108.ジルベルトの目覚め
「ハニーバニー、おそらくジルベルトは明日には目覚めだろう。ギルドはどうする? 明日にするかい?」
貸家に戻ってジルさんを自室に寝かせた所で、オルが口を開いた。そう言えばラピダさんから来てくれって言われてたっけ。
「んー……どうしたもんか。ジルさんにも付いてたいし、でもギルドの呼び出し無視するのも不味いよね」
「なら、俺が顔を出してこようか?
ついでに、アル様の武器と俺の武器を研ぎに出してくる。問題ないかな?」
「頼んでいいの? ならお願いするよ。ダビデ、食材の買い出しは必要ある?」
「今日はあるもので十分です。明日、ジルさんが目覚めたらお祝いてすか?」
こてんと首を傾げて尋ねるダビデに頷いた。もちろん、種族進化はそうそうあることじゃないし、皆でお祝いしないとね。後回しになっていた休暇も忘れちゃいけないし、2、3日は休みにしようかな? 私自身は退屈するなら、鍾乳洞探検に行こう。あ、クルバさんにポーションと栄養剤も送らないといけない。案外忙しいぞ。
「お祝いして、何かジルさんにプレゼントでも買おう。後は少し休みにしようか。まとまった休み、最近取ってなかったし、皆もやりたいことあるでしょ?」
「我々の休みなど……」
遠慮するアルに反して、オルは目を輝かせた。この主従は対称的な反応を示して面白い。
「おや、リトルキャット。いいのかい? 嬉しいねぇ。先日馴染みになった女の所にでも、長逗留しようか。ゲリエから来たらしくてね。肌が合うんだ。なんなら、アル様もご一緒に」
「オルさん!! お嬢様の前で何て事を!」
あっけらかんと主人を娼館へ誘うオルに、ダビデは怒りの声を上げた。それに苦笑を浮かべて、オルに話しかける。
「まぁ、休みをどう過ごそうとそれは各自の自由だから、どうこう言うつもりないよ。まぁ、病気と美人局に気をつけて、楽しんでね」
「理解があって嬉しいよ、ハニー」
「オル、お楽しみは明日まで我慢してもらうことにして、今日はお使いをお願い。どうしても私が行かなきゃ駄目なら、明日出直すってラピダさん達に伝えて。アル、オルに武器を預けて。予備はこれを使ってね」
ひょいとアイテムボックスから、この町で買った量産品の剣を取りだし、アルへと渡す。この半年、何度か武器の手入れをする度に渡している剣だから、アルも何も言わずに受け取った。
「行ってくるよ、リトルクイーン」
パチンとウインクひとつ投げ掛けて、足取り軽く外に出ていくオルを見送り苦笑を浮かべる。明日の休みで機嫌が良いんだろう。
「申し訳ございません」
「どうしてアルが謝るの?」
ジルさんが起きてたら、スリッパ事案かもしれないけれど、アルが謝ることじゃない。
「オルランドの態度は、最近目に余るものがあります」
首を振ってから、オルが出ていった扉を眺めている。
「まぁ、奴隷としてはどうかという態度なんだろうけど、私は気にしないし、あれくらいの方が気楽でいいよ。アルももっと砕けて」
「お許しを」
美しい姿勢で謝罪するアルに、また苦笑が浮いてくる。何処かまだ遠慮がち何だよねぇ。一体、何故なんだか。何か話したそうに、しばらく躊躇っていたけれど、結局アルは何も言わずに自室に下がった。
「さて、じゃ、ジルさんが起きるまで待機だね」
どんな種族に進化するのか。楽しみ。それまでポーションでも作っていよう。
滅多に見られないジルさんの寝顔を楽しみつつ、進化後を予想して笑みを浮かべた。
******
「……ダビデ? 俺は」
予想通り翌日の朝方に目覚めたジルさんは、ぼんやりと天井を眺めている。
「ジルさん、目が覚めましたか? 気分はどうです」
「ティナ? 何故? 俺は……」
「ジルさんは種族進化したんです。どんな種族になったんでしょう」
ジルさんが目覚めたのが嬉しいのか、パタパタと尻尾をリズミカルに振りながら、ダビデはベッドに身を乗り出した。
「種族進化? ッ!? すまん! 戦闘中に迷惑をかけた」
前後の記憶が繋がったのか、飛び起きたジルさんとダビデは激突して双方頭を抱えている。
「ジルさん、ヒドイです」
「すまん、ダビデ。大丈夫か?」
頭を抱えてたまま、ダビデを心配するジルさんはやっぱりいい人だ。
「大丈夫です。それよりもジルさんは?」
大丈夫なのかと聞くダビデに頷きつつ、改めてジルさんは身を起こした。
「それで、犬ッコロ、進化結果はどうなったんだ」
「狼獣人族の進化ですか。噂には聞いていましたが、初めて見ます」
部屋の入口に立つアルオルから声がかかる。
「俺の進化は1択だ。先祖が大口だからな。古狼種になっているはずだ」
「へぇ、古狼種。狼の先祖帰りですか?」
「あぁ、先祖は元々古狼種だったらしいが、俺達は長い時を繰り返す間に他の狼と同じ狼人族になったからな。確か、常時発動は素早さ向上、選択発動は輝く牙と完ぜ……いや、何でもない。聖属性攻撃だな。デュシスの鍛冶屋がここまで見越していたとは思わないが、聖牙と相性が良い」
この500年、古狼種に進化したのは両手で足りる程だが、種族の誉れとして語り継がれているらしい。間違いはないと断ずるジルさんは、何処か誇らしげだ。
「体の大きさは変わってませんね。強いていうなら髪の色が少し変わりましたか? 灰色に黒の模様。所々銀にも見えますよ。後で鏡で確認してくださいね」
起きたジルさんの外観的変化はそれくらいだ。これなら防具の新調は不要かな? ちゃっかりジルさんの髪とついでに耳を撫でながら、笑い掛ける。
「さて、ではお祝いしなきゃ。ダビデ、今日はご馳走だよ!!」
「はい!!」
買い出しに出るというダビデと一緒に、外に出た。アルオルは散歩ついでに昨日研ぎに出した武器を受け取りに出掛けた。ジルさんは一刻も早く新しい身体に馴れたいと、闘技場で訓練をするらしい。ジルさんの武器も本当は研ぎに出さなきゃならないんだけど、せめて1日待ってくれと言われて、明日になったんだよね。
「ダビデと二人っきりでお散歩なんてどれくらいぶりだろうね」
尻尾を振り振り、私の前を歩くダビデに話しかける。
「はい! 最後はデュシスででしょうか? 久々にお嬢様と二人っきりです」
興奮しているのか、舌を出して微笑みながらダビデは嬉しそうに答えてくれる。
「そんなになるっけ? なら、今日は買い物だけで急いで帰らなきゃダメだけど、今度の休みでゆっくりデートしようか。
美味しいお店を巡って、珍しい食べ物がないか市場でも巡って。新しい服も買おうね」
手を伸ばしてダビデの首筋と頭を撫でた。道の真ん中で微笑みあっていたら、周りの通行人に舌打ちされてしまった。
「あはは、邪魔だったみたいだね。さぁ、買い物を済ませてしまおう」
ダビデと手を繋ぎ、人混みを抜ける。
それを見かけたのは、お祝い用の買い出しを済ませて、路地に入ったところでだった。
「え、アルオル?」
ー……どうしてこんな所に?
今日は少し良いお酒が欲しくて、遠出をした。重いものを持って家に帰るのも嫌だから、人目を避けるために路地に入ったのに、何故かそこにアルオルがいる。
武器を受け取ったら、夕飯までには帰ると話していたのに、何で? ここからは歓楽街にも近い。そんなにストレス溜まってたのかな。
「アル様にオルさん、ですね。お嬢様、どうしますか?」
声をかけて一緒に戻るのかと尋ねるダビデに首を振った。夕飯まで戻れば問題はないし、何だか深刻な雰囲気なんだよね。
どうしようかと悩む私達の前で、裏口のひとつが開いて、吸い込まれる様にアルオルは消えた。チラリと見えた招き入れた相手は、深々と"貴族に対する”一礼をしていた。一体、何が起きてるんだ?
しばらく路地の入口でアルオルが出てくるのを待っていたけれど、動きはなく諦めて家路に着くことにする。
「あの、お嬢様?」
雰囲気が変わった私を、ダビデは不安そうに見ている。あぁ、いけない。ダビデに心配をかけちゃった。
「何だったんだろうね? あそこがオルが話していたゲリエから来た娼館かな?」
「そんな! 今日はお休みじゃありません! オルさんはともかく、アル様はそんな事はなさいません」
「ぷっ!! オルはともかくって……ダビデ、笑わせないでよ」
深刻になって肩に力が入っていたけれど、少しだけ抜けたよ。今ここで悩んでいても仕方ないし、路地の表に行って店構えを確認する。どうやら、お茶も飲める宿屋のようだ。これは、娼館疑惑が濃厚かな? 貴族に対する礼儀が気になるけれど。
その後は、まっすぐ家に戻った。
ダビデの料理が出来る間にと思って、クルバさんに渡してある宝箱の片割れに、ポーションと簡単な手紙を入れた。そっと宝箱の蓋を閉めつつ、通信機を使うか悩む。
デュシスはまだマシな状況とはいえ、何か出来ることがあるなら、手伝いたいからね。でも、仕事の邪魔をするのも気が咎める。
「とりあえず、明日まで待つか」
てに持っていた通信機をポケットに入れる。その後は、減ってしまったポーションを作りつつ、ダビデに呼ばれるのを待った。
「ジルさん、種族進化おめでとうございます。今日はお祝いです。明日からは少し休みにしますから、大いに飲んでくださいね」
夕飯前に戻ってきたアルオルも加えて、食卓を囲む。ダビデは何か言いたげだったけれど、結局聞かず仕舞だった。
「ねぇ、アルオル、今日市場の外れの方にいなかった?」
今日は特別と言うことで、私の前にも酒を準備してもらった。その勢いを借りて、アルオルに何でもない事のように尋ねる。
「何の事だい?」
酒の入ったグラスを持ちつつ、オルが問い返してくる。
「市場の外れにお酒を買いに行ったら、アルオルっぽい人影を見てね。声をかけようと思ったんだけど、見失っちゃった。研ぎ屋さんは全く別の方向だし、気のせいだよね?」
「……」
アルオルはそれには答えずに、顔を見合わせている。ダビデは真剣な顔でアルオルを見つめていた。
「ティナ?」
ただ1人、状況が分かっていないジルさんは、説明を求めて私の顔を見ている。
「……見られてしまいましたか。致し方ございません。食事が終わってからと思っておりましたが」
アルが静かに席を立つと、自室からマジックバックを持ってきた。そのまま、キッチンに長方形の箱を出す。
開ける様に促されて、恐る恐る蓋を開けたら、色とりどりのマカロンっぽいお菓子があった。
「はい?」
なにこれと言う意味を込めて、アルオルの顔を眺める。
「祝い菓子を準備致しました。これはゲリエの風習ですので、ジルベルトが喜ぶとは思えなかったのですが、一応」
「馴染みの娼館に頼んだのさ。本当は戦勝祝いに配られるものだけれど、まぁ、いいだろう?」
二人とも照れた様に視線をずらしている。
「そうだったんですね」
「……まさかお前らに祝ってもらえるとはな」
ダビデは納得して緊張を解き、ジルさんは感慨深そうにしている。
ー……なーんか、ひっかかるんだよね。
ただひとり私だけは何処か納得できずに、素直に喜べない。ただ祝いの席でこれ以上追及するのもどうかと思って、その場は終わりにした。
お腹いっぱい飲み食いをして夜も更け、そろそろお開きにしようと、ジルさん達に声を掛ける。
「ジィルゥしゃん、おいわい、にゃにがいいか、かんかえていてくだしゃいねぇ」
マズイ、呂律が回らない。音を発てて頬を叩き、仕切り直しだ。それにしても、さっきからピーピーうるしゃいなぁ。誰だよ、携帯マナーモードにしてないの。
「ジルさん、お祝いの品、考えていて下しゃいね」
少し噛んだけれど、何とか言えた。嬉しくなって胸を張る私の頭を撫でながら、ジルさんは何故か困り顔だ。
「あぁ、ありがとう。それよりもな、ティナ。しばらく前から、通信機の呼び出しが鳴っている。出なくて良いのか?」
ジルさんに言われて、ポケットに入れていた通信機を取り出す。確かにデュシスで渡された通信機が鳴っていた。
「ひゃい」
回らない呂律のまま、スイッチを入れる。多分、日中贈ったポーションのお礼か何かだろう。酔っぱらいでも問題はないさ。
「ティナ?! ねぇ、ティナなの?!」
予想外の声に一気に酔いが覚める。
「マリアンニュ?」
呂律はまだ回ってないけど!!
「ティナ!! お父さんは絶対にティナに連絡するなって言うけれど、でも、もう方法がないの!!」
いつだったかのデジャブが襲う。
ジルさん達も、切羽詰まったマリアンヌの口調に、警戒を露にしている。
「お願い!! ティナ! デュシスを助けて!!!」
何事?!




