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第二部 三章


 高速道路で北上すること一時間、一般道に戻って更に市街地へ入ること三十分。早朝の招集に堪えていた面々はそこに着いてバスから降りるとまずは深呼吸。朝のひんやりとした空気が体に巡ると顔を上げた。

 「一年ぶり、か…」

 章助が肩を回しながら呟く。車内で寝ていたからか声ががらがらしている。

 「去年と今の俺達はちょっと違うだろ?」

 そう言う俺も朝で声が絡む。一度咳払いすると見慣れぬ、二回目に訪れた地を見回した。

 今日訪れたのは県が運営する運動公園。用事があるのはその中にそびえ立つ陸上競技場。この競技場は県どころか地方という括りで見ても最大級の大きさを誇る。メインスタンドとバックスタンドの観客席は一万人以上が着席できるという話を去年聞いた。と言っても、メインスタンド以外の観客席は下半分が芝生である。寝っ転がりながら競技を観戦、というのも乙なものかもしれない。だが真剣に試合をする選手からすれば嫌だろうか。

 「送り出す側ってのは変わらないけどな」

 章助が袴と胴着を担いで更衣室へ向かう。それを見て俺も同じように着替えを掴んで章助を追った。

 「だけど、送り出すにしても先導するなんて去年は思わなかったなぁ」

 「そうそう」

 ワイシャツを脱ぎながら章助が話を続ける。その間に他の応援団員、有志も更衣室内に入ってそれぞれ着替え始めた。

 「とっとと着替えてくれよー、他が詰まってるんだからな」

 更衣室の外でバスに同乗していた教師、大衡の声がした。それを聞いて何人かが返事をして慌ててズボンを放る。詰まっているのもわかるがこちらだって入ったばかり、アイドルが曲や場面に合わせコンサートで披露する早着替えを一般高校生に求められても困る。

 「お前も早く脱げよ」

 いつの間に袴も穿いたのか章助は既に袴の紐を結びながらこちらを見ている。言われずとも。悠登もすぐにワイシャツとズボンを脱ぐと胴着に腕を通す。

 「あ」

 それと同時にヒラヒラしたボロ布の袖なし胴着からビッ…と警告音が聞こえた。それを捉えた章助が耳を急にこちらへ向けると悠登の背後に回る。

 「おい…ちょっと今裂…」

 「えい」

 聞こえたのは襟の方、首の付け根の辺りだった。章助はそこに両手を掛けると一気にその部分を引っ張る。当然聞こえてきたのは先程の警告よりもけたたましい、悲鳴に似たビリィィという寒気のする音。事実、通気が良くなったように感じる。首どころか、肩甲骨の真ん中辺りまで。

 「章助ぇ!」

 俺が振り返ると章助は手を後ろで組んだ。

 「なんだよー、ちょっと破けてた方が迫力出るんだろ?」

 それは制帽の話で、これじゃまるで…

 「それに、その方が背中パックリでせくしぃだぞ?」

 ただの見せたがりか露出狂だ…。

狭く何人も詰まった空間で悠登は背中を撫でる悪寒にむずむずして背中を掻いた。法被越しでなく、直接掻けたのがまた胴着を着ている感覚と相まってくすぐったい。

 「一年生が来る前に準備……って、あの二人は早いな」

 背中に堪えず擦れる胴着の裂け目に慣れる間も無いまま外に出る。そこですぐにある二人を発見した。

 「着替える必要がないというか、あのまま来たんだからな」

 俺が誰の話をしているか章助もすぐに気付いて同意する。見付けた片方は俺達よりももっとバンカラな格好をした人間。

 高下駄を履いて穴とツギハギだらけの制服をしっかり着込んだ人間の男。悠登の鬣にボリュームは劣るものの、校則の制限を受けずにぼさぼさと長く伸びた髪を揺らしている。髭も少しずつ厚みを増してきていた。放置するだけ、とは言うがそれがなかなかもどかしいと以前言っていた彼は応援団の団長である。あの貫禄にして悠登達と学年は一つしか違わない。

 「手伝いますか?」

 「こっちはいいよ。それより、太鼓の方早いとこお願いしたいんだ」

悠登と章助が二人の元へ行くと俺達と同じ服装のもう片方、副団長である小松代の方が答える。二人で持っていたのは学校でも使っていた皆の前に立つためのセンター台だった。これも相当な年季が入った代物で、あちこちぐらつくが紐でなんとか補強している。団長は毎回それに飛び乗ってはぐら、と一度揺れていた。そこで倒れたりしないかと誰もが一度は不安を抱く。

「任しとけって。行くぞ、悠登」

 センター台は彼らに任せて悠登と章助は太鼓運びへ向かう。他の有志達は慣れない袴の裾を持ち上げて四苦八苦していた。

 俺の言った一年生が来る前に準備。それはこれから行われる高総体開会式のためによるものだった。県の各校が一堂に会し、代表選手達の行進をそれぞれの伝統応援で送り出す。そのために我が校からは行進代表として二十名が選出された。そんな彼らの入場を応援歌で一年生全員と俺達が盛り上げる。その準備のために応援団と有志は一足早くこの陸上競技場に来ていた。

 「おぉー、ラッキーだな。芝生じゃないぞ」

 指定された場所へ章助と二人で太鼓を運ぶと章助が喜ぶ。そう、ここは芝生ではなく普通の客席側だった。

 「どうせ座ることなんてないだろうけどな……よっと」

 今日も天気は快晴。この地域は勝手にいつも曇天、という印象を持っていたのだがそんなことはなかった。思い出せば去年ここに来た時も天気は汗ばむ陽気、というやつだったと思う。

 「でも芝生だと斜面だろ?下手すりゃ滑るし斜面にずっと立ってるよかマシだろ」

 太鼓を設置して固定すると章助がぼやく。言った通り、芝生ではなく地面はコンクリートだ。俺達応援団は裸足だから微かな凸凹が肉球をちくちくと刺激する。しかし斜面ではなくここは平面だ。立っているだけなら芝生よりは良い。そう、ほとんど立たされているのだ、この場にわざわざやってきたというのに。俺達はそれをわかっているが一年生達の大半はここへ来るのが初めて。それを思うと若干気の毒だ。

 「せっかくわざわざ学年で授業休んで来たんだから何かあれば良いんだがな」

 今日は堂々の平日。授業も当然あったが応援団と有志全員は公認欠席としてここにいた。一年生は学年単位なのだから欠席とは違うと思う。因みに狼塚は来ていない。何故ならアイツには後で授業のノートを写させてもらうためだ。…誘ったが断られたというわけではない。

 「なぁ獅子井。俺達もここにいる間はずっと裸足だよな?」

 当たり前のことを大内が聞いてくる。それに対し頷いた。

 「履いてたら周りから浮くだろうなぁ。足の指でも怪我してるのか?」

 大内の足を見たが怪我らしい怪我は見当たらない。人間の足だから見せてもらえばすぐにわかる。ここにないなら足裏、画鋲でも踏んだか。

 「いやいや、怪我は別にしてないんだけどさ。気になることがあって」

 大内は苦笑して制帽を取ると指先でくるくると回し始めた。

 「……履いてたいのか?」

 俺が聞いてみると大内は首を傾げる。そういうわけではないらしい。

 「あのさぁ、トイレ見に行ったんだけどあそこ、なんか水浸しで常に若干濡れてるんだよな。それを裸足で行くってなんか……」

 それを聞いて途端に他人事ではなくなる。そうなるとこちらも少し考えなくてはならない。

 「それを裸足はちょっとな。なら今のうちに靴履いて済ませて学校戻るまでは我慢とか。それがダメなら靴を取りに戻ったりしないとだよな」

 俺なら始まる前に済ませて、終わったら着替えて行くかな。

 「やっぱりそうだよな。……悪い、俺ちょっと靴取って済ましてくる!」

 「ゆっくりでも良いんじゃないかー」

 大内が袴を持ち上げて小走りで更衣室に戻っていく。時間はあるから焦る必要はない。でもあの様子だと転んで本当に靴が要る状態になりそうで危なっかしい。柔道着は生地が重いし暑そうだから今から汗をかかれてもな。

 「なぁ」

 大内が行ってから章助が口を開く。俺はどうした、と目だけで答える。

 「団長って普段から裸足だろ?ここみたいなトイレだったらどうするんだろうな?」

 「旧校舎ってそうだったよな。新校舎はそうじゃないから喜んでたりして」

 去年に団長になったんだから当然一時期そういうのも経験している筈だ。毎回トイレから出る度に足を洗うなり拭くなりしてたんだろうか。いつか直接聞く機会があれば素朴な疑問として聞いてみたいかもしれない。

 「と、のんびりしてたら他の学校も集まってきたな」

 章助が穴の空いた小さめの制帽を無理矢理被りながら向こうを見やる。そこにいたのは他の高校の応援団、あるいはこの近くに高校があるからか既にぞろぞろ一年生が並んでいるところもあった。

 「俺達は準備に手間取らないのに早く来すぎなんだよ」

 「違いない。あとは団旗だな」

 他の高校と違い応援団の人数も少なければ道具もそんなに用いない。しかし距離があるからと早く出発させられせっせと準備。あとは一年生の到着と開会を待つのみ。自由行動できるわけでもなく俺達はただこの日射しを浴びて唸るだけ。あと数十分、何をしていよう……。


          ♀≫♂

 「来た来た」

 有志の大内が数台のバスを見て目を細めた。降りてくる女子達の制服で悠登もようやく待ち人達が現れたことに気付く。男子が着ているのはありふれたどこにでもいる学ランだから見分けるには女子の服装が一番だ。特にやらしい目で見ているということではない。

 「……案内組と配置組、準備終わり次第頼む」

 団長はバスから降りる一年生達を確認すると言葉少なく背を向け観客席の方へ下駄を鳴らして歩き出す。センター台の横で待機しているのだろう、彼に配置組は続いていった。

 「じゃあよろしくね、観客席に入ってからは任せて」

 副団長は二年生と三年生にはどういう人物か知れ渡っている。だから団長と違い応援が始まる直前までスイッチは切り替わらない。その方がこちらとしては緊張も解れるというものだ。

 「立ってるだけで俺達は目印になるしね。よっぽどがない限り大丈夫だよ」

 副団長はすぐに始められるように団長と同じく、彼の場合は太鼓近くで集合を待つ。悠登の返事に満足したのか副団長も会場内に先へ向かった。

 「あのピカピカ棒とかないもんかね」

 副団長が曲がり角で見えなくなったところで章助が腕を横に振る。それで何を言いたいかはなんとなく察した。

 「交通整理の光る棒か?相手は車じゃないんだぞ……」

 「それそれ。わかってるけど、物足りないよなーって」

 ただそれをブンブン振り回したいだけなんだろうな。憧れる気持ちはわかるが今回は使わないし、必要ない。文化祭で保護者の車を案内する係ですら使っているなんて話は聞かない。

 「この格好にあの棒は似合わないだろ。お前はあっちだろ。じゃあな」

 俺が指差すと章助もおう、と言って勇み案内の配置につく。対面式の時、狼塚がやっていたのと同じだ。俺達はこの格好で立っているだけで一年生はそれを頼りに観客席へ入る。

 「トイレ行くならそこ左、邪魔になるから列崩すなよー」

 対面式との違い。何よりもまず、俺達が怒鳴らない。あちこちに人がいるため声こそ張るがそこに威圧する感情は込めない。それは単なる先輩、案内役としての役目だ。

 それを一年生には伝えていない。そのため、歩いてくる一年生達の表情は俺達を見付けた途端に引き締まる。あの辛い日々から一月は経っているがそれでも体は覚えているのだろう、最終日にほんの少しだけ芳しい青春も見せたがその前でやり過ぎた。

 まずはその緊張を解さなければならないが、一人でやるには影響力が薄い。悠登も章助も幹部ではなく一人の団員でしかないのだから。

 「あっ、獅子井先輩、ですよね?」

 「あれ」

 一年生に頑張ってもらうため恐怖で押さえ付ける段階は終わった。今回も全力を見せてもらいたいが力を引き出す鍵を握るのは別の人物。そんなことを考えていると横から自分の名前が呼ばれる。

 「……うん?」

 そこにいた人間の女子。女子にしては髪が短めだが制服は見紛うことなくうちの制服。しかし悠登は部活に入っていないのだから普段後輩と話すことはない。ましてや、女子なんて同年代ともまともに話せないのに。

 なのに、見覚えがある。でも誰だっけ。

 「先輩、うちと握手してくれたの忘れてる?」

 「……握手…あー…。思い出した」

 うん、わかった。この子は応援歌練習最終日、俺を取り囲んだ女子達の一人。通りで見覚えがあるわけだ。

 「ユリ、列から外れちゃ……あっ」

 「かっちゃんほら、獅子井先輩だよ!」

 ユリと呼ばれた女子が悠登に背を向け声の主を手招く。そこで列から外れてきた女子。そっちは見覚えだけでない、記憶していた。

 「どうも……お久し振りです」

 「これはご丁寧に……」

 出てきた女子、彼女もまたユリさんと同じように服さえ女子でなければ中学生男子に見えるようなボーイッシュボブカットだった。以前会った時はもう少し長かったと思うのだが。

 「伊藤さん、で合ってるよね?」

 「はい!」

 お辞儀する女子に確かめると彼女は顔を上げて元気良く返事してくれた。髪型は変わってしまったが伊藤さんは忘れるわけがない、色々な意味で。

 「髪切ったんだね」

 「伸ばしてたしちょっと思いきってみようかなって」

 「そうなんだ」

 前髪をちょいちょい触ってはにかむ伊藤さん。個人的には結わえた方が好きだがこの子はこの子で似合ってる。

 「……」

 「あれ…?どうかしましたか?」

 髪型の話より、実は気になっていることがあってそわそわと体があちこちを向く。それを指摘されどうにか踏ん張れた。

 彼女、伊藤のかっちゃんを覚えていた理由はもう一つある。それはサインだった。

 応援歌練習の最終日に伊藤さんより求められたサイン、その時はできないからと断り代わりに握手をした。しかし断った時の彼女の落ち込み様を見てその後、こっそりと練習した。今では流れるような手つきで書く程度には練度も積んだ、と思う。

 「いや、なんでも……ごめん」

 謝ってしまった。でも求められてもいないのにサイン、今ならできるよ!書いてあげようか!?なんて言えるわけがない。それができるとしたらどんなアイドル気取りの自意識過剰男だ。

 「てか先輩、かっちゃんは覚えててうちは覚えてないとか酷くないっすか?」

 「ごめんごめん」

 そう言うがこの子、ユリさん?に名乗ってもらった覚えはない。一方的に握られてしまっただけの関係だ。

 「で、お前は女子となにへらへら楽しそうにくっちゃべってるんだ?」

 「うぉう」

 つん、と背中の裂け目に指が入り込み変な声を出してしまった。こんなことするのは一人しかいない。

 「別にへらへらしてたわけじゃ……。お前こそ、持ち場離れてどうした」

 「悠登のことが気になってさ」

 「なんだそりゃ」

 振り向かずに差し込まれた指を掴んで前に引っ張り出すと縞模様が描かれた太い腕が現れる。そのまま振り切るように引っ張って章助が俺の視界に入って来た。

 「獅子井先輩、この人は?」

 伊藤さんが章助を見上げる。ユリさんの方は素直に章助のガタイに驚いているようで口を開けていた。そんな彼女達を交互に見る章助。俺は章助の背中を肘で軽く押す。

 「あぁ、名前か。俺は虎澤章助、よろしく」

 「伊藤です。よろしくお願いします」

 互いが名乗ると会釈程度に頭を下げる。それですぐに章助は口を開く。

 「君達さ、早く並ばないと置いてかれっぞ?」

 章助の一言に女子二人はハッとしたように顔を見合わせる。

 「あ!そうだった。かっちゃん、戻ろう」

 「ユリが外れたんじゃん……。じゃあ獅子井先輩、虎澤先輩、失礼します」

 慌てたように小走りで列に戻るユリさん、最後に挨拶だけして手拭を頭に巻きつつ相方を追う伊藤さん。その二人の背中をしばし黙って見送る俺と章助。

 「あの子達、知り合い?」

 章助が二人の背を指差し俺を見る。

 「指差すなって。知り合い……になるのか?」

 その手に自分の手を乗せて下ろさせる。

 「歯切れ悪いな」

 そう言われてもどう言ったものか。だが、向こうから話し掛けてきてくれたことに驚いてしまう。怖がられているものだとばかり思っていたから。

 「応援歌練習で具合悪くなったのを保健室に連れてったってだけだよ」

 「ほー」

 お前が団長を胴上げしてた間もみくちゃにされてたって話はする必要はないよな。あんまり女子とか興味なさそうだし。

 「と、俺も戻らないと」

 章助が帽子を被り直す。その背を今度は俺が叩いてやった。

 「サボってんなよ?」

 「いで……へーい、また後でな」

 叩くと同時に章助は袴を引き摺らないようにしながら小走りで戻っていった。悠登も目線を列の方へ戻す。

 「邪魔だから広がって歩かない!トイレ行くんなら今のうちだからなー」

 裸足でトイレはやっぱり嫌だな、と思いつつ尿意が来ないことを願い案内を続ける。一学年全員が入ったところで悠登も他の案内係と共に観客席に入った。

 

「おー……」

 そこに広がるのは空の陸上競技場に人がほとんど埋まった観客席。式典が始まるのはまだこれからだという空気が漂っていた。他校もざわざわとしているのに未だ爆発できずくすぶる焦れったい瞬間。強い風が吹いてもそれは冷まされることはなかった。

 県から集まる高校の数は約八十。人数も二万はいかずとも一万数千人の高校生が毎年集まると聞く。そうなれば当然、他の高校に目も行ってしまう。

 「なぁなぁ、あの子可愛くね?」

 「胸無さそうじゃん。ああいうのはダメだろ」

 「ばっか、これから成長する可能性に賭けようってなるだろ?」

 「…………」

 近くにいる一年生の会話が勝手に耳に入る。俺が考えていた他校が気になる、というのはそういうことではない。

 「やっぱお前も向こうが気になるのか」

 帽子を深く被って腕を組み章助がのそのそとやって来る。俺がどこを見ていたのかは気付いていたらしく隣に立つと同じ方を見た。

 「そりゃあ……少しは、な」

 俺が見ていたのは他校の応援団、もといチアガール。ニコニコしながらポンポンを両手に打ち合わせか談笑しているポニーテールの女子が何人かいる。……ポニテは関係ないか。それと、その高校とはまた別の場所に陣取る吹奏楽団。

 「俺達……地味なんだよな」

 「言うな」

 章助が寂しそうに言う。開会式はまだ始まってもいないのに。しかし言い返せずに悠登は遮ることしかできない。

 華もなければ音楽も無い。俺達にあるのはホラ貝の笛、太鼓、舞扇子に和傘。これが全員持っているならまだしも使うのはほぼ団長と副団長くらいのものだ。しかも年季だけならバンカラ制服同様に折り紙つき。バンカラとは、なんて言い出せば吹奏楽だ、チアガールだ、猪踊だといったハイカラなものは硬派に弾き返せと言うのだろう。俺達は黙っていた方が映える。楽器に敗北したとか、そんなんじゃない。

 「そろそろ時間か」

 ざわざわとしていた周囲が何とはなしに静まる。それと同時に副団長がセンター台の上へ飛び乗った。

 わざと踏み込むように足を鳴らして着地すると不安定なセンター台は大きくぐらりと揺れた。それを副団長はしっかりと堪えて腕を組み、一年生全員を見回す。それを俺達は少し離れてはいるが真横から見ていた。

 「押ーーーーーッ忍!!」

 開口一番、晴天の下、副団長が叫ぶ。その次の瞬間には俺達もだが一年生のほとんどが姿勢を正し、同じように押忍と返した。それを見て近くにいた他校の生徒が何事かとこちらを見る。

 「お前ら、今日は、俺達の代表がこの競技場を行進してくれる!それはわかってるんだろうなぁ!?」

 ドスのきかせた声で副団長が問うと先と同じように押忍と返事が返ってくる。先月の俺達ならここで声が小せぇ!もう一度!なんて言っていたかもしれない。

 しかしここで副団長は満足げに微笑んだ。

 「よぉし!それがわかれば充分だぁ!」

 自信満々に笑う副団長はそれこそアニキ、なんて呼び慕いたくなるような頼もしさを纏っていた。そこにたっているのは温和な小松代クンとは違う。その笑顔に一年生達が顔を見合わせる。前とは何かが違うと。

 「でもなお前ら!行進する代表を送り出すためだけに応援するんじゃない!いいか、お前達はここで、勝て!」

 拳を握って副団長が掲げる。その言葉の意味が見出せなくて一年生達がざわめく。

 「わからねぇか?いいか、応援で相手に勝つってのは、目立つことだ。どこよりも、誰よりもでけぇ声出すことだ!」

 ざわつく一年生達を一人で副団長が静まりかえらせる。それを悠登達は腕を組んで見ているだけ。今はまだ叫ぶ時じゃない。

 「先月の応援歌練習を耐え抜いて今、ここにいるお前達もまた、俺達の代表みたいなもんなんだ!それを忘れないでほしい!そんで……」

 副団長が途中で言葉を区切る。俺達も腕組みを止めた。

 「真似されたなら、俺達の勝ちだ!今日も、最後まで、絶叫!いいなぁ!?」

 深く息を吸ってから副団長が一際叫ぶ。それに対して一年生もしっかりと押忍。それは早くも他校を驚かせているようだった。

 そこでアナウンスが響く。これより代表選手達が入場する。そこからはその場にいた高校生達がそれぞれの方法で各々の代表を応援する。

 学ランに腕章を佩用し白い手袋できびきびと手振りをする応援団、どこかで耳にした曲を演奏し競技場に絶えずその音色を響かせる吹奏楽団。ホイッスルを鳴らしながらのチアダンスもあれば身の丈以上の大きな団旗を上半身裸で振り回す獣人の姿まであった。

 その中で俺達がやることは前と変わらない。ハイカラに言えば他校含め全員が入場するまで応援歌不断のエンドレスメドレーだ。音の鳴る物は喉を除けばホラ貝と太鼓しかないが応援歌のバリエーションならやたらある。それを一通り披露するだけで時間は容易に過ぎていった。

 校歌に始まり臙脂の旗、勝利賛歌、粉骨砕身、打てば勝つ。百周年賛歌とチャンピオンフラッグも忘れずに。

 そうした応援歌が途切れることなく続く。そこで団長と副団長は手振りで一年生達をリード、あるいは太鼓を叩いて競技場の一角を震わせる。心は一角だけではなく、全てを震わせるつもりで。

 悠登や章助、他の団員や有志はそうした中を更に盛り上げる。今回は一年生達を監視するのではない、豪気節や歓呼のマーチに合わせて踊り、歌い、咆哮する。その中心にいるのはやはり団長だ。

 「えぇぇぇんじののをぉぉお!はぁたぁぁぁあ!せぇぇぇぇぇい!」

 “おぉぉぉぉぉぉお!”

 何巡したかもわからないが一年生はまだ叫ぶ。入場する代表に、他校の生徒に見せるように。

 「ぱぱぱぱっぱぱ!」

 “おう!”

 「ぱぱぱぱっぱぱ!」

 “おう!”

 「ぱぱぱぱっぱ、ぱっぱぱっぱ……」

 “かーんーこっ!”

 歓呼と同時に拳を前に突き出し、それを水平に引いて、上に掲げる。ノリも良く、基本的にぱぱぱと歓呼としか言わないこの歓呼のマーチは章助のお気に入りだ。単純なため生徒手帳にも記載されていない。一年生も楽しそうに腕を振り、拳を上げる。問題があるとすれば終わりどころが団長次第ということくらい。

 最初は硬い表情で団長を見ていた一年生達だったがそれも段々と表情に若々しい生気が満ちる。俺達が怒鳴り回らずとも彼らはもう手を抜かない。手振りも歌詞も、体に染み付き一時忘れたとしても覚えている者を見れば薄れた記憶を引き摺りだせる。

 「ぱぱぱぱっぱぱ!だってよ」

 「かーんーこっ」

 視界の端の方、トイレか自販機にでも向かうのか他校の生徒二人がこちらを見て楽しそうに真似しながら通り過ぎていく。それはふざけ、からかわれていたのかもしれない。

 それでも、最初に副団長が言った真似されたなら、俺達の勝ちだと言ったのを思い出す。俺達は勝っている、この団体で。その勝利を掴んだのは応援歌練習で生き抜いた彼らだ。

 他にも俺達の手振りを真似する生徒数人を見て口元に笑みが浮かぶ一年生がいた。今度はそれを見てこちらも気が高揚する。それを誇ってほしい、君達がやっている応援は他の者へ確実に影響を与えているのだから。地味と話したものの、大事なのは華やかさでも綺麗な音色でもない。踊っていて自分でもそれはよくわかった。金管がなくても、こんなに楽しむことが出来るのだから。三本の支柱に張り付けた団旗が風になびいて雄々しく揺れる。


 延べ千と七百人。各校で人間、獣人の男女代表が入場行進した人数である。好天の照り付ける日光を浴びながら堂々と入場する彼らにエールを送り続けた。中には自分達の代表が入場を終えると応援も止まってしまう高校もあったが悠登達のメドレーは開会式直前まで終わることはなかった。

 開会式で高総体を取り仕切る体育連盟の会長からの挨拶、選手代表の宣誓。日程の確認を行いこの開会式へ呼ばれた現役陸上選手からの激励をもらう。選抜された合唱部が競技場の中央で一度この場を静め空気を入れ替えたところで俺達が再燃する。

 「エール交換だ!豪気節、臙脂の旗、ビーストスピリッツの三連発!お前ら、最後にもうひと花咲かすぞ!」

 開会式が終わる前にエール交換のアナウンスが響く。その途中で団長がセンター台に飛び乗り一年生に叫ぶ。団長の言葉に慌てて立ち上げる様子を尻目に俺達はすぐに陣取りへ向かう。踊るためにもスペースは広く取った方が良い。手早くセンター台と太鼓を持ち上げ競技場内に、推して参る。俺達の格好を見て一瞬目を丸くしたならその隙を突いて一気に抜ける。

 「集まれぇえ!」

 設置し直したセンター台にすかさず副団長が飛び乗る。センター台を応援団と有志が囲み、その周囲に一年生が吸い込まれるように集まった。

 「ごぉぉぉうきぶしぃぃぃぃ!」

 “おぉぉぉぉぉぉぉ!”

 「せぇぇぇぇいっ!」

 団長の手振りに合わせ男子は握り締めた制帽で、女子は腕で弧を描くように腕を振る。もうその動作も延々繰り返してきたことだ。それもこのエール交換で終わる。そう思ってくれれば最後の力も振り絞れるというもの。

 だが、一年生はそれどころか今なお元気が余っているようだった。元気なのは何も男子だけではない。それどころか女子の方がエンジン全開のように思える。

 そんな彼女らに気圧されぬように悠登も舞う。観客席よりも広いこの場所で堂々と、大胆に。

 「……フレーえぃっ!…フレーぇぃっ!もぉお、りぃい、こぉぉうっ!せぇぇぇぇいっ!」

 “フレっ、フレっ、も・り・こう!フレっ、フレっ、も・り・こぉぉぉぉぉうっ!”

 最後に太鼓が鳴る。その音を合図に掲げていた手を下ろし、次の太鼓で静かに頭を下げる。エール交換の相手は同じバンカラを伝統にする森高。これを受けて向こうの応援団と一年生達もエールを送り返してくれた。

 「また来年会おう!」

 「あぁ!」

 名前も名乗らず、ただ森高応援団の一人が悠登に握手を求めた。それに力強く応じて手を握る。来年も、というのだから黒毛の牛獣人である彼も同じ学年の筈。次会う時は三年生、来年もまた、同じ場所で。両手をがっしり握り合うと袴を引き摺らないように森高の生徒は去っていった。

 「……あ」

 爽やかに挨拶だけして帰ったと思ったがしっかりメールアドレスの書かれた紙が俺の手に残されていた。それを見て苦笑しそっと胴着に挟む。忘れないうちに鞄に入れて、礼のメールくらいしてみるか。団長も副団長もこういうやり取りで交流を広めていたって言うし。

 アナウンスが閉会を告げて一年生達は先に学校へ帰り、俺達は器具の片付け。それが終わってからのバス内は静かなものだった。誰もが喉を、体を酷使した結果俺を含めほとんどの者が深く寝入る。……隣に座っていた虎の大男がこちらの肩を枕代わりにしているのも気にする余裕がないぐらいに。章助も何人かにアドレスを渡されていたらしい。

 「あぁー、明日が土日で良かったよな」

 学校に戻り、片付けだけして下校。校門を出ると肩をぶんぶん回しながら章助が大口を開ける。流石の章助でも今日は疲れたらしい。

 「でも明日って登校日だろ」

 ゆっくり休みたい気持ちは同じだがそうもいかない。文武両道を目指す我が校は学力向上のため隔週の登校日を設けている。そのため一年生も変わらない、普段から鍛えてない者はガラガラの喉で久々に登校してもらう。

 「マジかよ!うわー、忘れてた……。時間割は?」

 「数学、英語、物理・生物、現社、古典……だったはず」

 五教科揃い踏み、しかも一限はジャンボの数学。思い返しても頭が痛む。それでも五限までだからいつもより帰りは早い。

 「まずいぜ悠登さん、物理教えて」

 「……俺が取ってるの物理じゃなくて生物だっつの」

 章助の枕になっていた左肩へ無遠慮に手が置かれた。そのせいでじんわりと痛む。早く玲奈を迎えに行って明日に備え風呂でしっかり全身マッサージしておこう。


          ♂∽♀


 「いってきまーっす!」

 「いってらっしゃーい」

 幼稚園の前で玲奈が園内へ入るのを見届け悠登は踵を返す。このまま帰りたいがそうもいかない。獅子ヶ谷さんや他のママさん達に見送られ今度は俺が学校に行ってきます。玲奈も俺と同じように土曜も幼稚園なんて、って、玲奈は楽しそうだったな。

 俺も小学校の頃は土曜の学校で友達に会って午後から遊んでたっけ、と考えつつ通りを歩けば獣人用イヤホンを付けつつ歩く一年生。校門指導の時期じゃなくともこの周辺では外した方が無難だ。登校するまで暇で仕方ないのはわかるが一応没収の対象。俺は学校には持ってこないようにしている。

 教室に着くとまず机の中を確認。季節外れなバレンタインのチョコは求めていない、配布プリントがないか確かめていただけ。帰った時と変わらず何も入っていなかった。それにしても今日は人が少ない。そう思っているとジャンボが教室に速足で入って来た。

 「あぁ、HRまで自習しててけろ。これ書きに来ただけだから」

 生徒の視線を気にしてジャンボは察したのかそれだけ言うとホワイトボードにさらさらと水生マジックで書き始める。

 体実 昼休み 視聴覚室

 公欠 体操 バスケ サッカー 卓 羽 剣 弓

 キュ、と音を鳴らしてマジックに蓋をすると放るように置いてジャンボは尻を振って出ていった。忙しそうだがその挙動が妙にコミカルで面白い。

 「げ、今日犀角いないってことは数学当たるじゃん!」

 「まぁ待て。五月だから五番シリーズを攻めるかもしれないだろ?」

 「それなら五番は毎日のように狙い撃ちだって。うあー…」

 ジャンボが去った後に教室が賑わう。誰が当たるか当たらないか、その議題に耳を傾けながら悠登もホワイトボードを見て何か引っ掛かる。

 体実。体育祭実行委員、うん、わかる。公欠は公認欠席で卓は卓球、羽はバドミントンで剣と弓は道と書き加えれば良い。乱暴な略語に関しては問題ない。

 「…これは……!」

 何に違和感を覚えたかわかった。サッカー部だ。今日は狼塚達がいない。

 それに気付いて今日の時間割を見る。その中で悠登が昨日休んだ授業は数学、英語、生物、古典とほとんど被っている。

 「トォちゃん、今日公欠なんだって。尻尾触れないね」

 数学は教材の最後に解答が書いてるから最悪写しでも遅れは取り戻せる。古典は授業があまり進んでいない可能性も考慮……いや、先生なら昨日休んだことも知ってるから見逃してくれるかもしれん。

 今日の過ごし方について考えていると隣から自分へ心を見透かしたような一言。それに反応して俺の尻尾が毛先の房毛を膨らませた。

 「……確かにそれはあるね。でも違うんだ」

 俺の悪い癖。隣に座る女子が俺に話し掛けてくれるわけない、なんていつも思い込んでいること。だから話し掛けられる度に心臓が暴れる。

 でも胸が高鳴るのは聞きたい声を真横から聞けたからというのもあった。隣に座る女子、桑野明に悠登は顔を向ける。見ていたいのに直視はできずに。

 「違う?」

 明が聞き返すので悠登は机からノートを一冊取り出して見せる。

 「昨日は俺達が公欠だったから。狼塚にノート見せてもらうつもりだったんだ」

 「じゃあ私の写す?そんなに綺麗な字じゃないけど」

 写させてもらう狼塚がいないなら、と考える間もなく明からの提案。それに悠登は驚きのあまりノートを落とす。

 「とと……いいの?」

 すぐにノートを拾い屈んだ体勢から戻ると既に桑野さんは俺に数冊のノートを差し出していた。それをそっと受け取りながら聞くと彼女は腕を組み唸る。

 「うーん、数学の時間に内職して残りは昼休みとか……どう?」

 「じゃあ……それで。ちょっと借りるよ」

 それよりもベストな方法は今のところ無い。桑野さんの考えに同意して俺は数学の時間は数学そっちのけで英語と生物、日本史の内職を進める。桑野さんが予習しておいた分まで一字一句逃さずに。

 昼休みになるとすぐに明は古典のノートと前日配られたプリントを悠登の分まで渡してくれた。昨日はどうやら一気に進むハズレの日だったらしい。

 「終わった……!桑野さん、ありがとう!」

 「むぐ?あぁ、お疲れさま……っ…ごめん」

 弁当よりも先にまずは早く返さねばと俺はノートにペンを走らせていた。数学の遅れは……今夜にでも取り戻す。その甲斐あって昼休みはまだ半分以上残っている状態で写し終えた。

 そうして隣の明を見たらウインナーを頬張っていたところだった。それを咀嚼しつつ喋ったためか謝られる。謝るのはこちらだった。

 「こっちこそ食べてる途中にごめん…。これ、助かった。プリントも預かってもらってたみたいだし」

 あと小さいけど丸くて可愛い字だな、なんて数学の時間に頬が緩んでてごめん。それを口にはできないけど。大事な部分は囲ってあったり蛍光ペンでカラフルに塗り分けされていてわかりやすかった。

 「獅子井君、机に教科書とかほとんど入れてないんだね。机の中に入れてたら掃除の時に落ちるかもしれないし今日は来るだろうって思ってたから」

 弁当は一度置いて明は缶のお茶に持ち替える。彼女の言うように机よりは廊下にあるロッカーの方を充実させていた。それでも章助の置き勉には到底及ばないが。

 「今度桑野さんが休んだ時は今日のお礼をするよ」

 「じゃあお願いしようかな」

 俺のささやかで小さな誓い。それに桑野さんは応じてくれた。この約束は忘れないでおきたい。桑野さんが忘れても。

 「でも桑野さん、俺が狼塚のこと考えてるってよくわかったね……」

 ふと内職中に思ったのだがどうしてホワイトボードを見てただけでわかったのか。その疑問を静かに吐き出した。急ぎ過ぎて少し疲れている。

 「え?だって獅子井君、トォちゃんや縞太郎君と話してたりする時表情が変わるんだもん、それくらいならわかるよ」

 当たり前のように言って明は笑う。しかし悠登は笑うより驚いた。

 「桑野さんは獣人の表情とかそんなにはっきりわかるの?」

 「そりゃあもっと無愛想なトォちゃんとも幼稚園から一緒なんだもん」

 それを聞いて納得する。ようやく合点がいって俺も笑みが浮かんだ。

 「あぁ……そりゃあわかってもくるよね。俺でもたまに読めないのに」

 「ほら獅子井君、トォちゃんの話だから笑った」

 桑野さんがピ、と人差し指の先を俺の鼻近くに向ける。でもその指摘には頷けない。

 狼塚だからって言うよりは桑野さんと話せたから……でも逆に硬くなることの方が多いか。嬉しくて楽しい筈なのに、俺も無愛想とか思われてないだろうか。

 「あ、早くしないとお弁当食べる時間なくなるよ?」

 それを聞いて腹が空腹を訴えて切なく鳴く。幸い昼の賑わいに掻き消され明に聞かれはしなかったが。

 「そうだね、とっとと食べとかないと」

 俺が言うと桑野さんは保谷さんの席に向かっていく。普段あの二人は何を話しているんだろう。

 「なら、悠登が食ってる間お前のノートは俺が借りるかな!」

 背後から聞こえた声に振り向くと章助が既にこちらへ手を伸ばしていた。

 「……」

 「頼むって、柊馬のやつ昨日は寝てたんだと」

 「手早くな。予鈴には返してもらわないとこっちも困る」

 授業前に返してくれれば、と思えば構わない。今はとにかく腹ごしらえ。育ち盛りの高校生が一食抜くなんて大問題だ。章助に温もりの残るノートを渡すとすかさず俺は弁当箱を取り出した。

 明のノートを借りたことへの余情に浸る間もない。それは休んでしまった遅れを取り戻すためだと割り切るしかなかった。しかしこの日は明がいてくれたことにより無事に乗り切ることができる。それに悠登はしつこく感謝したいくらいだった。これが章助相手だったらまた話は違う。今日は夕飯を振舞うつもりはない。

 「いやぁ、運が悪いのなんの!昨日の続きから当てていくなんて言ってまさかの俺からなんだからな!」

 「ついてないですねー、では虎澤君ですねー、教科書のですねー、うーん、ですねー、三十二ページから!柊馬が予め教えとけば……って、寝てたのかアイツ」

 柊馬が警告しておけば良かったものをアイツは今日は当たらないからと更に堂々と寝入っていた。昼食後だから眠くなる気持ちはわかるし、途中俺も眠くてノートに変な線を書き込んでしまったが。

 「そのモノマネいいな。ま、お前のおかげで助かったけどよ!」

 章助が左肩に手を乗せる。だが昨日の疲れは残っていから痛みもしない。

 「俺のノート、最初から狙ってたろ」

 「最初じゃないが桑野から借りてるのが見えたからな。俺のタイガーアイを舐めるなよ」

 金運の上がりそうな目を標準搭載とは本当なら羨ましいんだろうがコイツの目はいらんな。一つの物にしか集中できそうにないし。

 放課後に慌ただしかった今日を振り返りながら家路を歩く。玲奈の迎えは非常時に加え土曜日は涼に頼んでいる。午前中で幼稚園は終わるが高校はそうもいかない。休みのところ悪いが玲奈を待たせないためにもそれくらいはしてもらう。

 「ただいま」

 「おかえりなさーい」

 縞男と別れ帰宅。居間に入って呟くとぼんやり声が返ってくる。悠登におかえりと言ってくれた女の子はテレビをじっと見入っていた。


 『RL・ブレイド!』

 ディスチャージ仮面が持っていた剣の名を叫び刀身を撫でるとそれに合わせて刃が青白く光る。

 『うぉおぉおぉぉぉぉぉぉお!』

 『なっ…!』

 この行為はRL・ブレイドにRL・エナジーを纏わせて切れ味を増すためのものだった。しかし刀身の全てにエナジーをみなぎらせる前に今回のディオバスタ星人が突撃。RL・ブレイドを狙って攻撃した。

 妨害を受け途中まで塗られたエナジーをディスチャージ仮面は霧散させてしまう。それにニヤリと笑う悪魔を思わせる衣装に身を包んだ羊獣人の星人。

 『くっ……!これなら!イグニ…』

 『そこだぁ!』

 慌てたディスチャージ仮面がRL・カノンに手を伸ばす。それが狙いだった星人は持っていたナイフを展開しかけたRL・カノンの尾栓に突き込んだ。

 『あ…!』

 その直後、RL・カノンから火花が散る。

 『うわぁぁぁっ!』

 煙と共にRL・カノンが小さく爆発した。ディスチャージ仮面はそのまま背中から外したカノンを落としてしまう。

 『ふ……こうも狙い通りに進むと楽しくて仕方がないな……。フフフ……。でやぁ!』

 『ぐぁぁぁぁ!』

 星人は不敵に笑むと持っていたナイフでディスチャージ仮面を斬り付ける。RL・ブレイドの防御も間に合わない。そもそも、エナジーを纏わせなければディオバスタ星人の高度な科学技術製武器にはあまり役に立っていなかった。ネット上ではよく今週のブレイド(笑)なんて笑われているぐらいには不遇。この回も本来ネタにされそうなものだった。

 

 「ふう」

 しかしこの先の展開は知っている。無理にRL・カノンを展開、そのまま火花を飛び散らせながらどうにか一発発射するも威力と速度が不十分で回避されてしまう。そうしてRL・カノンは今度こそ爆発し大破した。その後、何度も斬り付けられて倒れたところに神がディスチャージ仮面、剣の成長を認めもう一本のRL・ブレイドを与える。それによってRL・エナジーを今までよりも更に燃え上がらせた剣は新技RL・クロス・スラッシュで羊の星人を切り裂く。またも敵の油断が敗因だ。予測と違う事象が起きるとすぐに動じてしまうから倒されてしまう。

 それでもこの回はRL・ブレイドの汚名を返上する勢いの快挙だった。散々RL・カノン頼みだった剣がブレイドを駆使して敵に勝つ。それは初めて見た時は思わず唸ってしまった。

 ……そう、初めて見た時は。今日は土曜日、明日はこの回の続きが放送されるわけだがそれまでにこの第二十九話を何度見たことか。何も考えずともネタバレしてしまう程度には繰り返し剣の逆転劇と星人の断末魔を見て聞いている。気になるのは今後のRL・カノンだ。次回予告でレセプォルガ博士がカノンを修理している場面が映っていたが戦闘はRL・ブレイドを持つディスチャージ仮面しかいない。これは総合的な戦力は下がった見るべきだろう。

 「お?」

 二十九話の良い所だから居間にいた玲奈は悠登を拘束しようともせずテレビを見ている。その隙に悠登は部屋に鞄を置き飲み物を取りに台所へ。そこに一人、椅子に座って携帯電話をいじっている獣人を発見。

 「あら、おかえり」

 「ただいま。部屋じゃなかったんだ」

 そこにいたのは母、涼だった。こちらに気付くと携帯を畳み緑茶を片手にこちらを向く。

 「喉乾いてね。ジョージなら部屋で励んでるけど?」

 「一人でもいいんだもんな……」

 棚からコップを取り出しテーブルに置いてあった緑茶のペットボトルを手に取る。随分と温くなっていた。

 「出したら冷蔵庫戻せよ…。温くなってんじゃん」

 「アンタは母親か」

 母親はアンタだ。それでも水道水よりは緑茶を飲みたかったのでそのままコップに注ぐ。氷でも入れるか。

 「あ、そうそう。幼稚園からお手紙。遅くなってすみませんって」

 「手紙?」

 冷凍庫から氷を三つコップに落とす。途端に氷からパキパキと溶ける音を聞いていると涼から藁半紙を向けられた。

 「……運動会?しかも来週…って、そうか。年間予定表みたいのには書いてたっけ……」

 氷を入れた直後じゃそこまで冷えてないがそれでも喉は潤う。一口だけ流し込むと俺は手紙に目を通す。

 来週日曜、五月最後の週末に幼稚園で行われる運動会。そう言えば少し前に猫垣先生が言ってたな。自分の方が行事だらけでそっちまで考えられてなかった。プログラムも記載されているが当日、別に印刷したものを配ってくれるそうだ。

 「楢原さん、やっぱり来れそうにないって」

 涼は悠登が疑問に思う前に玲奈の父の話を口にする。それを聞いてしばし固まったが悠登は紙を畳む。

 「せっかくの娘の晴れ舞台だってのに、残念にな」

 「玲奈ちゃんの兄どころか親になっちゃった?」

 そのいやらしい笑みは親父そっくりだ。俺にも遺伝してるんだろうか。

 「……カメラくらいあるだろ。写真なり動画なり…」

 「バッチリ。さっき新しいの買ってきたから。テレビに繋いで直接見れたりするやつ」

 ……随分と準備のよろしいことで。ならそのデータを送るくらいできるか。

 「操作わかんなくて丸投げとか止めろよ。充電忘れるとかさ」

 自分は酒を片手に応援し、撮影はこっちに任せるとかは勘弁だ。いや、酒は持ち込めないって一応書いてたか。

 「あら?運動会見に行かない気?」

 母ちゃんは俺が放棄したいと思ったのか前のめりになって俺を見る。

 「日曜は休み、俺が行かなくてどうする。俺の担当は別」

 「担当?」

 「そ」

 首を傾げる涼を横目にコップを一気に傾ける。氷を噛み砕いて悠登は母に笑って見せた。

 「玲奈」

 「どうしたの?」

 キッチンシンクにコップを置いて悠登は居間に戻る。玲奈の横に屈むと少女はテレビからライオンに意識を移した。ちょうどディスチャージ仮面を見終わったところだ。

 「来週、幼稚園の運動会だよね?」

 「うん!」

 俺が聞くと玲奈は満面の笑顔で答えた。余程楽しみにしているんだろうなと容易に想像できる。

 「俺達が運動会、行くから」

 「うん。おとーさんいそがしいもん」

 「うん……」

 隣の部屋の話を聞かれていた、ってことはないだろうがわかっていたらしい。自分の父親が来られないと。どうしてもその言葉に寂しさが見え隠れしてしまう。

 話は親父か母ちゃんがしたみたいだが、楢原さんの方は寂しがっていただろうか。いや、こんな可愛い娘の年に一度の運動会だ、行けないなら残念に思っているのが普通だと思う。

 「……。お弁当、用意するよ。いつもよりも豪勢なやつ。何か食べたいのない?」

 気を紛らわせるとは違う。同じことをしても代わりになれることでもない。それなら俺ができることで玲奈を喜ばせたかった。これは俺の担当。

 「おにいちゃんがつくってくれるの!?」

 「親父には任せられないよ、半熟好きのくせに卵焼きは炭直前にするし。俺がやる」

「えっと……」

 玲奈が目をいつもよりも大きく丸める。それに牙を見せて笑ってやると玲奈は辺りを見回し始める。

 「何でも良いよ、張り切って作るから」

 料理に自信があるとは言わないがこれくらい豪語したい。その方が向こうも遠慮しまい。

 「あの……おにぎり!テレビでみる、さんかくでおなかにノリまいてる……」

 「アニメや漫画とかで見るやつ?」

 玲奈がコクコク頷く。あんなもので良いのかと思うがこの家ではほとんど作らないし、全員が海苔好きだから全体を真っ黒に包んでしまう。見映えは良いだろうなと思う。故に美味そうなのだ、憧れるのもわかる。

 「他は?まだあるでしょ?」

 「うん!あと………」

 「俺、鶏肉は欠かせないと思うんだよな!」

 「………」

 背後から聞こえた声に悠登は玲奈に向けていた笑顔を引きつらせた。振り向こうとも思わない。

 「……あと?」

 「え…」

 後ろの声を無視して表情を再構築。なかったことにする。

 「鶏肉!ティキン!」

 「あの……」

 玲奈は俺と俺の背後を交互に見る。廃品回収車だろうか、ちょっと雑音が聞こえているのかも。俺には聞こえないけど。

 「玲奈、おにぎりとお茶だけじゃ寂しいだろ?」

 「だからチキンだってば!」

 俺の肩にずっしり重みが加わる。霊感があるとか幽霊を見たことはないと思う。だが何かに取り憑かれたようだ。

 「あの……じゃあ…チキン、とか」

 「………」

 もう玲奈は俺を見ていない。俺の肩の向こうを見ている。

 「ほら!皆大好き鶏肉!やったね!ひゃっほい!」

 「やかましいわっ!」

 耳元で大声を張られ俺の肩を揺さぶる。いい加減限界を感じ振り返り、もじゃもじゃの毛玉を掴むと俺は思いっきり横に薙いだ。俺の後ろで騒いでいた雄は大股を開いて仰向けで倒れる。

 「なんで無視するんだよぉ息子ぉ……」

 「俺は玲奈に聞いてたからだよ。言わせんな煩わしい……」

 悠登を息子と呼ぶが行動は明らかに悠登より子供じみた巨躯の獅子獣人。父親である譲司を悠登は立ち上がり冷たく見下ろした。いつ自室から出てきたんだか。

 「なにそれー。パパだけノケモノとか可哀想。皆のリクエストを聞いて悠君が頑張ればそれで良いじゃん。ねー玲奈ちゃーん」

 譲司がそう言うと玲奈はニコニコしながら彼に飛び乗った。

 「フライドチキンがいい!」

 「おぉー、フライドチキンな!俺もだぁい好きフライドチキン!」

 玲奈がそう言うなら文句はないが親父にはどうも釈然としない。

 「運動会かー!悠登はハンコーキか去年の体育祭とか呼んでくれなかったもんなー!楽しみだぜ」

 高校の体育祭なんて保護者はほとんどいない。まして、あんなもの見せられるか。思い出すだけで赤面したくなる。

 「いまね、おゆうぎのれんしゅうしてるの。みんなでおどるから!」

 「そいつぁいい、今見せてくれないの?」

 譲司の顎下の鬣を揉みながら玲奈が見所紹介。そんな玲奈の頭を撫でながら譲司は尋ねる。

 「うんどうかいまでおあずけ~!」

 しかし玲奈はしっかり見所を残すためか譲司から離れようともしない。俺が園児だった頃はすぐにでもできる部分を見せびらかしそうなものだが。

 「おいおい、お預けって俺は犬じゃないぞぉ?わんわん!」

 「にゃー!」

 それにしても玲奈は譲司を少しも怖がらずに遊んでいる。そこに遠慮なんてない。

 「よぉし玲奈ちゃん、今日は俺とお風呂入るか?」

 「え。おじちゃんのおふろあっついからいや」

 「え……あぁ、そう…」

 「…………」

 そこに遠慮なんて、なかった。俺は親父の表情の温度差に吹き出すのを精一杯堪えた。それからも玲奈、ついでに親父のリクエストを聞いて頭の片隅にインプットしておく。前日のうちから少しは下ごしらえもしておくべきか。


 一期末考査まであと半月ちょっと。それまでの一段落、冷却期間に突入するかと思いきや玲奈の運動会まであと一週間。俺達はまだ気を抜けそうにない。

 そう言うと堅苦しいが俺は内心、運動会で活躍する玲奈の姿をこの時にはもう想像し、楽しみにしていた。それだけこの子が自分の中で大きな存在になりつつあったんだ。

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