151.箸休めー法王の野望
「手荒な真似はお止めなさい!!」
最近は病のせいで感じられなかった覇気を溢れだしながら、王妃が神殿騎士に咎めだてる声を上げた。
許可を求める視線を寄越す騎士に法王ナスルは頷いた。鞘を抜かぬ短剣の腹で頭部を強打された魔術師の娘は頭から血を流し倒れている。二人の騎士に両手を取られ引きずり起こされて乱暴に連れていかれる。
立ち上がる事を動揺の表れと思っているのか、神殿騎士団が突入した時から決して立とうとはしない王妃を、法王は傲然と見下ろしている。
「あの娘は容疑者を逃がした罪人。疚しい事無くば神の御前で潔白を証明すれば良いだけの事。そして娘自身も、我ら獣人の殺害疑惑がある。我らがどのような扱いをしたところで、文句を言われる筋合いはない」
「彼女は私達、ワハシュの王家がお呼びしたお客様の護衛です。この様に筋も通さず押し入ってきた貴殿方を見て、護衛対象の身の危険を感じ逃がしたのでしょう。
貴殿方の対応こそが、他国に我が国の恥を晒すものだと何故気がつかぬのですか!」
「妃殿下、我らは世俗に生きるにあらず。我らの上に立つは神のみ。さて、我々はこれにて失礼致しましょう。呪いに掛かられたと聞いております。どうか御身の大事に、お心健やかにお過ごし下さいませ」
慇懃無礼に立ち去る聖職者達を見送り、王妃は屈辱に唇を噛んだ。神殿騎士達に阻まれていた侍女達が王妃の側に駆け寄る。
「王妃様! ご無事でございますか!?」
近寄ってきた中でも年かさで古参の女官が代表し王妃に問いかける。
「ええ、無事です。それよりも不味いことになりました。陛下に連絡を取らなくては。神殿の息の掛かっていない信頼のおける者で、更に密やかに動けるものを呼びなさい」
気丈に指示を出す王妃はそのまま王家の私的空間に戻ろうと席を立った。
「王妃様、落とされました」
目敏く王妃のドレスから落ちた袋を拾い上げ恭しく差し出す女官に礼を言い王妃はドレスの隠しに袋を入れた。
「部屋に戻ります。事は一刻を争いましょう。皆、ついてきなさい」
足早に去る王妃の後ろ姿を隠れて見つめる視線には誰も気が付かずにいた。
「……報告は以上です」
「ご苦労でした。貴女の働きを神々もお慶びになっておりましょう」
「では癒しの……!!」
「まだです。神々の慈悲を乞うには、まだ貴女の献身が足りません。さぁ、王妃がどう動くのか、国王がどう反応するか、また報告を楽しみにしています」
「そんなっ! 司祭様! 約束が違います!!
今回の報告をすれば、父を助けてくださると!!」
「逆らうとは悲しい事です。私の言葉は神のご意志。さぁ、怪しまれる前に戻りなさい」
壁際に控えていた兵士に目配せし、目の前に跪いていた年若い侍女を室内から追い出した。そのままカーテンで仕切られた部屋の奥に頭を下げる。
「法王様、お聞きになられましたか。さて王妃は国王に連絡をするとのこと。例え連絡しても何が出来るのかはわかりませぬが」
左右に割れたカーテンの奥には法王ナスルが腰掛けていた。左右には法王を守る側近達がずらりと並んでいる。
「司祭よ、ご苦労だった。そなたの献身、神々もお喜びであろう。
ふん、王妃が何をしようとも流れは変わらぬ。民草も呪いを解除出来ぬ王家を見限り始めておる。赤鱗を守る連中の地では呪いの脅威は小さいが、奴らとて全土を救うことは出来ぬ。あの者たちにそれだけの気概はない。過去に捕らわれし愚か者どもが。
この地を呪いから救うは我ら神殿だ。そうでなくてはならない。たかだか700余年前から、真偽も定かではない物品を奉るようになった連中ではない。
世俗の地位を望むわけではないが、王家が民の救いとなれぬのであれば、我らがこの地を救わねばなるまい。
のう、そう思おう?」
口々に同意する側近達に笑みを浮かべた法王は、最も近くで控えていた片腕とも呼ぶ高司祭に視線を流した。
「捕らえた娘はどうした?」
「神殿地下の牢獄に捕らえてあります。魔術師との報告もございましたので、総力を上げ魔封じを施し、用心に喉も潰してあります。逃走は不可能です。ご安心を」
「万一にも死なす事の無き様に。かの娘には民の前で出来る限り無惨に死んでもらわねばならぬ。王家の無力、人間の狡猾さを証明する為にな」
「王家がわざわざ招いた客人は呪いを解除することも出来ずに逃走。更にはその護衛は我らの誇りたる兵士を殺害でございますか。これ以上、王家の体面を傷つけることはございますまい。
そう言えばあの娘はゲリエから流れてきた者とも聞きます。上手くすれば、更に使えるやも知れませぬな」
法王におもねる笑みを浮かべた側近は、思い出したように付け加えた。
「ほう? 誰から聞いた?」
毎日沢山の報告を受ける法王は、既にその情報を忘れ去っていた様で、興味深く聞き返している。
「手の者より。国境近くで遭遇した際にそのような事を話していたと……」
既に半年以上も前の報告だ。それを法王が覚えていない事も予想していた側近はそつなく答える。愚かにも捕らえられた手の者が帰還した際に報告してきた内容だった。一度は生存を絶望視されていた相手が生きてワハシュに帰還したと聞いた時には驚いたものだ。
神に仕えるものなればこそ、捕らわれた恥辱を罰する為に、他の兵士同様に収用施設に入れたが、今回の事ではそれがプラスに働いていた。
「あぁ、確か赤鱗の狼を連れていたと報告があったあれか。確か反省を促すために、他の兵士同様の扱いをするという事だったか。救出か……うん? では上手く利用すれば、赤鱗を揺さぶる事も出来るやもしれぬな。もう少し詳しく調べよ。口惜しくも他国の力を頼った王家、神々を蔑ろにする赤鱗、我らの敵たる人間……ふふ、その全てに一矢報いる事も出来よう。
本当にその娘には感謝せねばな。あぁ、そう言えば娘は人間にしておくには惜しくなる程に美しかったな。
我ら獣人を性奴隷とする人間を襲うような愚か者、無いとは思うが、騎士達を初め全ての者に辱しめを禁じると厳命を下しておくように。我々神殿は、誠意を尽くしてかの娘に死んでもらわねばならぬ。神々に顔向け出来ぬ様な事はするな」
「畏まりました。そのような愚か者、いるとは思えませんが、万一の時には厳罰を下すと告知致しましょう」
深々と頭を下げて、法王の命令を伝える為に部屋を去る側近を見送り、法王は差し出された書類に目を落とした。
「ほう、赤鱗の古狼が遠征から緊急の帰還のう。赤鱗の神殿と騎士団の間でわだかまりもあると聞く。神子姫とか言う偽神が現れてより700余年。歴代の法王達は慈悲深過ぎた。
今こそ、この獣人の国を正しき姿に戻さねばならぬ。異分子は排除せねばならない」
最後は独白のように締めくくった法王に、周囲の側近達は一斉に頭を下げた。
「全ては法王様の御心のままに。地上の代行者。楽園の鍵を持つ光の導き手。
我ら一同、御身に忠誠をお誓い致しましょう」
席を立ち上がり、昼の礼拝に向かう法王は、窓から射し込む明るい日差しを浴びて目を細めた。
「時は満ちたり。我らは神々に信仰をお返しする。民を正しき信仰に導こう。
その為に、我が手を汚そう。我が足は死体を踏みつけ歩こうぞ。
たとえ死後、我が身を焼かれようとも、正しき世への礎となれるならば本望。
犠牲となる人間の娘には悪いが、もう止まることは出来ない。あの男の手を取った時よりな……」




