137.王城へ
王城へと向かう馬車の中、護衛の兵士達に囲まれた前の車両には、サユースさんとお弟子さんが、後ろの馬車には私とオスクロが乗っている。虎の王様は馬上から国民に笑みを振り撒いていた。
明るい外とは対照的な気まずい沈黙の中、無言で私を見つめるオスクロに視線を流した。
「何?」
「……いや」
何か言いたいことでもあるのかと思って話しかけても、短く否定される。でも視線が離れることはない。居心地の悪さを感じながら、小さな窓から外を見た。
先頭の兵士達や騎乗した王様のせいか、王家の馬車だと一目で分かり、道行く獣人達は脇に寄り、馬車の一団を優先的に通している。小さな子供を中心に追いかけ、手を振る人たちもいた。
デュシスや混沌都市に比べても、緑が多い。一軒毎の敷地も広そうだ。石造りが主流の街が多かったけれど、ここの建物は煉瓦と漆喰で作られている。道もほとんどが剥き出しの地面だ。
「珍しいか」
ピコピコと動く獣人の耳や尻尾を目で追いつつ、街を観察する私に、オスクロが問いかけてきた。
「うん。こんなに屈託なく笑う獣人の人達は初めて見るから」
「……そうか」
そのまま室内に沈黙が落ちる。しばらくして、ぽつりとオスクロが呟いた。
「すまなかった」
「何が?」
突然の謝罪に怪訝な顔をしてしまう。何か謝罪されるような事、されたっけ? もしくはこれからされるのか?
「もう首は大丈夫か。痣は残っていないようだが……」
チラチラと窺うように視線がさ迷う先は、私の喉元。記憶を探って謝罪されている内容に当たりをつけた。
「首? アザ? ……あぁ、出会った時のアレ?」
今さら何を言うのかと思いながらも問いかけた。あの後、ケルベロスとの戦いもしてるし、大丈夫なのは分かってるだろうに。
「そうだ。その……すまなかった。それに境界の森での、我々の対応も改めて謝罪したい」
揺れる馬車の中で、オクスロは深々と頭を下げた。そのままの姿勢で、謝罪を続ける。出会った頃に比べて、発音も明確だし落ち着いた口調で話している。本来の口調がこれなのか、それとも王の客人と言うことで、遠慮しているのか。どっちでもいいけど。
「あんな対応をした我々を、ゲリエ国境の山脈まで移転させてくれたこと、祖国に戻ることが出来た我ら一同深く感謝している。あのとき、お前……いや、君がレイモンド殿に我らの事を頼まなければ、山中で見捨てられていただろう」
「見捨てるって。そんな馬鹿な」
そもそも、獣人達をゲリエの国から逃がすために協力してたのに、あんなことで袂を別つことにはならないだろう。
「いや、道中、本気で叱責をされた。それでも、仲間を自由にせずに、連れていった君を許すことも信頼することも出来なかった。説得と叱責を続けられていたレイモンド殿も、最後には我らに呆れ、去っていかれた」
「おやまあ……」
「一応、ゲリエは抜けていたからな、契約は果たしたと吐き捨てられた」
「お気の毒に」
頭を上げて私の口先だけの同情を否定するオスクロは淡々と先を続ける。
「今思えば当然だろう。まさかニンゲンが本当に、獣人を自由にするために行動するとは思わなかった。君の行動に感謝を」
「別に感謝されることではありません。私は当然の事をしただけ。
それよりもさ、オスクロ様。今、この国では何が起きてるの? サユースさんに、護衛と言う名の緊急連絡要員で連れてこられたけど、私は何も知らないんだよね」
「オスクロでいい。前はそう呼んでいただろう」
「そっちこそ、そんなにマトモな口調で話すとは思わなかった。最悪、暴力を振るわれるくらいは覚悟してたんだけど。もしそうなったら、やり返すけどね」
「口調は一応、な。王のお客人だ。危害は加えさせない様に護衛がつく。心配するな」
ああ、やはり王様のお客さんの連れだから、仕事モードでこの口調か。そして、護衛役の冒険者に配備される護衛。それいかに。
「その口調だと、違和感しかないかな。お互いにネコ被るのは今さらだと思わない? それで、教えてくれる気はあるの?」
突っ込み処満載の会話に、苦笑しつつ質問の答えを促せば、相手も苦い笑みを浮かべる。
「そうだな。では、本来の口調で話させて貰う。
それで、この国で何が起きているか……か。どうせ王城で説明を受けた後に、実際に視察に行くことになるだろうが……」
ようやく聞き覚えのある口調でオスクロが話し出した所で、ガタンとひとつ、馬車が大きく揺れて止まった。このまま中で待つようにと、オスクロはそう話して武器に手をかけ外へと出ていった。
窓から進行方向の先を見ると、人だかりが出来ている。オスクロを含めた数人の兵士達が近づく。
そこには、頭を抱えた獣人の少女と、ぼんやりと宙を見つめながら腕に刃物を突き立てているネズミのおっさんがいた。その二人を囲むように笑いながら踊り狂っている数人の少年少女もいた。
踞る少女の頭からは、多分兎耳だと思われるものが覗いていた。
前方の馬車の扉が開き、サユースさんとお弟子さんが狂気の一団に近づいていくようだ。一応、護衛と言う名目で来ているから、慌てて外に飛び出し、サユースさん達の前に出る。
「危ないよ」
「いや、私、一応護衛なので」
一塊で集団に近づいていったら、護衛達が慌て出した。少し離れたところで、こちらを見ていた虎の陛下も、護衛達の制止を振り切りこちらに向かってきている。
「呪いだね」
兵士に囲まれても自傷をやめない鼠獣人と、頭を抱えて恐怖に震える兎獣人をじっと見たサユースさんはそう言うと、お弟子さんに持たせていた荷物から、掌に乗る小さな壷を出させた。
私も含めて止めようとした人達の手をかい潜り、サユースさんは薬指に壷の中身をつけると、それぞれの額に擦り付けた。
久々にスパイシーな匂いを感じる。エスニック料理を思い出す香りだ。
「おお!!」
いきなり大人しくなり、気絶するように地に伏した鼠と兎の獣人を見た群衆が驚きに声をあげる。
「サユース殿!」
恭しく群衆に膝を折り挨拶をするサユースさんの脇に、王様が降り立った。
「厄介な呪いだねぇ。私でも完全に払うことが出来なかった」
王様に厳しい表情を向けたサユースさんは、首を振りお弟子さんを連れて自分の馬車に戻っていく。気絶した獣人と踊り狂っていた人達は、周囲の人々に保護されているようだ。普通ならばもう少し動揺があってもおかしくないと思うのだけれど、当たり前の様に日常が再開される。
オスクロに促されるまま、自分用の馬車に戻る。少しして馬車が走り始めた所で、それまで沈黙を守っていたオスクロが重い口を開いた。
「今のが、何が起きているのかの答えだ。もう一年以上になるか。
初めは戦争で住人達の精神が不安定になっているのかと思われていてな、対策が後手に回った。王が異変を感じたときには、この症状は全土に広まっていた」
「踊る、うずくまる、自傷? 何の病気よ。精神圧迫症?」
「その病名は知らん。
最初は不眠から始まるものが多い。その後、幻覚、幻聴、攻撃性が出るものもいる。症状が重篤化すると死に至るものもいる。我々獣人は兵士ではなくても、闘えるものが多い。自殺の前に、関係のない者を殺し始める者もいる」
「酷いね」
「我々も必死に原因を調べたがな。知られているように獣人は魔法を苦手とする。ようやく呪いだと予想がついたのが、先月だ。その後、この国の魔法使いや呪術師たちが対策を行ったが、効果はなかった。故に、先代の友人であるサユース殿を頼った。後は知っての通りだ」
そこまで話すと、オスクロもまた窓の外に視線を流した。
「サユース殿が最後の希望。混沌都市が現在厳しい状況なのは分かっていた。護衛を出せないと拒絶するダンジョン公を説得して下さったのは、クレフ老だ。君を護衛につける事を条件に、プレギエーラ公もサユース殿がここに来ることを認めた」
「へぇ、そんな訳で私に声がかかったんですか」
「ああ、最初は勇者も候補だったが、境界の森を攻略すると断られた。
君がこの国で自由に動くことは難しいだろうが、陛下より護衛を申しつかった。俺が四六時中一緒にいられればその方が安心だが、そうもいかない。何人か選定して護衛をつけた。君に好意的な相手を選んだはずだ。滞在中はそいつらを頼ってくれ」
了解と軽く答えている間に王城に到着した。サユースさん達と一緒に王城の奥に案内される。
「さて、陛下。この国は確かに呪われている。それもかなり厄介な呪いだ。詳しくは調べてみないと分からないが、一筋縄じゃいかないだろう。明日から動かせて貰うよ」
詳しく説明を求める周りの声を無視して、サユースさんは言い切ると、お弟子さんと一緒にさっさと与えられた自室に籠ってしまった。歓迎の宴等も何も全て断ったらしい。私は、緊急時までやることもないから、自由にしているようにと言われている。
サユースさん達の部屋から少し離れた建物の隅の方に、私が休む部屋がある。そこにオスクロと一緒に向かうと、懐かしい顔があった。
「おひさしぶりです!」
私の顔を見て目を輝かせたのは、第6境界の森で出会ったピン君だ。その横には、立派な牙と小さい耳、がっしりとした大柄な体つきのおっさんがいる。その他にも、数人居心地が悪そうな獣人がいた。そして、その人達の足元には土下座スタイルの、痩せこけた人間がいる。
無言でオクスロを仰ぎ見れば、紹介すると言われて、向き直された。
「境界の森で君に助けられた者達だ。ピンは覚えているか? レッサーパンダ族の兵士だが」
「ええ、お弁当にご招待したピン君ですね。覚えてますよ、その節はジルさんが失礼しました」
謝ると高速で首を振られる。そのまま抱きつかれて謝罪される。引き剥がそうとしてもくっついたままの、ピン君のことは諦めて残りの人達に視線を向ける。
「その、前回は悪かった」
「……ニンゲンにしては、良いやつなんだな」
猪獣人が躊躇いがちに謝れば、残り獣人達もぼそぼそと話す。少なくとも出会った時の憎悪は向けられていない。
「えーっと、そちらは?」
土下座のままピクリともしない人間のことを尋ねると、オスクロは何でもない事のように話す。
「ああ、ソレか? ただの奴隷だ。戦争奴隷だが、民間人で大して役にも立たない。処分も考えていたが従順で害もないからな、滞在中、君の下僕として使うと良い。どのように扱っても文句は言わない」
「え?」
よろしくお願いしますと、低く下げていた頭を床に打ち付けながら、挨拶をする人を改めて観察した。
多分、若い男の子だ。成人前後、艶のない髪と清潔なだけが取り柄の服から覗く背に刻まれた鞭の痕で、どんな扱いをされていたのかは簡単に予想できた。
「私、人間なんだけど」
「人間は人間を奴隷にしないのか? そんなはずはないだろう」
キョトンとしてオスクロはそう言うと、気に入らないなら別のモノを準備すると話し出した。それを聞いた途端、少年は震え出す。土下座のまま私の所へにじりより、足にしがみつく。
「どうか、どうかお願いします。同じ人間ではありませんか。助けると思って、僕を置いてください!!」
その少年を私に抱きついていたピン君が容赦なく蹴る。一般に、やくざキックというやつだ。
「フン、ニンゲンとは言え、ティナさんはいい人だ。僕らが守る。お前は地べたを這いずり回って、働けば良い。さあ、ティナさん疲れたでしょう? 中に入りましょう」
出会ったときは素朴そうだったピン君の変わりように驚いて固まっている間に、室内に招き入れられた。蹴られた少年は入り口の前で土下座のまま見送っていた。
「大丈夫だから、貴方がいいなら、滞在中よろしくね」
何とかそれだけは伝えられた。弾かれた様に顔を上げた少年の顔には、新しいものから古いものまで、いくつもの痣があった。泣き笑いを浮かべたまま、また深々と頭を下げる少年の目の前で扉が閉められた。
それなりに広い部屋には、お茶のセットが準備されている。私とオスクロをソファーセットに誘導して、ピン君は生き生きと働き始めた。
あまりの事に目が点になりつつ、オスクロを見つめる。私の視線で説明を求められていることに気がついたのだろう。オスクロはため息混じりに話し出した。




