142.手の届く範囲だけでも
「悪辣娘さん!」
その呼び方で私を呼ぶのは、デュシスの関係者だけた。オスクロとピン君の手を振り払って、声のした方向に走りよった。
「やっぱり薬剤師殿だ」
「ティナさん……だったか? 何故ここに?」
身を起こしたボロボロの男達は鎖の許す範囲で私に詰め寄ってきた。
「依頼で。皆さんは、デュシスの住人ですか?」
「ああ、俺はお嬢さんの『退色なりし無』のお陰で命が助かった」
「ダビデだったか? あの白くて可愛い犬妖精は、オヤジの屋台に何度か来てくれていた」
「依頼とはデュシスの領主様のか!? 君はデュシスを去ったと聞いていたが、俺たちを助けに来てくれたのか?」
一斉に話された内容に圧倒される。聞き取れた話の内容を総合すると間違いなくデュシスの人々だろう。
「何故、ここに?」
「徴兵に応じた。負けてこの様だ。あのとき生き残ったは良かったのか、悪かったのか……」
「なぁ、お嬢さん。もしも君がクリスチャン様から依頼を受けてきたなら、一刻も早く条件をまとめて助けてくれ」
「だが、風の噂でゲリエは負けたと聞いた。デュシスは放棄され、領主クリスチャン様は処刑されたとも聞く。二度と故郷の人間と会うことはないと覚悟を決めていたが、本当によく来てくれた」
どんどん私が彼らを救出に来たと誤解が広まっている。口を挟む隙間がなくて困っていたら、奴隷守達が近づいてきて無駄口を叩くなと鞭を振るい始めた。私はと言えば、ピン君とオスクロに改めて両腕を取られて彼らから引き剥がされた。
「待って!」
このまま別れたらどんな誤解をされるか分からない。オスクロに向かって、少し待って欲しいと頼む。
「駄目だ。ランダルは回収した。知人でもいたのか? やはりここに連れてきたのは間違いだったな。ほら、部屋に戻るぞ」
「少しだけ待って。誤解されたまま戻る訳にはいかない。
ごめんなさい。私が依頼を受けたのは、混沌都市です。皆さんを救出に来たわけじゃありません」
「嘘だろう!?」
「なら! せめてデュシスに我々が生きていることを伝えてくッ!!」
引き摺られて出口に向かいながら、お互いに叫び合う。最後は鞭の音と目の前で閉まった扉に遮られた。
「戻るぞ」
襟首を掴まれて元来た道を歩く。ピン君とワットさんは、途中で別れ、仮眠をとりに行った。
「彼らとゆっくり話すことは出来る?」
「無理だ。第一、何を話す? 君にヤツラを助けるすべはない」
もう少しだけでも話したい。もしくはポーションを渡すだけでもと思い、オスクロに食い下がった。
「駄目だ。今回の件でティナに対する視線はキツくなるだろう。君と関わりのあるとされた奴隷がこれ以上酷い目にあわされたくなかったら、大人しくしていろ。
今はこの国も不安定だ。弱いもの、目立つものは打たれ潰される。やつらを無駄に責め殺されたくはないだろう?」
もしゲリエが以前と同じ国力を保持していたら、捕虜の交換と言う形で、彼らにも帰る術が出来たかもしれない。だがここまで戦況が一方的だと、ゲリエが全面降伏してからになる。時間もかかるし、どうしようもないと暗い瞳で諭された。
「ま、自業自得だな」
「そうだなぁ~、ほっとくしかないだろうな」
ゴンドとガンバは他人事として捉えているらしく、何処までも軽薄に肩をすくめている。イラッとしたけれど、彼らの言うことのほうが正しかった。悔しいけれど私に彼らを助ける方法はない。出来る事と言えば、クルバさんを通してデュシスに捕虜がいることを伝えるくらいだ。後は何とかデュシスの人々が、方法を模索してくれるのを祈るだけ。
一度首を振り、気持ちを切り替えた。酷い怪我をしているのは、ランダル君も同じだ。手の届く範囲だけでも、何とかしよう。
「ランダル君。とりあえず、これ飲んで」
傷付いた身体を庇いながら、必死に着いてきていたランダル君に中位回復薬を渡した。
「え? これ……ポーション?」
「そ。飲んで。さっきの聞いてたでしょ。私は薬剤師だから。変なものじゃないよ」
ランダル君は本当に飲んでいいのかと躊躇いながら薬を口にした。完全に治った怪我をみて、少しだけ安心する。
「部屋に戻ろう」
クルバさんに早く連絡したくて、先頭にたって廊下を歩き出した。
クルバさんに通信機で連絡を取り、デュシスの捕虜と獣人の国で接触した事を話した。何とか救出が出来ないのかと尋ねる私に対する返答は、歯切れの悪いものだった。
「ティナ、これは一冒険者ギルドマスターの権限を超える。イザベル殿に現状は伝えるが、こちらの住人の代わりに渡せるものは少ないだろう。帰還には時間がかかるな」
「それでは……。でも、何とかならないのですか? もうデュシスはゲリエではない。さっさと講和条約を結ぶとか、国交を結ぶとか……」
「ゲリエの一部として、侵略戦争に加担していた事実は変わらん。難しいだろう。だが彼らの扱いの改善を何とか打診できないか、様々な手法で試してみる。情報、感謝する」
「いえ……仕事と心労を増やしてすみません。よろしくお願いします」
「任せろ。
それよりも、クレフ殿から聞いた。……大丈夫か? キツくなったら帰ってこい。マリアンヌも妻もお前が戻れば喜ぶ」
伝えたかったことを伝えて、切ろうとした時にクルバさんが様子を窺うように問いかけてきた。思いもかけない申し出に、クルバさんの優しさを感じる。
「ありがとうございます。でも大丈夫です。最初からの予定が少し狂っただけですから。大丈夫、これが終わったら少し世界を見て廻ります」
「そうか。無理はするな。では何かあったらまた連絡してこい」
心配そうな声音のまま、クルバさんは通信機を切った。私もベッドの縁から立ち上がって隣の部屋に向かう。他のメンバーに聞かれたくなくて、寝室で話していたのだ。
「おう、終わったか?」
私が出てきたことを確認して、食べかけのクッキーを口にいれたまま、鼬獣人のゴンドが手を上げてきた。
「ええ。お待たせしました」
「うんにゃ、待ってないよ。護衛対象が大人しくしているなら楽でいい。それに今はオスクロ隊長もいるしなー」
今は上司がいるから、例え私が何かをやっても責任を取らなくてもいいとか、そんな感じか? 相変わらず、不真面目なコメントを話す鼬と狐を呆れた気分で眺めた。
「ゴンド、ガンバ。お前達はもう少しきちんと護衛を果たす覚悟を決めてもらおうか」
私と同じ事を思ったのか、オスクロは低い声で二人を脅しつけている。部屋の隅に控えているランダル君がとばっちりで怯えているから止めてあげて欲しい。
「ティナ、気晴らしに庭園にでも行かないか? フィーネが咲いたと聞いた。我らの国でしか咲かない美しい花だ。国花にも指定されている。土産話にもいいだろう」
一頻り二人を睨んで満足したオスクロはそう問いかけた。確かにこのまま部屋に閉じ籠っているのも、いい天気だし勿体無い。ただ私が留守にした間に、またランダル君に何かあると嫌だしなぁ。
「ランダルも同行させればいい。ゴンド、ガンバ、お前達は留守番だ」
悩んでいた事が声に出でいたのか、オスクロはそう言うとランダル君を呼んだ。私が立ち上がるのを待って、外に歩き出す。
「フィーネが咲くのは、温室がある空中庭園だ。少し歩く。ランダル、我々とはぐれるな。中枢部に行くから、もしもはぐれれば不味いぞ」
オスクロに注意を受けたランダル君は、怯えたように距離を詰めた。そんなオスクロの姿を見て、意外に思っていたのが表情に出ていたのだろう。片眉を上げてオスクロが問いかける。
「いや、意外だなと思って。ランダル君はニンゲンだよ? オスクロがそんなに気にするとは思わなかった。どんな心境の変化よ」
「まぁ、な。色々と思うところもある。あの後俺も少しは考えた。それに君が大事にしている相手ならば、最低限の配慮はする」
へぇと感心した声を上げる私に照れたのか、オスクロは足を早めてさっさと先に進んでしまった。
奴隷らしく半裸のままのランダル君と視線を交わして笑いあってから、オスクロの後を追いかけた。




