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154.箸休めー会うことを赦されるのだろうか

 

 鈍い音が脳内に響く。目の前には怒り狂った従兄の瞳がある。久々に獣相化している姿をみた。


 冷静になって今の自分を観察すれは、喉元を締め上げられ壁に叩きつけられたのだろう。息苦しいし背中も頭も痛い。昔から直情型だったが悪癖は治らなかったようだ。


 俺を掴む二の腕を叩き手を放して欲しいと訴えた。


「何故だ! 何故お前は俺達に伝えなかったッ!?」


 俺の訴えを無視して耳元で怒鳴られ眩暈がする。


「あー……団長。それ以上絞めると堕ちます。一度手を放してやって下さい」


 暗くなってきた視界の端に困ったように頭を掻くエッカルトの姿が見えた。


「ゴフッ……ゲッ……。一体何なのですか?」


 従兄弟とは言え相手は赤鱗騎士団の団長だ。昔の様な口調では話せない。咳き込みながらも礼儀正しく問いかける。


 ティナの所にいた約2年。1日三食食べる主に付き合って食事をしていた。それにすっかり慣れた身体は、時間になると空腹を訴える。今はちょうどその時間帯だ。


 家に戻ってから本来の2食となり、謹慎中で外に出られない俺に、朝晩誰かが食べ物を運んでくれている。それ以外に珍しく扉の鍵を外す音を聞いたと思い、目を上げたら怒りに牙を剥いた二つ年上の従兄弟に壁に叩きつけられていたのだ。


 丁寧な口調を心がけても、何処か不貞腐れた雰囲気は残ってしまったのだろう。振り上げられた拳が目の前に迫る。


 殴られてやる謂れはない。左手1つで軽く受け止めもう一度問いかけた。


「お前はッ! あの方が神子姫様だと知っていたのだろうがッ!!」


 一度俺に簡単に攻撃を防がれた事に目を剥いた後、フォルクマーは胸元を掴み揺さぶりながら責め立ててくる。


 昔は年の差もありまったく歯がたたなかった相手だか、この2年、ティナと共に戦い種族進化を果たしたことも大きいのだろう。怒りを向けられても昔ほどには危機感を感じなくなった相手を無理に椅子に座らせた。


 謹慎場所として籠っている倉だ。当然座り心地の良い椅子ではないし、その椅子もひとつだけだ。副官の熊獣人のエッカルトには近くにあったベッドに腰掛ける様に勧める。


 断って入り口近くに立ったエッカルトを横目に、俺は適当な木箱を引きずってきて埃を払いフォルクマーの目の前に座った。


「ジル! お前は何をそんなに落ち着いている!!」


 俺を昔の愛称で呼ぶ、激昂する相手に苦笑を向けた。今では俺をそんな風に呼ぶのは、家族と幼馴染と……俺を捨てた主だけだ。


「フォルク兄ぃ、一体何をそんなに動揺してるんだ? 神子姫様と聞こえたが」


 宥める俺を睨み付けたフォルクマーは苛立たしげに身体を揺すり、胸元から水筒を取り出した。味見程の量を蓋に取ると、無言で俺に差し出した。


 保温と状態保持の魔法がかかった水筒から取り出されたそのスープからは、まだ別れたばかりであるにも関わらず、酷く懐かしい匂いが漂ってきている。


「何故それをフォルクが持っているんだ? その匂いはティナの……」


「飲め。大事に確認して飲めよ」


 俺の疑問には答えずに、据わった目付きで目の前に突き出された皿を受け取り舐める様に飲み込む。間違いなく俺を廃棄した主の手料理だ。


 ほんの数回しか口にすることはなかったが、主の故郷の調味料の薫りがする。


「間違いなくティナの手料理だが?」


「お前は! そのスープを飲みながら今まで気が付かなかったのか!! この一族の面汚しが!!」


 何故か激昂する相手を冷めた瞳で睨んだ。


「だから、何を」


「それは、我らが代々引き継いできた『神子姫様の薫り』だろうがッ!!」


「は? 何を言って……」


「団長?」


 エッカルトも俺と同様にポカンと間抜けな顔をしている。副官も今初めて聞いたんだろうな。


 フォルクマーに振り回されているであろう相手を憐れみの視線で眺めていたら、正気に返った本人に指の関節を鳴らしつつ凄まれた。


「ジルベルト、俺を憐れむとは良い度胸だな?

 ヤるか?」


 昔、俺達の訓練教官だったエッカルトに慌てて首を振った。熊族らしく攻撃は重く体力がある。特別訓練でも課されれば、謹慎で鈍った体に堪えるだろう。


「……こいつの鍛え直しは必須だろうな」


 団長の顔になったフォルクマーの無慈悲な一言で寒気が過る。


「だがその前に、ジルベルト、お前は年に一度の継承の儀をもう随分行っていない。だから神子姫様の薫りも薄れてきているのだろうが、よく思い出してみろ。産まれた時より毎年魂に刻まれ続けた薫りだ。忘れたわけではないだろう?」


 どうやら俺が本気で分かっていないと判断したフォルクマーに憐れみすら込められて言い募られた。瞳を閉じて最後に継承の儀を行った時に感じた匂いを思い出す。当主に近い血筋の狼獣人であればあるほど強く感じるという、その薫りの記憶は既に遠く曖昧だ。


 しばらく記憶を探り、鼻孔にふわりと血と魔力と不思議な薫りが満ちた。


「………ッ?!」


 突然震えだした俺をエッカルトが不思議そうに見ているが、今の俺にそれに構っている暇はない。


 フワリと甦った血の匂い。慣れ親しんだ魔力の温かさ。そして何度か口にした調味料。その全てが押し寄せひとつとなり俺を圧倒していた。


「どうしてこんなにあからさまだったのに、俺は今まで気が付かなかったんだ? いや、それよりも何故俺は、ティナの血の味を知っている? ……ああ、あの時か、出会った時。ダビデが怒っていた骨まで露出した……」


 呆然と呟く俺の頬をフォルクマーが平手で叩いた。ダメージはほぼない。過去の記憶と狼獣人が受け継ぐ太古の記憶に呑み込まれた俺を正気に返すためやったのだろう。焦点の合った視界には、怒りながらもこちらを心配する獣相化を解いたフォルクマーがいた。


「分かったか、このバカが」


「すまない。間違いない。この薫り、あの血の匂い、身体を巡る魔力の温かさ。間違いなく、ティナはあのお方だ」


「血?」


 何故血の匂いを知るのかと問うフォルクマーに俺達の馴れ初めを語って聞かせた。


「このッ! 大バカ者がッ!!」


 初めて会ったときに噛み付いた話をした途端に今度は本気の殴打を受ける。木箱から落ちた体勢で殴られた頬を擦っていたら、壁際ではエッカルトは頭を抱えていた。


「団長? その、先日来たあの人間が神子姫様とは、本気なのですか?」


「ああ、昨日遠征から戻られた叔父上にも確認してもらった。リュスティーナ様は神子姫様だ。間違いはない」


「それは……。人間が神子姫様と言うことですか」


 複雑そうに呟くエッカルトをフォルクマーは不快そうに見つめている。


狼獣人(おれたち)以外は匂いで判別することは出来ないからな。叔父上とも相談し、この話は我々一族と赤鱗の一部のみに知らせることとした。今はまだ口外するな。

 折を見て追々広めていくが、まずはリュスティーナ様をお迎えに行くのが先決だ。人選は叔父上に任せてる。

 俺はお前を迎えに来た。ジル。いや、赤鱗騎士団正騎士であるジルベルトよ。お前の見つけてきた我らが救世主を迎えにいく。共に来い」


「いや、俺は……」


 団長の表情で俺に命じてきた相手の手を取ることが出来ずに逡巡(しゅんじゅん)する。


 ――ジルさんさえ、邪魔をしなければ!!


 涙に濡れ俺を責め立てる主の声が耳に木霊する。あの時にティナは俺を捨てると決めたのだろう。それなのに……主人とは関わりのない所で幸せになれと命じられた俺が迎えに行っても許されるのだろうか。


 ティナが神子姫様だと知った今でも、あの時の行動が間違っていたとは思わない。だが嘆くあの顔。ダビデの死以降、一度たりとも憂いのない笑顔を見ることは出来なかった。それどころか必死にいつものティナを装いつつも、俺たちが見ていないと判断した場所では、常に自分を責め苛む暗い瞳をしていた。


 会うことを赦されるのかと、悩む俺に不可解そうな顔をしてフォルクマーは口を開こうとした。そこで外から複数の足音が響く。


「団長! 失礼致します!!」


 何事かと全員で入り口を見ていたら、親戚のひとりが飛び込んできた。俺達と愚かな先祖を同じくする騎士団員だ。


「何事か」


「第二師団の団長より火急の言伝てです!

 王都にて、リュスティーナ様が王都中央神殿に捕らわれました!!」


 切迫した雰囲気のまま身を乗り出す様に報告され、全員が耳を疑った。


「罪状は!!」


 俺達の中で最も早く回復したエッカルトが鋭く問いかける。


「兵士殺害と、呪いの首謀者としてです。

 神殿は審問等はせずに処刑を発表。3日後、オルダバンの丘で執り行われるとの事です!!」


 大々的に王都で知らせをしているらしく、それを知った連絡のため常駐している赤鱗騎士が通常報告に混ぜて伝えてきたと続けられる。


 赤鱗騎士団員には、王の客人であるリュスティーナの動向を報告するようにと命令が下り始めている。それで一応と言うことで連絡がきたらしい。


「捕らわれたのは何時だ?」


「2日程前との事です!」


「何故そんなに報告が遅い!!」


「いえ、まだ全員にリュスティーナ様の情報を周知するには……」


 言い争うフォルクマー達を視界の端に捕らえながら、俺は戻って以来片時も側を離さなかった袋に手を伸ばした。


「ジル? 何をしている」


 大許容バックから次々と荷物を取り出す俺を見てエッカルトが問いかけてきた。


 手足の装備は着け終わっている。残りの鎧を肩にかけ、紐で縛りながら答えた。


「助けに行く」


 俺の声を聞き、騒いでいた二人も静かになった。


 ――……落ち着け。今から獣相化してどうする。体力はティナを助けるその瞬間まで残しておかなくては。


 漏れでる殺気を散らす為に息を吐く。最後にティナに与えられた『聖牙』を腰に差した。


「ジルベルト、従軍しろ」


 俺が着替えている間に覚悟を決めたのであろうフォルクマーが完全に据わった目付きで命令してきた。


「断る。俺は今すぐにでも王都へ向かう」


「ひとりで向かってどうにかなる相手か。団長命令で現在本部にいる全ての赤鱗騎士団を動員し、リュスティーナ様を奪還するため王都へ向かう。お前も共に来い」


「全て? フォルクマー団長、それはあまりに」


 無用心過ぎると諌める副官を睨み付け、フォルクマーは剣を鳴らした。


「黙れ。我らが今この世界で生きていられるのはあの方のお陰。遠い祖先より誓い続けた約束をようやく果たせる時が来た。何を躊躇う?」


「ですがここを守る人員は必要でしょう! 神子姫様をお迎えし、心安くお休み頂くには拠点も必要です!!」


 正面から説得しても無駄だと判断したエッカルトはそんな事を話してフォルクマーに反意を求めている。やはり長くなりそうだと判断して、俺はひとりででも助けに向かおうと足に力を入れた。


「こら、待て。ジルベルト。

 お前、昔と同じ過ちをする気か?

 上層部が止めるのも聞かずに、若い連中と共に独断で動いて捕らわれる事になっただろうが」


 そんな俺に立ちふさがり、道を遮るエッカルトに牙を剥く。


「おお、怖っ。落ち着けって。久々に表れた古狼種の勇士は迫力が違うな」


 場の空気を変えるようにおどけて笑う熊を睨む。


「あの方が神子姫かどうかは俺には分かりません。ですが貴殿方英雄の末達が皆揃ってそうだと言うのであれば、そうなのでしょう。なればこそ、失敗は許されない。

 団長もお前達も少し落ち着け。ここから王都までは馬で半日。処刑される丘までを含めても1日あれば十分に移動できる」


 落ち着けと諭されて周囲を確認する。俺を含め全員がいつの間にか獣相化し、牙を剥き出し目を血走らせて唸っていた。


「そうだな。まずは万全の陣容を整える。ジルベルト、お前は種族進化を果たした騎士だ。一隊率いて万一の時には斬り込め」


 激情を逃すように瞳を閉じ獣相化を解除したフォルクマーに頷いた。確かに俺ひとりで特攻を仕掛けるよりも、騎士団として動いた方が勝率も上がるだろう。


「了解しました。ですが間に合わないと判断したなら俺だけでも離脱しティナの元へ向かいます」


 ――……ひとりでは死なさん。もしもティナが死ぬときは俺が死んでからだ。


 もう悩んでいる暇はない。嫌がられても拒絶されても構わない。その覚悟で俺は拳を固めた。




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