156.暴れるな。こやつを死なせたくなければな。
光のほとんど射さない地下牢で刻々と時は過ぎていた。
私は乾いた唇を湿らせようと無意識に舐めるが、もう唾液すら満足に出なくなったようで粘つく感触がする。
「ティナさん、水を飲んでください」
ランダル君が乾いた咳を繰り返す私を見かねて、欠けたコップの底に残った最後の水を差し出した。
4日かかってようやく喉も治せたし必要そうなスキルの取得も出来た。後はチャンスを待つだけだ。
ランダル君に声をかけて貴重な水分を飲むことを断りたいが、誰かに私が回復していることを気取らせる訳には行かない。その為に目に見える外部の傷は痛むのを覚悟でそのまま自己治癒に任せたのだ。その時が来たときに二人とも無事で逃げられる可能性が最大になるように、ここは堪えなくてはならない。それに、ワットさん達のことも気になる。どうか何処かで無事にいて欲しい。
乾いて突っ張る頬を無理に吊り上げ、微笑みに近い表情を浮かべ緩慢に首を振る。これで何とか理解してくれるといいけれど。
頭を揺らすと目が回る。吐き気も強くなる。出来たら動きたくないけれど、今は仕方がない。
「でも、ティナさん! この四日でティナさんが口にしたのは、水を二口ほどです。このままじゃ死んでしまいます。どうか、飲んでください」
口元に押し付けられたコップから唇を湿らせる程度の水を啜る。水分を求める強い欲求を押し殺し口を放した。
この4日。正しくは捕らえられてから5日になるか。食事が運ばれてきたのは3回。水も同じく3回で小さめの水差しにひとつだった。食事の量も少なく、長く続けば明らかに餓死するレベル。その前に渇き死ぬかな? 地下らしく滲み出る泥の混じった水分を集めて舐め、ランダル君は渇きを堪えているようだ。
私の身体は今、半冬眠状態となっている。魔力を操り最大限生命維持活動を低下させた私の分の水や食料も、ランダル君へと渡したがそれでも彼は飢えと渇きに苦しんでいるだろう。
ランダル君へとありがとうと伝えるつもりで唇を動かし、私は地下牢の出入口を睨み付ける。今回、私がはっきりとした意識を取り戻したのは、マップに近付く人影を見つけたからだ。
「ティナさん?」
不思議そうにランダル君が私の名前を呼ぶけれど、答える術はなかった。
程なくして地下牢の扉が勢い良く押し開かれた。神殿騎士達が抜き身の剣を片手に雪崩れ込んでくる。怯えているけれどそれでも私を庇うように、騎士たちとの間に立ち塞がったランダル君は剣の平で殴打されて地に臥した。
「おや、まだ元気そうですね。普通ならこれだけ水と食料を減らされれば、意識を保つのも大変でしょうに」
数日前の司祭が私の顔色を見て、不思議そうに首を捻っている。取り押さえられたランダル君を見て答えは返ってこないと判断した司祭は、騎士のひとりへと指示を出した。
「……ッ!!」
突然吊り下げられていた鎖が弛み、地面に叩き付けられる。悲鳴が漏れそうになったけれどなんとか堪えた。
「動くな」
身を起こそうと手を突っ張った所で、神殿騎士のひとりが私に近付く。面前に突き付けられた刃が松明の光を浴びて光っている。この人数なら体術だけでも倒せるかと、隙を窺う。
別のひとりが私の背後から近づき、首に何かを巻き付け力一杯締め上げた。傷口に擦れ、激痛に息が詰まる。堪らず身体をくの字に折れば、舌打ちの音が頭上から響いた。
「急ぎなさい」
感情が感じられない冷たい司祭の声が遠くに響く。
「暴れるなよ? こいつを死なせたくなければな」
いつの間にか手首に鎖が巻き付き胸元より上まで続いている。首に冷たい感触があるから、ぐるっと一周回って拘束しているのだろう。
こいつと言われてランダル君を見る。両脇から騎士達に両手を持たれ引き上げられていた。
「この鎖の効果はお前に掛かっていた魔封じと同じだ。魔法を使えばこいつが死ぬ。分かったな」
抜き身の剣を向けられたまま、私を囲んだ兵士たちの移動に合わせて歩き出す。警戒しているのか誰も近付いてこない。騎士を人質にするのは無理そうだ。
――鑑定。
鎖を鑑定したら騎士が話した通り、牢の中と同じ機能を持つアイテムだった。だがこっちの方がランクは落ちる。普通の人なら無理だろうけれど、私の魔力を暴走させればランダル君の方に影響を及ぼす前に壊せるだろう。ただしタイミングを見てやらなければならない。ランダル君の安全を確保しなくては、私が自由になった途端に殺されかねない。少なくとも抜き身の剣を向けられている状況では危なすぎて出来ない。
幾らかでも警戒が緩む事と、長く冬眠状態で釣り下がっていたから固まった手足に血流が戻るのを待つために大人しく従う。
久々の太陽に目を細める。荷馬車の上に設置された太い木の枝を組み合わせた檻に入る。馬車にも檻にも妙な細工はない。
檻の外、荷馬車の後ろにランダル君が縛られて乗ってきた。甲高い鐘が鳴り荷馬車が動き出した。
前後には神殿騎士が囲む。ゆっくりと進んでいると、憎悪と少しの好奇心を覗かせた若い神官たちが両脇に立っていた。
「呪いの首謀者!」
「兵士を殺した殺人者!」
「我らが神殿を冒涜した異端者!」
口々に罵られ、拳を突き上げられる。何一つ心当たりはないけれど、どうやら私はこの国を呪った犯人で殺人者で異端者と言うことになったらしい。
人々の熱気に怯えるランダル君は少しでも目立たないようにと頭を抱えて小さくなっていた。
神殿から外に出て大通りを引き回される。道行く人々に向けられる悪意はもっと直接的で、そして暴力的だった。
「罪人に死を!」
「殺せ!」
「苦しませろ!!」
罵詈雑言の中に死や消滅を願う声が混じる。兵士たちが荷馬車の周りを囲んでいるとはいえ、中には突破する人々もいた。石を投げられ、檻を揺すぶられ、腐った野菜や果物の的になる。
私たちの行列の後ろをついてくる王都の民の数はどんどん増えていった。民衆を盾にして逃げるべきか。それとも人が減るのを待つべきか。これから何をするのか知らないけれど、裁判くらいはあるだろう。
荷馬車が進む先には緑と花に覆われた低い丘があった。ただそこにも黒山の人だかりが出来ている。
頂上の広場には天幕が張られている。頂上を囲むようにたてられた旗は5種類。その中で最も豪華で数が多いのは、青地に星だろうか。白抜きの模様が綺麗だ。近付くにつれ民衆は人混みに飲み込まれていく。
「罪人をこれへ」
真紅に金モール、そして四方の支柱は全て純白に金細工で飾られた天蓋の近くに引き出される。
差し掛けられた天蓋の下にはこれまた豪華な椅子が置かれていた。椅子に座った法王は王宮で見た物より更に派手な法衣を身にまとい、私を尊大に見下ろしている。
「罪人よ。そなたの罪は明白である。我が国の無辜の民への呪い。兵士への傷害及び殺害。そして神々への不敬。何か申し開きがあるのならば、言ってみろ」
お付きの神官が私に対して問いかける。喉を潰しているから、もし反論したくても何も話せないとニヤニヤ笑いが誤魔化せていない。
「お待ちなさい!」
口を開こうと思ったら横合いからご婦人の声がかかる。
「王妃様」
「これは妃殿下。何事で御座いましょうか?」
「その娘を断罪することは許しません。その者は我が王家の招聘を受け参った娘。そしてこの国を救う手助けをしてくれた娘です!」
ドレスに身を包んだ王妃様は護衛の騎士たちを引き連れ私に近付こうと歩みを進める。だが神殿騎士達が進路を塞ぐように立ち塞がり、歩みを止めた。
「猊下?」
咎めるように呼び掛ける王妃に対して、法王は沈痛な表情で首を振っている。
「残念ながら妃殿下、この者の罪は明白。そしてこの国を、無辜の民を救うと言うのならば、今ここで救って頂きましょう」
「……分かりました。では、これを」
そう言って手を伸ばす王妃様に近くにいた女官が小瓶を渡す。中にはピンクの砂状の物が入っているようだ。
「それは?」
「これはサユース殿がお作りになられた中和剤。その娘が持っていたアイテムで作られたものです。これを使えばこの国に掛けられた呪いは解けます」
「まさか! そのような……」
そう話ながら中和剤を受け取ろうとした神官の腕を避けて、王妃様は一歩後ろに下がった。入れ替わるように王宮騎士達が前に出る。
「それはっ!! 何故、それは赤鱗がない限りは作れぬと……」
ひとり中和剤を凝視していた法王が神託を使ったのか一度輝いた後に、驚愕に目を見開いた。
「皆の者! 良く聞くのだ!!
それは我らを神々と繋いだ使徒の遺物を使いしモノ!! その様な不敬、神々が許さぬ。我らがワハシュの遺宝を盗み、中和剤へと変えた罪人を許してはならぬ!!
これは異端である!!!」
血相を変え唾を飛ばして熱弁する法王と、私を擁護する王妃との間で言い争いが起きる。双方の護衛は手を剣に伸ばしている。
周囲にいる人々は最初何のことか分からずにキョトンとしていたけれど、次第に神々の遺物を私が奪ったのだと知らされて怒り始めた。
これ以上は駄目だと私が声をあげようと息を吸う。
「待って! 話を!!」
数日ぶりに出した声は掠れていてお世辞にも聞きやすいものではなかった。それでも私を拘束していた騎士達には十分を聞こえたらしく、驚きが押さえつけられた両肩を通して伝わってきた。
「……娘! 何故?!
その喉は潰したはず!!」
「今、何と言ったのです!?
娘の喉を…………」
「異端者を台に拘束し掲げよ!!」
私が話せると知った神殿側が慌てて処刑台に拘束しようと動き出す。首の後ろにある鎖を握られて、引き摺られながら抗議してくれている王妃様の声を聞いた。
「お前たち、お止めなさい!!
神殿はその娘に全ての咎を押し付ける気ですか!! そなたらは我が身かわいさに民の安寧を捨てる気ですか!!」
猛抗議する王妃様を神殿騎士達が取り囲んでいる。
「神よ! この娘の罪をお許しください。大いなる慈悲をもち、異端者に救いを」
悲鳴と怒号が交差する中で私に向かって二本の槍が突き出される。
――――チャンスは今!
私はこの5日の間に身につけたスキルを作動させた。脇腹から反対側の肩に向かって貫こうとしていた槍は、私の皮膚を貫く事が出来ずに硬質な音をたて弾かれた。
「な?!」
驚いて自分の持つ槍と私を交互に見る処刑人の顔をニヤリと笑って見つめた。
スキル『硬気功』
ひたすらに身体を硬くするスキルだ。どこまで硬くなるかと言うと、強化ガラス程の硬さらしい。
周りが驚いている間に魔力を暴走させて首にまとわりついていた鎖を壊す。ランダル君はと見れば、何事もなく無事にいる。何はともあれ彼の安全を確保しなくてはと思って、移転させようと人垣の途切れる場所を探し遠くに目を転じた。
――……なんだありゃ?
丘の周囲を包囲するように黒地に黄色の一本線と、白地に歪な赤丸の旗が立ち上がっている。旗が立つのが合図だったのか、こっちに向かって獣相化した男達が一斉に走ってきている。犬っぽい人が多いが熊やら猪やら猫やら様々な人がいる。
ひときわ目を引くのは、カバほどの大きさの狼だ。最も外側から走ってきているバカデカイ狼は、勇猛果敢に止めようとする騎士たちを振り切りどんどんこっちに向かってきていた。
大迫力で予想外の光景に、逃げるのも忘れて見入ってしまった。これが俗に言う目が点状態なのだろう。
――……ビーストテイマーでもいるのかな?
うっかりとそんなのんびりしたことを考えて、私は逃げる千載一遇のチャンスを逃すことになった。




