173.箸休めー消えた赤鱗
「赤鱗の狼どもは何処へ消えた?!」
怒鳴る派遣されてきたゴリラ族の上官を遠巻きに見つつ、兵士達は危険が去ったと安堵の表情を浮かべていた。
「戦わなくて済んだか」
「助かった」
徴用された兵士達は小声で話し合っている。王都の神殿騎士団が主力とは言え、足らない兵士は各首長が民兵を貸し出していたのだ。
「さっきまでは確かにいたよな?」
「ああ先遣隊の連中はそれなりの出血を強いられたらしい。狼連中は仲間意識が強いからな。戦えない連中を逃がすためならどんなことでもしただろう」
「血の気の多い神殿騎士団の連中相手なら、少し血を失ったくらいでちょうどいいだろ」
誰かの返答で兵士達の中に抑えた笑いがさざ波の様に広がった。
「何を笑っておるのか!」
「はっ! 申し訳ありません。赤鱗の狼に勝利した事を祝っておりました」
耳敏い上官に叱責されて、直立不動となった民兵達は声を揃えて答えた。
それに舌打ちをすることで答えた上官は、唾を飛ばし怒鳴りつける。
「何が勝利だ! 逃げ去った狼が何処へ消えたのかも分からぬ!! 奴らは最後の一人まで狩り尽くさればならぬのだ」
「しかし、拠点を失い、信者達を失い、この獣人の国での立場を失いました。奴らを受け入れる国はありません。ゆっくりと滅びの道を歩くだけでしょう」
宥めるように副官の一人が上官に話した。
「それでも! それでもだ。赤鱗は滅ぼさねばならぬ。神器の行方も分からぬ。これでは教皇様へ顔向けできぬわッ!」
足音も荒く去っていくゴリラ族の背を冷たい視線が追う。民兵たちには周辺の探索が命じられた。
――――――数週間後。
「おい、聞いたか?」
赤鱗の騎士団本隊とそれに同行していた民達が消えた地点から、範囲を広げて探索していた民兵達の一部がこそこそと集まって話している。
「何をだ?」
「どこかで赤鱗の残党でも見つかったか?」
「あのくそゴリラ。手柄が欲しいからって、俺達に探索を命じて……」
「落ち着け。街から使者が来た」
「ん? 街?」
「赤鱗の街だ」
「撤退か?」
「おう。くそゴリラが荒れてたからな」
「赤鱗の掃討は終わったか。市民はどうなったんだ?」
「奴隷落ちだ。殺された連中も多い。
だが今はそれどころじゃない。今アツイのは冒険ギルドだよ、冒険ギルド」
「冒険ギルド?」
民兵の一人は権力闘争に不干渉を貫いていた冒険ギルドが突然でてきて、不思議そうな表情を浮かべた。
「冒ギルのお偉方から、全世界に向けて発表があったらしい。そのせいで、大規模な冒険者の移動が起きそうだとよ。俺達の国も例外じゃない。なんたって冒険者達への冷遇は有名だからな」
「冷遇と言っても、当たり前だろう。我々ワハシュの民は戦える。わざわざ冒険者に頼らずとも、民は民で、国は国で解決できる。なのに何故冒険者を優遇するんだ」
あんなやつら、社会から弾き出された不適合者の集団だろう。と、物知りだと言われているひとりが訳知り顔で言いきった。
「ああ、そうだな。だが、誰もがやりたがらない汚れ仕事やキツイ仕事は冒険者達に押し付けてきた。だからいなけりゃそれなりに困ったことになるだろう」
「だから何が起きたんだよ」
しびれを切らしたギャラリーからツッコミを受けて、噂を聞き込んできた兵士がもったいぶった雰囲気で話し出した。
「冒険者ギルドの長老議会からの通達はこうだ。『広域境界の森の一部が、数百年ぶりに゛解放゛された。解放された土地の女王は己の庇護下に入る新たな民を求めている。
解放地は未だ危険が多い。
この土地の資源を活用するために女王は冒険者への庇護を約束した。冒険者ギルドはこの新たな希望の土地に支部を作る事を既に決定している。支部には長老議会からも人員を派遣する。
新たな土地で新たな価値の下、強く美しい女王と共に未来を切り開く意思ある冒険者は、奮って参加せよ。これは未来に語り継ぐ新たな一歩となる。
なお移動に関しては冒険者ギルドの長老議会がバックアップをし、最大限の優遇する事を約束する』
これが何を意味するか分かるか?」
「新たな土地?」
「新たな民?」
「まずいな。……下手をしなくても世界中で戦いが起きるぞ。その解放された土地とやらは何処にあるんだ?」
疑問を浮かべたまま顔を見合わせる民兵達の中でも、世界情勢について知識を持つ一部はその発表が何をもたらすか予想がついたのだろう。渋い表情を浮かべて知らせを持ってきた仲間を見つめていた。
「広域境界の森とだけ発表があったらしい。なら場所は一ヶ所だろう」
「始まりの森か」
「まさかあそこは世界でも有数の危険地帯だぜ? 何処のバカが解放なんて……」
「だが、冒険ギルドが公式に発表したのならば事実なんだろう。場所は大陸中央、商業都市から北上した内陸部……か。我々の領土からは遠いが、今回解放された土地が豊かでかつ広大であれば、上層部も動くかもしれないな。今は何処の国も耕作地が不足している」
「難しい事をブツブツ話してるんじゃねぇよ。頭でっかちめ。それでどうなるんだ?」
「教皇一派にしろ、現国王にしろ野心家だ。この発表を聞いたら動くだろう。
おそらくこの戦争は終わりだ。影も形もない赤鱗を探していても、益はない。
時期までは分からないが、次は解放された土地を求めて戦うことになるかもな」
「最近、森の実りも減ってきた。もし豊かな土地があるなら……」
期待に目を輝かせる仲間に物知り民兵はため息混じりに否定する。
「解放された土地だ。解放した者がいる。そこを狙うならば、敵対することになるだろう。俺は戦いたくない。生きていたい」
「何言ってるんだ。出来たばかりの国だ。数で押し包めばすぐ降伏するさ」
臆病者と周囲に笑われながらも、物知り民兵は気にすることなく俺は行かないと言いきった。
それと前後するように、集合と撤退を知らせる角笛が鳴り響いた。
――――――――
【別視点 某所にて】
「御老が動いただと?! 何故事前に察知出来なかった!」
「申し訳ありません。グランドマスター。
ですが、電光石火の早業で……」
「世界に発表するのをそんなに早く出来るはずがないだろう!!」
言い訳を続ける腹心に、グランドマスターと呼ばれた男は執務室の机に置いてあった書類を投げつけた。
「やはり今年発動した、冒険者たちへのノルマ&ペナルティ制度への反発かと。それと同時に各国ギルドへの締め付けも強化しています。それが今回の御老への肩入れを招いたとしか思えません」
「愚かな! ならば俺のせいだとでもいうのかっ!! お前も冒険者ギルドを各国に帰属させる方向には同意していたであろうが」
「それでも、それでもです。
少し強硬に出すぎました。
ギルド本部の方針に従わぬ各支部ギルド職員の更迭。支部ギルドマスターの交代。上位ランクの冒険者達への締め付け。国の下部組織として認識させる為に行った数々の施策。
首輪をつけることを嫌がっていた冒険者達は、場合によっては大挙して新たな国へと身を寄せましょう」
「ならばどうすればいい!」
「締め付けを強化するしかありません」
「だがそれでは……」
しばし悩んだ腹心は、覚悟を決めたように話し出した。
「長老議会の誘いに乗った冒険者へは更なるペナルティーを。高ランクともなれば本人は何処へでも移動できても、妻子や弟子達は残りましょう。その残った者達に連帯責任で罰則を課すのです。
それで移動を諦める者も出るでしょう。
しかしこれを行えば、互いに歴史に悪名を残す覚悟をしなくてはなりません。それでもこの道を行きますか」
「無論。もう後戻りは出来ない。
この冒険者運営市国を作ったご先祖様には悪いが、このままでは我々にも冒険者にも未来はない」
「ならば共に泥を被りましょう。
冒険者ギルドグランドマスターとして、触れを出します。よろしいですな?」
「任す。文面は十分練ってくれ。
どうせ泥にまみれる名ならば惜しむことはない。最大の効果を…………。なんだ? ここは立ち入り禁止だと言っただろう?!」
打ち合わせの最中に、鍵をかけていた扉を強打され、グランドマスターは叫んだ。そのグランドマスターの視線を受けて腹心の男が扉を開いた。
「何事だ? 呼ぶまで誰も近づかせるなと命じたはずだぞ」
扉の前に立ち尽くしていた目をかけている職員に鋭く問いかける。申し訳ありませんと謝罪しつつ、職員は中に入ってきた。
「グランドマスター、書記長、お邪魔をして申し訳ありません。ですが一刻も早くお知らせすべきと判断いたしました」
深々と頭を下げる部下にグランドマスターは不快そうにため息を吐きつつ先を促した。
「本日、長老議会議長、クレフ殿が本部機能の一部移転を発議。これを議会は賛成多数で可決」
「おい!!」
「ギルドカードを作るアーティファクトの予備、知識のオーブの複製を本部とは別の場所に設置することを決定しました」
「な!」
「この決議は即時実行され、マスタークレフによりオーブ及びアーティファクトは持ち出されました!」
「馬鹿な」
「決議されたとしても、持ち出しには手順が……」
驚く二人の前で職員は悔しそうに唇を噛んだ。
「ギルド本部内でも長老議会派とされていた職員が一斉に動きました。やはり今年施行された命令が尾を引いていたようです。
持ち出されたアーティファクト等は、新たな解放地へと運ばれたと思われます。未確認の情報ですが、解放者はクレフ老肝煎りのSランク冒険者、リュスティーナだと言われています」
「何だと! 何故、今までそれが広まらなかった」
「長老議会側の情報統制が厳しく、我々にも伝わらなかったのです。ですが、やつらが今動いたと言うことは、用意が整ったのでしょう。
あの妖怪……次は何を仕掛けてくる気か」
悩み始めた腹心をグランドマスター叱責する。
「今それを悩む時はない!!
冒険者どもへ、長老議会の誘いを受けた際のペナルティーを徹底させろ!! 何とかして持ち出されたアーティファクトの奪還も計画せねばならない!
これ以上後手に回ることは許されないぞ。切り崩されるな」
「「はい!」」
返事をし慌てて飛び出していく部下を尻目に、グランドマスターは腕を組み宙を見上げた。
「さて、次はどう動く? 英雄の血筋以外で始めて冒険者ギルド本部のマスターに登り詰めた傑物か。
古き時代の遺物と思っていたが、なかなかどうして。……我々が勝つか、クレフ殿が勝つか。
さて、どちらを世界は選択することになるのだろうな」
苦悩の中にも何処か面白がっているような空気を滲ませたグランドマスターの独白を聞いた者は誰もいなかった。




