182.……この味は。
「あれ? こんなところに柵はなかったのに、誰か何かしたんですか?」
キョロキョロと周りを見回しながら歩くダビデを名乗る秋田犬っぽいコボルドと一緒に、私の居住区へと向かう。
一緒に来ているのは、アルオルとジルさん。そして連れてきた責任とやらで、クレフおじいちゃんもいる。その他の人達も一緒に来たがったけれど、遠慮してもらった。
「勝手に他の人に入ってこられるの嫌だから、一応の用心に」
曖昧に笑いながら大きなダビデに答える。身長は私より一回り大きく、アルフレッドよりも少し小さい。最後に見たダビデよりも、更に育っていた。
口調や仕草はダビデそのままで、私に向ける瞳の真っ直ぐさもダビデのものだ。
――――お嬢様は優しいんです。強いんです!
――――ボクは美味しいゴハンを作るしか能がないから……。
いつだったか、ダビデに言われた言葉が断片的に甦る。目的地に向かっているだけなのに、無意識にダビデとの共通点を探していた。
「ここは……」
「開けるのは2年ぶりかな」
あの日以来、辛すぎて足を踏み入れられなかった場所だ。扉に手を掛けたまま、一度深呼吸をする。
埃っぽい香りがするのを覚悟で扉を引き開けた。予想に反して空気は澄んでいたが、何処までも冷たい。意識せずに背筋が震えた。
ここを開ければ、私をお嬢様と呼んでくれる揺れるしっぽと輝く笑顔の彼が、また出迎えてくれるんじゃないか。そんな事はあり得ないと頭では分かっていながらも、希望を捨てきれなくて、開かずの間になっていた場所だ。
「ここは何じゃね?」
ここに始めてくるクレフおじいちゃんが、沢山のアーティファクトが置かれた壁際に目を奪われつつ呟いている。
「ここはこの家のキッチンですよ。壁際の機材はアーティファクト……なのかな? 生活を便利にするグッズ達です。
さあ、秋田犬のコボルドさん……いえ、ダビデ。ここを好きに使っていいから、私達に貴方が本当にダビデだと納得させて?」
みっともないけれど、この子に会ってから手は震え、声は湿っぽい。私を励ますようにジルさんが背中を支えてくれている。
ダビデの一番の特技で、他のコボルドに真似出来ないのは、料理だ。彼が本物のダビデかどうかは、ゴハンを作ってもらえればすぐに分かる。
「はい!」
元気に返事をした秋田犬さんはまず手を洗いに行った。そして迷わず食材が入っている保冷庫に向かい、材料を取り出す。
いくつもあるアーティファクトから一定量の調味料が出てくるものを選び、味噌と醤油を取り出した。
「ティナ」
ジルさんが私の注目を集めるために名前を呼びながら、ダビデの動きを注視している。動きは確かにここを使い慣れている人のもので、迷いがない。作っている料理も、いつか私達が食べて「美味しい」と評価したものばかりだ。
「ほう、あのアーティファクトは珍しい機能じゃのう。おや、あっちは存在自体を初めて見るわい」
クレフおじいちゃんはキッチンに置かれたアーティファクトの観察に余念がない。アルフレッドとオルランドは、疑わしそうにダビデを見つめている。
「……ダビデ。
これが神の慈悲なのか………………」
「この食材はジルさんが嫌いだから」と、一人前だけ別鍋で煮る姿を見て、ジルさんは秋田犬がダビデだと確信したらしく名前を呟いた。
「はい? どうしましたか?
大丈夫です、ボク、お嬢様やジルさんやアル様やオルさんの好物も嫌いな物も忘れてません。久しぶりにボクの料理を食べてもらえるんですから、美味しくないものも嫌いなものも作りません。
安心していてください」
ふっさふっさと控え目にしっぽを振り答えると、ダビデは料理に戻った。
しばらくするとギャラリーが増えていた。地下への入口の柵を開けたままきたから、美味しそうな匂いに誘われて、レイモンドさんやアガタさん、それにジルさん一家の子供達も、恐る恐るキッチンを覗いている。
「お嬢様! 出来上がりました!!
どうぞ温かい内にご賞味ください」
最後にネギを散らして出来上がったらしい鍋を中心にいくつもの料理が並んでいた。
餃子、揚げ物、玉子焼き、味噌煮込みうどんに、煮込みハンバーグ……。フライドポテトはチップス風に薄切りで、ダビデ特製のハーブティーが添えられていた。
数種類のハーブを混ぜて作られたお茶は、毎日の食事に合わせてダビデがブレンドしていた。いつも美味しいお茶とはいえ、その中でも好き嫌いある。私が一番好んで飲んでいたお茶の薫りがする。
「お毒味を」
私の分だけ、以前小枝で作った箸が添えられていた。迷うことなく箸に手を伸ばそうとしたところで、レイモンドさんが割って入ってきた。
「必要ないよ。ずっと見ていたから変なものは入っていない」
拒否する私にレイモンドさんが何か言い返す前に、料理人であるダビデからも毒味を求められる。
「なんで?」
「もしかしたらいつかのように、食べ合わせで何か起きてしまうかもしれません。お嬢様はもう国王陛下です。万全を期さなければ」
自分は気にしないとにっこり笑うダビデに、アルオルが鋭く息を呑んだ。
そう、無意識のまま「食べ合わせで」ダビデが私へと害を及ぼしたことがある。原因の主犯はオルランドで、命令したのはアルフレッドだった。
「これは……」
「こんなこともあるのか」
アルフレッドは信じられないと顔に書いたまま、オルランドは天を仰ぎつつ呟く。
「……ふむ。変わった料理ですが、美味です。変な効果もないようですし、陛下、どうぞ」
スプーンで小皿に取り分け、毒味という名の味見を終えたレイモンドさんが声をかけてきた。
キッチンの中央にあるテーブルに腰掛けて、揚げ物一口頬張る。
――――お肉は一度筋切りをして、そのフルーツに漬け込んでね。柔らかくなるから。衣は薄くでお願い。油はしっかり切ろう。
私のリクエスト通りに作られたそれを、無言でジルさんとアルオルに勧めた。
一口食べて確認して、次の料理に変える。
僕も食べたいとねだるジルさんの子供の声でようやく箸を止めた。ジルさんたちはまだフォークを動かしている。
「ダビデ!!」
「わっ! 汚れますよ、ご主人様」
確信を持ち抱きついた私を、危なげなく受け止めたダビデは、いつもの料理中と同じように注意してくる。
「ダビデ! ダビデ!! ダビデ!!!
会いたかったよ、ダビデ!!」
クレームを伝えるダビデの声を頭上で聞きながら、胸に顔を押し付けた。服の下にある毛皮の、もふもふとした感覚が顔に感じられた。これも懐かしい感覚だ。
「ただいま戻りました、お嬢様」
「おかえり……おかえり、ダビデ。もう2度と会えないと思っていた。もう2度と……ごめん、ごめんなさい」
「謝らないでください。
本来は戻る手段などなかったのです。でも嘆き悲しむお嬢様の姿を見かねて、ある御方がボクを戻して下さいました。
その御方から預かってきたものもあります。ハロさんから、お嬢様以外の目に触れないように渡すようにと、助言を受けました。お嬢様、いつかお時間を頂けますか?」
他の人に聞こえないように私の耳に唇を寄せて、ダビデが囁く。それに胸に伏せたままの顔で、頷くだけで答えに変えて、更に強く抱きついた。ダビデの心臓は力強く脈打ち、全身が温かい。
生きている。
姿は変わったけれど、ダビデはここに生きている!
「…………ダビデはこれからどうしたいの?」
しばらくたってお互いに落ち着いてから、改めて問いかける。私達の為に作ってくれた料理の余りはジルさん一家とレイモンドさん、アガタさんの夕食となるようだ。
嬉々として料理を運んでいくレイモンドさんに絡みつく子供の声がここまで響いている。どうやらレイモンドさんの口にも合ったらしい。クレフおじいちゃんも気を効かせてくれたのか、レイモンドさんと同行していった。だから今、ここにいるのは昔からのメンバーだけだ。
「お嬢様、ボクを置いて下さらないのですか?」
耳を倒し哀しそうな顔で尋ねるダビデに慌てて否定する。
「逆に、ここにいていいの? 私はダビデを守りきれなかった。約束も果たせなかった。それでも……」
「それが何ですか。お嬢様は約束を果たそうとなされて下さいました。それをふいにしたのはボクが慢心したからです。
人並みの冒険者くらいは強くなれた。だから大丈夫だと油断して、前線に立った。その結果があの時の事です」
「そんな事はない。あの時の事は私の判断ミスだ。私は私の実力を過信してっ」
互いに己を責め合う私たちに、アルフレッドの静かな声がかけられる。
「あの時の事は、全て私の責任です。己の身可愛さに、弱いと分かっていた守るべき対象の前に身を投げ出すことが出来ませんでした。私は騎士失格です。
ダビデ、もしもお前が望むなら、今ここで私を殺していい。一言でいい。そうしろと言ってくれるなら、自分の始末くらいはつけられる」
いつの間にかアルフレッドの手には抜き身の短剣が握られていた。喉でも掻き切る気か!?
「アルフレッド様!」
慌てた様にオルランドが止めに入った。うん、ここは安定してるなぁ。
「それを言うなら、そもそも俺がティナの行動を妨げなければ、誰も死ななかった。すまない」
ジルさんもそんなアルオルの行動に動揺する事なく、ダビデに謝っている。
「皆さん、謝らないでください。ボクが調子に乗ったから……」
途方に暮れたように呟くダビデの声を聞いて、私はひとつ覚悟を決める。
「ダビデには『女王の料理番』を命じるよ。私のゴハンはダビデが作る。この国のお客さんへのおもてなし料理もダビデが作る。
その代わり、今度こそ守る。国力を集結させてでも、必ず守りきる。
この申し出、受けてくれる?」
守ろう。今度こそ、確実に。
守ってみせる。確実に。何を犠牲にしてでも。
「もちろんです。喜んでお仕えします、お嬢様!!」
私の覚悟を知ってか知らずか、ダビデが嬉しそうに承諾してくれた。感極まって抱き合いながら喜んだ。そんな私たちを見て、ジルさんとアルフレッドがしんみりしている。オルランドは苦笑というか、呆れかな。
「では私は宰相としてこの事を責任を持って広めましょう」
「女王の愛犬兼料理番か。羨望の的だろうな」
苦笑しつつオルランドが話す。
「愛犬ってコボルドは犬じゃないでしょ。
でも羨望の的は否定しない。ダビデのゴハン、美味しいもんね。羨ましいだろうけど、譲らないよ」
にっこり笑ってダビデの胴体に腕を回した。
「お嬢様!」
「いや、ティナ、どちらかと言えばダビデが嫉妬されるほうだ……」
疲れた様にジルさんに突っ込まれる。
ん? なら話は別だ。ダビデに危険が迫るなら、私は容赦しない。
「危ない事があるかな?」
「もしかしたら、な。俺からも赤鱗の連中には広めるが……。コボルドは奴隷種族だからな」
肩を竦めるジルさんはため息混じりにそう言った。途端に強張った表情の私を見てダビデが宥めてくる。
「ジルベルト、オルランド」
「はっ!」
「なんだい、陛下」
突然女王として話し始めた私に驚きながらも返事をする二人に、珍しく命令する。
「私が側にいられない間は、二人がダビデを守りなさい。危険ひとつないように、不快な目に会わないように」
「お嬢様!」
驚いてダビデが私の事を呼んでいるけれど、もう少しだけ待って欲しい。
「アルフレッド、速やかに住人たちに広めなさい。ダビデは私の唯一であり、その最愛に手を出す者はこの地から叩き出すと。私は本気よ?
良いわね」
「お嬢様!」
「畏まりました。我が君のお気に入り、決して手出しはならぬ。手を出せば厳罰と広めます」
「アル様! お嬢様!!
どうか落ち着いてください。ボク、大丈夫ですから!!」
半泣きになりながら、言い募るダビデに視線を戻した。
「ボクをここに帰してくれた御方は、周回ボーナスをつけておこうと話していました。
それが何だか分かりませんが、ボクは昔ほど弱くありません。
お嬢様、大丈夫です。基本、キッチンを離れないし、アル様が住人の方々に広めてくだされば危険もすぐになくなります。だから大切な住人を叩き出すなんて仰らないで下さい。それにボクに護衛なんて不要です。そんなもったいない。
あの、お嬢様! それよりもお願いがあるんです。聞いていただけませんか?」
慌てた様に話題を変えるダビデに先を促した。
「…………お嬢様、『ボク』に会わせては頂けませんか?」
その単語を聞いたとき、私の周りの空気が凍った気がした。なんで? どうして知っているの??
「ボクはずっとお嬢様を見ていました。嘆き悲しむお嬢様も、己を責めるお嬢様も……。
お嬢様、まだボクがあそこにいるのならば、どうか会わせては頂けませんか」
「あそこ?」
「我が君?」
表情が強張っているであろう私の顔を見、ジルさん達が不思議そうにしている。
「…………うん。分かった。ダビデは会う権利あるし、ジルさん達も来ますか?」
頷くメンバーを連れて、別の部屋に向かう。
馴れた石造りの扉を押し開き、室内に招き入れた。
「ここは……」
ジルさんは三回目。アルオルは二度目の部屋だ。哀しみの記憶だけが渦巻く部屋。
中央に置かれているのは扉と同じ石造りで、無色透明の水晶の様な素材でカバーが掛けられた棺。
棺の中には世界を廻りながら、その土地で一番美しい花々を集めて敷き詰めた。棺の中は時間の経過はない。今日も彼の周りを美しく彩っている。
あの時のまま静かに眠る『ダビデ』を驚いた様に3人は見ていた。確か、この棺の中では時間経過はないと教えておいたはずなんだけど。
「やっぱり……」
悲しそうな顔で棺を見ていたダビデは呟くと静かに近づいていく。
左胸に置かれた勲章が照明の光を浴びて輝いている。
「お嬢様、もう十分です。
ボクを休ませてください」
ダビデは棺の奥を見つめたままそう言う。突然のお願いに動揺する私に、涙に濡れた瞳が向けられた。
「お嬢様がこれ以上苦しむことはないんです。もう十分大切にして頂きました。お嬢様もボクも、もう休んでいいはずです。
ね、お嬢様? ボクを眠らせてください」
ダビデの視線を辿ると、毎日、寝具の変わりに体に巻き付けて寝ていた布が転がっていた。
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