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第二部 一章

 東雲の空に静まったこの町はまだ一日の始まりを躊躇っているようだった。その中で一部の早起きさん達は後続の者達を先導するよう一足先に今日の支度に勤しむ。

 その早起きさんの中に紛れるジャージ姿の獅子と虎の獣人。どうやら二人の向かう先は駅のようだった。

 時刻を電光掲示板で確認すると往復切符を買って改札へ。橋を渡るまでまばらだった人通りも駅まで来れば意外といるもので。

 「ねむー…」

 俺の隣でガバッと無遠慮に大口を開けてあくびをして空気を押し出す虎男。それを見てしまい思わず自分も同じようにあくびをするところだったが口に力を込めてどうにか止めた。

 「なんだよ、あくびしたけりゃすりゃあいいのに」

 こちらの我慢に気付いたようで虎が背後から肩へ手を回す。それを払って先に改札を抜けた。

 「放っておけ。二番ホームだ、行くぞ」

 時間を合わせて共にここまで着いた虎、章助が掲示版を見ていなかったことを知っていたライオン頭の高校生はそれだけ言うと連れが続いているのを前提に二番ホームへ向かう。

 「待って、俺先トイレ!おい、悠登!」

 ……トイレ、か。しばらく電車だし俺も済ませておくか。

 しばし迷ったがどのぐらい電車に乗っているかまでは聞いていなかった。念のために悠登と呼ばれた少年は章助が追い付くのを待って足を止める。ホームに電車は到着していない。まだ時間に余裕はあるので男子トイレへと二人は進路を変更した。



               第一章



 しっかりすっきりしたところで電車がホームに到着。同年代のジャージ姿もちらほら見ながら乗車したが席には余裕がまだ若干ある。

 「いやー、電車に乗るなんていつ以来だ?下手すりゃ中学の修学旅行から乗ってないんじゃねぇか?」

 他の乗客がそれぞれ新聞や携帯を覗き込むなか、章助は気持ち程度に声を潜めて俺の方を向く。俺は携帯を開きながら適当に応答する。

 「どうだったかな。たまに駅向こうのモールや映画館行かないか?」

 「おぉ!そう言えばあったな!」

 俺の場合は母の休日出勤に弁当を届けたとかもあるが、と付け足す前に章助が楽しげに返す。もう少し音量を絞れないものか。

 「あれ?でも映画なら学校近くの映画館でも見てたから…やっぱ中学から乗ってねぇや」

 こちらから考え直させてもその結論ならそういうことなのだろう。俺はメールを打ちながらそうか、とだけ言った。

 「そんでお前はなにしてんだ?」

 「あー、親父にメール。母ちゃんは今はまだ寝てるから、玲奈を幼稚園連れてくよう確認」

 隠す理由はないので普通に話す。玲奈、という獅子井家で預かる女の子の送迎について確認するメールだった。普段駅を利用する母、獅子井涼は悠登の次に玲奈の通う幼稚園近くを通っていた。普段は悠登が送迎しているが、今日のように行けない場合は父ではなく母に代わってもらうことに決まっている。幼稚園の先生には昨日の時点で今日は帰りしか来れない、という旨を伝えたが母には話していなかった。そのため発車してない今のうちにと打ち込んでいた。

 「慣れたもんだなぁ。少し前まではあんなに人間の子を怖がってたのに」

 章助にからかわれるがその表現は語弊がある。俺みたいな獣人の見た目を怖がっているのは子どもの方だ。……そんな幼い彼らを怖がらせないようにびくびくとしていたのは事実だが。それも今では玲奈の友達にはすっかりなつかれ“タテガミのおにいさん”になっている。おじさんと呼ばれた時に玲奈が正してくれたのには感動した。

 「何事も無きゃいいんだがな」

 送信完了。携帯を閉じてポケットにしまう。音楽を聴いてうたた寝するのも手だが章助が許すまい。

 「悠登が成長して俺は嬉しいよ。いろんな部分含めてな。こりゃあ勢い余ってシスコンまでいっちまうか?」

 いろんな部分、が具体的にどこの部分かは考えないでおく。トイレでわざわざ隣で済ませたのは他にも利用者がいたからだ。それよりも今はシスコンという言葉が耳に刺さる。

 「……そう言うお前は、姉が好きなのかよ」

 あと数分で発車するのを知らせるアナウンスを聞きながら悠登は章助に仕返す。その言葉の槍となったカウンターは章助を貫いて顔を歪ませた。

 「ぐええ……冗談にしても悪趣味だぜ、それ。だいたい……お?」

 そこまで嫌悪感を表すことはないにしてもいきなりそんなことを言われればこちらも対抗する。単に認めたくないだけかもしれないが。

 更に章助が言い返してくるかと思いきや彼は何かに気付いたようで乗車口の方を向いた。釣られて悠登が乗車口の方を見ると開閉音と共に息を切らした女子が乗り込んできた。その姿には見覚えがある。

 「はぁ……はぁ…。はー!間に合った…」

 彼女はこの電車の時刻に合わせて走ってきたのだろう。入ってきたのは明るい茶髪で染めているかいないか判別しにくく、校則ギリギリといった色合いの長い髪を振り乱した女子。肩を揺らして息苦しそうになんとか電車内側の開閉ボタンを押して扉を閉めた。

 「えー……。あ」

 「う」

 「おう」

 呼吸を整え座れる席があるか彼女が車内を見渡そうと顔を上げた時だった。悠登と章助の顔を発見し声を洩らす。反応されてしまい連鎖するようにこちらも声が出た。

 「ねぇ、そこって空いてる?」

 席の端にいた悠登、その横にいる章助の隣を彼女は指差した。章助はすぐにそこをポンポンと叩く。

 「あぁ、空いてるぞ保谷。でも俺の尻尾を下敷きにはすんなよ」

 「良かったぁ……。こっからしばらく立ってるのはさすがに辛いもん」

 快諾されて一気に肩をガクンと下げ、足取り軽く章助の横へ腰掛ける。俺は章助が口を開いた時に尻尾を撫でられ、すぐにコイツの手をつねった。

 保谷、と章助が呼んだ彼女は保谷真衣。悠登達のクラスメートだ。話したことはそれほど多くないが、一応幼稚園から小中高と一緒で以前から度々同じクラスになっている。

 「ふー。縞太郎君も獅子井君も地区予選の応援?早いねぇ…」

 真衣に合わせたように電車が発車すると彼女の方から口を開く。章助を引き付けてくれるなら悠登はぼんやりできると思ったが、真衣は二人の顔を見るように体を屈めているのでそうもいかない。

 「俺達は部活入ってないから」

 保谷さんが言った地区予選の応援。その通り、高総体の地区予選の応援である。応援と一応は言うものの、野球応援ではないので声を張り上げ太鼓を鳴らすようなことはない。実際は平日に行われる運動部の予選を文化部や部活に無所属の者達が見学に行くだけのこと。休ませてくれとは言えない。だから俺達は一応課題と昼食を鞄に入れて電車に乗った。かといって向こうの体育館で課題に取り組むかと聞かれれば試合を見ていることの方が多い気もする。

 「どこの応援行くの?こっち方向ってことはテニス部?」

 「いや、俺と悠登はバレー部の応援。去年は市内だったから移動も楽だったのにな」

 テニス部と聞いて耳が勝手に動いた。どうせ行くならテニス部も見たかったが残念ながら今回の俺達はそうもいかない。俺達が所属する応援団、その副団長がバレー部にいる。その応援に章助が行きたいと言ったからだ。それを無視するのは副団長にも悪いし、テニス部の試合を一人で見に行くのは肩身が狭い。

 「へー。バレーかぁ。ならトォちゃんのサッカー部もおんなじ場所だったよね」

 真衣の返事に聞き覚えのある単語が混じっていた。

 「トォちゃん…」

 「あ……。狼塚君?」

 「いや、わかってる。うん」

 聞き覚えはあるが保谷さんの口からは聞き慣れていていなかったのでつい呟いてしまう。俺が聞き返してしまったせいで慌てたというか、気まずそうに言い直してくれたが誰を指しているかは知っていた。クラスメートである狼塚徹のことだ。

 「へー。なら、サッカー部も見に行けるな。後から見に行ってみるか?」

 最初からバレー部の試合を見に行くと決めていたので他の部がどこで予選をするかと調べることはあまりなかった。章助も知らなかったようでそんな提案をしてくる。

 「そうだな、時間が合えば見られそうだしな」

 サッカー部と言えば応援団の有志として参加してくれた者もいる。それに狼塚の尻尾も見られると思えば悪くない。

 しかし日射しがキツいと大変そうだと思いながら窓の外を見る。駅に着くまでよりはもう明るく、日も出ていたが雲は多い。その心配はいらなさそうだった。

 そこで会話も途切れしばらくは三人で黙っていた。真衣に至っては早起きにランニングのコンボで疲労しているのか、微かにウェーブのかかった髪型を整えると目を閉じてしまう。

 悠登は電車の車窓から見える風景が好きだった。駅前の栄えた高い建物よりはしばらく走ってから見える畑等によって開けた眺めの方が良い。山に囲まれているので地平線が綺麗に見えることは少ないが、窓の向こう、遠くでポツンと走っている車を見掛ければどこに向かっているのかなんて想像したくなる。

 最初こそそんな風にのんびりと外を見ていたが時間が経って、明るくなっていくうちにそれは難しくなってくる。出勤のために乗るサラリーマンや同じ高校生の乗客が増えてきたからだ。それに合わせて周囲の話し声も大きくなる。

 「う……」

 そうした声からか、うとうとしていた真衣が顔を押さえてもぞもぞと動き出す。目が覚めたようだ。

 「あれ、ここどこ?」

 真衣は外を見ようと体を揺らすが窓の向こうは畑しかない。それだけの情報で位置の判断は難しいだろう。

 「三七上を発車してちょっと経ったとこだよ」

 そこで起きていた悠登が答える。章助はまだ目を閉じていた。

 「三七上…。……ならまだか。ありがとう獅子井君」

 真衣はどこで降りるのか聞いていなかった。こっちは次で降りる予定だが、その先まで行くらしい。

 「どういたしまして。移動長いと大変だよね」

 今でさえこうして座っているだけで時間を食うのにそれを往復するためもう一度。毎日のように長時間電車通勤をする者の持つ忍耐力には敬意を表したい。身近だと担任の熊田辺りが電車通いだったか。

 「ほんとにね。でも帰りは明もいるし、それか疲れて寝てるかなー。なんで電車で寝てもイマイチ体はすっきりしないんだろ……」

 声からして真衣は全快ではなさそうだった。自分で起きたというよりは周りの音で起きてしまったのだからそうなるのもわかる。

 「そう言えば桑野さんはバス…?」

 テニス部と聞いてもしやと思ったがやはり真衣の目当ては桑野さん、明らしい。教室でも度々話している様子は見ていたし、明の方から話に名前を出されたこともあった。悠登が見に行きたかった所へ真衣は堂々と向かうようだ。

 「うん、らしいよ。でも帰りは私が乗るからって一緒なんだ」

 その辺は自由に決められるのか。俺達が見に行くバレー部の方はバスではなく、各々で来るように言われたそうだ。もしかすると、隣かどこかの車両に副団長や知り合いがいるかもしれない。見掛けなかったし、合流しようと連絡もしていないが。

 「寝過ごさないようにしないとね」

 「それは明にも言われたかな…」

 恥ずかしそうに笑って言うが保谷さんは授業中に寝ているという印象は特にない。中学の頃から授業の時だけ眼鏡をしていたとは思う。そもそも、こんなに話したのも初めてに近い。彼女について知っていることは少なかったが、この場にいる知り合いが自分達しかいない故に成り立つ会話のキャッチボールだろうか。

 「獅子井君って席、明の隣だよね?話すことあるの?」

 そのキャッチボールを断絶するような悪送球が真衣から放たれる。自分から振ったくせにこう返されて一気に言葉を選びにくくなった。

 「うっ…。……少しは?」

 無難に返せたかな、と思うが真衣はこちらをまだ見ていた。向けられた視線が語っている。どんな話を?と。それを理解しているのにどうしても話を別の方にずらしたい自分がいた。

 「……普段は挨拶くらい、かな。応援歌練習の最終日に偶然帰りが一緒になった時は応援団の話もしたけど」

 観念し、真衣の口から続きを催促される前にポロリする。それを聞いて満足したのか真衣は席に背を預け章助に隠れるように見えなくなってしまった。

 「獅子井君ってトォちゃんと仲良さそうだったから明とももっと話してると思ったのにな」

 大きな声ではなかったが、電車の揺れる音に混じりながらもしっかりと保谷さんの一言が聞こえた。俺は、その期待というか予想には応えられていない。

 あの日、自分から桑野さんに話し掛けた時のことだった。俺は桑野さんにどうして俺達のことを覚えていたのか聞いてみた。俺や章助が幼稚園児だった頃、俺は狼塚も桑野さんもつい数年前が初対面だと決め付けてしまっていたのだ。それがちょっと申し訳ないとは思いつつも。

 それを話した時、桑野さんはほんの一瞬、俺の目を見た。すぐに目を逸らされ、彼女はいつものように鞄を机に置き、席につく。その時の横顔が何日も経った今も忘れられない。

 寂しそうだったのだ。その表情はほんの数秒も無かった。しかし、その後こちらを向いて話をしてくれた明の顔はいつもと同じ、悠登も知る彼女。だが、話は頭に入ってこなかった。章助が一因だったのは確実らしい。

 あの表情をさせてしまったのは間違いなく自分だった。応援歌練習中、保健室で会った彼女の笑顔を、自分で無かったことにしてその横顔にさせてしまった。

 その日以降、桑野さんに変化は見られない。学校に来れば挨拶もしてくれるし、狼塚を介し会話に混ざってくることもある。

 変わってしまったのは自分だった。顔や言葉に出すことはなくとも、彼女といる時はどこかでまたあの顔を見たくないと思っている。好いている相手にしても意識し過ぎ、と言われるかもしれない。その通りで、向こうは実際そんなに気にしていない場合もある。だとしても、悠登にはそう思えるまでの時間がまだ少し必要だった。

 「……トォちゃんとはどう?最近話せてないんだけど」

 ちょっと考え込んでしまったが保谷さんから次の質問。それを受けて俺は沈みかけた意識を今一度引き戻した。

 「狼塚は誰にでも同じだと思うよ。桑野さんでも俺でも、章助でも。…なぁ?」

 「おう、間違いねぇ」

 いつの間にか目を開けていた章助に話を振ると同意した。いつから聞いていたんだか。

 「男子トークとかはないの?」

 こんなに喋る人だったんだな、と思いつつ様々探るがあまり思い付かない。そもそも、狼塚は口数が多い方ではないから。こちらから話すのも下手をすれば尻尾を触らせてくれと頼むだけで一日終わったこともある。そもそも男子トークって何だろう。

 「男子トークっていうかあの話はどうだ?ほれ、打ち上げの日の」

 「打ち上げ?」

 まだ電車にしばらく乗らねばならないからだろう、保谷さんは章助の思い付きにすぐ食い付いた。俺はもう回想でちょっと思い出していたからその話に戻るのは心苦しい。

 「応援歌練習のな。その打ち上げで幼稚園時代の話をってな」

 「あぁ」

 こうなれば次に話すのは章助の番だ。俺は休憩。

 「私達一緒の幼稚園だったもんねー」

 保谷さんも覚えていたらしい。これで忘れていたのは俺と狼塚だけ。俺だって思い出してみればきっと思い出だったりがある、筈。

 「そうそう。それで俺と悠登はもう幼稚園からここまでずっと一緒だもんな!」

 「そうだな…」

 ずっと、を強調する章助に不本意ながら同意する。クラスが同じになるのは、予感はあっても予定には入っていなかった。ずっと一緒なのはクラスが違っても変わらないのだから。

 「ねぇ、二人はどうして仲良しになったの?」

 「それは章助が……」

 今度は悠登の顔を見るのでこちらが答えようと口を開く。しかし、そこで車内アナウンスが間もなく駅に到着すると伝えてきた。

 「お、もう着いちまうか。さってと…」

 アナウンスを聞いてすぐに章助が立ち上がり、俺の分も荷物棚に乗せた鞄を取って差し出す。それを受け取り俺も立ち上がった。

 「ここまで、か。じゃあ、保谷さん」

 「うん、また学校で」

 「じゃーなー」

 ホームに着いて電車が停まる。自動では開かない扉を、近くにいた他の高校生がボタンを押して開ける。他の者達に続いて悠登と章助も真衣に挨拶を済ませ降り立った。

 「やっとかー。って、こっからどうすんだ?」

 章助は高らかに腕を上げて体を伸ばす。俺は体を捻って骨が鳴る音を聞いてから切符を取り出した。

「十分ちょっとくらい歩くってさ。ほら、見えてるだろ。体育館の屋根」

 指を差したのは山の方。緑の木々に紛れてコンクリートの道路が緩やかな坂道を刻み、車や人の通りも見られた。副団長に聞いた、着けば見えているというのはその通りだった。

 「明らかに十分越えないか、あそこ…」

 章助が目を細める。目算してもそう思う。あの坂道は急ではないがその分、蛇行して長い。そのために時間に余裕は持っていたから良かった。これが一本遅ければ走って間に合うかどうかだろう。

 「あの…!」

 駅員に切符を渡して駅から出る。電車でも思ったが雲は多い。しかもしっかりと日光を遮る厚めの雲だ。春の気温も相まって今日は過ごしやすい。

 ゆっくり行くか、と思っていると後ろから声を掛けられた。振り返るとそこには我々と同じ紺色のジャージに身を包む人間や獣人の高校生。同じジャージ、つまり同じ高校の生徒だ。

 「すみません、道聞きたいんですけど…」

 低姿勢でおずおずと言う男子は襟元のラインが俺達の赤とは違う。黄緑色ということは一年生か。

 「サッカーかバレーの応援?」

 「あ、自分はバレー部の一年です。先輩と来る予定だったんですけど寝坊したらしくて…」

 俺が聞くと男子はすぐに答えた。その先輩が誰かまではわからないがこの日に寝坊なんてして大丈夫か…。

 「それならあそこに見えてる体育館だぞ。一緒に行くか?」

 章助の誘いに一年生はいえ、と答えて荷物を担ぎ直した。

 「俺、先生に先輩が遅刻するかも、って早めに言っときたいんで。ありがとうございました!」

 礼だけ言って彼は走り去ってしまった。そんな彼を見ているうちに話を聞いていた何人かも体育館の方を目指して歩き出す。

 「俺達はゆっくり行こうなー」

 「そうしよう」

 近くの自販機でお茶を買う章助を待ってから俺達も途切れ途切れの人波に合わせて体育館へと向かった。

 「すみません、見学の者です」

 「おっす!よく来たな。学年と名前教えてくれ。えーっと…?」

 それから歩くこと二十分強。思った通りに時間を使って体育館へと辿り着いた。途中、グラウンドに集まる集団も見掛けたのであれがこの辺りのサッカー部だろう。

 前日に上履きを持ってきていたのでそれに履き替えて二階へ。ギャラリー部分の一角に自分達の高校の集まりを発見しそこに移動。バレー部の顧問に話し掛けた。

 「二年C組の獅子井と虎澤です」

 気さくに答えた明るい黄色をした長毛の犬獣人。学年が違うが数学担当でバレー部顧問の犬藤は自分の鞄から名簿を取り出すとそこにペンをちょいちょいと走らせる。名前を知っているのは去年、熊田が出張でいない時に代わって授業を担当したことがあるからだ。

 「獅子井、虎澤……っと。うし。お前ら、課題は持ってきてっか?こういう時に片付けちまうんだぞ?後が楽だかんな」

 応援はいいんですか。そう思うがこの先生の言いそうなことだ。

 「で、終わったり課題の休憩がてらバレーを見て楽しむってな」

 ここまで来て既にバレーがついで扱いにされている。しかし、出欠確認さえしてもらえばこちらのものだ。

 「インドー先生、外のサッカー部を見てくるのもありですかー?」

 記帳を終えてこちらに背を向けかけた犬藤に章助が言う。犬藤は顔だけこちらへ向けた。

 「それはちょっと複雑だな……。でも見に行きたけりゃ良いんでね。帰りの出欠確認には戻れよ」

 少し言葉を訛らせながら犬藤は今度こそバレー部員の方へ戻っていった。課題は許可しても他の部を見に行くのは複雑らしい。そこにどれだけ差があるのかはわからない。

 「じゃあこの辺に陣取るか」

 バレー部の横に移動して章助と鞄を下ろす。もっと後方には先に着いていた一年生がなんとなく固まって座っていた。既に課題を始めている者もいる。

 「課題の多さに苦しんでるんだろうな…」

 「俺は今も苦しいがな!」

 しみじみ他人事のように呟くとそれを断じるように章助が吠えた。そんな自信満々はいらない。

 「だからこそ早くやれよ」

 悠登が鬣を掻いて章助を見る。一応課題のプリントと筆箱は取り出していた。

 「でもバレーもサッカーも見たいんだよぉ…」

 しかしそれを横に放って頬杖をつくと、章助は一階で柔軟している選手達を眺める。その中には副団長の姿もあった。

 「小松代クンは出るのか?」

 副団長、章助の言う小松代クンはユニフォームを着ていた。しかしこうした大会で活躍するのはいつも三年生だ。二年生の出番は引き継いだ夏や秋以降。引退までに二年生が活躍するのは部員が少ないか、それともエースか。バレー部ではそんな話、どちらも聞いたことがない。

 「三年もいるしどうかな。ストレッチや練習相手に下りてるだけじゃないか」

 見ているうちに柔軟がボールを用いた練習になっていった。トスを一人でポンポンと上げる選手。授業でバレーをすることはあるがどうも高さが自分達とは違う。高いどころではなく、余裕でこの二階ギャラリーまで届く。見ていて何度かこちらに飛んできたボールを一階の選手に返すこともあった。

 続いて二人一組でトス。返しにミスがあるとすかさず腕をレシーブの構えに変えて対応。腰をしっかり落とすのがコツなのだろうがどうしても俺達だとたまに変な方向へ飛んでいく。バレーでも卓球でも、何かしらスポーツが上手いというのは長所だ。運動神経は悪くないがこういう経験が俺には不足しているんだろうな。

 課題をやろうと思いつつも気付けば章助と同じように目はボールを追って首や尻尾があちこち動く。嗅ぎ慣れない体育館の匂いも気にならなくなってきた頃、一度選手達が二階へとやって来た。

 「あ、獅子井君。虎澤君も本当に来てくれたんだ」

 俺達に気付くと副団長は俺達のところに近寄る。言われれば、俺と章助の他に二年生がいない。皆は市内か近場の見学に行っていることになる。

 「章助が今年はどうせならどっか行きたいって」

 「そっかぁ。遠かったんじゃない?お疲れ様」

 労いの言葉をくれる副団長は本当に癒しだ。応援団の副団長という肩書はあるが普段の彼から滲み出る雰囲気は温和そのもの。練習時の方が無理をしているのではと心配になるくらいだった。

 「試合には出るのか?」

 章助が聞くと副団長は目を丸くした。小松代、という名前はあるがどうにも俺は彼を副団長と呼ぶ方がしっくりくる。

 「バレーの審判はやるよ。でも試合には出ない。二年生からは一人しか出ないよ」

 そう言えば得点の記録員もしなきゃいけないのか。中学の頃にこういう用語のテストが保健体育であった気がする。エンド・ラインやサイド・ライン、だったか。その位置にも人が配置されている。

 「じゃあ二人ともゆっくりしてってね」

 副団長はにこやかにそう言って部員達の方へ行き、犬藤に二三告げると先に下へと戻っていった。あんな風に歓迎してくれるとこちらも居心地が良い。

 周り、特に二階は静かなものだった。階下からざわざわとした声を聞くが俺達はじっくりと他校も含め試合を観戦する。

 副団長が言っていた試合に出る二年が誰かはすぐにわかった。背は角を含めて俺達の身長を超すか超さないかのボンゴ獣人。名前までは知らないが理数科の生徒で廊下では何度もすれ違っている。体重はありそうだが予想に反し高く跳んでは相手のスパイクを見事にブロックしていた。

 「やっぱスパイク叩き込むのが気持ち良いよな!」

 「更にそれが決まるとな」

 章助は体を楽しげに揺すっている。自分も動き回りたくて疼いているようだった。見ていて俺も体を動かしたいとは思う。ボールを借りてどこかで遊んでいたいくらいだ。どうせならバスケが良い。

 「なぁ、昼食ったら外に行かないか?狼塚見に」

 「おぉ、行こう!」

 時刻が正午を回った頃、こちらの提案に章助が乗っかる。夢中になって見ていたが楽しみはバレーだけではない。狼塚の尻尾……もとい、サッカーの試合も見たかった。

 昼食を摂って一服。外も休憩時間だろうがしばらくバレー部や見学組といた。休憩時間の半分が過ぎた辺りで俺と章助は外へ向かう。

 「うーむ。シンセンな空気だな!」

 外に出るとまずは章助が張った胸筋を更に膨らませるように空気を吸った。室内に比べると少しひんやりとした緑の匂いに悠登もしばし空気を入れ替える。

 「なんか向こうで固まってるがどこだろうな」

 サッカー部の見学をしている同校の者は見当たらなかった。やはり室内が楽ということか。

 「お」

 グラウンド端の砂利道にしゃがんで昼食や談笑を楽しむ集団をぼんやり見て歩く。中ほどまで進んだところで見覚えのある者を発見した。

 「狼塚」

 こちらに背を向け座り、部員の話を聞いている狼の後ろ姿を見て俺と章助は彼の背後へと忍び寄った。声を掛けるとその灰がかった黒く大きな耳を急にピンとこちらへ向ける。その耳もいずれ触りたい。

 「獅子井……。来てたのか」

 ゆっくりと振り返った狼の獣人、狼塚徹は俺を視界に収めるとそれだけ言った。その言い草はあんまりだろう。

 「俺もいるぞ、狼塚!」

 「あぁ」

 章助に対しても変わらない。一言返して終わり。しかし章助は満足げだった。

 「知り合い?」

 「クラスメート」

 俺達に興味を持ったらしいサッカー部の部員に狼塚は非常に簡潔かつ的確に紹介してくれた。もうちょっと他の表現があっても良いと思うんだが。

 「探すの苦労したぞ…」

 章助が狼塚の隣にしゃがんで彼の肩を抱く。後ろから見ていると嫌そうに身をよじっているのがわかるのだが、章助と挟むように悠登も狼塚の隣に座った。打ち上げの時も見てはいたが高校の体育ジャージとサッカー部のジャージは違う。光沢のある、暗い青地に水色のラインがいくつか入った涼やかなデザインのジャージはカッコ良いが遠くからでは目立ちにくい。

 「バレーを見に来てたんだろ。そっちはいいのか」

 こちらの考えを他所に狼塚はそんなことを言ってくる。向こうから話題を振ってきたのを喜ぶべきだろうが、たぶん自分に密着する章助が鬱陶しいのだろう。

 「電車でタマタマ保谷に会ってさぁ。ここでサッカーもしてるって言うから悠登と見に行こうってなったんだよ」

 保谷、という名前を聞いて一度狼塚の動きが止まった。

 「そうか。一緒に乗ってたんだな」

 狼塚が章助の腕を引き剥がす。だが探すような真似はしない。

 「保谷さんなら…」

 「テニスの方だろ」

 やっぱりわかっていたのか。保谷さんと狼塚が話しているところなんて見たことないが、桑野さんから聞いていたのかな。

 「あぁ、そう言ってた」

 狼塚が章助から離れてこっち側に来る。今なら手を伸ばせば尻尾に手が届く。しかし、問答無用で触ったりは絶対にしない。同意を得て初めて触れるその感触を夢見て今は堪える。

 「でも俺達の試合ならほとんどもう終わったよ。次は何時間かしてから」

 笑顔の爽やかな人間の同級生が試合は終わったと教えてくれる。これくらい朗らかな狼塚……を想像するのは難しそうだ。横にいる狼塚は無表情に足元の石を章助の靴に放っている。先程の密着がそんなに嫌だったか。

 「それじゃあ応援来た意味ないじゃん」

 章助はそう言うが午前にバレーを見ていたのは俺達だ。その言い分が通るわけがない。見たかった気持ちはあるがどうしようもなかった。

 「試合に出た二年とかいるのか?」

 「二人。先輩がコケて怪我したから補欠のやつとか」

 交代する程に派手に転んだってことか。見渡すが誰かはやはりわからない。

 「狼塚ってポジションどこなんだ?」

 「ディフェンダー」

 他校のサッカー部がグラウンドに集まっている。話しているうちに午後の部が始まったようだ。それを見ながら章助が狼塚に聞くと単語だけで返答する。

 授業でフットサルをする時は大抵狼塚はゴールキーパーに先生から据えられていたが普段はディフェンダーだったのか。聞いたこともなかった。

 「ウチの高校のサッカーって見たことないんだが……どうよ?」

 「ぼちぼちじゃない?強くはないけど弱過ぎって言われることもないし」

 今年有志に参加してくれた大内が章助の疑問をぼんやりと返す。去年は県大会ベスト8だったと思う。

 「それで午後の試合っていつからだ?」

 「十四時半。バレーって確かその辺で解散じゃなかったか」

 こちらから見てコート手前側にゴールが決まる。すぐにボールを持って慌ただしく中央に戻る選手達を見ながら狼塚に聞いた。狼塚が試合に出ないとしても見てみようかと思ったのだが、彼の言う通り。休憩時間に副団長が十五時十分の電車に乗りたいと言っていたからその前に帰ることになる。

 「どうする章助?十四時半から見てたら……」

 「帰るよ」

 サッカーも見たいと言っていた章助だったがあっさりと引き下がる。良いのか?と狼塚を挟んで顔を見るとこちらを見つめ返してきた。

 「どうしたよ。その次の電車待ってたら玲奈ちゃんの迎えが遅れるだろ」

 その通り。だから帰りたかったがそれはお前からしたら不本意じゃないかと思って。

 「見たいなら俺一人でも帰るけど」

 「俺を残して副団長や玲奈ちゃんと帰るんだろ!そうはいかねぇ!お前がいないと俺が寂しいからな!」

 無理に合わせなくても、と今回は思ったんだがそれは拒否したいらしい。寂しいなんて主張する見た目か、その図体で。

 「……わかった。そういうわけで狼塚、俺達やっぱりバレーに戻る」

 「あぁ」

 こちらはこちらで事情を知っているとはいえ希薄だ。しかし最後に。

 「狼塚。ちょっと尻尾触らせてくれないか?」

 「嫌だ」

 降り注いでいた日光は狼塚が顔を背けると同時に雲に遮られた。俺が狼塚に精神的に遮断されてしまった瞬間でもある。


          ♀+♀


 「あいよ。出欠確認!お疲れさん!気を付けて帰るんだぞ!」

 体育館に戻ってからはのろのろと課題に取り掛かった。それでも一時間以上はある。帰ってから今日の分を軽くやって寝るか、進めるだけ進めてしまおうか悩みどころにした頃、犬藤が部員を集めて解散宣言をした。その後俺と章助は帰りの出欠確認を受ける。これで幼稚園に寄って帰るだけ。時間はいつもと大差あるまい。夕飯は何を作ろうか。

 「時間、間に合いそうだね」

 副団長も新入生達ももう帰るだけのようだ。体育館を出たところで副団長が声を掛けてくれる。

 「バレー部って帰ってから学校に一度戻るんだっけ」

 スポーツドリンクを飲んでいた副団長は俺が聞くと慌ててペットボトルに蓋をした。

 「うん。反省会と基礎練だけしにね」

 サッカー部もそうなのだろうか。試合に出ていない人の方が多そうだが今日は早く帰れるとだけ言っていた。

 駅には少し休む程度には時間の余裕を持って着けた。サッカーの試合は既に始まっているようだったが先に帰らせてもらった。

 「サッカー部のバスに紛れこむとかできればよかったのになー」

 頭の後ろで手を組んで空を見上げ言う章助。すかさずその隙だらけの脇腹に軽く手刀を突き込んだ。

 「あうっ」

 「往復切符買ったんだからもったいないだろ」

 変な声を出して体を曲げる章助に事実を述べる。コイツの方からどうせなら往復で買おうぜと言っていた。

 「ちぇー。お前も狼塚の尻尾を握るチャンスがあったかもしれないってのに」

 人を虎視眈々と狙う暗殺者か何かみたいに言うな。いや、ライオンだから獅子視眈々?……語呂が悪いな。

 そんな言い合いをしていると電車がやって来た。見れば、一号車から既にそれなりに人がいた。座りたければ端の号車の方で待つべきだったろうがもう遅い。

 先に待っていた他校の生徒が電車の扉を開ける。流れに続いて入ったまでは良い。しかし悠登は身を強張らせた。その間に副団長達はバレー部で固まり車内の端に行ってしまう。

 「どうしたよ?もうちょっと奥に……お?」

 続いて入って来た章助に押される。席は完全に埋まっていて立っているしかない。

 それに問題はなかった。だが、今目の前にいる人物に問題があった。章助も誰がいるのか気付いて俺の肩に顎を乗せて前にいる人物達を見る。

 「あれ、また会ったね」

 悠登と章助の前に座っている二人が顔を上げる。すぐに一人、朝も会った保谷は話し掛けてくれた。

 「保谷さんに……桑野さん。テニスの予選だったんじゃ?」

 章助の顎と人混みが絶妙に俺を固定してこの場から動けない。こんな真正面に立つことになるなんて。

 顔だけ章助に向け、目は明と真衣を交互に見る。落ち着きがないとも言うが、落ち着けという方が無理だった。

 その理由が目の前にいる女子。保谷と同じく髪は長いが色は黒く一つに束ねている。格好は高校の体操服とハーフパンツに何故かジャージではなく黒のパーカー。朝も話題には出た桑野明がそこにいた。

 「あっちがすごい雨で途中までやって中止。残りの試合は土曜日に延期になったんだ」

 帰りに会えたら、なんて思わないでもなかった。敷地は広くとも狭い世間と思うことはあったがこうなるなんて。

 「そうなんだ…。髪湿ってるけど大丈夫?」

 電車が出発し一度揺れる。その数秒前に悠登の心臓も揺れた気がするがそれに胸を痛める前に明へ次の質問。それを受けて彼女は一度髪に触れた。

 「これでも拭いたんだけどね……。こっちの方はまだ降ってないんだ」

 明が窓の外を見る。こっちも雲行きが先程より怪しくなってきた。厚い雲が増えてきたというか。

 「縞太郎君達の方はもう終わったの?」

 続いて真衣が章助に質問する番になった。それでも悠登の肩から顎は退かさない。因みにこの縞太郎という呼び名は特に女子が使う割合が高い。そうでもしないとちょっと怖い、と一度言われたが章助は気に留めることはなかった。

 「バレーはな。でもサッカーはまだ今も試合してるみたいだぞ」

 章助の口の動きに合わせて悠登の肩もガクガクと小刻みに振動する。そのまま章助は空いている方の肩に腕を回してきた。

 「あーぁ、トォちゃんかわいそ。でもバスなんだっけ。なら大丈夫か」

 保谷さんが狼塚の名前を出して明を見る。それを聞いて明はくすくすと笑った。

 「雷の時期でもないし平気だよ」

 狼塚が話題に出されているが、今の話を察するに。

 「なんだ?アイツ、雷苦手なのか?」

 章助が楽しそうに言った。俺も興味があるので章助の腕を退かし、鼻を指で弾く。

 「あだっ…!」

 「うん、昔は特に嫌がってたよね。今はどうかちょっとわかんないけど、やっぱり雷の翌日とか弱ってるよ。雨もそもそも好きじゃないみたい」

 明は真衣に確認しながら教えてくれる。狼塚にそんな弱点があったなんて聞いたことはなかった。

 「雷はともかく雨も嫌いなんだ…」

 「雨は雷を連れてくるって思ってるのかな?それか毛皮が湿るのが嫌とか。獅子井君は雨、好き?」

 俺の呟きにすぐに桑野さんが反応してくれる。そこに話題も追加して。

 「毛皮だし夏の夕立で濡れてそのまま乾いた後とかは気分悪いかな、やっぱり」

 意識しない、を意識して質問に答える。明は頷いて隣の真衣を見る。

 「獣人の人って濡れたらどうなのかな?」

 「私達が濡れた服着せられてるような感じじゃない?てことは毛の長い人って大変そう。そもそもなかなか乾かないじゃん」

 普段は暑くても濡れてしまえば人間以上に風邪をひきやすいかもな、と思う。こうした種族差は他にもあるが桑野さんと保谷さんはアレコレ楽しそうに話している。

 桑野さんは疲れた様子を見せることもなく俺や章助とも話してくれた。その顔にあの時の陰りはない。自分の好きなパッと明るい表情だった。

 「泳ぐ時とかどうなの?獅子井君とか鬣ペッタンコになりそう」

 「真衣、獅子井君に悪いよ。ごめんね?」

 真衣が加わったことで会話が弾む。聞けば真衣は狼塚以外に今まであまり獣人の友人や知り合いがいなかったらしい。だから余計に興味津々でも聞けなかったようだ。

 「俺の鬣は硬い方だからちょっとくらいなら濡らしてもそこまでじゃないよ。やっぱり跳ね具合はおとなしくなるけど」

 章助がニヤニヤしながら俺の鬣に手を突っ込む。しばらく掻き回して手を離すと鬣が爆発した。しかしそれも寝ぐせ程は強烈でないため俺が数回梳くと元通り。それを見て保谷さんはおぉ、と感嘆の声を出した。応援歌練習最終日の女子達を思い出す。彼女達はたまに移動教室や何かで顔を合わすとしっかり押忍、と挨拶してくれる。一応、応援団員に会ったら挨拶すべしと最初に言われている。しかしそれもいつまで保つものか。

 その後も真衣と明の質問攻めは続いた。主に真衣からだったが鬣と他の部分でシャンプーを使い分けているのかとか、爪は切るのかそれとも研ぐのかとか。中には少し失礼な質問もあったが真衣の発言に慌てる明を見れてにやけそうになった自分がいたので、お互い不問ということで。

 ようやく静かになったのは降りる駅に着く十分前くらいのことだった。眠くなったり立っているのが辛くなるかと思えばそんなことはない。まだこうしていたいと願ってしまう程だった。

 「……ま、時間はだいたい変わらないな」

 ホームに降りて章助が携帯で時間を確認する。その時間が何を言いたいかはわかっていた。

 「ここと高校の中間くらいだもんな、幼稚園」

 俺も携帯を出して時間だけ見てポケットに戻す。桑野さんと保谷さんは朝の俺達のように体を伸ばしていた。

 改札を抜けてそのまま幼稚園の方へ。そこで後ろから声がする。

 「あれ、二人とも学校に戻るの?」

 自分達にそれを向けたのは真衣だった。一度振り返るとすぐに明が真衣の肩に手を乗せる。

 「行くとこがあるんだよ。またね、二人とも」

 「……また」

 「じゃーな」

 桑野さんが俺を見て頷いた。口には出していないが俺が幼稚園に通っていることは知っている気がする。たぶん、狼塚が話しておいてくれたんじゃないだろうか。

 躊躇したが軽く手を上げると向こう二人は手を振ってくれた。その反応に安心してから幼稚園の方へと歩き出す。

 「桑野さん、玲奈のこと知ってるのかな」

 角を右に曲がって、交差点を左へ。あとは右手側に幼稚園が見えてくる。こっちはしばらく雨が降る心配はなさそうだった。

 「狼塚は桑野になら話してるかもな」

 やっぱり知っていたから保谷さんを止めて俺達を行かせたのかな。でも、もっと先に知っておくべき人物がいると思う。

 「やっぱジャンボには話しといた方が良いか……」

 ジャンボ、担任である熊田の愛称だ。少なくとも俺は蔑称のつもりでは使っていない。あのたるんだ腹は見ていて同じようになりたくはないが。

 「時間ある時に言っといたらどうだ?迎えが遅くなったらお前は今日みたいに代わってもらえるかもしれないけどよ」

 今は必要ないか、と散々後回しにしたがやはり何かを通して言っておくか。それをどのタイミングにするかと考えている間に幼稚園に着いてしまう。

 「どうもです」

 もう顔を覚えられ、掃き掃除をしていた先生に声を掛ければ向こうもすぐに把握したようで幼稚園の奥に入る。そこでうんていにぶら下がっていた男の子がこちらに気付いてやって来る。

 「あ、タテガミマッチョとトラマッチョ!」

 「………こんにちは、タクマ君」

 近寄ってきていきなり指を差した思えば。柴犬に似た顔付きの男の子、犬間拓真君は無邪気に尻尾を振って俺らをマッチョコンビ呼ばわりする。章助がいると自分は普通に見えるのだが幼稚園児からはどっちもどっちらしい。

 「俺は悠登、こっちは章助。覚えたよね?」

 屈んでタクマ君の目線に合わせると彼はぶんぶん尻尾を振ってしきりに頷いた。

 「うん、れーなちゃんのおにいちゃんでしょ!」

 訂正を素直に受け入れる。言い聞かせればわかってくれるのが子どもの魅力だ。親父なんて言っても言っても聞き分けがないというのに。

 「そうそう。今日はまだお母さん来てないんだ?」

 タクマの母、犬間は悠登が玲奈を幼稚園に送り届ける時に度々会うママさんの一人だった。いつもは玲奈を迎えに来る時は既に帰っていることが多い。

 「うん、でももうちょっとでくるんだよ!」

 「タッ君はちゃんと待てて偉いな。遊ぶなら怪我しないようにな!」

 章助が少し強めにタクマ君の頭を撫でてやる。千切れんばかりに尻尾を振るとそのまま彼はうんていに戻っていった。

 「おにいちゃん!」

 そこで幼稚園の玄関から声がした。それが誰かは考えるまでもない。

 靴を履いて先生に頭を下げ、こちらに走ってくる人間の女の子。走ってくるとそのまま悠登のジャージに抱き付いた。

 「獅子井君達、何かやってきたの?」

 そのままサンダルで外に出てきた猫頭の先生が話し掛ける。この先生は玲奈の担任でもあり、俺達と歳が一番近い先生でもあった。

 「今日地区予選の見学に行ってたんです。あれ、猫垣先生に俺…」

 「俺が昨日獅子井君に聞いたのは、今日は帰りしか来れませんって話だけだよ。高総体地区予選かー。懐かしいね」

 そうか、来れないって言ったらわかったとしか言われなかったんだ。何かを言うなら理由も含めて説明しないとな。

 「先生って何かしてたんですか?結構細いけど……」

 「俺?競技歌留多部」

 章助の質問に先生、猫垣はこげ茶の毛皮からピンと伸びる白い髭を撫でてさらりと答えた。いかにも思わせぶりな台詞を言っておいてこれだ。この飄々した態度は最近見せるようになってきた彼の一面だった。

 「文化部じゃないですか」

 「でもちゃんと活動してたよ?活動あるの月曜だけだったけどね。俺も予選見に行ったなと思ってさ」

 最初に話した時はこうではなかったがこれはこれで話していて楽しい人物だった。向こうも歳が近い俺達が通うようになったのを喜んでくれているのか近頃は特に積極的に話してくれる。

 「君達みたいなガタイにはなかなかなれないんだよねー。体質かなー」

 猫垣先生が腕を曲げるがほとんど見映えは変わらない。悠登や章助の方がよっぽど太かった。

 「もっとちゃんと食べて、ガンガン運動ですよ!」

 章助が言うと説得力がある。あとはプロテイン、とか言えばもっと。

 「そうだねー。俺よりパワフルな園児に振り回されてる毎日だけどジムとか考えてみようかな。おっと、タクマ君!うんていに登ったらダメだよ」

 俺達は授業や部活もあるが社会人になるとそういう施設にわざわざ行かないと体を動かせないもんか。でもこの辺だとジムじゃなくスイミングクラブくらいしか聞かないな。

 水泳もやってみると鍛えられるかも、と思ったが猫垣先生はうんていの端から上によじ登ろうとしていたタクマ君の方へ行ってしまう。ここで俺達も帰ることにした。

 「じゃあ先生、また」

 「さようならっ!」

 「はーい!玲奈ちゃんもまた明日ー!」

 タクマを降ろしながら猫垣が返事をした。また明日、そう、明日は朝も来れる。

 「今日はどうだった?」

 玲奈と手を繋いで歩きながら今日の報告会。ふと、先月よりも陽が長くなったと感じる。

 「オリガミしてたよ!」

 折り紙か。幼稚園児の頃カメラを折ったのは覚えている。後ろからちょっと押すとぱっくり開くギミックが子ども心をくすぐった。

 「章助、カメラとかまだ折れるか?」

 当時章助が持ってきて見せびらかしていた。こう、章助が章助が、とコイツのことばかり思い出すのもどうにかしたい。

 「俺ぇ?……無理、だな。折り紙はシンブンソードが関の山だ」

 聞いてはみたが予想を裏切らない男だ。そもそもそれは丸めてテープで留めただけの代物だろ。

 「玲奈ちゃ~ん、俺と悠登に折り紙教えてくれよ」

 「……とらさんごっこしてくれる?ツルならおれるよ」

 玲奈が章助を見上げる。すぐに玲奈の頭に章助がポンポンと手を乗せる。

 「お安い御用よ!玲奈ちゃんを乗せて腕立てするのは良い負荷だからな!」

 ギブアンドテイクが成立。一過性だとは思うがこの二人のブームは腕立てタイガーらしい。章助は今言った通り、玲奈は腕立てによる上下運動を求めている。どうでもいいが服を脱ぐのは絶対か?

 「おにいちゃんたちはどうだった?」

 橋手前の信号で停まると今度は玲奈の方から話を振ってきた。これは今までの帰り道ではなかった展開だ。今日は制服ではなくジャージだったから興味を持ったのかもしれない。

 「電車に乗って、坂道歩いて、バレーを見てたよ。サッカーもちょっと」

 ダイジェストで伝える。それだけでも玲奈はそれもこちらの目を見て聞いてくれた。

 「昼に狼塚ってサッカー部のやつと話しててさ。その狼塚がふっかふかの狼なんだ。いつか玲奈ちゃんにおおかみさんごっこさせようぜ」

 章助の提案に喉が鳴った。獅子井家流の動物さんごっこに狼塚が参戦。これは見ものだ。

 「……お前、狼塚の時だけ反応面白いよな」

 「う……っ。そんなことないぞ」

 不満そうに目を細める章助をなだめる。我ながら狼塚を美化というか神格化していた節がある。そこを自覚して、狼塚もまたありふれた狼獣人だと思うようにはしている、つもりだった。それに、ふっかふかの鬣なら……。

 「ふっかふかなら、おにいちゃんがいるもん」

 ……そういうことだ。俺の指をグイグイ引っ張るので玲奈の方を見るとにっこりと笑ってくれた。それだけで狼塚へのコンプレックスというか羨望の尻尾も認めつつ、自分にもっと自信を持てるようになれそうだった。

 「へぇー、玲奈ちゃんなら狼塚も気に入ると思ったんだけどな」

 毛並みというものも個人差があって、ふかふかに見えて触れば毛が硬質でチクチク刺さる者もいればきめ細やかで撫でればすっと流れるような毛並みの者もいる。同じ種族や人間の髪の毛にも当然言えることだ。

 その中で俺は狼塚の毛並みに目を奪われた。心はたぶんまだ。自分から見て魅力的な狼塚を直接見ていないとはいえ、玲奈が遠慮するとは章助と同じように俺も意外だと思った。猛獣使いとして週末は中年ケダモノ夫婦を乗り回しているし。

 玲奈は信号が変わると俺を引っ張るように歩き出した。それに合わせて悠登と章助も足を早める。

 「でも見れば気に入るさ、きっと」

 「なんで狼塚の時だけフォローするかね、お前は……」

 陰口を言うよりはずっと良い。それでも噂としてくしゃみくらいはしているだろうか。

 「玲奈、今日は何食べたい?」

 じっとこちらを見ている章助から目を逸らし、わざと無視して次の話を振る。もしやと思ったが、その途端に玲奈の歩幅が戻った。……さっきの話を嫌がった、のか。

 「……あのやさいいため」

 玲奈の方を見るとまだ章助がこちらに熱烈な視線を送っていた。

 「野菜?……キャベツとタマネギとピーマンの?」

 心当たりを挙げると玲奈が顔を上げる。正解らしい。

 「なにそれ」

 「回鍋肉」

 章助が欠伸しながら聞いてつい答えてしまった。回鍋肉はこの前スーパーで、混ぜて炒めるだけというタレが安売りしていたから作ったものだ。そのタレも材料もまだ残っている。

 「じゃあそれでいっか」

 買い物に行かず済むなと安心して即決する。すると玲奈を挟むように歩いていった章助が反対側、悠登の隣に移動して肩を抱いた。

 「筋トレ兼とらさんごっこしながら楽しみにしとくぜ!」

 それを口実に家に上がる気だったか。章助の鼻息を顔に掠らせながら悠登は章助の腕を片手で退かす。

 「それって今日の話なのか?」

 「ちょうどお野菜足りないと思ってた頃だしな!キャベツは好きだぞ!」

 キャベツが好きなのは知っているし、そんなこと聞いていない。もはやメインが折り紙よりも食事に変わっている。そこで玲奈が俺のズボンを引っ張った。

 「しょうすけおにいちゃんもいたらたのしいよ?」

 玲奈は章助の味方だった。先程ヨイショしてもらった手前、自分も手綱を握られているような気がする。

 「わかった……。まずは帰ろう」

 「うん!」

 「よっしゃ!」

 帰宅後、玲奈は上半身裸で腕立てする章助に乗って録画したディスチャージ仮面を見て夕食を待つ。悠登はさっそく調理に取り掛かった。ふんふんと息を荒げる章助の声が台所にまで聞こえたが極力無視する。

 一人の台所で野菜を切りながら思うのは今日の反省。今日の出来事を一番多く思い出すのが寝る前と料理をしている時だった。一人になるのがその時ぐらいしかない。

 明と真衣と、狼塚。普段よりも話す時間があっただけに色々な話が聞けた。それに、もっと聞きたいこともできた。

 またねと言ってもらえて次会うのが楽しみになる。そんな気持ちにまた悶々としてきた。消沈している場合ではない。今日はやっと、前進とは言えずとも前へ向き直ることができるのではないかと思えるようになった。それが今日一番の得る物だった。保谷さんには今日の話相手になってくれたことに感謝したい。

 食後の腹ごなしに習った折り鶴は久し振りに作っただけあって不格好だったが、不器用な自分らしいと気に入った。それを章助に変なの、と言われたがその太い指で作った折り鶴も大概だった。それを玲奈に二人まとめて笑われる。そしてテーブルに完成した折り鶴を三つ並べて見せ合うと三人で笑った。

 

 そこに母、獅子井涼が帰ってきて章助が裸になっている理由の説明を求められたのは何故か俺だった。とらさんごっこで服を脱いでいた、と答えて呆れられたのも、俺。

 

 これが玲奈がこの家に慣れてきた頃始まった諸々の、前哨戦。

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