131.箸休めー贄にはさせない
「ィテて、ここ何処だよ。おーい、ババァ?!」
闇に包まれた空間に、ハルトの声が響く。キョロキョロと周囲を見回す彼に、艶やかな女の声がかかった。
「もう一人のお客様でしたら、夫の所です。勇者ハルト様?」
驚いた様に声がした方向。上空を見つめて、ハルトは声を上げる。
「お前はッ?!」
叫びながら剣を抜き、斬撃を現れた貴婦人に放った。高い金属音がして、斬撃が弾かれる。貴婦人を庇うように、男が一人立っていた。
「私のイヌは優秀でしょう?」
青い宝石がついた指輪を煌めかせながら、黒いドレス姿のマリーツァは唇を釣り上げる。
「私どもの招待に応じてくださり、感謝致します。異界のお客様。いえ、勇者様とお呼びすべきですわね。
己が生み出したものであっても冷徹に切り捨てた、我らがメントレ様。その至高神の力を唯一その身に受けたお客様方。
貴方達を新たな神に捧げれば、きっと満足して頂けるわ。きっと娘を解放して貰える。だから、死んで頂戴?」
満面の笑顔のまま、マリーツァは背後を振り返った。壁に嵌め込まれる様に、トリープが囚われている。どうなっているか分からないが、漆黒の壁に、両手首から先と腰から下は飲み込まれていた。
「トリープ!」
意識がないらしく、ガクリと下がったままの頭に向かって、ハルトが声をかける。
「……ハ……ルト?」
ゆっくりと顔を起こし、声の主を探すように視線を巡らせるトリープは、まだぼんやりとしていた。ようやく焦点が合った途端、身体を捻り暴れつつ、必死にハルトに訴えた。
「ハルト! このバカ!! 何で来ちゃったんだ。ボクなんか見捨てれば良かったんだよ!!」
「待ってろ!! 今、助ける!」
剣を構えるハルトに、トリープは頭を振った。
「ボクの事は良いんだ。最初から分かっていた。ボクは目的の為に生かされているに過ぎない。仮初めの命を吹き込まれた人形……。もう知ってるんだろう?」
「何の事だよ?!」
絶望した顔のまま微笑むトリープを見て、ハルトは必死に問いかけた。
「ボクは一度死んでいる。ボクの身体を気に入ったナニカは、母様と契約してボクを生き返らせた。でも、それは完全じゃない。
……ボクの身体に熱はない。
ボクの身体は夜、眠りを必要としない。その分昼間は凄く眠いけどね。
ボクの身体が成長することはない。
…………ボクは、不死の魔物となって、この地に甦った。姉様はボクを人だと言うけれど、ボクはボクの事を知っている。
ボクは、魔物の母を宿らせる為の人形だ。父様と母様が契約して、魔物の母がこの身体を使うまでの間だけ、ボクが使っている」
「魔物だと?! 何を言っているんだ!!
トリリンの姉だって、両親はどうなってもいい。トリープだけは助けてくれって言ってたんだぞ?!」
「大丈夫よ! トリープ!!
貴女よりも、地母神様に気に入って貰える器を作るから。お客様二人から抽出した神の欠片を合わせれば、十分に出来るはず」
「おい、どういう事だよ!!」
「私の娘を助ける為に、ワタクシと地母神様との契約を果たすために、犠牲になってくださいませ。
……ああ、トリープ、泣かないで。大丈夫、貴女を贄にはさせないわ。母が守って上げます。必ず助けます」
意思の疎通が出来ない状態のマリーツァはそう言うと、イヌと呼んだ男をけしかけてきた。それに持っていた勇者の剣で反撃しつつ、ハルトは叫ぶ。
「トリープを贄になんかさせるかよ!!
けどな! 俺だって殺されてやるつもりもない。ほら、かかってこいよ、殺してやる!!」
金属同士が打ち合わされ、火花が散る。体勢を入れ替え、攻守を交換しつつ、ハルトとイヌと呼ばれた前ギルドマスターとの戦いは続く。
「お前は何で戦ってるんだ!!」
幾度目かの打ち合いが終わり、少し距離が開いた所でハルトが問いかける。
「……我が神の望みのまま。我がミレディにお仕えする。
この地に変化を。この地に希望を」
ブツブツと答えながら、イヌはハルトを休ませる事なく、また懐に飛び込んできた。手傷を負ってもまったく怯む事なく戦い続ける相手に、ハルトが焦り始める。
「ハルト! 駄目だよ。落ち着いて。一度引いて、体勢を立て直して」
自由になる頭部を必死に動かし、トリープがハルトに訴えかける。
「あら、ダメよ。逃がさないわ。
貴方はここで死ぬの」
艶かしく小首を傾げ、流し目でハルトを見ながらマリーツァは言いきった。そして魔法で攻撃を開始した。
拮抗していた戦闘が一気に不利に傾く。魔法をかい潜り、マリーツァに肉薄する。
「とりあえず、寝ててくれ!!」
そう言いながら振るった剣は、イヌと呼ばれた男。元冒険者ギルドマスターであるケッツァーに防がれた。無理な姿勢で放った無理な攻撃。決定的な隙がハルトに出来る。
マリーツァがこの隙を逃すはずはなく、巨大な黒い炎を打ち出していた。ケッツァーの短剣の輝きも視界の端に捉えている。逃げ切れないと判断し、衝撃に備えて、ハルトは身を固くした。
……だが、いつまでたっても、剣で斬られる衝撃も、魔法で焼かれる痛みも身体を襲わない。
「……トリープ!」
どうやって拘束から逃れたのかは不明だが、ハルトを庇う位置にトリープは立っていた。いつもの踊り子のような格好は焼け爛れ、その胸には短剣が刺さっている。
まさか娘を攻撃してしまうとは、予想だにしていなかったのか、マリーツァは唇を震わせたまま立ち尽くしていた。
「ハル……ト、だい……じょう、ぶ?」
ぐらりと傾いだ身体を抱き止めながら、ハルトはトリープに答えた。
「大丈夫だ、怪我はない。だが、何故庇った! 今、治すから!
少しだけ頑張れ」
焦りつつ治癒魔法を使うハルトだが、すぐに顔色を変えた。
「何故?! 何で魔法が効かない?!!」
「……ボクは、魔物だもん。ふつ……うの、治癒は効かないよ。ねえ、このまま逝かせて。ボクは……ボクのまま死にたい」
「ダメだ!」
「駄目よ!」
ハルトとマリーツァの声が重なった。
「我が神、地母神様! どうか今一度、お慈悲を!!」
マリーツァは娘を助ける為につい先程までトリープが拘束されていた壁に向かって祈り始めた。その母を一瞥し、トリープはハルトの頬に手を伸ばす。
「ハルト、ボクは……誰かを笑顔にする人間になりたかった。
悪を倒し、弱い人達を助ける、正義の味方。誰に笑われても……そんな魔法少女になりたかった。でも、ボクは何処までいっても、魔物の出来損ない……。
ねぇ、ハルト。笑ってくれないかな? ボクはボクのまま死ねて満足なんだ。姉様に伝えて? ボクは幸せだったと……」
「ダメだ! しっかりしろ。すぐにババァの所に連れていく。アイツは薬剤師だ。きっと何とかしてくれる」
瞳を閉じるトリープを揺さぶりハルトは訴える。しかし、トリープが答えることはなかった。
「ああ! なんて事。どうして?! トリープ!!!
地母神様! 我が娘の復活を!!」
嘆き悲しむマリーツァは、壁にすがり付いた。その壁から黒い靄が現れ渦を巻き始める。ハルトは本能的な恐怖を感じ、左手で抱いたトリープを庇いつつ、剣を向けた。
「我が神、地母神様」
それまで立ち尽くしていたケッツァーが弾かれた様に、地面に頭を垂れる。マリーツァは黒い靄に向かって必死に訴え続けていた。
「どうか、どうか今一度、娘トリープの復活を!」
「断る。我とそなたの契約は、果たされている。そして、そなたは契約を果たしていない。わが依童はどうした? 我が身を宿すのを嫌がり、死を選んだのか。
そのような者、なぜまた生き返らせねばならぬ?」
「どうか、どうか……。生き返らせて頂ければ、我が身を捧げます。わが魂を捧げます。どうか娘を」
哀願するマリーツァにむけて、靄は哄笑を放った。
「愚か!! 汝の魂など、とうに我が物よ。我が贈り物を受け取ったときより、そなた達夫婦とその血族どもは、我が配下。それも分からぬとは、愚かの極み!! それすら分からぬ愚か者を、二度も助けるほど我は甘くはないわ!
さて、我が下僕ども、そこにいる、にっくきメントレの欠片を、我に捧げよ。我の怒りを慰撫せよ」
「どうか娘を!!」
激昂したマリーツァは指輪を輝かせ、黒い靄に攻撃を放った。だが、靄からは嘲るような声が漏れるだけだ。
「我が与えた力で、我が傷つくものか。この地に我らを縛り付けた憎きものよ。慈悲を与えた我に牙を剥くか。そこまで愚かだとは思わなんだ」
ピタリと笑い声を止め、靄から怒りの声が響いた。そのまま、黒い靄の一部がマリーツァとケッツァーを包む。歓喜の笑みを浮かべて靄を迎え入れていた。
「そんな!! 何故です! ワタクシは懸命にお仕えしたはず。夫も、娘も差し出したではありませんか?! 何故で……?!」
闇の中怯えたようなマリーツァの声は、途中で途切れた。闇が濃くなり、生き物のように蠢き出す。息を呑んでハルトが見守る中、ゆっくりと闇は指輪に吸い込まれて消えた。
「さて、勇者よ。お前には死んで貰う」
皮膜で覆われた翼をはためかせ、真紅の瞳を輝かせたマリーツァは、靄から響いてきていた声でハルトに語りかけた。その足元には、ケッツァーの面影を残す魔族が跪きている。
「……お前は誰だ?」
本能的な恐怖に身を震わせながら、それでも気丈にハルトは剣を向けた。これは先程までの狂気を含んだ人間ではない。別のナニカだと、本能が警告していた。
「我は地母神。この地と混じりし、滅びに瀕していた世界の創造主なり。同じ創造神であるメントレの力を受けし魂よ。その力を我に捧げよ。……我は我が地を救う。この地がどうなろうと」
マリーツァの身体から、様々な魔物が表れ、ハルトを襲い始めた。それを迎い討つために、ハルトは身構える。
「死んでたまるか!! 俺は勇者・ハルト!
この世界を救う、勇気ある者だ!!」
その言葉と同時に、ハルトと地母神達との長い戦いが始まった。




