150.この地を去ってください
作っていた中和剤が一段落したサユースさんが私の所に戻ってきた。そのまま向かい側のソファーに腰を下ろして、テーブルの上のソレを見つける。
「ティナ、これは?」
「素材です」
私の答えを聞いて、サユースさんは訝しげな表情を浮かべてソレに手を伸ばした。
「変わった素材だね? 見たことがないものだ。赤い……何だろうねぇ。硬く乾いている……え、これは……まさか。何だってティナがこれを持ってるんだい?!」
灯りにかざしてソレをしげしげと見ていたサユースさんは、何なのかに思い至ったのだろう。興奮した口調で身を乗り出してきた。両手でソレを握りしめて私に向けて突き出して来ている。
「……個人所有品です。大丈夫、この国のモノじゃありません。話を聞いて、今回赤鱗の騎士団に訪問して確信しました。
サユースさん、ソレでは中和剤の素材になりませんか? おそらく皆さんが望んでいた物と同じ物だと思うのです」
「個人所有って、あんた、何を言ってるんだい!! これがどれ程のものか。盗んだと知られたらッ! いや、だからティナが持ってきたのかね? 騎士団や神殿の連中はコレがここにあることを知っているのかい?」
どうやら何か勘違いしているらしいサユースさんにもう一度説明する。
「これは私のアイテムボックスに死蔵されていたものです。サユースさんが素材として必要としているのはおそらくコレと同じような品だろうと思ったから出しました。
太古の時代のアイテムかどうかは分かりませんが、これで中和剤を作ってみては貰えませんか?
もしも私が赤鱗騎士団から御神体を盗んできたと疑うのならば、あちらに問い合わせて下さい。神殿に赤鱗はありますから」
しばらく悩んだサユースさんは、ひとつ覚悟を決める様に皺の浮いた手で両頬を叩いた。
「……ティナがそこまで覚悟を決めてコレを出したのならば作らなけりゃ、呪術師の名折れだね。分かった。私も覚悟を決めよう。
ティナ、お前は移転が使える魔術師だ。赤鱗を使い中和剤を作れば、いくら王家の庇護があるとは言え、私たちもただでは済まない。力業で逃げることになるだろうさ。それは覚悟しているね?」
まだ誤解したままのサユースさんに苦笑を向けた。
「ですから、これは国宝じゃないですから。良く似た別物。類似品ってやつです。コレを使うからと言って国が割れることはないですよ」
それでも信じないサユースさんにとりあえず私が出した赤鱗モドキを使って中和剤を作ってくれる様に頼んだ。サユースさんは王家に話せば類が及ぶと呟き、バレる前に作成し使うべきだ続けて作業台に向き直った。
「……これから夜通しで作れば、明日の朝には出来上がるだろう。国王は明日から行幸だ。王が出発する前に中和剤を使う許可を求めるよ。
王不在の間隙を縫う様に中和剤を使い、原料が発覚する前に迷宮都市へ帰る。タイミングが全てだ。
ティナは部屋に戻ってお休み。私たちが逃げ切れるかはティナ次第になる」
お茶を持って戻ってきたお弟子さんに、静かに荷物を纏めるように指示して、サユースさんは一人作業台に向かい合った。
「では後はよろしくお願いします」
私がここにいても出来ることはないし、外でワットさんが待っている。後ろ髪を引かれる思いはあったが、サユースさんの部屋を後にした。
「用件は済んだのか?」
「お待たせしました。ええ、お陰さまで。部屋に戻りましょう」
室内から廊下に出てワットさんと合流する。そのまま最短距離で部屋に戻った。
案の定と言うべきか、私たちが戻ってきた事に気が付かず、ゴンドはソファーの上でイビキをかいて眠っている。かなり遅くなってしまったし、護衛が寝ていると言うのは駄目な事だろうけど、致し方ないかなと苦笑を浮かべる。
拳骨を落とし叩き起こそうとするワットさんを止めて、お休みなさいの挨拶をする。ワットさんも休んで欲しくて別のソファーを指差した。
寝室に一人になって結界を張りついでに防音魔法も使う。とうとう解けなかったサユースさんの誤解通りになるとまずい。少しだけ出しっぱなしにしていた私物を全てアイテムボックスに片付けた。綺麗になった室内でベッドに横になる。
今は真夜中。夜明けまであと4時間程度。明日には中和剤が出来上がる。それにここから赤鱗の騎士団まではのんびり馬を歩かせて半日だ。もし誤解されてもすぐに解けるだろう。ジルさんとの縁もこれで終わりかととりとめもなく考えている内に眠っていたらしい。次に目を開けた時には太陽は昇り、私の寝室の扉は強く叩かれていた。
「起きたか。王妃様より先触れが来ている。サユース殿と君をお呼びだ。すぐに準備を」
ワットさんに急かされるまま、大急ぎで浄化を唱えて、身仕度を整えた。廊下を歩いて向かう途中で、サユースさんと合流する。
「おはよう、ティナ」
「おはようございます、サユースさん」
挨拶を交わすサユースさんは疲労を隠しきれていない。瞳も充血している。
「例のモノは出来たよ。問題なく完璧に、一部の隙もなく」
「それは何より。でも何でこのタイミングで王妃様に呼ばれたんでしょう?」
分からないと首を振るサユースさんだったが、早朝に王都を発った虎の王様からは許可を貰えていて、中和剤を使える段取りになったそうだ。朝食を済ませ次第、町に出て使いそのまま迷宮都市へと戻る腹積もりだったそうだが、予定が狂ったと唇を噛んでいた。
豪華な扉を開けて、サロンみたいな所に案内される。ここに来るまでにも、幾つもの扉をくぐった。途中で身分上、これ以上は奥には行けないと、ワットさんは廊下の一角で待ってくれている。
「サユース様、リュスティーナ。良く来てくれました。朝早くからごめんなさい」
前に一度だけ会った虎の王妃様が立ち上がって迎えてくれる。挨拶を交わし準備されていた席に座った途端に王妃様は切り出した。
「わたくし共からお願いしこちらに来ていただいたのに、このような事を申し上げなくてはならなくなり、大変心が痛んでいます。ですが、サユース様、リュスティーナ、どうかこの地を去って下さい。もう安全が保証できぬのです」
「何だって?」
驚いて顔を見合わせる私たちに、虎の王妃様は話を続けた。
「王都にある神殿がサユース様の排除を訴えております。この地を救うのは神殿でなくてはならぬと。10日近く時間が過ぎても何も成果のないサユース様が我が国を救うことは出来ないと」
深く頭を下げて「申し訳ございません」と続ける王妃様にサユースさんは首を振って否定している。
「確かに今日まで私はこの地の呪いを解除することが出来なかった。それは事実だ。
フィーネ王妃殿下が謝罪する事じゃない。一国の王妃がそう簡単に頭を下げるもんじゃない。私が先代ダンジョン公アルタールの、この国を呪った人間の実母という事も反感の原因だろうね。仕方のない事だよ。自業自得さ。
だが今朝ようやく中和剤が出来た。これだけは使わせて貰うよ。その後この地を離れよう」
サユースさんの掌の上には小さな袋が乗せられていた。おそるおそると言う雰囲気で王妃様はその袋に指を伸ばす。
「それは?」
「希望か絶望か。王妃殿下が知るべきものではない。知っていてはいけない。けれど病に苦しむ者には、息子の愚行を償うためには必要不可欠なものさ」
肩を竦めるサユースさんはそれ以上の質問を拒絶していた。壁際で控えていたお弟子さんが、廊下を気にして身動ぎをした。
「では、それは……」
王妃様が口を開こうとした瞬間、ノックもなく扉が押し開かれた。雪崩込んで来たのは、見たことのない揃いの衣装を来た兵士達だ。
私達に武器を突きつけて立つ兵士達との間に、衛兵がとっさに割って入っている。守る対象は当然虎の王妃様だ。私はサユースさんを守る為に腰を浮かせる。だが当の本人に裾を押さえられてソファーに座り直した。
サユースさんや王妃様の視線は兵士達が入ってきた扉に向かっている。まだ誰か来るらしい。
「神殿騎士団が何用です? ここを王妃のサロンと知っての狼藉ですか?」
衛兵の肩越しとはいえ、向けられる鋼の輝きに怯える事なく、王妃様は入り口に向けて問いかけた。威厳に満ちた姿は美しく、昨夜の虎の陛下とも重なった。
「王妃様におかれましては、朝の歓談のお邪魔を致しましたことお詫びいたしましょう。ですが、サロンに招かれる者は選んだ方がよろしいかと」
最後に堂々と入り口から入ってきた相手は慇懃無礼に王妃様に向かって言い放った。気色ばむ周囲に余裕の笑みを浮かべながら私達を観察している。
ハデな衣装。鋼の武装はなく、何処までも豪奢な作りの聖職者の服姿だ。獣人の国なのに目立ったしっぽも耳もない。人間にしてはかなり大きな体格と耳が目立っているだけだ。
その後ろから、こちらも耳は人間に良く似たもの。ただししっぽは細長い猿のようなものが生えた小柄な神官達が続く。
「そこの娘達を捕らえよ」
指を差す先には、私とお弟子さん。サユースさんの掌の上に持っていた袋は、兵士達が雪崩込むと同時に素早く王妃様が握り込みドレスの襞に隠している。
「お待ちなさい! 何ゆえ王妃の客人を捕らえようとなさるのですか!! 罪状は?!」
「これは異な事を。王家の客人はそちらにおられる先のダンジョンのご母堂のみのはず。娘達は客分にあらず」
「何を?!」
「それにこの娘達を捕らえる事は、御身の安全にも繋がりましょう。
そうそう、罪状でしたな。収用施設にいる憐れなる帰還者達の一部が昨夜消えました。収用所にて戦いの跡があり、血痕も見つかっております。おそらく殺されたのでありましょう」
「何て言うことでしょう。ですがそれにその二人の娘がどう関わっていると?」
「血痕を残し消えたのは、その魔術師の娘の護衛に着いていた者たちです。そして先程猪獣人も消えました。跡形もなくです。魔法でも使ったかのように、鼻の良い種族ですら追えぬのです。
故に我ら王都神殿は、憐れなる帰還者達の殺害疑惑でその娘達を捕らえに参りました」
聞いている私からしても筋が通っていない謎論理を派手な神官は捲し立てると、私達を囲んでいる兵士に再度お弟子さんと私を捕らえる様に命令した。
昨日、今日で何が起きてるんだ?
私の護衛って事はピン君にゴンド&ガンバの問題児って事? 彼らが血痕を残して消えた?
疑問が頭を駆け巡る。動揺していたが、サユースさんからの目配せに気がつき、無詠唱で移転を発動する準備をした。ここにこのままいても、何も出来ない。王妃様からも逃げろと言われたし、去る事に否やはない。
「……獣人神殿の法王殿。私の弟子を捕らえるとは良い度胸だね。その子は呪い士としても半人前。ましてや闘いなど出来ぬ素人だよ。
それにティナは昨日遅くまで私と一緒に居た。何が起きているのかは知らないが、その収用所とやらで荒事をするのは不可能さね」
警戒しつつも一応言い返すサユースさんに心持ち身を寄せた。壁際にいたお弟子さんは兵士の一人に肩を押さえられている。
兵士を避けて、お弟子さんだけを移転させる事は難しい。一瞬でも手が離れてくれれば。そう思いながら全員の動きを警戒する。
「ほう、それは抵抗するという事ですかな?
サユース殿もお連れせよ。今回の呪いの犯人の実母だ。無関係とは言いきれまい。捕らえ、神の前で真実を明らかにするのだ!!」
私たちが逆らうのを待ち構えていたように反応する法王とやらの命令を受けて、神殿騎士達は動き出した。
「お師様!!」
異様な雰囲気に呑まれてそれまで大人しくしていたお弟子さんが必死に身をよじる。一瞬だけれど捕まえていた兵士の手が離れた。
そのタイミングを逃さず、サユースさんとお弟子さんをプレギエーラの城へと移転で飛ばした。
制御力の問題で咄嗟に飛ばせたのは二人だけだった。私も逃げようともう一度移転を発動しようとする。
「リュスティーナ!!」
王妃様の絹を裂く様な叫び声を聞いて、後ろを振り向いた時にはもう遅かった。私の頭を目掛けて警棒が振り下ろされている。
――……失敗した。絶対守護者の腕輪を身に付けておくべきだった。
いつも誰かが盾になって守ってくれていたから、つい油断してしまった。生きていると良いなぁと思いながら、頭に強い衝撃を受けて私は意識を手離した。




