141.アウトでしょ……。
夕方、指定された神殿の一室に移転で戻ったオスクロに預かってきたアイテム入りの箱を渡す。これから王様に届けると話すオスクロと別れて、私は待っていたピン君と城に戻った。
そんなに急いで渡すなら寄り道しないですぐ帰ってきたのにと気にしていたら、今回の自由時間は虫ご飯のお詫びの一環だったらしい。少しでも気晴らしになれば良かったと笑うピン君に、何と返すべきか悩んで最終的には曖昧に微笑んだ。気晴らしにはならなかったけれど、気になっていた事のひとつを片付けられた事には感謝している。
部屋には留守番していたメンバーの中で猪獣人族のワットさんだけが待っていてくれた。薄暗くなった室内に明かりを灯している時に丁度私達は戻ってきたようだ。
「帰ってきたな」
「ワットさん。遅くなってすみません。他の人達は何処に?」
ピン君が見当たらないメンバーを探して、視線をさ迷わせている。ワットさんは口を一直線に引き結んでから、首を振って答えとしたようだ。
「ゴンドとガンバは、城の収容区域に戻った。同じく奴隷……ランダルはあの二人が奴隷の待機所に連れていくと話していた」
ボディーランゲージでは伝わらないと気がついたのか、猪獣人のおっちゃんワットさんは補足説明をくれた。
「何故? ランダル君は、私がここを去るまでこちらで過ごすと……」
「君が長時間留守にしているのが知られたらしくな。内官からの命令で逆らえなかった。明日の朝イチにはこちらに戻るはずだ。ランダルの扱いについては、オスクロ殿からも指示が出ている。妙な事にはならないはずだ」
何処か自信なさげにそう言うと、ワットさんは夕食の手配をしてくると話して、外に出ていった。私はおそらく不安そうな表情を浮かべていたのだろう。ピン君が宥める為にか、あれこれと話しかけて来てくれた。
「あ、そうだ。ティナさんはジルベルト殿と最近会いましたか?」
私が話に乗らないせいか、話題に困ったのか唐突にそんな事を聞かれる。
「いや、初日に別れたっきりだよ」
「なら今度時間があってお城を離れる許可が出たなら、訪ねてみてはどうですか? 赤燐の駐屯地は王都から馬で半日の距離ですし、ジルベルト殿の自宅はオスクロ隊長が知ってるはずです」
ジルさん家か、確かに興味はあるなぁ。でもその前に、ランダル君が気になる。やっぱり夜だけど迎えに行こうかな?
「ジルさん家、今度オスクロが来たら聞いてみようかな。仕事が休みの日じゃないと迷惑かけるよね」
現在おそらく忙しいオスクロに休みがあるのかは不明だけれど、聞くだけタダだし聞いてみよう。
そう思いながら、部屋の出口に向かう。慌てたようにピン君が立ち上がってついてきた。
「あの、ティナさん、何処へ?」
「ランダル君の所に迎えに行こうかと。何処に待機所があるか分かる? なら案内して欲しいんだけど」
「え、いや。夜間に待機所周辺に近づくのはやめた方が良いです。ティナさんはお客様とはいえ人間種ですし危険です」
「ああ、君が夜間待機所に近づくのは危険だな。下手をすれば奴隷の奪取に来たと邪推されかねん」
扉の前で話していたら、お盆片手に帰って来たワットさんにも駄目だしを受けた。そのまま席に座るように誘導されて目の前に夕食が並べられる。私が二皿、ピン君達には一皿だ。
「ほら、喰いながら話そう」
促されて席につき、祈りを捧げて食べ始める。食事をしながら話すタイプではないのか、ワットさんは無言でフォークを進めている。気になりつつも私も食事を始めた。食べる速度と種類の多さでやはり私だけが食べ終わる時間がずれる。その私の食事風景を見つつ、ワットさんがさっきの話の続きを始めた。
「我々はそんな事はないと知っているが、獣人の中でも特に疑り深い種族は、まだ君の事を疑っている」
「疑って?」
「スパイ、工作員、呪いの黒幕等々だな」
ため息混じりにそう言われて、食べる気が失せたフォークを置いた。
「……やっぱり私が人間種だから?」
「それもある。そして、他にも……な。君の生まれについては、護衛の我々には通知されている。だが沈黙の誓いは捧げているから心配するな」
生まれ云々で眉に皺を寄せた私に、言い訳するようにワットさんは早口で伝えてきた。万一、他の誰かから私の生まれについて聞かされて動揺しないように、護衛を引き受けると同時に知らされていたそうだ。
「……それを知ってるのは何処までなの?」
「国王から直接伝えられたオスクロ殿。後は数人の政府高官くらいか。王族の方々のことは分からない。だが知る者達はみな沈黙を誓っている。不用意に広まることはないはずだ。それでも君が不用意に動けば疑いの目は濃くなる。だからランダルの迎えは明日、日が昇るまで待ってくれ。それに明日の朝イチにはランダルの方からここに戻ってくるさ。君に随分なついている様だった」
宥められて渋々頷いた。そのまま今日は休めと言うワットさんにも従って、お湯を貰い寝支度を整える。日が暮れれば眠り、日が昇れば働きだす。それはどこの国でも一緒だ。王城だからその気になれば夜更かしも出来るけれど、私が起きている限り護衛役の二人も休めない。
今日は不寝番として隣室に控えるというワットさんとピン君にお休みの挨拶をして、早々にベットに潜り込んだ。仮眠は好きにとってほしいと伝えて、ついでにソファーで良かったら使って欲しい旨も合わせて伝えた。面倒だけれどイチイチ言わないと、彼らは床で仮眠をとるか、扉の前に一晩中立って護衛をする。
正しい護衛と主人の関係だとは言われるけれど、どうもそう言うのには慣れない。ついでに隠れ家を出すのは止めて欲しいとの要請も受けていた。
借り物のベッドに横になり、随分見慣れてきた天井を見上げる。何かしている間は気が紛れているから何ともないが、静かになると後悔が押し寄せてくる。
ー……ダビデ。ダビデ、ごめん。ダビデ。
声を上げれば隣で護衛してるピン君達に気取られてしまう。堪えきれず流れた涙を寝返りを打つ振りをして、枕に押し付けた。そのまま眠気が訪れるのを静かに待つ。
最近では毎日の事だけれど、ようやく私に眠気が訪れたのは真夜中も過ぎた頃だった。
「おはようございます。ティナさん」
「おはようございます、ピン君。ワットさん」
朝の挨拶をしてソファーに移動する。
「……くまが浮いてますが、眠れなかったんですか?」
「ん? 元々眠りは浅いほうだから、気にしないで。それよりもランダル君やガンバ達はもう来たの?」
心配そうに話しかけられて、苦笑しつつ誤魔化した。ジルさんやアルオル相手ならバレる嘘だけれど、付き合いが短いピン君達なら十分に誤魔化せる。現になら良いんですがと言いながら、ピン君は今日の予定について話始めた。
「ランダルはまだ戻ってません。奴隷が主人の目覚めよりも遅くなるなど許せませんね。戻ったら罰を与えた方が良いと思います。
ゴンドとガンバはもうすぐ来るはずです。彼らが来次第、僕らは一度下がって仮眠をとります。午後には合流しますから安心して下さい」
私が虫を突きつけられて以来、ゴンドとガンバに苦手意識を持っていることを知られている。今まではあの二人だけ長時間一緒にならないように配慮してくれていたんだけど。
「大丈夫だ。今日の午前中はオスクロ殿が着いてくださる」
表情に不安が出ていたのか、ワットさんがあの二人だけではないと教えてくれた。オスクロも一緒なら大丈夫かな? 最悪部屋に籠ればいいか。
そんな事を考えている間に部屋の扉がノックされて、オスクロと途中で一緒になったと言う二人組が表れた。
「あれ? ランダル君はまだ?」
引き継ぎを済ませても現れないランダル君が心配になって、ピン君達を送るがてら、奴隷の待機所に向かうことにした。
「ティナ、待機所に着いたら俺が先に話す。いいな?」
問題を起こさせない為かそう言って釘を刺すオスクロに頷いた。
「分かった。それで今日は何をするの? わざわざ隊長さんが私に同行するなんて、何かあったの?」
「……王妃様が倒れられたからな。万一にもお客人に何かあると不味い。サユース殿とは宮廷魔術師や薬剤師達が共に作業しているから心配は不要だ。現在一番守りが薄いのが君だと判断されて、俺が遣わされた。それで、疲れているようだが何かあったか?」
ピン君にも指摘された顔色の悪さを、オスクロにも気にされてしまった。特に何もないと否定して、王宮の廊下を歩く。普段の活動区域から随分離れた。きらびやかさは抑え目になり、実用的な内装になってきた。
「心に澱があると呪いに掛かりやすくなる。弱ったままでは持たない。気晴らしが必要ならいつでも言うといい。何かやりたい事があるなら、出来るだけ叶えるようにと陛下からも言われている」
私の後ろを追ってきながらオスクロはそう話した。私の前ではゴンド&ガンバが道案内のために先導している。
「なら、ジルさんがどうしてるか気になるから、こっそりとバレずに見に行きたいかな……」
遠くから聞こえてきた金属音と歓声に気を取られつつ、オスクロに頼む。次に時間が取れる時に馬を手配すると快諾してくれて、気が楽になった。
「な~んか、騒がしぃなぁ……。こりゃ~何かイヤなモノを見るかもね。それでもいくのかぁ?」
間延びした口調でゴンドが話した。オスクロ達も耳を騒ぎが聞こえてくる方向に向けて、聞き耳を立てている。
「勿論。ランダル君が何で来ないのか確認しないと。万一この前の虫ご飯絡みだったらどうするのよ」
なら急ぐぞと話したガンバの後を追って小走りに走り出した。オスクロはそんな私を追い抜いて、前に出る。視界がオスクロの背中で遮られて通らなくなった。
いくつかの角を曲がり、廊下を抜ける。木で作られた頑丈そうな扉を開けたら、むき出しの地面が広がっていた。遮る物がなくなり、歓声だと思っていたモノの正体が分かる。
地面に擦れる金属音と嘲る笑い声、鋭く空気を切り裂く革の音。そして高く低く、絶え間なく響く悲鳴だ。
「何が起きてるの?!」
オスクロの背中から顔を出して覗こうとしたけれど、それより早く後ろから肉厚の手に視界を遮られた。
「見るな。これは子供が見て良いものじゃない」
ワットさんの暗い声が頭の上から降ってくる。前からは歯ぎしりの音もする。
「これはこれは、オスクロ隊長。なにごとで?」
揉み手でもしていそうな軽薄そうな男の声がした。その声に答えるオスクロの声は何処までも冷たい。
「今、何をしている? こちらのお客人につけられた奴隷が朝になっても戻らず、確認に来た。ランダルは何処だ?」
「ランダル? はて?? 誰か、ランダルを連れてこい!!」
心底不思議そうな声でそう話すと、どこかに向かって男は指示を出したようだ。その間も、金属が擦れる音と悲鳴は途切れることがない。
「それで?」
「いえ、ただの奴隷どもの朝の運動です。サボり癖のあるものも多いので気合いを入れておりました」
ワットさんの手を避けようとしたけれど、がっちり掴まれていて、なかなか外せない。少しイラッとして、筋力の制御を外し力を入れて手首を握る。
苦痛に小さく息を飲んだワットさんは、反射的に私の顔から手を外した。そのタイミングを逃さす、オスクロの背後から前に飛び出す。
「ッ!?」
あんまりな光景が広がっていて、反応が出来ずにただ息を呑んだ。
「こら!! 大人しくしていろ」
慌てて私の肩を掴むオスクロと視界を遮るために走りよってきたピン君に両脇を固められる。
「これ、アウトでしょ……」
ようやく絞り出せた声は、我ながら無様に震えていた。
低い位置を回る長い鎖。前後の人間と首の鎖で繋がれたまま、回ってくる鎖を飛び越える事を強要されている人々。上半身は裸で、動きが少しでも遅くなれば円を描く周囲を囲む看守? 奴隷守? の獣人たちが容赦なく鞭を振るう。鎖に足を取られれば、周囲に繋がれた奴隷達ごと転倒する。そうしたら、雨霰と更に鞭打たれる。
悲鳴をあげることも出来ずに動けなくなれば、鎖を外され輪の外へ。また他の奴隷が連れてこられて、輪に加わる。
どれだけの時間そうしていたのか、彼らの多くは汗まみれ、血塗れだ。
「テ……ティナさん!!」
輪の外篇部にいた少年の一人が助けを求めるように私を呼んだ。その声の方向を見れば、まさしく昨日別れたランダル君だ。ただ上半身はこれでもかと鞭打たれたらしく、粗末な腰布にも滴り落ちた血が滲んでいる。
「ランダル君!! オスクロ!!」
初めの名前は安心させるために、二度目の名前は命令口調で口から放たれた。オスクロもすぐにランダル君を助けに行ってくれる。
「ニンゲンが……」
オスクロが離れた途端に、奴隷守の一人が吐き捨てるようにそういった。不服を伝えようと、一歩前に出たピン君を見据えて更に言い募る。
「敗残者どもが。何が不服だ?」
明確に悪意を伝えてくる相手に、瞬時に血が登った。怒鳴ろうと息を吸う私の出鼻を挫く声がしなかったら、確実に罵倒していただろう。
「悪辣娘さん!」
「規格外薬剤師殿!!」
ランダル君の声に誘われて、私を見た奴隷達の一部から、そんな呼び掛けがされた。まさかのその声に、怒りは驚きに取って変わられる。目を見開いて声がした方を確認すると、さっきまで力無く座り込んでいた脱落奴隷達の一部が身を起こし、こちらに腕を伸ばしていた。




