105.箸休めーある神官の狂気
暖かくなってきた日差しの中を、暗く淀んだ気配を纏った神官は、一人足早に歩いていた。
「何故だ。……何故。なぜ、なぜ、ナゼ!!」
ブツブツと呟きながら、豪奢な神官服の裾をなびかせ、足早に回廊を回る。そんな神官を遠巻きに監視する神殿騎士達の視線は厳しい。
「なぁ、あの神官……」
「シッ! アイツがデュシスで領主に恥をさらした神官だ。懲罰含みで、冬に帰還も許されず、このまま前線に送られる。
ほら、常にブツブツと何かを言っているだろう? 心を病んだとも言われている。目を合わせるなよ。……いっそのこと、本気で心を病めば、前線から神殿に戻れるかもしれないがな」
小声で話していた神殿騎士達の前を、今日何度目か、脇目も振らず神官が通りすぎようとした。姿勢を正し、敬礼で送る神官騎士達の前で、突然停止した神官は隈が浮き、血走った目で神殿騎士達を睨み付けた。
「オイ! 今、私を嘲笑っていただろう!!」
「い、いえ!! そのような事は」
慌てて否定する神殿騎士達をしばらく見つめていた神官は、またブツブツと意味不明な事を話しながら、回廊の先に進んでいった。
「何故、私が評価されぬ。
何故、本神殿に呼び戻されぬ。
何故、私に誰も声をかけぬ。
何故、なぜ、ナゼ!!」
(……それはお前を陰で嘲っているから)
「何故、こんな事に」
(……それはお前をハメた者がいるからだ)
「……ハメた。誰だ? 誰が私を」
(心当たりがあるだろう? お前がここにくる羽目になったのは何故だ?)
「あの小娘と関わったからだ」
(あの小娘とは)
「デュシスの臨時薬剤師」
(その薬剤師と関わるきっかけはなんだ?)
「……それは」
「ペルデトル様!」
回廊に新たな人影が見え、ブツブツと話し続けていた神官に呼び掛けた。
「メント高神官様とメーガンではございませぬか。お久しゅうございます。お戻りだったのですね」
ハッと驚いた顔で声の主を確認し、ペルデトルは恭しく頭を下げた。
「今、戻った。デュシスからの兵も一緒だ。
ペルデトル、こちらはどうだった?」
尊大に話すメントに、頭を垂れたまま、ペルデトルは秋に彼らが去った後の前線の現状を語った。
「そ、それでメント様、ワタクシの帰還は……」
「……本神殿からの命令で、このまま前線で神の慈悲を体現せよとの事だ」
「何故です! 私と同じ失敗をした貴殿方は、秋から冬にかけてとはいえ、安全なデュシスへ戻ることが出来た!!
なのに何故ワタクシは、戻れぬのですかッ!!」
「諦めよ。そなたは、我々とは違い、あの時あの場所で、領主令嬢に偽証をした。それを本神殿は憂慮しておる」
「そ、それは、貴方様と神官ちょ」
「黙れ!! 我ら軍神殿は何もそなたに命じておらぬ。全てはお前が自身の判断で行ったこと!! 軍神殿の末席にまだ存在が許されているだけでも、有り難いと感涙に咽ぶべきであろう!! お前には失望したぞ。隣国との最前線には10日後出発する。それまで謹慎しておれ。
メーガン、行くぞ」
「は、はい。師父様。失礼いたします。ペルデトル様」
「お、おまちを……」
呼び止めるペルデトルを無視し、メントは振り返る事なく歩き去った。
唇を噛みしめ、立ち尽くすペルデトルに、先程ペルデトルが睨み付けた神殿騎士達が近付き、両手を拘束する。
「な、何をする!!」
「高神官様よりのご命令で、懺悔房にお連れいたします。どうかお静かにご同行を」
暴れるペルデトルを拘束しつつ、兵士たちは声だけは淡々と答えた。
「あのような、罪を犯した神官が入る光も差さぬ房へと、私を入れると言うのか?! メント様! どうか、ご再考を!!」
悲鳴を上げるペルデトルを容赦なく、兵士たちは引き摺っていった。
***
「ライガ、貴方は私に付き合わなくても良かったのよ?」
もうすぐ最前線に着くというころ、メーガンは隣にいたライガに話しかけた。去年に続き、恋人であるライガもメーガンに付き合い、隣国との戦争に参加していた。
「気にするな。それよりも俺がここにいていいのか?
メーガンの立場が悪くなるだろう」
今、二人は神殿騎士達の行軍に同行していた。ライガは本来、冒険者主体の遊撃隊にいるべきではあったが、今年、冒険者からの志願者は少なく片手で足りる程度だった。その為ライガ以外の冒険者達は、徴兵された市民達の中に交ざっている。
「それこそ気にしないで。私達は強いんだもの。周りが何と言おうと気にしなければ良いのよ」
あからさまに舌打ちされ、避けられていようと、メーガンは己に絶対の自信があるのか、鮮やかに微笑んでみせた。
「ああ、そうだな。……なぁ、メーガン、今回の戦争が終わったら、お前も冒険者に戻らないか? そうすれば……」
躊躇いがちに口を開くライガの唇を金属の籠手をはめた指で止め、メーガンは微笑みを哀しげなものに変えた。
「無理よ。ライガだって分かってるでしょ?
あんな捨て台詞を吐いて、どの面下げて戻れると言うの。私の生きる場所はここ。幸い師父様は理解して下さってるわ。……貴方だけなら、いつでも冒険者に戻れるんだから、無理しちゃダメよ」
その声に視線を逸らしたライガは、先で起きている騒ぎに気が付き、その方向に注意を向ける。
「ライガ?」
「この先の陣地で何か起こっている。どうする?」
「最前線には師父様がいらっしゃるわ。何かあってはいけない。
行きましょう!!」
乗っていた荷馬車から飛び降り、走り出したメーガンの後を追い、ライガもまた走り出した。周囲の騎乗した神殿騎士達は、地上を必死に走る二人を馬鹿にしたように見送っていた。
「師父様!! 何事ですかっ?!」
ライガが気がついた騒ぎの中心近くに、沢山の神官騎士に守られたメントが立っていた。そして、神官騎士達の剣に囲まれた神官がもう一人。人垣の隙間から見え隠れしている。
「おお、娘よ。よく駆けつけてくれました」
手招きするメントの元に駆けつけると、メーガンは膝を屈し控えた。
「娘よ。あちらを見なさい。
ペルデトルが、魔性に負けたようです」
「え?!」
驚いて立ち上がり、指し示された方向を見るメーガンの目に飛び込んできたのは、変わり果てたペルデトルの姿だった。
出兵ギリギリまで懺悔房にいたせいか、無精髭が生え、元々血走っていた瞳は更に力強く見開かれている。垢の溜まった襟首と整わない髪からは、据えた臭いを感じそうだ。
ペルデトルは神官騎士達に剣先を向けられつつも、支離滅裂な内容を叫び続けていた。
「あの小娘に関わったせいで。何故私がこの様な目に。何故、何ゆえか! ……ふは、ハハハハ!! そうか、これも私の信仰心を試す神の試練か!!」
(そう、お前を認めない周りが悪い)
「どうか、神よ、照覧あれ!!」
(あぁ、良いぞ。とても良い。さぁ、お前の鬱屈とした思いを解放しろ。悲しいか。妬ましいか。悔しいか)
「し、師父様?」
「娘よ、ペルデトルはもう駄目でしょう。かくなる上は、せめて同郷たる我らが手で送ってやりましょう」
「メント様! ワタクシを見捨てられるのですか!!
あれほど貴方様に従順に仕え、決して御身のご意志に逆らわなかったワタクシを!! 何故、何故なので……」
メントの声に反応して、ペルデトルは悲痛な悲鳴を上げた。しかし途中でその声は途切れ、一瞬の不気味な静寂が周囲を支配した。
周囲を囲んだ神官騎士の一人が恐る恐るペルデトルに近付き取り押さえようとする。
「ッ?!……ぐ、ガぁ!!!」
ペルデトルが素手を振るっただけで、その神官騎士の体は裂け、苦痛に悲鳴を上げた。そのまま事切れ、地面に倒れ伏す。圧倒され一歩下がる神官騎士達を嘲笑いながらペルデトルはメントに視線を合わせた。
「我が神、軍神よ。照覧あれ。
貴方の与える試練を私は喜んで耐えましょう。道を謝った師を正すため、喜んで、我が手を血に染めましょう!
軍神の誇りを汚すモノよ! 我が膝下に倒れよ!!」
ペルデトルの絶叫に呼応するように、人々の影という影から、小さな『何か』が飛び出し、手当たり次第に襲い始めた。
人の首に、顔に、腕に、足に、噛みつき、噛み千切り、悲鳴を上げてのたうつ兵士達を、けたたましく笑って見ているいるソレの姿は千差万別だ。獣のような、人の胎児のような、鳥のような、その全てでない何かのような、刻々と姿を変える黒い影である。
「ペルデトル!! 貴様、何を!!」
(あぁ、愉快。人はここまでおぞましいモノか)
「メーガン、我が愛しき娘よ! ペルデトルを殺せ!!」
(さぁ、解放しろ。抑圧された怒りを。悲しみを。妬みを。それが我に力を与える)
メントに命じられてメーガンは迷いながらも剣を抜き、ペルデトルへと向かう。無論、同時に来ていたライガもまた、自身の武器を抜き、ペルデトルへと足を向けた。
「ライガ」
「あぁ、相手がどんな能力を持つかわからん。神官には、あんなおぞましい魔法があるのか?」
「いえ、私は聞いたことがない。なんなの、あれ……」
「フハハハハ、己の欲に喰われて死ぬがいい!!」
高笑いを響かせるペルデトルの異様な雰囲気に飲まれつつも、元Aランクパーティの矜持で斬りかかった。
数合打ち合い、一度距離をとる。そこに、黒いナニカが襲いかかってきた。キィキィと甲高い声で鳴き声を上げている。
「恨めしい」
「妬ましい」
「金が欲しい」
「死にたくない」
雑音の中から、そんな声が聞き取れた。気を散らせば死を招くと知りつつも、メーガンの攻撃が鈍った。
「メーガン! しばらく防げ!! 何かがおかしい!!
…我が神、軍神よ! 我らの敵の真実の姿をここに!!
審判の門は、今、開かれる!! 神聖なりし真実!」
後ろからメントの叫ぶ声がし、ペルデトルを中心に輝きが満ちる。その光が落ち着いたところ、ひとつの染みがあった。
(おや、始末されてしまったか。まぁ、よいさ。これでようやく表に出られる)
染みが形を変え、黒布で乱暴に人形を作ったような形を取った。人間の瞳がある場所には、赤い鬼火が宿り額には親指大の青い石が嵌め込まれている。周囲にいたナニカもその宝石に引き寄せられるように、吸い込まれて消えた。
「ヒィ!!」
人の2倍はある黒布の人形を目にし、周囲の神官騎士達は知らず知らずに逃げ腰となった。
「逃げるな! 戦え!!」
このままでは不味いと判断したライガが、激を飛ばす。
「ええ、ここで逃げて何になるのよ!!
私達は元Aランクパーティー疾風迅雷!! 臆するな!! 我らに続け!!」
荒事のプロ達の激を受けて、崩れかけていた士気は戻り、また人形を押しつつむ。
『我は ラルヴァ。
人の欲に巣食いしモノ。
そなたらごときに、狩れるものか。
せいぜい楽しませて貰おう!!』
初めて人形が声を発した。ラルヴァと言う名前に心当たりはあるかと視線を交わすが、名乗り出るものはいない。諦めた疾風迅雷は武器を握り直し、敵を見据えた。
『ホウ、ホウ!!
中々に楽しませてくれる。人の欲望を糧にする我に、ここまで戦うとは、褒めてやろう」
ラルヴァと名乗った魔物の周囲には、神官騎士達を初めとして、多くの死体が転がっている。中には、前線に物資を運ぶために徴用された若者もいる。
「くそ……」
疾風迅雷は、今まで潜ってきた修羅場の数の違いか、手傷を負いながらも、何とかまだ戦っていた。
「おや、逃がすと思うか?
メントだったか。お前は、メインディッシュだ。そこで大人しくしていて貰おう。そうすればもう少し生きられるぞ?」
静かにと戦場から離脱しようと移動を始めていたメントに向けて、意味深に笑ったラルヴァは面白がるように指を振った。
「師父様に手を出すことは許さないわよ!!」
ビュンと風切り音を鳴らしながら、メーガンは武器を構え直した。
「愛しき娘よ! 神よ、どうかご加護を」
「メーガン、無理はするな。撤退も選択肢だぞ」
「あら、ライガ、私達は疾風迅雷。退くことなんてないわ。そうでしょ?」
「フハハハハ、良いぞ、とても良い。
さぁ、来い。絶望を味わわせてやろう」
剣に雷を纏わせて、ラルヴァに突撃するメーガンのサポートの為に、ライガは冷静に周囲を観察する。熱くなりやすい恋人の背中を守るのは、昔から自分の役割だった。
「……大人しくしていれば良いものを」
メーガンとの接近戦を楽しんでいたラルヴァは、突然溜め息混じりにそう言うと、腕を錐のように伸ばし、メントを貫いた。
「師父様!!」
慌てたメーガンは、ラルヴァを警戒しつつ、メントの元に向かう。両方の太腿を貫かれたメントは、悲鳴を上げながら、暴れている。
「メーガン、私を連れて逃げよ!」
「しかし、このお怪我では。どうか、もう少しだけお待ち下さい。必ず、倒してみせます」
メントの体を押さえ、手持ちのポーションを使いながら、メーガンは訴えた。そのメーガンの制止を振り切り、メントは一人逃げようと座ったまま後ずさった。そのメントに向けて、ラルヴァから攻撃が飛ぶ。
「師父様! ……え?!」
メントを守ろうと背後に守り、ラルヴァを見据えたメーガンの口から疑問と驚きの声が漏れる。
背後に庇ったはずのメントが、ラルヴァからの攻撃を反らすために、メーガンを盾にしたのだ。背後から捕まれた腕を呆然と眺めて、メーガンはまだ信じられないのか、首をかしげ後ろを振り向こうとする。
肺から上がってきた血が気道を塞ぎ、口から溢れだした。そのまま、ゴホゴホと咳き込み、前のめりに倒れ伏す。
「メーガン!! この! 何故だ?! 何故、メーガンを!!」
慌てて駆け寄る恋人を安心させようと、歪な笑顔を浮かべる。
「だい……じょ……ふ。すぐに、なお……すわ」
「させると思うかね? そろそろ邪魔も入りそうだ。
これで終わりにしよう」
「ガァッ!!」
メントとメーガンの間に表れたラルヴァは、両手を槍に変え、二人を貫いた。一度、大きく痙攣し、そのままメーガンは動かなくなる。
「貴様っ!!」
斬りかかってきたライガの攻撃を避けながら、ラルヴァは嗤った。
「これで、終わりだ。私の存在もこれで終わる。我は所詮人の欲から産まれ出でしモノ。
お前の恋人は残念だったな。信頼する相手を間違えなければ、生き残れたものを。
さぁ、私を呼んだ術者よ。お前の願いはここに成就した」
一方的に宣言すると、ラルヴァは黒き塵と変わり消え去った。
メーガンを抱き寄せ嘆くライガの耳に、突然、角笛の音が響く。
「……なんだ」
どんよりと曇った瞳のまま、音のした方向を確認すると、そこには赤い鱗と、黒地に黄金の一本線の模様の旗が、一面に乱立している。
「赤鱗と、国王旗か。……だが、もうどうでもいい」
メーガンを背負い、ライガは戦場から消えた。
この日、この戦場での死者は2割を超えた。神官騎士と神官達の死亡により、ゲリエの前線維持は困難を極めた。敗退に次ぐ敗退。国土は大きく削られ、戦火を避けられた地域もまた、魔物の対処ができずに苦難の道を歩むこととなった。
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「旦那、確かに弔いは致しました。
お銭を」
黄色い乱杭歯を剥き出しにして笑う、神官崩れに金貨を渡した。金貨を受けとると、すぐさま神官崩れは、町の雑踏の中へと消えていく。ライガは墓地の片隅に隠れるように作った真新しい墓へと、膝をついて別れを告げる。
「メーガン、俺は行く。どうしてこんな事になったのか。何故、あんな魔物が、ペルデトルから表れたのか調べてみるつもりだ。
いつか必ず、このけじめはつけさせる」
メーガンの遺髪を入れた袋を首から下げて、ライガは立ち上がった。そこで今まではなかった気配に気が付き、武器を抜く。
「何者だ? 出てこい」
「恐ろしいこと。どうか、お怒りを静めてくださいまし。今、出ていきます」
木の陰から表れたのは、日焼けひとつしていない純白の肌に深紅のなまめかし唇をした豊満な肢体の美女だった。深く胸元が開いた漆黒のロングドレスは地面に擦る丈だが、汚れひとつ付着していない。
「何者だ?」
「ただの使いです。Aランク冒険者、元疾風迅雷のライガ様に、我が君からのご伝言でございます」
唇だけを弧にし、女は先を続けた。
「ラルヴァ。その正体をお知りになりたくはありませんか?
我が君は、ラルヴァに願いを託してはおりませんが、その生態には詳しい。恋人の敵をとりたくはありませんか?」
「何が望みだ」
「我が君が貴方様に会いたがっております。さぁ、お手を」
「証拠は? 何故俺を助けようとする?」
疑いの視線を送るライガに、女は笑みを深くした。その手には美しい蒼玉の指輪が輝いている。
「我が君は、貴方様に同情しておいでです。ですから、お誘いするようにと申しつかりました。
信じては頂けませんか? ではひとつだけ。ラルヴァは魔物ではありません。人の欲望を糧に生まれ、成長し、宿主を破滅に導く呪いです。まぁ、呪いは祝いにも繋がるのですけれど、彼はダメだったようですわね。
さぁ、お手を。貴方の恋人を奪った呪いの正体をお教えしましょう」
白魚のような差し出された指に、ライガが手を乗せると、二人を中心に魔方陣が現れた。奈落に落ちるように二人がその魔方陣へと吸い込まれ消え去った後には、ただ、真新しい墓へと捧げられた花だけが風に揺れていた。




