに追い討ちをかけるように、宰相も口を開く。
「まさか嫌とは言いませんね?
貴方は全面的な協力を約束した。それならば冒険者を動員することくらい訳はないでしょう」
「しかし……私の一存では。
ッ! ですが、そうなれば戦功の一は我々冒険者にあるとなります。当然権利を主張させて頂きますがよろしいでしょうか」
僅かの間に精神を立て直したギルドマスターは、生理的嫌悪感を呼び起こす笑みを再び顔に張り付け王へと問いかける。
「権利とな?」
「……解放地は我々冒険者ギルドが頂きます。無論、ケトラの一部としてで御座います」
「認められるはずがなかろう!」
「ふざけるな!!」
貴族達が我先にと怒声を上げる。あわよくば解放地を新たな領地としたいと願う貴族達にとってその申し出は受け入れがたいものだった。
「……陛下」
騒がしい王の間で薄く目を閉じ、黙考を続けていた将軍が地を這うような低い声でケトラ王を呼んだ。喧騒のなかでも何故か通ったその声でまた場が静まり返る。
「いかがした?」
「恐れながら陛下に申し上げます。
陛下は我々軍をいかがお考えか。先のリベルタへの降伏勧告も軍部の頭越しに、エウジェニロ卿へとお命じになられた。
我々軍は陛下にとってそれほどに頼りにならぬ者ですか?」
「将軍よ、何を言っておる!
私はそなたらを信頼しておるし、その力を頼りにもしている!!」
「では何故、冒険者達等と言う陛下に忠誠を誓わぬ勢力に、国の大事を任せようとなさるのか」
慌てて否定する王へと、将軍は被せるように問いかけた。謹厳実直を絵にかいた様な男だからこそ、境界の森に侵食される斜陽の国を支えてこられた。だが腹芸や策略には向かぬその性格ゆえ、王は今回の企みを宰相とだけしか打ち合わせていなかった。それが裏目にでたのか、いたくプライドが傷付いた将軍は暗い瞳をしている。
「任せてはおらぬ! ただ我が国の兵力は少ない。その損耗をさけるのも王の勤めのひとつである!」
「閣下、では我ら冒険者ギルドは閣下の軍の道案内を致しましょう。魔物蔓延る境界の森は我ら冒険者のホーム。対人戦となる攻城戦は閣下方プロの兵士の方々にお任せ致しましょう」
将軍の言葉尻をとり王に否定される前に、ギルドマスターは将軍に提案した。将軍が頷くのを確認し、国王に向き直る。
「前線に立つ閣下方もこう仰っております。陛下、我ら冒険者ギルドと致しましても、出来うる限りの兵員は集めますが、やはり国対国の主力にして花方は国軍の騎士様で御座いましょう。国思う勇士達が、命をかけて華々しく戦う。故にこそ国民はその心を奮わせ、国への一層の忠誠を誓うのです。
そうは思われませんか、宰相殿」
苦虫を噛み潰したような表情で自分を見ていた宰相に、ギルドマスターは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「ではこれにて話はついたと判断致します。本部人員の貸出しを願わねばならぬので、私はこれにて下がらせて頂きたいと思いますが……」
「…………退出を許す。近々にも徴兵の触れを出す。数は一万。各領主たちも参じてもらおう。
冒険者ギルドの誠意に期待しておる」
ギルドマスターが一礼し下がった王の間からは、貴族達が言い争う声が漏れ出ていた。
「どうなった?」
ギルドマスターは待たせていた護衛の冒険者、ケトラで唯一のAランク冒険者である護国の防人達を見つめる。
無言のまま足を進めるギルドマスターを急かす事なく、護国の防人達は静かに待った。王城を抜け門へと続く庭に出た所で、周囲を警戒しつつギルドマスターは口を開いた。
「グランドマスター様のご希望通りになった。ケトラはリベルタと戦端を開く。我々も参加するぞ。だが、お前達はここに残って本当に良かったのか? お前達は上官の命令に背き、村を助けた為に軍をクビになったのだろう。国に組み込まれる事を嫌い、今までやってきたことに反する事を望まれるぞ」
「構わん。本来、軍法会議で死刑になってもおかしくなかった身の上だ。それをケトラの冒険者ギルドが救ってくれた。そのケトラの危機だ。昔のわだかまりは一度腹の底に沈める。
俺たちの事より、ギルマス、あんたはいいのか? リベルタには眠れるキマイラに殺戮幻影がいる。昔からギルドを支えてきた連中だ。あちらにつかなくていいんだな?」
「現グランドマスターと彼らは袂を分けた。今の主流はグランドマスター派に支配されている。このケトラが生き残る確率が高いのは、本部ギルドに与する方だ。国土を失い、力を失った今のケトラでは、本部に楯突くことは出来ない」
「承知した。では我々護国の防人はリベルタに敵対する」
「すまん」
王の間で見せた態度とは裏腹に、ギルドマスターは肩を落とし歩き続けていた。
「……何者だ!!」
護国の防人のひとりが、庭園にある木に向かって石を投げる。揺らされた枝から一羽の小鳥が飛び立ち、警戒に身を固くした護国の防人たちから苦笑が漏れた。
「脅かすな、行くぞ。ギルドでは本部からの使者が待っている。あまり遅れては心証が悪い」
そんな足早に去っていく冒険者ギルド一行を見つめる目があった。息を殺し先ほど石を投げられた枝に伏せている。
闇が庭園を覆うのを待ち、その人影は静かに移動を開始した。合流こそしていないが、近くに仲間の気配も感じる。
何度か見張りに見つかりそうになりながらも、何とか王城の外に出る。王都でも特に治安の悪い貧民街に辿り着いた時には、白々と夜が明けていた。
一軒の廃屋に近づくと、周囲を警戒しながら滑り込む。
「戻ったか」
「は!」
何処にでもいそうな薄汚れた継ぎの当たった服を着た男に迎えられ、人影は頭を下げた。身振りで地下に進めと示されるまま足を進めた。
「お頭!」
そこで待っていた予想外の相手に、人影は息を呑んだ。
「ご苦労。報告を聞こうか」
ケトラ王城へと潜入していた部下達の報告を聞きつつ、頭と呼ばれた青年は冷酷に瞳を細めた。
「オルランド様?」
その表情を見た側仕えのひとりが、オルランドに何か気になることがあったのかと問いかける。
「何でもない。報告ご苦労。下がって休むがいい」
オルランドに指示された人影は頭を下げると休息を取るために下がっていった。影が十分に離れたと判断したオルランドは、元々は境界の森に入るアルフレッドの助勢の為にケトラに潜入していた部下を手まねく。主を守る為の布陣だ。部下達の中でも有能なものたちが任務に当たっていた。
「引き続きケトラの情報を探れ。戦端の開始時期。国としての備蓄量。動員される兵員の正確な数。配給される武器防具の種類。指揮官の名前。その主な戦歴と性格。どんなことでもいい。アルフレッド様に情報を上げねばならない。良いな?」
「は!!」
ようやく影本来の仕事が出来ると気合いが入った部下達を頼もしく思いつつ、オルランドは出口に向かった。
「お頭、もう出発なされるので?」
「ああ、アルフレッド様からのご命令も、リュスティーナ女王陛下からの頼まれ事もある。ゆっくりしてはいられない」
表情を消したオルランドはそう話すと、朝日に照らされた地上へと向かっていった。
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