171.赤鱗陥落
移転して一番初めに感じたのは、焦げた臭いだった。一瞬遅れて視界が開ける。
「え?」
確かに私はジルさんの家へと移転したはずだ。それも一番印象に残っていたジルさんが謹慎していた倉の前を選んだはず。なのになんで何もないんだろう。
「リュスティーナ様!!」
私の名前を呼びながらアルフレッドが前に出た。鎧に何かが当たる金属音がする。
「狼が出たぞ!」
「赤鱗の残党だ!! 応援を呼べ!!!」
煙の先から複数の声がする。
「何が起きてるの?」
煙を切り裂くような笛の音が響く中、呆然とジルさんに問いかけた。
「ジルさん、私は移転を失敗したのかな?
なんで……」
「いや、ここは確かに俺の家だ……。何が起きている?」
怪訝そうな顔でジルさんは周囲を見渡している。
「リュスティーナ様、敵が来ます。戦いますか? 逃げますか?」
人が集まってくる気配を感じながらアルフレッドが問いかけてきた。
「……赤鱗の残党と言っていた。出来れば一人捕らえて尋問したいが」
「……今は逃げよう。飛行して別の場所へ。そこで誰か捕まえよう」
ジルさんが頷くのを確認して、町の外に一度移転しようとした。
「少し遅かったみたいだな」
オルランドがそういう言うと同時に、死角となる私の背後に飛び出した。
「ぐっ」
押し殺した悲鳴の後に、ドサリと人が倒れ込む。
「失敗したか?! 総員、前進!!
赤鱗の狼を討ち取れ!!」
その音は煙の奥にも届いていたようで鬨の声を上げて突撃してきた。
「来ます!」
背負っていた盾を構えるアルフレッドの警告と共に、最初の衝突が起きる。
「狼の残党だ!」
「人間もいるぞ!!」
「やはり赤鱗は人間と通じていたのかっ」
「ティナ!!」
ジルさんと一緒にいる私達を見て驚いた顔をした獣人たちの間にジルさんが立ち塞がる。
襲いかかってきた相手の服装に見覚えがあって反応が遅れた。
「王都の神殿騎士団か?!」
ジルさんが疑問を口にする。確かに青を基調とした制服は王都で私が囚われていた神殿の制服だ。
「愚問!! 愚かな狼の末よ!!
獣人の誇りを捨て去った異端の騎士団! そなたらを正すため、我らはこの聖戦に参加したのだ」
武器を交わしつつ神殿騎士団と会話する。うーん、状況が分からない。ここは全滅させるつもりで戦うか、逃げるかしかないか。
「ジルさん、アルオル」
全員の視線が私に集中したところで上空に移転で逃れた。そのまま気が付かれないように建物の死角となる場所へ連続移転する。
「何が起きているんだ?」
一時的な安全を確保して顔を見合わせる。
「ハニーバニー、あちらを」
周囲を警戒していたオルランドが壁際から大通りを指差している。
「な?!」
「神官……だな」
ブラブラと風に揺れていたのは犬耳の獣人だった。近くには前にイングリッドさんが着ていた巫女服をきた女の子も吊るされている。
「止めてください!」
「どうか、子供だけはお許しを」
別の裏通りからそんな声が聞こえてきた。
家族だと思われる集団が神殿騎士とその従者に囲まれて引き出されていた。
「愚か者共、正義の裁きを受けるのだ」
「異端の神に膝を屈した住人に慈悲は不要。死のみがそなたらの罪を雪ぐであろう」
高い柱にかけていた縄を、兵士に囲まれて恐怖で震える家族の首に巻く。
「リュスティーナ様」
「ティナ」
どうするのかと尋ねるジルさんたちに頷いた。
「敵に聞くよりも、住人の人に聞く方がいいよね」
「感謝する」
短くジルさんは呟くと完全獣化して大通りに飛び出した。呼子を吹こうとする従者へオルランドのナイフが飛ぶ。
「おおか……!!」
みなまで言わせずにジルさんが倒していく。囚われていた家族に向けてアルと一緒に移動した。
「ヒッ!……ニンゲン!!」
「大丈夫! 赤鱗の騎士の仲間です」
アルは騎士たちからの攻撃に備え、私が首に巻かれた縄を切る。
「騎士様!」
ジルさんの背後から狙っていた従者を見つけた息子が叫び声を上げた。
ちらりと一瞥するとジルさんは危なげなく始末している。
瞬く間に敵を制圧し、裏路地へと戻った。
「騎士様は何故こちらに? 本隊は既に街を脱出されたはず」
「長く留守にしていて状況が分からない。教えてもらえないか?」
ジルさんと私たちを見比べていた父親は、重い口を開く。
「首長が代わり、赤鱗の立場が日に日に悪くなっていったのはご存じのはず。とうとう赤鱗は偽神のものとされ、討伐隊が出されました。
本隊を初め、逃げることを希望した者たちは既に土地を捨て脱出しました。東の砦に向かったと言われています。
私達家族は、ご覧のように狼獣人ではないため、この地に残ることにしました。まさか我々ただの市民に武器を向けることはないだろうと、油断していたのです」
そこまで話した所で、子供達が泣き出した。
「あの者たちは、降伏した相手も許さず、神官様や巫女様は殺され見せしめに吊るされました。市民への暴力も止まず、我々は一縷の望みをかけてこの地に残った赤鱗騎士団に庇護を求めて、神殿へと向かっていました」
家族が見つめる先には小高い丘がある。前回訪ねた神殿がある方角だ。
「神殿には誰が残っているんだ?」
「第3師団の団長が、防衛を希望した500余名と立て籠っています。それもいつまで持つか……」
遠く爆発のような音がする。
「ティナ、本隊と合流すべきだ。彼らは見捨てよう」
首を振りジルさんはこのまま街を捨て、逃げた本隊を追おうと提案してきた。
「ジルさん、まだ赤鱗騎士団は抵抗しています。今ならまだ間に合うかも」
私の移転なら救出も出来るし、結界を張れば時間稼ぎも出来る。
「危険だ。ここで500を救うより、本隊と合流した方がいい。赤鱗は最大1万を誇る騎士団だ。効率を考えれば……」
「効率なんかくそ喰らえ」
ボソッと話したら、物凄く驚いた顔をして獣人一家に見つめられた。
「第3騎士団は伯父が率いていた。無様な最期にはならないだろう。ならば彼らが稼いだ時間で、本隊と合流したほうがいい」
「……我が騎士ジルベルト、命令よ。
これから丘の上で戦う赤鱗騎士団を救出する。手を貸しなさい。アルオルもそれでいいわね」
「我が君のご命令のままに」
間髪入れずにアルフレッドが頷く。怯えた様に私を見つめる獣人一家に笑いかけた。
「心配しないで。貴方たちは安全な場所に逃がすから。何処か当てはあるの?」
無言で首を振る一家を見つめて、半魔の隠れ里にあるレイモンドさんの家に移転させた。
通信機を取り出してレイモンドさんに一家の保護を頼む。
驚いたようだけれど、快諾して貰えて助かった。万一、一家の誰かが暴れても、レイモンドさんなら無力化も容易いだろう。
「さて……」
とりあえずの彼らの安全は確保されたから、意識を戦闘に切り替える。
「ティナ!」
「ジルさん、しつこい。ほら、行きますよ!」
今度は私が神殿に泊まった時の中庭に移転した。
「何者だ!」
移転の魔力に気がつき、駆けつけた騎士によって誰何される。
「ん……おまえ、ジルベルトか!」
そしてジルさんの顔を見て、驚き目を見開いた。
「今、帰還した」
短く答えるジルさんに相手は破顔したが、次の瞬間その表情を厳しいものに変えた。
「何故戻った。今、ここは死地だ。好き好んで古狼種の勇士が死ににくることもない。そっちの人間は魔法使いか? 逃げられるならすぐに逃げろ」
痛々しい包帯を見せながら警告を発する騎士に向かって、私は口を開いた。
「時間がない。貴方達のトップと話がしたい。
案内して欲しい」
「人間が何を」
「この方がリュスティーナ様だ」
気色ばんだ騎士にジルさんが静かに言った。その途端、弾かれた様に跪いた。
「ご無礼を致しました!!
師団長は正門にて敵王都神殿騎士団と交戦中です。すぐにも伝令を出し……」
「正門に向かおう。時間が惜しい。
ほら、騎士さんも早く案内して」
躊躇う騎士さんを急かして、正門にたどり着いた。アルが盾を構えて私を庇う位置につく。
「ティナ、あれが師団長だ」
ジルさんが指を指した先には、壮年の狼人がいた。年のせいか、元々なのか銀色に近い灰色の毛並みを血に汚しながらも、怯む事なく前線の指揮をとっている。
「ジルベルトか!」
師団長さんもジルさんに気がつき、私達の所まで走ってきた。
「このバカがっ! 何故今頃戻った。いや、その前にどうやってこの神殿内に入った。隣り合う騎士団の砦は既に落ちた。後はこの神子姫様の神殿を残すのみ。
神の地を最期まで守り、忠義は示す。お前ら若い者たちは逃げ延びろ。そして生きて神子姫様への恩義を果たせ!」
ガスガスと揺さぶりながら、師団長はジルさんに訴えている。
「俺もそのつもりだったが、主がそれをよしとしなかった」
「あるじ?」
怪訝そうな顔のまま、私に視線が止まる。空気の匂いを嗅ぐように何度か鼻を動かしたあと、師団長は崩れ落ちるように膝をついた。
「神子姫様!」
そのまま額づく勢いで頭を下げられる。
「私の名は神子姫じゃありません。リュスティーナといいます。師団長殿、私は今、貴方達が死ぬ事をよしとは思えません。
私の手を取る気はありませんか?」
住人は一人でも多いほうがいい。それに神子姫とやらの件で獣人の国で生きていけなくなったのなら、少しは責任を感じるし……。
「貴女様を祀る神殿すら守れなかった我らを惜しんで下さるのですか」
頭を下げたまま呟く師団長の肩が震えている。
「貴女様の望みでしたら、どのような事でも。喜んでおみ足の元に馳せ参じましょう」
一時的に神殿全体を結界で覆った。ただし上空の一ヶ所だけは開けてある。
とりあえずの安全を確保して生きている全員を集めるように頼んだ。怪我をして動けない人も多いと言われたからポーションも提供した。
師団長から全員が集まったとの報告を受けて、上空へと移転した。全員で300名程がまだ生き残っていた。街には非戦闘員が取り残されているけれど、彼らまで助ける余力はない。赤鱗騎士団が守っていた神殿の陥落と同時に、王都の神殿騎士団たちに良心が戻ることを祈ることしか出来なかった。
それまで敵を押し留めていた結界を解除する。
鬨の声を上げて雪崩れ込む神殿騎士団を眼下に捕らえた。にやりと笑った師団長は、突入してきた敵が神殿内部に入り込んだと同時に、何かのスイッチを押したようだ。
神殿全体が爆発して火柱を上げる。
驚いて師団長を見つめたら「神への冒涜は許しません」と笑われた。崩れ落ちる赤鱗の神殿を瞳の端で捕らえつつ、赤鱗騎士団の本隊が逃げた西に向かって移転した。本隊は西に逃げたらしい。
残念ながら西の地理は分からないから、視界が通るギリギリの上空へ移転する。何度も短距離移転を繰り返し、本隊を探した。
守護地の陥落に咽び泣く騎士達が移転酔いでそれどころではなくなる頃、赤鱗の旗が見えてきた。




