195.衛生面って一度体験すると戻れないよね
「これが……ねぇ」
仕事を終えて部屋に戻り、ダビデが届けてくれた裁ち鋏を取り出し眺める。
ハルトが仲間になって早数週間。ハルトパーティーの子達は、訓練と称して毎日魔物狩りと警戒に駆り出されていた。一度目の種族進化すら果たしていない彼女達は、ジルさん達に比べて一段も二段も弱かった。これで境界の森の噴出点を攻略しようとしていたなんて、正直、自殺願望でもあるのかと疑いたくなるレベルだった。
ハルト達は約束通り隠れ家で暮らしている。赤鱗の人達が暮らすエリアの隅に、彼らが暮らす部屋を作った。温泉はジルさん達の所にある男湯を時間で区切って、イングリッドさんやアガタさん達女性陣と共同で使っているらしい。
最近、少しずつ建物が出来、赤鱗の住人達が街に移住し始めた。これは職人さん達が頑張ったのもあるけれど、捕虜さん達の貢献も大きい。街を作り終わってからの話になるが、もしケトラとの戦争状態が落ち着いていたら解放を考えてもいいと思っている。
つらつらとこの数週間の事を思い出しつつ、鋏を眺める。鑑定した所これは「縁の裁ち鋏」という名前のアーティファクトで、やはりと言うかなんと言うか神々の影響を排除する、有り体に言えば不活性化した噴出点を消滅させる事ができるアイテムだった。
噴出点、魔族の母たるミセルコルディアの出現点を消滅させる能力があると、世界に知られるのは勇者だけで十分だ。だからこれはもしもの時の保険にし、私は使うつもりがなかった。
アイテムボックスに鋏を放り込み、毛布変わりの布を身体に巻き付ける。ひんやりとした床の固さを感じながら瞳を閉じた。
それから更に時は過ぎて、冒険者ギルドの建物が完成しクルバさんを初めとした職員の人達が街で暮らすようになる。それと前後して、元赤鱗の街の代表、今のリベルタの街の代表ファウスタから謁見希望の連絡があった。普段は私を避けるように滅多に顔を出さない相手からの面会希望に驚きながらも、すぐに日時を決めた。街で何かあったのかと、アルフレッドやフォルクマーに尋ねたが、特に思い当たる節はないらしい。最近、よく赤鱗の新人さんやハルトとそのパーティーを引率して、リベルタ全体の戦力の補強をしてくれているジルさんはなんだか微妙な表情を浮かべていた。
同じく外出が多く、滅多に顔を見せないオルランドを見つけて、街で何か気になることはないかと尋ねる。珍しく明確な苦笑を浮かべたオルランドは、明日になれば分かるさと口を濁してしまった。
ビミョーな二人の反応に釈然としないものは感じつつ、謁見の日を待つ。
「女王陛下、本日はお時間を頂きありがとうございます」
ファウスタは平伏したまま私に挨拶する。アルフレッドが顔を上げるようにと、冷や汗なのか脂汗なのか、汗まみれになった顔があった。
「どうしましたか? 何か問題でも?」
その表情に焦りを感じて、口早に問いかける。疫病でも出たか、とうとう人間と獣人の間に争いでも起きたか。それとも十日ほど前から始まったマイケルさんの青空読み書き教室の子供達に危害でも加わったのか? 体罰は禁止だとあれほど口うるさく釘を指したのに、怪我でもさせたんじゃなかろうな。
頭の中を高速で嫌な予想が駆け巡る。
「住民一同から、陛下にお願いがございます」
真っ青な顔色のまま、ファウスタが続ける。
「隠れ家で利用していた入浴施設と排泄施設の継続利用をお許し頂きたいのです」
何を言われるか身構えていた私に、非常に恐縮した表情でファウスタが続けた。
「街には井戸も掘られ、飲み水にも生活用水にも困らない状況です。ですが、一度でも陛下の施設を利用した者達からは不満が出ておりまして。私としても対策は行うつもりですが、すぐに解決策を見いだせるとは思えません。
甘えるなと言われればその通りではございますが、一日の労働の疲れを癒す入浴施設、衛生的で不快な異臭のしない排泄施設を望む声は多く……。
申し訳ございません! これ以上、住民達を抑えるのは難しいと思われます」
再度深く低頭しつつファウスタが力不足を謝罪する。不愉快そうに睨んだアルフレッドはそんなことで私を煩わせたのかと叱責を飛ばした。アルフレッドを控えさせ、私は後ろを振り向いた。
「…………ねぇ、エルダ。貴女もやっぱり外で暮らすようになったら、お風呂とトイレで悩むのかしら?」
入り口近くの壁際に控える、最近私の護衛として配属されてきた狼獣人の女性騎士、エルダに問いかけた。彼女は赤鱗騎士団の数少ない女性騎士の中で、一番早く種族進化を果たした精鋭だ。
「はっ! 私は陛下の御為になるならば、多少の苦難など気にしません」
配属されてきた当初から一貫して固く生真面目な彼女の回答を聞いて苦笑した。
つまりは風呂とトイレがない生活は苦難だと言いたいのだ。ただ女王からの質問だ。ざっくばらんに話すと不敬に当たると判断して、さっきの返答をしたのだ。
「そう、ありがとう」
ここで間違っても吹き出したり、真意を確認したり、ツッコミを入れてはいけない。配属当初にうっかりツッコミを入れてしまって、えらい騒ぎになった事があるんだよね。神子姫様にそのような無礼、首を切ってお詫びを、もしくは職を辞すから、奴隷階級として使ってくれと詰め寄る彼女を宥めるのは大変だった。
ジルさんに確認した所、自分を含めて赤鱗騎士団の大半はエルダと同じか、更に拗らせているから気を付けろと警告をされてしまった。私に死ねと言われれば、大喜びで己の首を掻き切る騎士がいっぱいいるらしい。
それどんな狂信者の集団よ! と我慢しきれず叫んだ私は悪くない。どうなってるのよ、元赤鱗騎士団。……そう言えばいい加減、そろそろ新しい騎士団名も決めないとなぁ。
一瞬過去を思い出して遠い目をする私を、ファウスタは恐怖の滲んだ上目遣いで盗み見ている。
「使うのは構わないけれど、永続する訳にはいかないし、入り口も一ヶ所だけよ。混み合って大変になるわね……」
「それでもいいのです。何日かに一度でも、利用できる希望があれば、住人達も落ち着きます」
「そう言えば上下水ってどうなってるの?」
聞いたことなかったなぁと思って、アルフレッドに問いかけた。返事は迷宮都市やデュシスと同じで、汲み取り方式のようだ。そりゃ、不満も溜まるわ。衛生面って一度便利さを体験すると、落とせないよね……。
前世の記憶を探る。上水道事業やダムの見学なんかは小学校でしか行ってない。下水に至っては、ぼんやりとした知識しかなかった。
「小川はあるんだよね? あと、レイモンドが話していた汚染されていない湧水はどうしたの?」
「小川は都市の中に引き込もうと計画もありましたが、そこが外部からの侵入口になる可能性が高く、断念しております」
アルフレッドが迷わず答えた。確かに侵入口になりかねないから危ないと言えばそれまでだけれど、川ひとつ引き込めない街ってどうかと思うんだよね。
「……確か、下水は地下を通して一時保存の場所に送る。そこで薬品等を使って中和、沈殿させてヘドロは燃えないゴミや肥料に、水分は川や海へと戻すんだっけか……? 忘れたなぁ。
入浴施設はバルネア?」
そう言えば、バルネアよりもテルマエの方が一般的な名称になったんだっけ。ここで広めるのも、テルマエの方がいいのかしら?
「陛下?」
「ああ、何でもないよ。こっちのこと。ファウスタ、報告ありがとう。
私も何とか出来ないか考えてみるから。取り急ぎ限界を迎えている人達用に、入り口近くにお風呂とトイレを作っておくわ。運用は任せるけど、不公平が出ないように気をつけてね」
住んでいる地区毎に、入浴施設の利用日をずらす等すれば、混雑は緩和されるだろう。トイレは……まぁなんとかしてくれ。お礼をいいファウスタが下がったところで、レイモンドさんを呼んで貰った。
「何か御座いましたか?」
執事として隠れ家に詰めているレイモンドさんは程無くして現れた。
「前に話していた湧水の事を知りたくて。そこの水量は豊富なのかしら? バルネア……公共入浴施設に使えるほどに。蒸気を蔓延させるサウナよりも、私はお湯に身をつけるタイプのお風呂のほうが好きだから、街に作るなら豊富な水源が必要なの」
私の質問を受けてレイモンドさんが黙考する。しばらく考え、まとまったのか話し出した。
「はい、おそらく水量は足りるかと思われます。ですがあの湧水には精霊が棲むとも言われております。風呂となれば、温めることになりましょう。水の精霊がそれを良しとするか……」
「境界の森にいる精霊が狂わずにいるのですか?」
「宰相殿、私も精霊と出会った事はないのです。ですが汚染されやすい境界の森でこんこんと湧き出る水は、高位の精霊の加護と言われても違和感がございません」
「なら、一回行ってみようか。一応、ほとんど使わないけど、私も精霊魔法を使えるし、そんなに高位の精霊がいるならわかると思うから」
「そのような危険な行動を……」
「心配ならアルフレッドも一緒に来なよ。最近はリベルタ周辺の森については随分と魔物も弱くなってきたって、フォルクマーも報告してたし。うーん、いっそのことダビデも誘おうかな。久々にピクニックもいいよね」
難色を示すアルフレッドに笑いかける。
ダビデが戻り、昔からの仲間達全員が揃って以来、出かける事がなかった。久々にピクニックくらいはしても許されるよね?
「……陛下」
「レイモンドさんも、道案内で是非」
「私も参ります」
「エルダもたまには私の護衛を休んで、英気を養って。私は久々に古いメンバーと羽目を外してくるからさ」
同行を申し出るエルダに申し訳ないと思いつつ断った。最近はみんなが私を女王として扱うから、ストレスが溜まるんだよね。
悲しそうな顔をするエルダに、護衛としてジルベルトを連れていくから心配しないように伝える。
「……宰相?」
悩むアルフレッドにわざと役職名で呼び掛けた。
「わが君、どうか……」
「イヤ。たまには散歩したい。リベルタの平和はいつまで続くか分からないもの。落ち着いている間に少しくらいいいでしょ」
懇願しようとするアルフレッドの先を制し畳み掛けた。そこまで言って、アルフレッドも諦めたようで渋々頷いた。
よっしゃ! 久々のダビデやジルさん達とのお出掛けだ。
お弁当は何を持っていこうか。道中の安全確保に、こっそり夜間一人討伐大会を、開催しようかな。
ああ、でも、バルネアの準備をするなら、お湯にするのは手持ちのアイテムで何とかなるにしても、下水処理の方法も考えないと……。ラノベで一般的なスライム君の活用とかは出来ないかな。久々に博学で調べてみよう。
私のリクエストで中央に広場と公園、街のあちこちに遊具のある公園を作るつもりだったから、バルネアの場所は確保できるだろう。でも公園予定地がお風呂場になって困る人が出るかもしれない。ファウスタや、フォルクマーにも話をした方がいいだろう。
後は、冒険者ギルドにも不満が高まっていないか聞かないと駄目だな。隠れ家の中に冒険者ギルドの金庫と倉庫は相変わらずあるけれど、宿泊施設は外になっている。お風呂とトイレ問題は冒険者達も共通の問題だろうし……。
平和と言いつつも一気に予定が忙しくなった。それでもワクワクする気持ちが抑えきれない。
――――……あー、楽しみだな。ダビデへの普段のお礼込みだし、私も久々にキッチンに立とうかしら?
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