130.安寧の管理か 波乱の自由か
「え……」
私の声が虚ろに響く。優しい風が吹いて、ローブを揺すった。警戒し周囲を確認しながら、回廊を歩く。マップは表示されない。真っ白空間が広がっている。
小鳥の声に導かれて、中庭を見る。そこには、東屋でお茶をする貴族の家族がいた。
「あの!!」
魔物に変ずる可能性もあったが、このままでも埒はあかない。何故なら見える範囲で回廊には出口がなく、また中庭に降りる階段もない。
私の声に気がつかない様に、微笑みながら家族でお茶を飲んでいる。両親と幼い女の子が二人だ。
その内の一人が、何かが気になったように、顔を上げて椅子から飛び降りた。
身振りで止められている少女は、ドレスの裾を靡かせて、中庭の端にある噴水に走りよった。
振り返り家族の方を見て、そこにいた蝶を指差す。穏やかに微笑んでいた家族は、それを見て、顔色を変えた。
父親だと思われる貴族が走り寄る。悲鳴の形に変えた唇を必死に押さえる母親。そして、良く分かっていないのか、ただ妹を見ている姉。
少女はそんな周りの反応を面白そうに笑うと、紫の美しい蝶に手を伸ばした。蝶の燐粉に触れた途端、少女は苦しみ始めた。
良く見れば、蝶の顔は人のモノだ。高笑いでも浮かべているのであろう。大きく口を開けて天を仰いでいる。
腰に下げた剣を振りかざし、父親が魔物に斬りかかっていく。地面に倒れた少女は、泡を吹いて痙攣し始めていた。
「ああ、もう!!」
ここは普通ではない場所だから、何が起きるのか確認するまでは、大人しくしているつもりだったが、目の前で死にかけられて放っておけない。舌打ちしつつ、無詠唱で治癒魔法を放つ。
私の魔法を待っていたかのように、回廊と中庭を隔てる空間が強い光を発した。
咄嗟に目を庇いつつ、必死にどうなったを見る。輝く白い壁しか見えない。更に光が強くなり、我慢しきれず瞳を閉じた。
瞼を焼く光が収まったのを感じて恐る恐る目を開ける。
目の前の風景がまた変わっていた。ここは、何処だろう?
暗い地下室だろうか。ひんやりとした湿った空気を感じる。
「……? …………?!」
廊下の突き当たりにある扉から音が聞こえる。さっきみたいな魔物との遭遇があると嫌だから、オススメシリーズを剣に変え、防具も全身甲冑モードに変えた。前回デュシスで着替えた時も思ったが、本当に派手だなぁ……これ。
身体に沈黙の魔法をかけて、扉に向かう。細く光が漏れる隙間から、中を覗きこんだ。
室内には、男が二人。一人はさっきの貴族だろう。もう一人は、中年の街人だ。荒事も出来そうな肉厚のナイフを複数腰に下げている。
「……本当なのか?」
「ああ、新しい神の世界では、復活は一般的な技術だ」
「しかし……それでもこの世界を作ったメントレ様を裏切る訳には」
「だが、それでどんな変化がある? あの調律神は、律し管理するだけの神だ。今の世界のままでは、お前は娘を取り返せない」
言い合う男達は、真剣な顔のまま言葉を交わしている。さっきは良く見えなくて分からなかったが、この貴族の顔、何処かで見たことがあるような……。
「娘の事は……諦めた。今まで、他の者には宿命だ、諦めろと言ってきたのに、娘の身だけ特別扱いにするわけにはいかん」
「なら、この土地の住人の為ならば、どうだ?」
何らかの提案を拒絶した貴族に、相手の男が食い下がる。不快そうに眉をひそめた貴族が部屋から出ようと私の方に向かって歩いてくる。
「話にならん」
「ここの住人達は、種族の溝を越え、恋愛し結婚している。だが、異種族婚は苦難の道だ。この地では、混ざった血の者は、血族を残すことが難しくなる。それでも、愛し合ったからと一緒になった者達をお前は守れるのか?
混血が出来ねば、種族の溝も埋まらない。異種族同士の戦いも無くならないぞ! そんな時、この土地はどうなると思う?
今はお前がいるから良いだろう。だが、娘の代になったら? その子は? ここが少数派でいる限り、滅ぼされる可能性は色濃く付いて回る」
「何が言いたい?」
「あちらの世界では、異種族婚も普通に行われている。地母神様を頂けば、世界が変わる。ここはマイノリティでは無くなるんだ」
「夢物語だ」
「違う! 聞け、アルタール!!
確かに今は夢物語だ。だが、これは実現出来る夢物語だ。
人と獣人、妖精、今は魔族とされている者達。その者達が手を取り合える世界が、作れるんだ!」
笑止と言い、私が聞き耳をたてる扉を開く。逃げようと思っていたけれど、何故か体が動かなかった。
扉を開けたアルタールと目があった気がする。
そこでまた、視界が白く染まった。
「神よ! 新たなる神よ!!
そなたがこの地に変化をもたらすのならば、この地に救いをもたらすのであれば!! 私は御身に、全てを捧げよう!!」
目を開ければ、また風景が変わっていた。
正面にあるステンドグラス、そこに向かって挑みかかるような顔をした貴族が吠えている。傍らには同じく真剣な顔の貴婦人もいた。
貴族の視線の先、一段高くなった場所の壁にある亀裂がある。その前には、渦巻く黒をベースに藍色や銀の光点が点在する、小さなブラックホール的な物があった。
ブラックホール的な物の中から、女の声が聞こえる。引き込まれそうな、艶やかな低い声だ。
「足りぬ……。そなた一人の供犠で、我は宥められぬ。この地に我と我が子らを縛り付けた憎きモノよ。我らを自由にせよ。我らを帰せ。それが出来ぬのであれば、我が恩恵を与える事は出来ぬ」
嫌な予感がして、割り込もうと声を出そうとする。でも、喉から漏れるのは、掠れた呼吸音だけ。何故か体も動かない。
「では、どうすれば良いのだ?! 御身の不幸は同情するが、どうやったらこの地と、御身の世界を別つ事が出来るかなど、わからん!!」
「ならば、全てを……。そなたと、そなたが大切に思う全てを捧げよ。そなたの娘は、この世界での我の依童としよう」
「娘……、プレギエーラか?」
「否。そなたが心の奥底で復活を望む、もう一人の娘……。その者を我の依童とせよ。さすれば、娘は永遠に生きられよう」
「……嫌です!」
「マリーツァ!」
咎める貴族と、首を振る貴婦人。
「地母神様。優しき女神様。
どうか、聞いてください。私どもは、御身の世界の住人達を奴隷とし兵力としようとした者達とは違います。御身の世界の住人に、魔族と言う名称を付け、狩りの対象とした者達とも違います。
私の夫アルタールを初め、この都市の歴代の支配者達は、この地に種族を問わぬ平等な都市を作ろうとして参りました。種族の憎悪を捨て、協力しあい、この世界から争いをなくそうといたしておりました」
沈黙するブラックホールに向けて、貴婦人は訴え続けている。
「ですが、変化を望まぬ者達もおります。その者達により、この地は実力が全ての慈悲なき地と貶められました。この地にいる同胞の救出を名目に兵も差し向けられました。
それでも、この楽園都市は決して落ちることなく、あり続けました。
己の世界から引き剥がされた女神よ。この地の理に封じられた女神よ! どうか、この地の生き物と、御身の世界の生き物の架け橋となりえるこの地に、御助勢を!!」
ブラックホールは低く嗤ったようだ。漏れでたこちらの世界ではあり得ない空気に、背筋が冷たくなる。
「……はは。架け橋のぅ。話し合いもせずに、我らを利用しようとしたもの達がようゆうわ。片腹痛い。
ならばこれを授けてやろう。ただし、これを手に取れば、そなたらも、この世界の生き物ではなくなるぞ? その覚悟が汝らにはあるか」
ペッとブラックホールから吐き出されたのは、青い宝石がついた指輪と、禍々しい装飾が効いた両手剣だった。
「取れ。さすれば、ひとつ願いを叶えてやろう。……娘の復活をな」
貴婦人に向かって、ブラックホールから声がする。
「取れ。さすれば、ひとつ願いを叶えてやろう。……そなたが望む変化をな」
貴族に向かって、ブラックホールから声がする。
二人は目を交わしひとつ唾を飲むと、アイテムに手を伸ばした。
「キャァァァァァ!!」
「グゥワッ!!」
アイテムから闇が吹き出し、貴族達の身を包む。二人が完全に闇に包まれ悲鳴が響いた。
「ハハハ。さて、鬼となるか、理性を失う魔物と成り果てるか。楽しみよのう」
ブラックホールからの声を聞きながら、目の前がまた白く染まった。
「私はどうすべきだったのだろうな……」
まだ目が眩んだまま、私に向かって話しかけられて動揺した。後悔が滲んだ声で、攻撃される気配はないのが救いか。
「あなたは……」
ようやく戻った視界の先には、ライガをけしかけてきた公爵がいた。先程まで見ていた貴族の面影がある。しかし、真紅に輝く瞳が、人を止めた事を物語っていた。
「あの当時、楽園都市は存亡の危機を迎えていた。助かる為にとかの神の手を取ったが……それは、本当に正しい選択だったのか」
内省的な口調で話しているアルタールは、私の意識が戻っている事に気が付き、驚いた様に見つめてきた。
「何故、目覚めている? 優しい夢の中にいたのでは……」
「夢? 私が見たのは、多分貴方の過去」
「私の……」
「トリリンを助ける為に、神の手を取った貴婦人。都市を助ける為に堕ちた貴族」
見えたものを端的に伝えると、アルタールは驚きに目を見開いた。
「何故?! 君には望みがないのか?!
お客人を捕らえたのは、叶わぬ望みが全て叶った、全きの世界の夢。それが何故、我が過去となる」
「……そんなのは知らない。
でも私の望みは叶わないと分かっている。夢や希望なんて10代の子供に言ってよ。大人になるに従って、人は選択する事を覚える。……諦めることを覚える。貴方だって分かってるでしょ。
その選択の結果が、今の貴方だ。例えどんな過去があろうとも、それは変わらない。
それでお誘いに乗って来たけれど、何の用事なの?」
望んできた訳ではないけれど、確か来いと言われていたはずだ。ダビデを失う原因を作った相手に礼儀を守る必要はない。今にも噴火しようになる怒りを押さえ込んで尋ねた。
「お客人よ、手を貸してほしい。この地に新しい創造神を迎える。我が神、地母神様をこの地の神に。
さすれば、君が失った大切な者も甦る」
「失わせた方が何を言うのよ」
鼻で笑って拒絶した。手を貸してほしいと言うなら、そもそも喧嘩を売るな。私のダビデに手を出して、それで助けて貰える等と、どの口で言うのか。
「ならば、無理にでも協力して貰おう。眠っている間に、お客人方の体内に残ったメントレの残滓を奪う予定だったのだ。なに、少し面倒が増えただけだ」
「?」
「分からぬのか? そなたらは、この地から手を引いたメントレの力を受けている。それも調律神と言われて今まで決して理を破ることがなかったあのモノの力をだ。その神の力を我が地母神へ捧げれば、改変も進もう。
呪いと魔物化を武器にし混沌と絶望を広げ、その負のエネルギーを糧に少しずつ世界に介入を進めてきた。いつか来るその時のために、新たな境界の森を増やし強化していたが、それももう終わりだ。我が望みを果たすため、我が家族を守るため、お客人よ! 死んで貰うぞ!!」




