155.大人しくしていてくださいね
時は少々遡る………………。
――――喉が痛い。
意識が戻って一番最初に感じだのがそれだった。痛みがあるってことは死んではいないんだろう。見知ったハロさん達もいないし……。
目を閉じたまま現状を確認する。
遠くで剥き出しの地面を複数の人間が歩く音がする。
臭いは慣れたのか、そもそも何もしないのか。微かに湿気った空気を感じるだけだ。
両手はそれぞれ斜め上に持ち上げられ、全体重が肩と手首にかかっている。
足は何処にもついていない。
痛みは?
頭部と喉。それに膝でも擦りむいたのか、チリチリとした痛みを感じた。
拘束されていることに間違いはなく、手当てもされていないのだろう自分の置かれた状況を知り、目を開けないまま自分自身に鑑定技能を使う。
――……状態異常・魔封じ。
この状況では致命的な異常が私の身に起きていた。そのまま詳しく鑑定していく。両手の枷が原因か……。
次にマップだ。魔封じは魔法を封じるだけのもの。私のスキルは無事だ。助かるよ。
ここはまだ王都の中。私が一番始めにこの都市に来たときに出た神殿内部。その地下。室内に見張りはいない。廊下には巡回中の人員がいるようだ。
ゆっくりと警戒しつつ目を開けた。薄暗い室内の床には、不思議な模様がある。痛みを堪えて天井に目をやれば、対になるようにそちらにも装飾があった。装飾と一体化するように、私を拘束する枷に繋がる鎖も天井に消えている。
「……?! ……!!」
独り言と呟こうとして、声が出ないことに気が付いた。そして動かそうとしたせいか、喉が焼ける様に痛む。咄嗟に治癒魔法を使おうとして、魔力を活性化し外へと漏らしてしまった。
――……しまった!
後悔してももう遅い。
私の魔力に反応した枷は、即座に魔力を吸収しそれを用いて私の身を痛めつける。
雷撃と空気の塊による殴打。拘束されている私では防ぎようがない。なされるがままに揺れる身体で成す術もなく痛みを堪える。
喘鳴だけが虚ろに部屋に響いている。
「おや、お目覚めですか」
そんな声がして、私の左手にある扉の鍵が外されたようだ。程なくして二人の人影が入ってくる。
「こんばんは。人間のお嬢さん」
「……」
「あぁ、喉を潰しました。無理に返事をしようとしないで下さい。痛むだけです。それともうお気づきでしょうが魔法は禁止です。この陣は我々の総力を上げて作った魔封じです。通常以上に魔力を放出するだけで作動します。
クスッ、もう実体験済みですか。これ以上痛い思いをするのは嫌でしょう? 大人しくしていて下さい」
「あー……司祭様、多分ティナさんはそんな事じゃ諦めないですよ」
部屋の入り口の影になる場所にいたもうひとりが声を上げた。聞き覚えのある声に驚いて、必死に一目見ようと首を伸ばす。
「ピン、無礼な口を叩ける立場か分かっているのか?」
「そう言わないで下さい。僕は仲良くしていましたから、ティナさんがどんな人か知っています。ただ魔力を封じて拘束したくらいで諦める人じゃない。接近戦もそれなり以上に出来る一級の戦士です。だから釘は早目に刺しておいた方がいい。逃げられちゃいますよ」
苦く笑いながら近づいてきた相手の顔をみて、不覚にもほっとしてしまった。
見馴れない服装に身を包んだピン君だ。私を殴り倒した騎士達の制服に良く似ている。左の袖口から白い包帯が覗いていた。
「あ、これですか? 大丈夫ですよ、ティナさん。大して痛くもないので気にせずに。それよりも自分の心配をしてください」
私の視線を追いそれを気にしていることにきがついたのだろう。にこりと笑ったピン君は私の目の前で怪我をしている手を振る。
「ティナさん、ご自分の置かれた現状を分かっていますか?」
問い掛けられて首をかしげた。確かに何が起きているのか分からない。
「僕らの殺害。そして去ったサユース殿の客室で見つけられた呪いの触媒。ついでに神殿騎士への暴行。諸々の罪を被って貴女は処刑されるんです」
驚いて目を見開く私に、ピン君はごめんなさいと謝った。悪びれのない笑顔のまま、廊下に声をかける。外で見張りをしていた騎士がひとりの奴隷を引きずって入ってきた。突き飛ばされて両手をつく相手を見て、私を拘束する鎖は大きく揺れた。
――ランダル君!!
血の気の失せた顔ですがるようにこっちを見るのは、私のお世話をしてくれていたランダル君だ。
「人間の枷にするなら、人間を。本当はティナさんを薬剤師さんって呼んでた人が良かったんですけど、王宮から奴隷といえども奪うのは難しくて。ランダルですみません」
天井から釣り下がった鎖をランダル君の首に回し、錠をつける。
「あ、これですか? ティナさんは優しいから奴隷といえども、見殺しにはしないと思ったんですよ。だからティナさんの魔封じとランダルの鎖を連動させました。見ていてくださいね」
そう言って私の腕に繋がる鎖へと弱い魔力を流す。私の身体を雷撃が襲い、ランダル君の首に巻き付けられた鎖は一気に絞まった。呼吸が出来なくなったランダル君は床に身を投げ出して、両手で鎖をゆるめようと掻き毟っている。
「まぁ、こんな感じです。って聞いてますか?」
私の後頭部を持ち上げて苦しむランダル君を見せながらピン君が確認してくる。司祭と呼ばれた男が止めるまで、クスクスと耳もとで笑っていた。
何故? それだけが頭の中に回る。
「どうしてって顔をしてますね。忘れましたか?
僕は貴女の国に捕らえられ地獄を見たんです。仲間達も無惨に殺された。命からがら戻ったら戻ったで、自国の人々から蔑みの目で見られる」
笑顔が消えて無表情になったピン君に間近から覗き込まれた。私たちの異常な雰囲気に呑まれてランダル君は声もなく喘いでいる。
「ねぇ、ティナさん。弱い者こそ残酷になれるって、僕は貴女の国で教えてもらったんです。大切なことを教えてくれてありがとうございます」
優しい笑顔のまま強く髪を鷲掴みにされた。頭皮と傷口が引っ張られて痛い。ぬるっとした何かが流れる感触がして、頭部から液体が伝う。
ピン君の指についたのは赤い液体。私の血だろう。
「……それくらいにしておけ。それよりも、逃げた3人はお前の責任できちんと始末しろ。出来るな?」
「もちろん。僕はレッサーパンダ族の勇士ですよ。狐や鼬に負けるわけがない。逃げられたのは予想外でしたけど深傷は負わせました。必ず見つけて始末します。それよりもワット……猪がどこに消えたのか。神殿でも追ってください。奴らが世間に見つけられれば厄介なことになるのは、司祭様だって一緒でしょう?」
ニヤリと笑ったピン君へ、司祭が腰から下げていた細い皮鞭を振り下ろした。痛みに顔をしかめながらも逆らうでもなく、庇うでもなくピン君は苦く笑いながら司祭を見つめている。
「あれ? もう良いんですか? これくらいじゃ効きませんよ。貴方の叱責に泣いていた見習い時分とは違うんです。僕はもっとずっと酷い目に合ってきたんですから」
肩で息をする司祭にピン君が笑いかけている。酷く歪んだ泣きそうな笑顔だった。
全てが見ていられなくて顔を背ける。
「まぁ、良い。では人間の娘よ。お前の世話はそこの奴隷に任す。
奴隷よ、その娘が魔法を使えばそなたは先程と同じ苦しみを味わうことになる。そしてもしも我々が迎えにくるまでにその娘が死んだ場合、お前も死ぬ。四、五日で舞台の準備も出来よう。せいぜい死なぬように大人しくしておれ」
舌打ちしながら去っていく司祭と笑顔で手を振るピン君を見送る。
「あの、ティナさん」
足音が聞こえなくなってしばらくしてから、吊り下げられたままの私に恐る恐るという雰囲気でランダル君が話しかけてきた。
声を出すことが出来ないから、視線で何? と問いかけた。
「大丈夫ですか? そのかなり酷く痛め付けられて……」
ランダル君の視線は私の喉に固定されている。そう言えばいつの間にか装備を剥ぎ取られて、麻袋に穴を開け被ったような囚人服に着替えさせられていた。ランダル君の位置からならば私が今どうなっているのかわかるのだろう。出来たらローアングルから覗くのはやめてほしい。色々と破廉恥なモノを見せてしまいそうだ。
「…………………」
パクパクと口を動かして何とか言葉を伝えようと頑張る。
「え、ご……めん。だい……じょうぶ、ですか?
はい、僕はこれくらい慣れてますから。それよりもティナさんこそ……」
心配そうに見つめる顔にせめてもの笑顔を向ける。私もランダル君も拘束されている。そして魔法は使えない。助けが来るとも思えない。そもそもそんな相手はいない。
冷静に考えて結構絶望的な状況じゃないか。乾いた笑いが漏れた。喉が酷く痛む。
……冤罪をかけられて死ぬのか、私は。
今更ながら身体が恐怖で震えてくる。死ぬのか、私はまた。前回は訳も分からずだったが、今回は時間がありそうだ。その時までこの恐怖と向き合えというのだろうか。
……でも私が諦めたら、ランダル君までおしまいだ。ピンの狂った態度、司祭の私たちを見つめる冷たい視線。例え私が大人しく従ったからといって、奴らがランダル君の無事を保証するとは思えない。私は仕事に失敗した冒険者だから、まだいい。でも非戦闘員の命がかかっているなら、諦める訳にはいかない。
――――今の私でも出来ることをする。
そう覚悟を決めて視界からの情報を遮断するために目を閉じた。ランダル君が動揺しているけれど、声の出ない私では慰めることも出来ないだろう。
慎重に魔力を動かす。身体の外に出さないように、少しずつ……少しずつ。魔力を治癒の力に変換してゆっくりと患部を治していく。
やっぱりだ。枷は体外に魔力を放出しなければ反応しない。身体を治すだけならば、時間はかかるが問題なく出来る。
次にマップを開き、危険が近付いてこないか常に確認しなくては。牢番やさっきの司祭、それに……ピンには注意しないと。
他には? 私は今の現状を打破するスキルを持っていないか。余らせたポイントで何か出来ることはないか。
混乱から脱して痛みを訴え始めた四肢から意識を反らし、私は思考の奥底へと沈み込んでいった。




