190.箸休めーヒト喰いの森
進軍する友軍から離れ、木々に隠れたまま観察する複数の影がある。
「どうなっているんだ」
「また斥候が消えたようだぞ」
小声で状況を確認しているが恐怖の色が濃い。混乱は友軍の方が深刻で、浮き足立っているのが分かる。
「……動揺するな。我々は観測し続けるのが仕事。周りへの警戒も緩めるな。……この森には何かがいる」
もたらされた報告では、目が覚めるような美少女と数十匹の獣どものみだったはずの場所だ。それなのに、何故、百を超える友軍が消えた?
数々の修羅場を潜ってきたつもりだったが、まだまだ甘かったらしいと男は苦笑した。
「やはり報告にあった獣人どもが何かをしているのでは?」
「魔族を従えているという噂もある」
「境界の森に手を出すのではなかった」
臆病風に吹かれる部下達を、男……この部隊の隊長は鋭く叱責した。
「黙れ。冷静に観察を続けろ」
移動を再開した友軍を追うように、歴史の表舞台に出ることのない男達は立ち上がる。震える足を叱咤し、恐怖に顔をひきつらせたまま気配を殺し彼らは森の奥へと歩いていった。
「閣下! また斥候が消えました!!」
「何をやっているんだ。このグズどもがっ」
明らかに苛立ったエウジェニロ伯爵は、運悪く近くにいただけの奴隷を蹴りつけた。うめき声を上げて踞る兎獣人の少女といっても違和感のない女を更に踏みにじる。
「お前達は森に生きる獣だろうがっ!
それが消えるとは何事だ? 言え、お前の仲間は何処に消えた」
連続で踏みつけてくるエウジェニロから身を守る為に兎獣人族の少女は身体を丸め、急所となる頭を抱えて庇っていた。
「閣下! お止めください。ソレらは奴隷です。どれ程裏切りを望んでも逆らうことは出来ません。それに今残された数は少なくなってきております。ウサギは戦う能力は低いですが、肉盾くらいにはなりましょう。どうかそれぐらいで」
男達の欲望を受け止める気晴らしにと連れてこられた獣人を戦力としなくてはならないほど、追い詰められている。それを目の前の伯爵は何も気がついていなかった。
先日リベルタを訪問した時より、遥かに魔物との遭遇が多い。それが境界の森に怯える兵士の消耗に拍車をかけていた。
「どいつもこいつも!
お前達は私の領地の中でも精鋭だろうがっ!
何をやっておる。
一刻も早く、女王を捕らえるのだ!!
何を怯えておるのか! さっさと進め!!
初めにリベルタに着いた者には褒美を与えるぞ!
男どもは殺せ! 捕らえた女子供はお前達の好きにして良い。だが女王だけは差し出せよ。あれは上玉だ。お前達にはもったいない。
間違った理想を持つ小娘は、世を知った大人が教育してやるべきだろう?」
下品な笑みを浮かべながら、伯爵は震えて動く事が出来ない兎獣人を引き摺り立たせた。そのまま突き飛ばして己の先を歩かせる。
「ヒッ! お願いします。乱暴……しな……いで」
途切れ途切れに哀願する奴隷に、エウジェニロは冷たい視線を送る。
「いけ。歩みを止めるな」
森の中の道だ。他と比べて平坦にはなっているがそれでも歩き辛い。痛め付けられた身体で、必死に進む兎へと時折鞭で気合いを入れつつ、エウジェニロは先を急いだ。
「ふふ、あの女は私が貰う。陛下にはこの境界の森を捧げよう。褒美にまた爵位と領地が増えるだろうな」
そんな欲に目が眩んだ男を見つめる瞳があった。
「団長」
鞭打たれる獣人を見つけ、助けたそうにする若い部下にフォルクマーは首を振る。
「落ち着け。今はまだ早い。このまま予定の地点までヤツらを誘導する。ただし本隊を離れた斥候については、容赦するな。捕らえろ。それが駄目なら殺せ」
悔しそうに唇を噛む部下を副官であるエッカルトが窘めている。
「陛下がこの状況を知れば哀しまれる。無論、助けるが少し待て。一網打尽にしなければ……」
「それだが本隊から離れている集団はどうなった? 本隊と一度も合流していないから別集団だと判断するべきだろう。誰が監視についている」
「完全獣化したジルベルトとバックアップの部隊が追っております。報告では本隊に何があっても情報を持ち帰る為の部隊ではないかとのことです」
「本隊は捨て駒か。ならばその隠れている部隊から、宰相殿がお望みの人選をしよう。ジルベルトに全部は狩るなと伝えておけ」
話している間にもペースを上げた本隊は、森の入口から街までの約半分の距離に作られた決戦場所に向かっている。
「移動する。そろそろだと留守番連中にも伝えておけ」
そのフォルクマーの言葉を受けて、足の早い斥候が森へと消える。
「さて、少し恐ろしい目にあって貰おうか。我らが神子姫様の御為、出来るだけ生き残ってくれよ」
珍しく嗜虐心を表に出したフォルクマーが、狼獣人らしく血に餓えた笑みを浮かべた。
つられる様に、周囲の騎士団員達も獣性のままに声を出さずに嗤う。早々と頭部を獣へと変ずる者もいた。
そんな魔物すらも裸足で逃げ出しそうな凶悪な顔をした騎士達は、自分達以上に生け贄を待ち焦がれているであろう待機している仲間達へと向けて走り出した。
******
「何が起きておるのだ! 報告しろ!!
おい、逃げるな!! 戦え!!」
混乱の中、エウジェニロの怒声が響く。街道沿いに進軍していたところ、拓けた場所に出た。見晴らしが利くこの場所で休憩を取らせる事になり足を止めた。
周囲を警戒する人員を残し兵士達が三々五々休み始めた頃、突然魔物が広場に躍り込んできた。それと同時に四方から火の手が上がる。燃えにくい生木や葉等にも火が回ったのか、煙が多い。
視界が利かない恐怖の中でも、兵士達は勇敢に魔物と戦っていた。
――――オオオォォォォォォンンン!!
――――アオォォォォォン!!
そこに絶望を知らせるかの様に、狼達の遠吠えが響いた。それまで何とか統率があった隊列が一気に崩れる。
「狼だ!」
「狼が来るぞ!!」
恐怖に怯える兵士に伯爵が叱咤する。
「何が狼だ! ワハシュの狼が来ているわけでもあるまいに!!
たかが仕える者なき、傭兵狼に何を怯えることがある!! 野良犬と変わらんわ!
迎え撃て! 殺せ!! 褒美は弾むぞ!!」
「囲まれた!」
「あっちにもいる!」
「どうする?!」
森から飛び出してきた狼獣人を中心とする獣相化した戦士達は、暴れまわる魔物をすり抜け、邪魔になれば魔物を殺す。揃いの防具に身を包んだ彼らはじりじりと追い詰めるように包囲を狭めている。
「おい、エウジェニロ伯をだせ」
「閣下に何用だ! 熊の分際でなぜ閣下の名前を知る!!」
副官が大柄な熊獣人に反発した。
「降伏勧告だ。代表者はエウジェニロ伯だろう。さっさと出てこい!」
一団となった人間達の中から現れる人影はない。
「馬鹿な獣め! 確かに我々はエウジェニロ伯の兵ではあるが、閣下程高位の方がこのような所に来られるはずがなかろう! 身の程を弁えろっ」
「ほう、そうか。では伯爵はいないと言うんだな?」
「ああ、この部隊の指揮官は俺だ!」
一段低くなった熊の声に一筋の汗が背中を流れる。
「……そうか」
無表情にこちらを見る熊がゆらりと動いたと思った瞬間、副官の男の身体は傾いだ。
「え……」
断末魔と言うには情けない声を最後に、副官の男は地に伏す。その肩から上に有るべきモノはなく、一拍遅れて血を吹き出した。見る間に溜まる液体を、兵士達は信じられない面持ちで眺めている。
「さて、嘘つきは死んだ。出てきて貰おうか」
左手で無造作に有るべきモノを鷲掴みにした熊に、囲まれた人間達から抑えきれない悲鳴が漏れた。
「うわぁ!」
「どうやったんだ!」
「化け物だ!!」
「騒がしい。静かにしなければ殺すぞ?
さっさと伯爵を出せ」
表情が削げ落ちた熊の視線を受けて、兵士達が左右に割れた。突然の事で反応できなかった伯爵だけが中央に残る。
「いたか。往生際の悪い。さっさと出てこい」
「エッカルト、ご苦労だった」
「はっ」
エウジェニロの顔を確認して、一人の狼獣人が進み出た。狼獣人の為に道を開けたエッカルトは副官としての位置に控える。
「ケトラ国、トンマーゾ家のエウジェニロ伯爵とお見受けする。許可なく我らリベルタの領土に、兵士を連れ侵攻してきたのは何故か」
「お……お前は誰だ!?」
怯えながらも問いかけるエウジェニロに狼獣人は呆れ風に肩をすくめた。
「お互いの置かれた立場を考えろ。
今、この状況で何か質問できると思うのか?」
狼獣人の言葉と同時に包囲網が一歩分狭まった。抜き身のまま持っていた武器が再度人間達に狙いをつける。
「まあ、いい。確かに一国の伯爵位をお持ちの方に目通りしたのだ。名乗らぬのも無礼だろう。
私の名はフォルクマー。今は無き赤鱗騎士団で団長をしていた。今はリベルタを統べし女王陛下の忠実なる牙。
これで納得したか?」
「ふ、フォルクマー?
ではワハシュの内戦で行方不明となったという赤鱗の者達か!? 何故、お前達が遠く離れたここにいる!! 何故だ!」
「神の御心のままに」
絶句する人間達を見据えながら、フォルクマーは降伏勧告を始める。
「勝負はついた。お前達は負けたのだ。諦めろ。この地に武力を持ち攻め入った時点で貴国との融和はない。
この上戦うと言うならば、赤鱗の誇りにかけてお前達を殺す。
今なら虜囚としてやろう。抵抗するなら容赦はしない。
膝を屈すると言うならば、今すぐ武器を捨て跪け」
最初に跪いたのは、動員された非戦闘員達だった。我先にと慈悲を乞う彼らの後を追い、一般の兵士達が武器を投げ捨てた。
「バカどもがっ! 何をしているのか。獣が慈悲をかけるなどない。喰われたくなければ、すぐに武器を拾え! 戦え!!」
「無茶言うな! 俺達はただの兵士だ。大陸で名の通った騎士団に勝てるわけがない。なぶり殺されるだけだ」
地面に伏せたまま文句を言う部下を、エウジェニロは蹴りつけた。
「な? 何をする!!」
部下に気を取られた間に近づいてきた赤鱗の騎士達に両脇を拘束され、フォルクマーの前に引き出された。
無理やり両膝を地面につけて形で拘束される。
「何をする気だ。私はケトラの伯爵であるぞ!
虜囚になったとは言え、貴族としての配慮があろう。これだからお前達は野蛮な獣だと言われるのだ!」
「……我らが神子姫様に、その卑しい目を向けていたな。初めてお前が来たときより、殺してやりたかった。森に入ってからのお前の言動も観察していたぞ。お前達は全く気がついてないようだが、穢らわしい低俗な生き物はどちらだ?
お前を我が王の元に連れていく気はない。我が君はお優しいからな。そんなお前でも救おうとなさり、心をお痛めになるやもしれん。
お前はここで死ね」
喚きちらす伯爵を冷たく見据えたフォルクマーは一刀の下に切り捨てた。
「武装を拾え。森にゴミを残すな。さあ、我らが君の所へ凱旋するぞ。
お前達、面倒だから拘束はしないが、逃げようとしても無駄だ。森で我々に勝てると思うな。一人でも逃げたら皆殺しだ。そのつもりでいろ」
粛々と武器を拾う騎士達に怯え、動けない兵士達の間から、細い声がした。
「お願い、何でもします。私達だって貴方達に剣を向けたかった訳じゃないの。お願い、助けて」
一角に集まっていた露払いの奴隷達に紛れる様に、兎の少女がいた。
「ああ、お前か」
この少女を見つけた時に飛び出したがっていた狼獣人に目配せをする。
「奴隷の身は辛かっただろう。もう大丈夫だ。
もう少し辛抱していてくれ。隷属魔法をお使いになる方に慈悲を乞い、きっと自由にしてやるからな」
「誰か所有者死亡で苦しんでいる者はいないか確認してくれ。解除は出来ないが、一時的に効果を弱めることは出来る」
表情を和らげたフォルクマーと、優しそうな顔をした狼の耳を持つ青年に問いかけられて、奴隷達から緊張が解れた。咽び泣く戦闘奴隷達を立たせ、兵士達から引き離す。
「大丈夫だよ。君たちの仲間も僕たちが保護しているから。街まで行けばまた会えるからね。それと、君、これを飲んで」
暴行の痕が激しい兎の少女に狼獣人の青年は薬瓶を差し出した。
「え? これ」
「我らが陛下のお慈悲だよ。今回出撃した全員に複数のポーションを持たせてくれた。さあ、飲んで。このまま歩くんじゃ大変だろう」
兎獣人の少女が恐る恐る薬に口をつける。見る間に消えていく痣を確認して、更に数を増やした赤鱗の騎士達は街へと帰還した。
しばらく歩いた所でフォルクマーは何気ない風を装い副官に話しかけた。
「まだ追ってきているか?」
「はい、一部、エウジェニロたちの遺品の回収で部隊が分かれましたが、そちらは処理済みです」
捕虜と保護した奴隷達に聞かれない様に、フォルクマーはエッカルトに確認する。
「街まで案内しろと言うのが宰相殿の指示だ。見失わせないようにゆっくり移動しろ。我々が奴らに気がついている事を気取らせるな」
********
「いったいここは何なんだ!」
「隊長! 危険すぎます。即撤退を!!」
僅かに残った部下の精神もそろそろ限界を迎えているのだろう。押し殺す事も出来ず悲鳴に近い声をあげている。
「狼……、あの赤揃え……まさか赤鱗?」
視界の先には、狼に肩を押さえられて地面に押し付けられる伯爵がいた。欲に目が眩み、この地の解放者と初めて会った功績で、この地を蹂躙する許可を無理にもぎ取った結果がこれだ。
「ヒッ、隊長、冗談はやめてくれ。赤鱗の狂信者。一度走り出したら止まらない悪魔の狼ども。東にいるヤツらが何で中央部の境界の森にいるんだよ」
「だが、それ以外に狼獣人の戦士が群れている場所などあるか?」
「ああ! やつら、まさか伯爵を。
ッ?! 誰だ!」
悩む隊長の耳に部下が茂みの奥を警戒し武器を抜く音が届いた。
「うわぁ! また、やつだ」
「落ち着け、そいつはデカイだけで本当の狼だ。この強さと大きさだ。おそらく魔物化しかかっているハグレだな。冷静に対処しろ、所詮獣だ」
「もう何人も咥えていってるクセに、また来やがったのか! くそっ、今度こそ犬鍋にしてやる!!」
グルルルル……!
鼻に皺を寄せ、狼は隙を狙って唸っている。
「おらっ!!」
「バカ野郎! 声を出すな!!
あっちの狂信者どもに気がつかれるだろうが!!」
気合いを入れ狼に切りつけた仲間を、叱りつける。警戒を続けていた隊長はひとつ舌打ちをした。
「くそっ! おそらく今ので気がつかれたぞ。
散開しろ! 合流地点は3番ポイントだ。
俺は出来る限りヤツらを追い、情報を得る。2日たっても合流しない場合は死んだと思え。
行け!!」
いまだに襲ってくる狼を牽制するため、煙玉を投げる。一度気がつかれたのならばこれ以上の隠密活動は無意味だ。
散開して出口を目指す部下達とは反対に、隊長はただ一人狼獣人達を追っていった。
「ジルベルト将軍閣下」
「終わったか?」
「はい。外へ逃げようとした者達は全て捕らえました。それで最後の一人は?」
「予定通り、街に向かっている。しかしアルフレッドは一体何を考えているんだ」
狼の姿のまま首を振る傾げるジルベルトに答える者はいなかった。
********
「さぁて、ようやく街に戻りましたね。
お、何だか騒がしいと思ったら、随分とまぁ、団体さんの到着だ」
捕虜を連れ戻った赤鱗を迎える歓声の中、普段の姿に戻ったエッカルトが遠くに見える馬車の集団を見つけた。
「冒険者……というわけでもなさそうだな。では宰相殿が話していた職人達の移住か?」
「その通りです。ご苦労でした、フォルクマー団長」
「これは宰相自らのお出迎え恐縮です」
「ふふ、貴方達が負けるはずはないと思っておりましたが、部隊の損傷の確認をせねばならぬでしょう。女王陛下もお心を痛めておいででした。貴殿方が戻ったと知れば喜びましょう」
「陛下は今どちらに?」
「下で懐かしい顔ぶれと再会を祝っています。それよりも団長、例の……」
「はい、今もこちらを観察しております」
意味深な目配せを交わすと、宰相アルフレッドはひとつ頷いた。
「もう十分です。追い払ってください。
ああ、お仲間の所に無事に戻れるように、出口までの案内を忘れずに」
クスリと笑って去っていくアルフレッドの指示を受けた騎士達の動きが慌ただしくなった。
「お心を優しい我が君の隣国として、お前達は相応しくない。だが我々から攻め入れば、我が君は苦しまれる。ならばあちらから来ていただけばよいだけのこと」
偶然、風に乗り聞こえてきたアルフレッドの囁きを薄ら寒い心持ちでフォルクマーは聞いた。
「逃がすな!」
「追え! あっちだ!」
やはり街に近づきすぎたかと、赤鱗の騎士達に追われつつ、隊長は考えていた。
数十人の住人しかいないと思われていた街には下手をすれば万に近い人数がいた。しかも住人の一部は内戦で行方不明になった赤鱗の残党。沢山の資材と共にいたと言うことは、明確な祖国の脅威だ。
「何としても逃げ切らなくては……」
縺れる足を叱咤して走り続ける。幸運にも騎士達の声は聞こえども見つかることはなく、森の外へと出られた。
「ヒィッ!!」
堪えに堪えていた悲鳴が隊長の口から遂に漏れる。
森から出てすぐの荒れ地には、忘れ物だと言うように、エウジェニロの変わり果てた首があった。
警戒しながら恐る恐る近づくと、エウジェニロの首を手に必死に祖国に向かって走る。
「……ここは人喰いの森だ。境界の森からもっと危険な森に変わった。
陛下に伝えねば……。ここを放置してはケトラの存亡に関わる!」
苦しい息の間に呟きながら、脇目も振らず一心不乱に走り続けるその男を、沢山の瞳が森の中から見つめていた。
(C) 2017 るでゆん




