160.箸休めー残された者達
「なぁ、迷宮女王の噂を知っているか?」
「しんねぇ。なんだそりゃ」
騒がしい食堂の一角で、農夫だと思われる一団が声高に話している。1日の労働を終えたその顔は晴れやかだ。
「おめぇ知らねぇのか。今、ウワサのお助けレディだっぺよ?」
驚いた事に会話に参加していた多くの人々は知っていたらしく、知らなかった一人に面白可笑しく説明している。
「その娘っこだけんど、今度は岩石遺跡に出たらしい」
「マジだっぺか。オラはAランクの怒涛の追撃が碧水迷宮で助けられたって聞いたべ」
その後も、あっちのダンジョンでは王族が使うような部屋に救助した冒険者を泊めた。あちらの遺跡では壊滅しかけた冒険者パーティーを移転させた等々眉唾な噂話を披露している。
酒の肴にちょうど良いネタとして盛り上がっていた時、見馴れぬ青年が話に混ざってきた。
「失礼します。その話、詳しく教えては頂けませんか?」
「おう、キラキラした兄ちゃん突然どうしたっぺ? 今の話って迷宮女王のウワサか?」
テーブルに酒を差し入れしつつ尋ねる旅人らしき青年に農夫は答えた。それに補足するように連れの中年も続ける。
「最近あっちこっちの冒険者が助けられたやら、攻略を邪魔されたやら噂になってる正体不明の娘っこ。今度は何処に現れるか、商業都市で賭けが始まったって話だな。兄ちゃんは迷宮女王探しか? ダンジョンクイーンを捕まえれば、賞金が出るってホントなんけ? そんなら犬も連れてるしちょうど良いかもな」
差し入れられた酒を掲げて呵呵と大笑する中年男性に向けて、青年は微笑んだ。犬と呼ばれた獣は不服そうに鼻に皺を寄せた後、我関せずと床に伏せている。
「はい。是非にも女王を見つけるつもりです」
迷うことなく言い切る青年に、農夫たちは惜しみない声援を浴びせる。その頃しばらく情報収集に勤しみ、一段落ついたと判断した青年は、床に伏せ目を閉じていた犬と静かに佇む青年を連れて酒場を去っていった。
「へんな兄ちゃんだったなぁ」
「後ろに立ってた色男はひとっことも喋らねぇし、犬は気持ち悪いくらい静かだったな」
「おう、ありゃきっと貴族だっぺ。だが権力を傘にきない、なかなか珍しい貴族だな」
「うんだっぺな。気っ風のいい兄ちゃんだったし、ダンジョンクイーンをうまく見つけられるといいっちゃねぇ」
話を聞かせてくれた礼だと瓶ごと置かれた酒に手を伸ばしながら、農夫たちは口々に青年の幸運を祈っていた。
「……うまいこと噂を仕入れられましたね。まぁ、本当にティナ様であるかはわからないのですが。さて、どうしますか? ここから先を急ぐか、今日はこの村で休みましょうか」
酒場から出た青年は人気がない場所につくと、犬に話しかけた。
「先を急ぐ。ティナは移転が使える。飛行も出きる。地を歩くしかない俺達が休んでいては決して見つけられない」
「ふふ。ジルベルトならそう言うと思いました。では我らが主を見つけるまで、我々は足を止めることはない。それでいいですね。
あぁ、ジルベルト。ここは人間の領土です。犬扱いされても我慢してください。さっきは襲い掛かるかとヒヤヒヤしました」
「ふん。分かっている。獣人は奴隷種族だろう? だから完全獣化でおとなしくしていた。不愉快だがこれなら飼い犬だと思われるからな」
「少々迫力がありすぎますが、助かります。いちいち逃げ隠れしながらでは、旅も進みません。もし獣人の国にゆくことがあれば、私達が奴隷のふりをしましょう。ですから、狼の誇りはもう少し封じておいてください」
「ふん、当然だ。俺のプライドなどどうでもいい。主人を探すのが最優先。お前たちに会いに行ったのも、ティナの情報を求めてだ。だが同行するとは思わなかった。せっかく貴族に戻れたのに何故だ?」
「少々やり過ぎました。私にはやはり手綱が必要なようです」
獣の姿のまま、青年の声で話す狼に青年は苦笑を向けた。そのまま誰かを乞い願う瞳で空を見つめる。
同じく狼もまた青年と同じ方角を見て、空気の匂いを嗅いだ。
「さあ、行きましょう。我らが君に一刻も早く合流しなくては」
**********
ここではない場所。今ではない時間。因果律から解放されたとある場所にて――――。
「何故泣く?」
ひとつのモニターの前に張り付き、ずっと観察し続けている魂に興味を引かれたメントレは問いかけた。
「お嬢様が泣いているのです。ボクが死んであんなにお嬢様が悲しむなんて、思ってもいなかったんです。泣かないで下さい、お嬢様。どうか、泣かないで」
魂のまま嘆き悲しむソレを見て、メントレはため息をついた。確かに最近の客人は覇気に欠け、厭世的な空気すら漂わせている。夜にひとり泣く姿も写っていた。
仲良くしていた仲間とも別れ、ただ一人世界をさまよう姿を魂と一緒に見続けている思念体も最近は塞ぎ込んでいる。
「……戻りたいか?」
「帰れるんですか?!」
本来ならば決してメントレの口からは語られないであろう問いかけが漏れた。それに食いつくように答える魂は輝きを強くし、メントレの眼前に飛び寄った。
「本来ならぱお前の次の生はそれなりに良い生まれになる筈だった。恵まれた種族。豊かな家庭。理解ある両親。それらを全て無にしても、戻りたいか?」
魂の覚悟を問うように威圧を出しつつ問いかける。一瞬怯んだ魂だったが、メントレの言葉を待つようにそのまま浮いている。
「……もし戻るならば、輪廻をねじ曲げることになる。お前にも代償は払ってもらうぞ。
同じ大陸の何処かに生まれるのは約束してやる。
だが種族はまたコボルドだ。
また奴隷種族だ。
自力であいつの元に辿り着けるかどうか分からない。
蔑まれ、餓え、搾取される。
見た目も前と同じには出来ない。苦労をして戻ってもあいつはお前だと気が付かれないかもしれん。信じてもらえないかもしれない。嘘をつくなと拒絶されるかもしれない。
それでも、いや、そうまでしても戻りたいのか?」
淡々とマイナス面を話されても怯むことなく、その魂は頷いた。
「はい。ボクはどんなことをしてでも、お嬢様の元に戻ります。ボクだと気がついて貰えなくてもいいんです。
お嬢様の嘆き悲しむ姿をこれ以上見続けることなど出来ません。それにこんなお嬢様を残して、ボクだけが幸せになるなんて出来ません。
神様、どうかボクを戻らせて下さい。お願いします」
「分かった。ならばひとつお前の魂に預ける物がある。神授のアイテムを届ける為に、我、調律神メントレ、我が世界の因果律を曲げそなたを世界に戻す」
メントレの指先が優しく魂に触れると、魂の輝きが増し背後に扉が表れた。
ゆっくりと開かれていく扉に吸い込まれる様に魂は進んでいく。
「ありがとうございます!!」
神に対して礼をいい旅立つ魂に、共に画面を見続けた思念体は声をかけた。
「頑張って! どうかユリさんの所までたどり着いて下さい。どうかユリさんを、リュスティーナをお願いします」
最後まで聞き取れたのか不明だが、扉に吸い込まれて消えた魂をハロは祈りを込めて見送った。
「なんだ?」
主神を無言で見つめていたハロの視線に気がつき、メントレは問いかけた。
「何故、あの魂を戻す事を認められたのですか? 勇者の元に戻した魂には、対価を求められました。彼らは今、その対価を支払う為に命がけで戦っています。
それなのに何故あの魂にはあの程度で済ませたのですか?」
「ユリだからだ」
端的に答えるメントレに、ハロは噛みつこうと息を吸いこんだ。これ以上自分が世話をした魂が苦労をするのは見たくなかった。
「待て。ユリは不干渉を望んだ。そしてあれだけの危機であるにも関わらず、俺達に助けを求めようともしなかった。アイツの頭の中には、これっぽっちも我々の事などなかった」
命の危機になれば流石に助けを求めるだろうとの予想を裏切り、自身の力だけで切り抜け、世界の差し出す腕から逃げ去った転生者を思いメントレは遠い目をした。
「アイツは勇者よりずっと強い。そして汎用性もある。政治的思考もできる。必要とあれば誰かを切り捨てる選択をする強さもある。
やる気がないだけで、あの世界を救えるポテンシャルを十分に持っている。もったいないだろう?」
「だからと言って! 約束を破られる気ですか!?」
転生前に不干渉を約束したメントレにハロは強い口調で詰め寄った。
「約束は守っている。俺はユリには手を出していない」
「そんなのは詭弁です」
「ああ、分かっている。詭弁だな。神にあるまじき裏切りだ。だがあの世界にはもう余裕がない。救世主と支配者となり得る人材が次に揃うのを待つ余裕はない」
「まさか、そこまででは……」
「今回の客人達が最後のチャンスだ。これでダメなら全てをリセットする」
冷徹な管理者の視線となったメントレはユリの写るモニターの横に小さな画面を追加する。
そこにはボロ屋で横たわる妊婦の犬妖精が写し出されていた。
リクエスト頂いていた悪辣世界の年表を裏話に投稿済みです。簡単なもので不完全なものです。ご了承ください。
次からは四章 覇軍の女王編が開始されます。
悪辣女王のクライマックスとなる予定の章となります。




