144.箸休めーある呪い師の苦悩
「お師様、いかがですか」
出来た中和剤の粉末を差し出されたサユースは首を振った。
「これでは駄目だ。一時的には効果も出るだろうが、ミセルコルディアの因子が邪魔をしている。やはり何処かの神殿に安置されている神器を使わねば……」
粉薬を一瞥し悔しげに唇を噛むサユースに、弟子は恐る恐る問いかけた。
「お師様、何故この薬ではダメなのですか? 魔族の母の因子はドロップアイテムにはみな含まれるもの。それが今回に限って何故使えないのでしょう」
「普通なら呪いとゆうても精霊や神に祈るもの。だが今回はウチの馬鹿息子がわざわざ魔族の母の力を一部召喚して呪ったからねぇ。神の力を中和するのに、同じ神の因子は邪魔さ。だから、ミセルコルディアと同等もしくは更に格上の神の助勢がいる。
昔はこの世界の力しか持たないアイテムも豊富に取れた。しかし今では空気にも鉱脈にもかの女神の力が混ざっている。神殿付近にはまだ汚染が軽い地域もあるが、それでも絶無ではない。それぞれの素材は抽出するから大丈夫だけれど、それらを結合する素材だけはそのものを使うからね。ミセルコルディアの力を排したものを探さなければならないのさ」
肩をすくめて話す師へ、弟子は難しそうな顔をした。
「そんなアイテムがまだあるのですか? それこそ、神威の時代より伝わっているアイテムくらいしか……あ」
「ああ、そうさね。それで陛下も私も赤鱗に目をつけた。アレは魔族の軍勢に追い詰められたこの世界の生き物を助けるために、神が使わされたアイテムだ。神話が真実であるならば純正品の可能性が高い」
「でも嫌がっているって」
「そりゃそうだろうよ。神から下賜されたアイテムだ。中和剤を作れば喪うことになる。それにそれでこの国が本当に救われる保証もない。騎士団の連中だって認めるはずがないさね」
ため息交じりにそう話すと、サユースは弟子に少し休むように指示を出した。
――……息子が最後に行った事か。全く罪な事をしてくれた。
親不孝な馬鹿息子に思いを馳せ、サユースは面を伏せた。目を閉じれば、最後にやり取りをした声が甦る。
「母上! 例え私が悪と断じられようとも、都市を守るため、家族を守るためならばやらねばならぬのです!!」
「この馬鹿息子!! それでこの都市を魔族の軍勢に、魔族の母に捧げると言うのかいッ!? 私は認めないよ!! お前の娘はトリープだけじゃない。妻も子もお前を頼りにする民だっているだろう。しっかりおし!!」
「もう術がないのです。この世界は後戻り出来ぬほどに魔族……いえかの世界と交ざり、あの世界からの物資に依存しています。命を繋ぐ術を彼らに依存しながらも、大半は他者を排除し虐殺と虐待を続ける。それに何の救いがありましょうか?
せめて混合を早めることで、多少の血は流れたとしても私は全きの平和を手にしたい」
「急激な変化は混乱を生む! 少しずつだけれど、私達の都市だって世界に認められ始めている。世界では楽園都市として次の世界に先駆ける都と言われているだろう。確かに私が生きる間に全ての種族が共存共栄する世界を作ることは難しいさね。だがだからと言って、無関係な人々を巻き込むのはいけないことだよ」
「無関係!? この世界の何処に無関係な生き物がいるのですか!! ただ今は混沌の中におらぬだけの、限られた地域の作られた安寧に胡座をかくだけの愚かな者達。魔族と呼ばれる彼らは、今もまだ狩られ搾取されている。この世界とミセルコルディア様の世界が完全に交ざれば、虐げられる彼らもまたこの世界の一部になる。そうすれば争いなどなくなりましょう」
「愚かな事を言うんじゃないよ!! 世界の敵として認識された彼らを人々が受け入れるはずがない」
「ええ、だからこそ彼らが支配者とならねばならぬのです。彼らならば変化を恐れぬ。かの女神ならば我らも変われる。変わらねばならなくなる」
「誰もが変われる訳ではない。それに血を流せば憎悪も生む。アルタール!! 考え直しなさい!!」
「恨みは我ら魔族の力。憎悪はわが女神の甘露。母上、どうお話ししても理解はして頂けぬでしょう。残る娘を頼みます。両親共に消えるプレギエーラの支えになってやってください」
――……あの後、馬鹿息子は自らと自らに繋がる血筋を贄にミセルコルディアと取引をした。冒険者ギルドを信用できず、ただひとり立ち尽くすプレギエーラがどれ程憐れだったか。
「勇者とティナ……あの子達…………」
回想から戻ったサユースは知らず知らずに詰めていた息を吐きつつ、二人の若者の名前を呟く。息子を殺し、孫娘を救った複雑過ぎる二人の英雄だ。
「あのままでは、早晩プレギエーラに限界が来た。アルタールを殺すことにより、孫娘は救われた。魔族寄りとなっていた肉体も人に戻った。これからはあの子も人並みに年老いていけるだろう。それは私も一緒だ。人間として死ぬことが出来る。己が魂が魔に堕ちる。その恐怖から解放してもらえた感謝は大きい」
落ち着かなげに歩き回りながら、サユースは先を続ける。
「でも、私はこの恨みを捨てられるのだろうか。息子が悪いと分かっていても、息子を手にかけたあの二人に対する憎悪は消えることはない。勇者はそれを感じ取ったから、護衛を断ってきたのだろう。ティナと呼ばれるあの英雄の娘だって、乗り気ではなかったはずだ。
恨むのが間違いなのは分かっている。憎しみを持ってはいけない。だか私だって母親だ。心を消すことは出来ない。
今の私に出来るのは出来る限りティナとは関わらず、この仕事を終わらせることだけ。
ワハシュ首長国連邦には迷惑をかけている。どんな理由があれ、どんな主張があれ、民に迷惑をかけてはならない……。
けれども、母としての私は……。感情だけならば……息子の最期の仕事だ。成就させてやりたいとも思ってしまうんだよ……」
悩み己を責めるサユースの耳に、控え目なノックの音が届いた。
「お師様、オスクロ隊長とティナさんがお見えです」
下がっていた弟子が入り口から顔を覗かせてこちらを窺う弟子に頷いて通すように伝えた。
「こんにちは」
「休憩中失礼する」
いつもの様に笑みを浮かべた少女と、猫科のカラカル属の青年が室内に入ってきた。
「どうしたんだい?」
内心の葛藤を押し殺し、サユースは問いかける。少女、ティナはこちらの予定を確認したいらしい。
「明日出掛けてきたいんですけど、大丈夫ですか?」
「王家が王妃様と王太子殿下の快癒を祈り、赤鱗の神殿に侍女と内官を遣わす事になりました。それに同行しようと思います。ですがティナはサユース殿の護衛です。許可を頂きに参りました」
礼儀正しく話す二人に、サユースは二つ返事で頷いた。
「もちろんだよ。このまま閉じ籠っていても暇だろう? なら気分転換に出掛けてくればいい。出来れば弟子も連れていって欲しいが……」
自身に付き合い全く気晴らしをしない弟子にも、少しは気分転換をさせようとサユースは視線を投げ掛けた。赤鱗の神殿は馬で半日の距離だ。道中に目立った危険もない。のんびりと観光がてら馬を走らせるのもいいだろう。
ただの非力な人間である弟子だけを外に出すことは危険だが、ティナはSランクの冒険者だ。そして何故か獣人達の一部にも好意を向けられている。問題はないだろう。
「お断り致します。お師様、私では役に立ちませんか?」
膨れっ面のまま問いかける弟子にこれ以上強くは言えずに、サユースは苦笑を浮かべた。
「やれやれ、まだ見ぬ世界を見るのも、修行の内だと言うに。全く困ったものだ」
「それなら私も、一応護衛だし……」と外出を取り止めようとする少女に、出かける様に強く勧める。長い時間この娘と過ごせば、押し隠している悪意が吹き出してしまいそうだった。
「遠慮は無用だよ。行っておいで。ティナがいても呪いは素人だろう? ……ああ、そうだねぇ。王都以外の現状も知りたい。道々どんな風だったか、帰ってきたら教えておくれじゃないかい」
尚も遠慮するティナへ用事を言いつけると、ようやく納得したようでそれならばと頷いた。呪いの素人が見た風景を報告されても参考になる事はないが、こうでも言わなければ外出自体を取り止めそうだったのだ。
明日は早くに出ると言う二人に楽しんでおいでと手を振り、サユースはまた一人室内に立つ。
「例え赤鱗が手に入ったとして、この国が混乱し血を流すのは確実。恐らく今回赤鱗に人を遣わすのも、赤鱗を貰い受ける為の布石だろう。
そうまでして手にいれた赤鱗。……私はそれを使いこの国を助ける事が出来るのかね」
複雑に絡まってしまった運命を文字通り呪いながら、サユースはソファーに沈み込んだ。




