180.箸休めーダビデの大冒険・終
「おおーい、こっちの飯はまだか?」
「はい、次に出ますから、少し待ってください」
食堂に元気な声が響く。パタパタと忙しそうに働く人々の中に、一際目を引く姿があった。
「ヲイヲイ、ここは獣クセェぞ」
「人間様の飯に毛が入ったらどうしてくれるんだ」
料理に没頭していた大柄な犬妖精に、新顔の冒険者が絡んでいた。ここに長くいる冒険者たちは、無言で距離をとる。
「え? ボクですか?」
「他に誰がいるってんだ! 小汚ねぇ、奴隷の餓鬼がっ!!」
驚く犬妖精に向けて、手近にあった食器が投げつけられた。当たりはしなかったが、残っていた食事が犬妖精の服にかかる。
「あつっ!!」
「へっ! ざまぁねぇな。犬妖精の分際で、目障りなんだよ。失せろ!」
物を投げられた事に動揺しつつも、怯えない犬妖精に向けて、武器を鳴らしつつ、新顔の冒険者は凄んだ。
「失せるのはお主らじゃよ」
騒ぎを聞き付けてやって来た老人が、背後から声をかける。
「クレフさん!」
現れた老人の顔をみて、犬妖精、ダビデは喜びに尻尾を振った。
「おう、災難じゃったのう、Jr.。
こやつらはキャンプから追放する故、心配致すな。連れていけ。
さて、わしも食事を取らせて貰いたいのじゃが良いかね?」
よっこいしょと椅子に腰かけるクレフを見て、新参者の冒険者たちは青くなった。
「あの、マスタークレフ。この犬妖精をご存じで?」
「なんじゃまだおったのか。
さっさと消えよ。
新たな土地にそなたらは不要じゃ」
シッシッと手を振りながら会話すら拒絶するクレフに、新参者達の顔色は更に悪くなった。
「申し訳ありません。まさかここのトップであるマスタークレフの奴隷とは知らず!」
「奴隷?
お主ら、本当に失格じゃのぅ。ここに来る前に情報収集のひとつもしてこなかったな?」
やれやれと首を振り、クレフは冒険者達に教え諭す口調で話し始めた。
「解放地の女王は奴隷を嫌う。そして無類の犬好きじゃよ。
このダビデもその女王に会う為に、ここにおる。わしの客分じゃて」
解放地への移動を待つキャンプの支配者の客分と聞き、慌てた新参者達はダビデに対し謝罪をしている。オロオロとクレフと新参者の冒険者たちの顔を繰り返し見ていたダビデは、鍋を握りしめて話し出した。
「あの、獣臭いのはごめんなさい。毎日お風呂に入るのは大変で、水浴びしか出来てないです。でも毛は入らないようにしてますから!
良かったら、みなさんも食べていきませんか?」
優しいダビデの助け船で、放逐をさけた新参者達は、疲れきったようにテーブルのひとつに腰かけた。
「相変わらず優しいのぅ」
「そんな! ボクは犬妖精ですから、あの反応が普通なんです。マスター・クレフこそ、ボクの事を信じてくださってありがとうございます」
再会した時のことを思いだし、ダビデは嬉しそうに笑った。坩堝達に連れられて、移動を待つこの中継地点にやって来たダビデにしばらくの仕事と居場所をくれたのは、クレフだった。
「いやいや」
「こちらでしたか、マスター・クレフ」
和やかに話していたところに、冷静な男の声が割って入った。
「ほう、ようやく来たか」
「ご無沙汰しております」
「マスター・クルバ!! なんでここに?
マリアンヌさんは??」
訪問者の顔をみて身を乗り出すダビデを、怪訝そうな顔でクルバば見つめた。
「誰だ? お前とは初対面だと思うが」
「クルバよ、この子がダビデじゃよ」
「お父様がおっしゃっていた、薬剤師さんを探していた犬妖精さんね」
「奥様!」
「あら、私の事も知っているのね。
コボルドさんは噂通り物知りね」
本当にダビデ君の生まれ変わりかも知れないわねぇとのんびりと話した女性はそのままふんわりと笑い、父親に向かって挨拶をする。
「お父様、ご無沙汰しております。この度はお誘い頂きありがとうございます」
「ふむ、マリアンヌが来られぬのは残念じゃが、新婚なれば致し方なしかのう。
着いたばかりで悪いが明日にはティナの所に出発する。そのつもりでいておくれ」
久々に会えた娘に目を細めるクレフは、ダビデに追加の食事を頼んだ。
「マスター・クレフ!」
「なんじゃ、そなたか」
和やかな家族団欒を邪魔されて不機嫌になるクレフに、相手は一度怯えるが気を取り直し続ける。
「何故、私の同行が取り止めになったのですか」
「奴隷商は不要となった。そう申したはずじゃよ、先駆けの」
「ゲリエから撤退し、事業の継続が難しくなっております。どうか、マスター・クレフ。それにマスター・クルバ。新しい女王に口添えを。
必ずお役に立ってみせます。女王陛下は犬好きと聞きました。どんな犬妖精や獣人も手に入れて見せましょう」
ダビデを欲望に濁った瞳でみつつ、先駆けと呼ばれた中年男はクレフに訴える。
怯えて小さくなるダビデを見て、心配になったクルバの妻は小さく手招き抱き締めた。
「大丈夫よ、夫に頼んで貴方には決して手を出させないから」
「奥様……」
「ほれ、アーサーよ。ダビデが怯えておる。さっさと去れ」
「お待ち下さい。ならば口添えはいりません。せめて私も共に、陛下の所へ連れていって下さい」
このままでは商会は潰れ、家族諸ともが奴隷に落ちるのだと訴えるアーサーを見て、クルバは鼻で笑った。
「何を笑う!」
「これが笑わずにいられるか。お前はフェーヤを奴隷に落とし、その利益で伸し上がった。冒険者ギルドも我々も敵に回してな。それを今度は助けてくれだと?」
「あの時のことは、狂愛の妖精王に頼まれたのだ。何度言えば分かる!
私が本当にお前たちを救う気がなければ、フェーヤブレッシャーを聖女に売りはしなかった!!」
「はは、今になればどうとでも言えるだろう。聖女に売ったとはいえ、フェーヤとヴィアの私財全て、それに我々のパーティー資金のほぼ全てが奪われた。
そうだな、昔の好でひとつ面白いことを教えてやる。女王は……」
「クルバ、止めよ!!」
「マスター・クレフ。何故?」
「人目がある。場所を変えるぞ。
アーサー殿もついて参られよ。
クルバ、落ち着け。そなたがフェーヤとヴィアに負い目を感じておるのは知っている。じゃが、それを理由に冷静さを欠いてはならない」
「…………申し訳ありません」
「お主はもう少しここにいておくれ。ダビデよ、わしの娘じゃ。すまんがしばらく相手をしていてくれんかね?
それと、知らない人に声をかけられてもついていってはならぬよ。悪い人々に売られてしまうからのう」
そう何度目か分からぬ忠告をダビデに送り、クレフは二人を引き連れて執務室へと去っていった。
「……犬妖精さん。哀しまないでちょうだい。
皆がみんな、同じように考えている訳ではないのよ」
へたんと垂れた耳を見ながら、奥方はダビデを慰めた。てっきり言い争いに驚き、己を奴隷にしようとしたアーサーに怯えていると思っていたダビデは、それは違うのだと首を振った。
「ボクは、犬妖精は名前をつけられても名を名乗れない事を知っています。主人となった相手が呼ぶ名が僕らの名前。
飢えも渇きも、奴隷としての哀しみも知っています。
だからこれ以上、同じ苦しみを味わう人は出て欲しくない。奥様、どうか、アーサーさんを一緒に連れていて欲しいと、クレフさんやクルバさんに頼んで貰えませんか?
ボクが望んでは行けないのですが、お嬢様ならきっと奴隷にならなくて済むように助けてくださいます」
「コボルドさんは本当に優しいのね。なら一緒に頼みに行きましょうか。旅の道連れは多い方が楽しいもの」
手を繋ぎ歩き出す二人を、居合わせた冒険者達は奇異の目で見詰めていた。
「さて、アーサーよ。そなた、本気か?」
執務室に入るなり、クレフが問うた。
「ええ、私に後はない。女王陛下にお取り次ぎを。役立って見せます」
「その女王がフェーヤとヴィアの娘であってもか」
冷たくクルバの声が響く。
「な?」
「これ、クルバ。それは機密事項と話しておったろうに。
まあ、話してしまったのならば致し方なし。そう言うことじゃて、アーサーよ。諦めよ」
自分が昔ハメた人間の娘と知り絶句するアーサーに、重ねてクレフは諦めるように諭す。そこに食堂で待っているはずの娘とダビデが現れた。
「さあ……」
優しく促されてダビデが一歩前に出る。
「あの、マスター・クレフ。マスター・クルバ。その人を共に連れていっては貰えませんか?」
「何故じゃね?」
「お嬢様は救えるはずの相手を救えなかった時に、落ち込まれます。それに奴隷を嫌っているお嬢様に、ボクらが新しい奴隷の誕生を見逃したとなればきっと叱られます。
どうか、お願いします。ボクを救ってくださった様に、アル様やオルさんを助けてくださった時のように、もしかしたら何か手があるかもしれません。お嬢様にお任せしましょう?」
コテンと首を傾げたまま訴えかけるダビデの瞳はどこまでも透き通っていた。
「お主、何故そこまでティナちゃんを信じられるのじゃ?」
「ボクはお嬢様のもの。お嬢様はボクの全て。
だからボクはいつでもどんなときでもお嬢様を信じます」
曇りのない微笑みで言い切られ、これ以上に質問をするのが馬鹿らしくなったクレフは嘆息した。
「まぁ、よいよ。
どうせ明日には境界の森へと移転する。ようやく本部から待っていた荷物も届いたしのぅ。
乗りかかった船じゃて。アーサーよ。明日、日の出と共に出発する。そのつもりでおれ」
「ありがとうございます! 良かったですね、アーサーさん!!」
喜色満面のダビデに対し、アーサーの顔色は悪い。ある種の死刑宣告を受けたかのような顔色で緩慢に頷いた。
「ああ、ありがとう。もしも、君を商う事になったら、出来るだけ良い先に買い取られるよう手配しよう」
「アーサー!!」
「クレフ殿、では私は明日の支度を致しますので一度この場を離れます。どうかお約束をお忘れなきように」
「ふん、遅刻したら容赦なく置いていく」
憎まれ口を叩くクルバを妻が諌めた。そのまま去っていくアーサーを見送る。
「…………ダビデJr.よ」
「なんですか? マスター・クレフ」
「お主、本当に良いのかね?」
「何がですか?」
「アーサーの事もじゃが、わしらだってお主の完全な味方であった訳ではない。それは気がついておろう?」
「もちろん、分かっていました。ボクを使って、お嬢様の国に連れていく人達をテストしていたのでしょう?
だから人目につく食堂でボクを働かせた」
「やはり気がついておったか」
「別にいいんです。時々は物を投げつけられたり、殴られたりもしましたけど、それは犬妖精の扱いとしては当然の事です。
お嬢様の国……いまだにお嬢様が国王を受けたとは信じられませんが、お嬢様の国の為になるなら、囮だろうと生き餌だろうとなんでもやります。
働かざる者食うべからず。ボクは食事を作ることしか能がないから、マスター・クレフの采配に感謝しています」
「かなわんのぅ。
では、明日、第一陣でお主の恋い焦がれるお嬢様の元へ向かおうの。色々と利用してしまった詫びじゃて、直接ティナちゃんと話せる場所はセッティングしよう。
そなたが本当にダビデかどうか、わしには分からん。クルバもそうじゃろう。
だから後はお主の腕次第。もしもお嬢様から放り出されたら、わしの専属料理番になると良い。Jr.の料理は旨いからの」
連れていってくれることに礼を述べたダビデは、その誘いには首を振った。
「ボクはお嬢様のものです。捨てられた時の事は考えません。
ようやく、本当にようやく、お会いできるんですね。お嬢様、どうかもう少しだけ待っていて下さい」




