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147.箸休めー神子姫の降臨

「何だと!?」


 執務室に若い男の声が響く。それに対するは落ち着いた中年の声だ。


「ですから、本日王家の使者が神殿を訪問しました。同行者にあの『リュスティーナ』がいたようです。神殿ではオスクロ殿の使いが滞在を申請しましたが拒絶され、本日は庭での宿泊になるようです。いかがされますか?」


 淡々と報告を繰り返す副官を睨み付け、フォルクマーは唸り声を上げた。


「リュスティーナは我が赤鱗の騎士を救ってくれた恩人だ。露天での宿泊など許せるはずがないだろう。すぐに神殿に向かう。それと誰かに申し付けて、騎士団の客坊を準備させておけ」


「はっ」と短く答えた副官は外にいた従騎士へと伝言し、すぐに戻ってきた。


「では、神殿に向かう。直接会えればいいが、もし神殿側が妨害してくるなら力ずくになる。剣は抜くなよ」


「団長こそ。血の気が多い狼獣人の中でも直系なのですから、短慮はなさらぬように」


 苦笑を浮かべる副官を横目に、フォルクマーは腰に剣を差し執務室を出た。カツカツと軍靴が発てる音が規則正しく廊下に響く。


「神殿の横暴は目に余るな」


 しばらく歩き、騎士団領と神殿の所有地域の境目、人気のないところでフォルクマーは呟いた。副長のエッカルトは素早く警戒の視線を辺りに投げる。誰もいないと確認して、エッカルトは微かに頷いた。


「赤鱗を管理し祀る事を目的とした神殿でありながら、私欲の為に利用している。我ら騎士ではいつ死ぬか分からん。故に先祖代々隣接する神殿へ赤鱗を預けてきたが、それが正解だったのか」


 自問自答する若い狼へと、エッカルトは口を開いた。


「神々と我らを繋ぎ人心の安寧を担うのが神殿の役目。彼らがそれを行ってくれるなら、多少の逸脱は目を瞑るべきでしょう」


「だが、他でもない赤鱗に関することだ。それがあることで、神殿は王家へすら横暴に対応している。今回の呪いだとて、赤鱗の欠片でも渡せば済むのならば神問(かみとい)でも何でも行うべきであろう」


「はは。団長は昔から赤鱗を活用することに積極的でしたからそういう考えが浮かぶのです。多くの団員はそうは思っていません。神からの下賜品を傷付けるなど論外。下手にその考えを話せば反乱が起きますよ」


 宥めるエッカルトに対しフォルクマーは悔しそうに唇を噛んだ。


「700年だ。赤鱗を守りそれだけの時間がたった。その間に何度もここを支配する王は変わった。神々の慈悲を所有する国も目まぐるしく変わった。俺には神子姫様が再臨されるとは思えない」


「団長!」


 強い口調で遮られて、フォルクマーは口を閉じた。


「すまん、泣き言を言った。忘れてくれ。だが、俺は……いや俺達は一体いつまでこの呪縛を引き摺るのだろうな」


 遠い目をしたフォルクマーは悩みを振り払うように足を早めた。




 神殿に入り、目的の人物を探す。平神官の一人を捕まえて問いただした所、庭の中でも風通しが悪く休むのに適さない場所にいるらしい。


「急ぐぞ」


 足を早めるフォルクマーの後ろを飄々とエッカルトはついていった。


「フォルクマー殿にエッカルト殿ですか? 申し訳ありません。今、家主のティナを呼んできます。どうしてもこの扉は開かないのです。ご無礼は承知しておりますが、少しだけお待ちください」


 教えられた庭に到着したフォルクマー達は見慣れない扉に声をかけた。中から同じ軍人として付き合いのあるオスクロの声がする。その後、バタバタと走り去る音がしたから、リュスティーナを呼びに行ったのだろう。


 しばらく待つと扉が開き中へと招き入れられた。勧められるままソファーに腰掛け、驚きに立ち上がる。王家の客間と同等かそれ以上に柔らかいクッションが敷かれていた。


「ここではこれが普通です。警戒なさらないで下さい」


 礼儀正しくオスクロが話しかけてくる。その体からは微かにお湯と花のような匂いがしている。奴隷も含め全員から湯の匂いが漂っているからおそらく入浴を済ませたのだろう。ここには潤沢に湯があるらしい。それだけでもフォルクマーは驚きを禁じえなかった。


「何の不自由もしてませんからご心配なく。今から夕飯の予定だったんです。団長さん……っと、フォルクマー様達も良ければご一緒にいかがですか?」


 あっけらかんと笑いながら夕食の誘いをするリュスティーナに、フォルクマーは目眩を感じる。底知れぬ恐ろしさと平伏したいような圧迫感が襲いかかっていた。


 見た目だけは美しい、今までの常識では計りかねる少女を警戒し辞退しようとしたが、エッカルトは表情だけは朗らかに快諾してしまう。少女が準備をすると数人と共に席を外したタイミングで、低くフォルクマーは副官に問いかけた。


「何故受けた?」


「団長こそ何を警戒されているのですか。彼女はこの国を救うために招いたサユース殿の護衛です。ここで依頼を破棄し消えられては困ります。友好的に接すべきでしょう」


「しかし……」


「騎士団へは客坊の準備は不要と伝えましょう。それと同時に食事をする為に遅くなるとも伝言せねばなりません。オスクロ隊長、この部屋から出たら、また入るためには彼女の許可がいるのか?」


「いえ一度招き入れられたなら、リュスティーナが拒否するまで自由に出入り出来るとの事です」


「では、少し外します。構いませんか?」


「分かった。行ってきてくれ」


 自分よりも世慣れた副官を信じ、フォルクマーはエッカルトの申し出を受けた。自身の緊張を解すために詰めていた襟を広げながらソファーに寄りかかった。






「では頂きましょうか」


 家主である少女が勧めるままに口をつけた。会話の相手はやはり今までも付き合いのあるオスクロになってしまっている。奴隷である少年と同じ食卓を囲むことになったが、招いた主も人間だ。予想していた事だから不快感は出さずに済んだはずだと、フォルクマーとエッカルトは思っていた。


「!! これは!!!!?」


 スープを一口飲んだフォルクマーは、音をたたてスプーンを取り落とした。そのまま驚きに目を見開いたまま、少女を凝視している。


 慌てた様に言葉を紡ぐ少女の声を聞きながら、フォルクマーは確認する為にもう一口スープを口に含む。


 ―――――これは! この香りは!! まさか!!


 頭の中では疑問と驚愕(きょうがく)だけが駆け巡っていた。指先の震えを制御する事も出来ずにただ動揺する。はたと今自分が客として椅子に座っている事実に思い至り、フォルクマーは慌てて待ち人の前に跪いた。


 驚く相手の顔を見ながら、明日以降の予定を尋ねる。自身の描かれた絵画を見たいと希望する神に、迷うことなく案内をかってでた。


「……リュスティーナ様、ではまた明日お目にかかるのを楽しみにしております」


 震える声でそう挨拶し退出する。


「団長?!!」


 外に出た途端に両手両足を地面につけて、(ぬか)づいたフォルクマーにエッカルトは驚き慌てて抱き起こした。


「どうされたのですか! やはり毒か何か入っていたのでは?! お待ち下さい。今、中へと戻りッ!!」


「辞めろ」


 扉に駆け込もうとしたエッカルトをフォルクマーは押し止めた。そのまま抑えた声で命令すると静かに立ち上がり騎士団へと歩き出す。


「…………戻ったらオスクロと内々に連絡を取りたい。それと第3師団の師団長を……叔父上を呼んでくれ。大至急だ」


「第3師団は遠征に出ております。すぐにと言うのは難しいかと」


「すぐに呼び戻せ。我らにとって何よりも優先すべき事が起きた」


「団長?」


「…………神子姫様だ。俺の……いや私の迷いを感じられたのか、先程はそれを認めるような発言をしては頂けなかったが……。いや悩み惑う、救い主を信じきれなかった私に失望されたのか?」


 ブツブツと話ながらフォルクマーは執務室に向けて足を早めた。








「深夜の訪問となり申し訳ありません」


「いや、こちらこそ。オスクロ隊長、無理を言って申し訳ない」


 上座を譲り合うやり取りの後に、向かい合って座ったオスクロとフォルクマーは目を合わせた。


「先程夕食では少しご気分が優れなかったようで、心配しておりました。治られた様で何よりです」


「無様な所を見せ恥ずかしい限りです。それで言付けていた物は……」


「持ってきました。ですがこのスープに何が? 狼獣人の方々にとって害になる物でも入っていましたか?」


 水筒を取り出しつつオスクロはフォルクマーに尋ねた。震える手でそれを受け取りながらフォルクマーは首を振り否定した。


「そんな事ではない。それは有り得ない。だが、私一人の判断では断定出来ないことです。どうか今は、質問はお許し頂きたい。少なくともオスクロ隊長のご迷惑になるような事ではないのは明言します」


 それ以上の会話を拒否するフォルクマーの顔を見て、オスクロは質問を諦めた。


「明日、神殿を案内する約束をされましたが宜しかったのですか?」


 別の話題を探し、オスクロは話を再開した。


「無論です。何よりもどんな事よりも、あの方……いや、リュスティーナ様の希望が第一です」


 フォルクマーの発言をオスクロは信じられない思いで聞いた。赤鱗の団長がここまで人間に配慮するとは思えなかったのだ。


「やはり遠戚であるジルベルトの恩返しですか?」


「いや、そう言うわけではない。あぁ、そうか。そう言えばジルベルトの母親もいたか。オスクロ隊長、感謝する。お陰でひとつ思い出した」


 そんな言葉で送り出されたオスクロは首を捻る事となる。






「お早うございます」


「おはようございます、リュスティーナ様」


 翌日待ち合わせの時間に現れた相手にフォルクマーは丁寧に頭を下げた。オスクロと二人、昨日と同じシンプルな黒装束を纏った少女だ。同行した他の狼獣人達(しんせき)も同様に頭を下げる。


「今日は随分ときらびやかですね。やっぱり神様の前に行くからですか?」


 一様に騎士団の儀典用正装に身を包んだフォルクマー達を見て、少女は目を丸くしている。その後、私もオシャレするべきだったかと動揺する相手に、フォルクマーは膝を付き手を差し出した。


「どうかお手を」


「へ? ああ、そういうのはいらないですよ。普通の子なら喜ぶかもしれないですけど、恥ずかしいだけなんで。気を使って頂いてありがとうございます。一度こちらの絵画は見ておいた方がいいって教えてもらっていたから楽しみです」


 にっこりと美しい顏に晴れやかな笑みを乗せて歩き出す少女の前後を狼獣人達が囲んだ。全ての悪意から守る様に。全ての害意から守る様に。掌中の珠を誰にも取られるまいと抱きすくめる様に。


 だが無情にもその狼獣人の意思は果たされなかった。待ち人が観賞したがった『神子姫の降臨』の前に立っていた少女の一言によって平穏は打ち砕かれた。


「貴女がジル兄様の仰るリュスティーナ?

 なら今すぐ消えて!

 これ以上、ジル兄様のお心を掻き乱さないで!」


 叩きつける様に放たれた言葉に、驚きを隠せず目を丸くする待ち人の表情を見て周りを囲んだ狼獣人達は殺気だった。


「えーっと、イングリッドさんでしたっけ?」


「何故、私の名を」


「あー……うん、まぁ、ジルさんから。幼馴染の婚約者がいるって聞いてたので」


 狼獣人達が腰に下げた剣に手を伸ばした時、待ち人が話し出した。悪意を向けられているのに、困ったように微笑んでいるだけだ。その瞳に悲しみや怒りは浮いていない。それどころかほっとしたような、希望が叶ったようなそんな光が浮いていた。


「会えて良かった。ジルさんには会えなかったし、どうしても伝えたい事があって……」


「何を仰るの?! 耳障りだわ!」


 神子姫を祀る神殿の女神官の格好をしたイングリッドは警戒と嫌悪に表情を歪ませている。


「あの、私が言うことでもお願いすることでもないけど、ジルさんを、ジルベルトをよろしくお願いします。人の国で沢山嫌な目にあってるから。……戻って来てお父さんとのやり取りも聞いたから、ずっと気になってたんだ。

 お願いします。どうかジルさんが幸せになれるように、平和に生きられるように協力してあげてください」


「貴女に言われなくても! それにジル兄様が幸せになるためには、貴女が消えて頂戴!! 人間が側にいてはジル兄様の悪夢はいつまでも終わらない!!!!」


「イングリッド!!」


 それまで我慢して聞いていたフォルクマーだったがそれ以上の無礼を許すことは出来ずに話に割り込んだ。


「…………仕事が終わったらすぐに消えるから安心して欲しい。二度と顔は出さない。ジルさんにも近づかない。約束する。だから」


「連れていけ!」


 哀しそうに話す神子姫の顔を見ていられずに、フォルクマーは周囲の護衛にイングリッドを引き渡した。乱暴に腕を引かれてイングリッドは部屋の外へと連れ出されて行く。


「ちょっと! フォルクマー様、乱暴しないで!!」


 顔色を変えて抗議する神子姫の声を聞き、フォルクマーは護衛に目配せをした。腕を放されたイングリッドは足音も高く部屋を出ていった。


「ご不快な思いをさせて申し訳ありません」


 膝をつくフォルクマーに、困ったように神子姫は微笑んだ。慈愛深く全てを許す微笑みだ。


「乱暴は駄目ですよ。女の子には優しくして下さい。ジルさんの想い人に痣でも作らせたら申し訳ないです」


「でも私を守ろうとしてくださってありがとうございました」と控え目に笑う待ち人に何も話せず、ただフォルクマーは首を振った。話せなくなったフォルクマーに代わりただひとり狼獣人ではない副官のエッカルトが絵画の元に待ち人を誘い説明を始めている。


 エッカルトにはまだ狼獣人(われわれ)が確信した内容を伝えてはいない。故に待ち人に対する態度は気安いものだ。


 何処か憂いの残る表情のまま美しい待ち人は、画家が人生をかけて書き上げた『神子姫の降臨』三部作を見つめていた。





フォルクマーがなぜ主人公を神子姫と認識したかのネタバレは2017.11.23付活動報告内にあります。気になる方はご覧下さい。雰囲気で行けるよもしくは気にしないよって方はそのままスルーしてください。

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