第四部 エピローグ
文化祭の終わりまで、あと三十分もない。窓から外を見れば、続々と父兄も帰っているようだった。玲奈達が来てから来客はなかった。
少し早いが、片付け始めるか。そう思い至った段階で、教室の敷居を跨ぐ者が一名。
「実恵?」
入ってきたのは実恵だった。
「へへへ。悠登、来たヨ!」
「まだ帰ってなかったのか」
来たのは午後にせよ、親父達が去ってから随分経つぞ。
「うん!悠登と二人っきりになりたくて」
「あいにく店じまいだ。またにしてく……」
見れば、言っているそばから実恵は応援団旗に手を伸ばそうとしていた。
「お手を触れるな!」
「ひ!」
なんだか妙な言葉遣いをしてしまった。執事喫茶が抜け切っていない。怒鳴ってしまってから頭を押さえてしまう。
「……展示物には勝手に触らない。最低限のマナーだろ」
「ごめんなさーい……」
謝る気があるのかないのか、残り数分ということでこれ以上の叱責の言葉は飲み込んだ。
「ふぅ。……ついさっきまで文化祭回っていたんだよな。どうだった?」
力が抜けていた実恵の耳に、悠登の言葉が届いてピンと張る。途端に表情も明るさを取り戻した。
「懐かしかったヨ!なんかこうね、つい最近まで私もこういう感じだったなぁって思い出せた」
楽しみ方は人それぞれ違う。俺だって幼稚園の行事に参加する度に、懐かしさと保護者側の大変さが身に染みてくる。
「楽しめたならいいけどな」
手拭いを畳みながら答えてやると実恵は俺の横に立った。
「あと、気になったんだけど」
「うん?」
「悠登って獣人の女友達はいないの?」
不意の質問に首を傾げた。
「うーん?紹介する程の仲良しって人はいない、かもな」
女子の獣人が他のクラスよりも若干少ないとは思っていた。それ自体は友達がいない理由にはならないけれど。
「寂しいような、嬉しいような。不思議な気分だね」
「いないのに嬉しいのか」
何か言うならそこは友達がいなくて心配、とか。いや、実恵に気にされる部分でもないのだが。
「だって悠登、彼女いないってことでしょ」
「ぐ……」
妙な指摘に喉が呻く。だが、こちらにも言い分はある。
「どうしてそれが彼女いないってことになるんだ」
「じゃ、いるの?」
「……いないさ」
やっぱり自分が正しいと実恵が笑う。
「ほら。言った通りだ」
手拭いを退かしたそばから実恵が机に尻だけ乗っかる。
「好きなネコとかいないの?ほら……虎、とかさ」
言って実恵がウインクした。
「ネコ限定にするのかよ」
実恵に背を向けてパソコンの動画を閉じ、電源も切る。ついでにコードも抜いておいた。
「え?もしかして悠登ってばイヌとか好きなの……?」
「だから、獣人に絞られてるのはなんなんだ」
背後からのざらざらした問いに俺も若干焦れている。
「……人間とか、言ってるの?」
「………」
つい言い返してから振り返ると、実恵からからかう様な笑みは消えていた。
「そう言えば、さっきも人間に女の人と歩いてる獣人、いたな」
たぶん猫垣先生を言っているのだろう。
「普通、獣人は獣人同士じゃ、ないの?」
「……決め付けてどうする」
実恵が俯く。
「……ふーん。悠登、人間も守備範囲なんだ」
もちろん、獣人の女性だって綺麗な人、魅力的なアイドルだっている。普段テレビに出ているタレント獣人の白い牙や毛並みは美しく、画面越しでも感心していた。
「獣人だから、人間だから、って好きも嫌いもないつもりだよ。俺は」
「でも!」
実恵が机から離れ、一歩前へ出た。そう、でも。
でも、今の俺が好いている女の子は人間だ。自分とは種族が違うのに、気になって仕方ない。
「もしかして悠登さ……」
言葉の続きを待つが彼女は何も言わない。
「もしかして、どうした」
「……ううん、どうもしない」
ここまで話してしまったんだ、口で何を言っても実恵は何かを思い込んでいる。それが正解かどうかは置いておいて。
「悠登、さっき彼女はいない、って言ったけどさ」
「おう」
実恵が窓の外、ベランダの更に向こうを見る。
「だったら今、恋してる?」
横目だけこちらへ向けた彼女の視線は穏やかだった。
「あぁ、してる」
自然に答えていた。これは相手が実恵だから言える部分でもある。お調子者で、仕方のない奴だが、人の気持ちをからかったりはしない。
「……よろしい!青春してるじゃん!ちょっとだけ妬けちゃうヨ」
寧ろ気持ちを笑顔で肯定してくれる。それを知っているから話すことができた。
「相手は困ってるかもな」
振り返れば、春から振り回しっぱなしだ。夏なんて貴重な時間を何度割いてもらったか。おかげで俺は充実していたけれど。
「私なら困ってないヨ?」
「お前じゃないさ」
「ちぇ」
頬袋を少し浮かせ実恵が笑う。
「そうだよね。……私じゃ、ないんだ」
実恵が背を向け教室の扉へ向かう。
「悠登」
「どうした?」
「また会えるかな」
またも何も。
「ここに来れば会えるだろ。お前の地元なんだ」
「会ってくれる?」
「当たり前だ」
断っても来るだろうしな。
「……次は年末、かな?」
「年末か……」
しばらく先になりそうだな。大学の授業がどういうものかもわからないが、忙しくなるだろうし、先に言っておくか。
「実恵」
「なーに?」
「ありがとうな、今日来てくれて。それに、玲奈の茄子嫌いの克服の手伝いとか海とかもさ。楽しかった」
「………」
扉の前で足を止めていた実恵が振り返った。
「それって、悠登なりの告白?」
「ある意味な」
こんなやり取りをできるのも、実恵ならではというか。普通の女子相手にはとてもできない。一応、キザに返したが実恵の目も今は見れない。
「……背伸びしちゃって。ショウや皆と仲良くね、じゃ!」
「あぁ」
最後に見透かされていたか。実恵が出て行って数分と経たずにアナウンスが流れ出す。
“ただいまの時刻をもちまして、十幹第一高等学校文化祭を閉会します。多数のご来場に心より感謝申し上げます。………。”
終わってしまった。アナウンスが続いているが早くも文化祭は穏やかに幕を下ろす。体を動かし、吼えてばかりの一日とは違った疲れが体に出てくる。じんわりとした疲労感をほっと一息吐き出したが、不思議と不快ではない。応援団としては客足が少なかったが、クラスの出し物に奮戦したり、他の組の出し物を見て回る時間もあった。良い時間の過ごし方ができたんじゃないかな。
「……と」
実恵と話していて片付けが思ったよりも進んでいない。団長が来る前に少しでも綺麗にしておきたかった。
「………?」
段ボールに畳んだ旗や制服をしまっていると悠登の耳が自然に廊下を向いた。
「……明?」
聞き覚えのある足音に、名前を呼んでみると扉から顔を覗かせたのはやはり明だった。
「あれ、気付いてたんだ」
「うん」
驚かせるつもりだったのか、教室に近付くに連れて足音が小さく、ゆっくりになっていた。だから他の生徒の足音よりも逆に浮いてしまう。
何故気付いてしまったかと言えば、その足音はもう覚えてしまっているからでもあって。
「簡単に背後は取れそうにないね」
「背中は任せた、って言えなくなるよ」
狼塚も俺に背中は預けないだろうな、尻尾があるから。
「どうかした?」
「えっ」
用事があるから来たと思ったんだけど。明は俺の質問に目を丸くした。
「……明?」
「いやいや。ハハ、ハハハ……」
乾いた笑いがらしくない、というか。
「何かあったの?」
「……うーん」
重ねて俺が尋ねると明は教室にゆっくりと入ってきた。
「さっき、実恵さんがここに入ってったのが見えたんだ」
「あぁ、来たよ」
話でもあったのかな。
「悠登君は実恵さんと何を話してたの?」
人の話を気にするなんて珍しい。
「まぁ、色々と。実恵に何か用事でもあった?」
話して聞かせるような内容じゃないと思う。……特に、明に対しては。
「実恵さんに用は……別に?その色々ってどんな話だったのかな」
「う……」
まさか掘り下げてこられるとは思っていなかった。迷ったが、世間話とはぐらかすのは難しい。そもそも実恵は新聞を読まないし、テレビのニュースは大嫌いだ。
「……悠登って女友達いないの、だってさ」
「女友達……」
「いや、明は……!」
友達だ、と言おうとした。なのに、口の動きを止めてしまった。
言ってはいけない気がした。……違う、言いたくなかった。
「……明は?」
言いかけた続きを明が待ってくれる。その間にバカみたいに開いて止まった大口を静かに閉じ、一度深呼吸した。
「明は……獣人と人間が恋するのって、どう思う……?」
明は友達だ。明は友達よりも親しくなりたい。……どちらとも言えずに誤魔化してしまった。
「獣人と人間……?」
話の逸らし方も間違った。だが、聞いてみたい話でもあった。
「実恵に言われたんだよ。獣人は獣人と恋をするものじゃないのか、って」
「私は、ないと思うよ」
明から意外なほどに即答をされて悠登は閉じようとしていた口が再び開いてしまう。
「悠登君はなんて答えたの?」
明からの切り返しに詰まりかける。元は自分から振った話だろうに。
「俺もだよ。個人的には獣人だから、人間だからって好きになることはないと思う」
繰り返しだが、俺の考えだ。
「俺も、か」
同じだと思っていた明の表情が曇る。
「……違った?」
「あ……ううん。獣人同士と、って限定するのは違うと思ったのは一緒。だけど……」
「だけど……?」
「悠登君が言った個人的、ってやつだけど……私は獣人の方が好き、かなぁ……って」
言った直後、明の顔がはっきりと赤くなった。最後の方はごにょごにょと声が尻すぼみになっていったが、聞き逃しはしない。
「や、やだね……。変なこと言っちゃった!悠登君はすごいね!ちゃんとその人がどういう人かで見てくれるんだもん」
「あ、あぁ、いや……」
なんだか、とんでもない一言を聞いてしまった気がする。そこへ明は捲し立てるように言葉を続けていたが、ぼうっとして生返事になってしまう。
「悠登君にはないの?ネコも良いけど、狼を好きになりやすいとか」
「狼塚のは違うよ」
この気持ち、言葉で表現するには羨望や嫉妬、様々な感情が渦巻いているんだから。まして、このタイミングで狼塚なんて。
「はは、ここでトォちゃんは変だよね」
「……あはは」
同じことを考えていて、ぎこちなく笑ってしまう。……今、同じことを君も思ってくれているのかな。
「……好みのタイプって考えたこと、あんまりないかも。好きな人がその時の自分の好みになっているというか」
……言うほど恋を何度もしていたわけじゃないけど。明からしたら面白味のない答えかも。
「……そうなんだ」
やはり明は俺の返答に満足していないようだった。
「強いて言うなら」
「うん?」
明の目が俺へ向けられた。
「……強いて、言うならだけど。今は……人間も好きだよ」
俺は目を見て話せなかった。窓の外を歩いている一年生達が、入口のアーチに張り付けたイラストボードを剥がす様子を必死に追い掛けている。
「それって……」
ここまで言ってしまった。交友関係を振り返れば、俺の身近にいたのは……。
「玲奈ちゃんのおかげかな?」
「へ?あ、あぁー!うん!そうかも!」
……俺のバカ。
「はは……そうだよね。玲奈ちゃんがいるんだもん、だからだよね」
「明?」
俺は肯定したつもりなのに、明は苦笑だけした。
「めーい、どこー?」
そこへ廊下を歩きながら声を張る女子。
「ここ!真衣!」
明が俺の横をすり抜け声の主、保谷さんを呼ぶ。
「いたー!もう、携帯鳴らしても出ないんだもん」
「ごめんってば」
教室に入るなり保谷さんは明に詰め寄った。ご立腹のようで俺が間に入る。
「保谷さん、お疲れ」
「あ、獅子井君……うん、お疲れ様」
俺のことは目に入っていなかったのか保谷さんはこちらを向くと一息吐いた。
「……ここだと思った」
「うん?」
悠登はどういう意味かわからず首を傾げたが、真衣は構わず明へ向き直り腕を組む。
「ところで明、片付けは?」
「片付け……あぁ」
執事喫茶のか。俺が出た後ってどうなったかわからないんだよな。
「ハッハッハ、サボってるのがバレちゃったなー」
明は自らの罪を認めて笑った。
「これはいかんね」
「うん、逮捕されちゃうね」
……逮捕するなら俺がしたい、なんて。一歩踏み切れずに取り逃がしたばかりなのに。
「今から戻れば逮捕じゃなくて罰金で済むよ」
「はーい……」
明は手伝いをサボるような人じゃないと思うんだけど。……文化祭終わって俺が捕まえて話し込んだせいかな。
「ごめん、ちょっと長話してたからさ」
「大丈夫、明はちゃんと連行するから。そうそう、もう縞太郎君も来るよ」
共犯者である俺の自白に保谷さんは笑って新しい情報を提供してくれる。それと同時に本人は現れた。
「悠登、すまん!」
「気にすんな」
開口一番で現れた章助に謝られたが、ここでのんびりしていた俺の方こそ悪かった。そう思っていると章助の背後、教室の扉の前で立っている獣人が一人。
「あれ、狼塚?お前も来てくれたのか」
片付けも始めていたし、少し遅かったけど。
「真衣と明を探していた」
やっぱり、俺に会いに来てくれたわけじゃないんだな……。
「……保谷さんも?」
「うっ」
狼塚の言葉に引っ掛かり保谷さんの方を見ると、彼女は肩を跳ねさせた。
「サボりは一人じゃなかったわけだ」
言って明が笑う。
「う、うるさい!いいから行くよ。……ほら、トォちゃんも!探しに来たって言い訳が被るじゃん!」
「あぁ」
狼塚も狼のお巡りさんと言うよりは女子二人の保護者のようだった。特にこちらへは関心も向けずに三人で出て行ってしまう。
「はー、結局、今日はほとんどお前と一緒にいれなかったな」
机の配置を戻しながら章助が溜め息混じりに呟く。
「いつも一緒なんだし、たまにはいいだろ」
対して俺は、今日まで無理にいることはあるまいと思っていた。話を聞くに、章助が執事喫茶にいた間、他校の応援団員も待っていたと言うし。
「そう、だな……」
「……含みを持たせてどうした?」
珍しく言葉を選んでいる章助。そういう時は俺が容赦なく聞いてしまう。
「いや、いつも一緒ってカウントしてくれてるのも嬉しいものだなって」
「……なんだそりゃ」
そんなの当たり前だろうに。
「実恵にも言われたよ、ショウと仲良くね、ってさ」
「余計なお世話だ。なぁ?」
「だな」
これからも変わらないんだろうな、コイツとの距離感は。漠然としているが妙に確信を持って言えるから腐れ縁、なのかもしれない。
「姉ちゃんに会ったのか」
「今日で最後かもって言ってたな」
俺の家に来ない、会わない、って意味だろうから章助はまだ続くと思う。表情が少し暗くなったし。ところで、明はなんで実恵と俺の話を気にしてたんだか、聞きそびれたな。
「……」
そうだ、この後って。
「なぁ章助。ちょっとしたら後夜祭、一緒に行くか?」
「行く」
清々しいまでの即答に俺も頷いて片付けを再開する。そうだ、明達も誘ってみよう。パソコンはとりあえず後回し。先に荷物を詰めた箱を生徒会室に運んでしまおう。団長が戻る前になんとか片付けられて良かった。
「後夜祭かぁ!何があるんだ?やっぱりナパームか!」
「爆発の撮影でもする気かお前は。あぁ、ほら。ちょうどポスターがある」
段ボールを運びながら廊下の掲示板にちょうど記事を見付ける。概要としては生徒会の挨拶、ビンゴ大会に吹奏楽部の特別演奏。閉会前にフォークダンス、か。
「フォークダンス……って、燃え盛る炎がないと物足りないよな」
「雰囲気だけでも、ってことじゃないのか?」
例えば意中の相手とダンスができるなら、その人物からすれば火があろうがなかろうが関係ない。俺だって明と躍るような機会があるなら……。
「おい悠登、とっとと戻そうぜ」
「う?あぁ……」
ほんの数秒、想像に思いを馳せただけだが章助に置いて行かれる。イメージよりも実践が一番。上手く動けるかはその場に立って体験しなければわからない。
「戻ってパソコンとコードを技術室に持ってって……」
次に自分がすることを振り返る。パソコンを片付ければあとはもう、大教室で執事喫茶の撤去作業。長机を戻すのはまだ時間が掛かっている筈だ。
早めに戻らないと、と廊下の角を曲がったその時だった。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「え……」
突然、耳に入り込んできた尋常ではない声。話し声でも、怒号でもない。
「章助!」
「あぁ!」
すぐに箱をその場に放り出して俺と章助は走り出した。大声を聞き付けた他の生徒達も続々集まっている。
先生呼べよ。なんでこうなったの?階段から落ちたらしいぞ。やばくね?生徒達の声を耳で仕入れながら段を抜かしながら駆け下りる。
「大丈夫ですか!」
「うっ……くっ……あ、ああぁぁぁぁぁぁ!」
「ど、どうしよう……!」
「もう先生来るって!」
「うぁぁっ!ぐぅぅぅぅ!」
やっと階段を下りて現場に辿り着いた。悪いが野次馬はほとんど押し退けるようにして自分の体を捻じ込む。聞こえてくる声は何度も話している相手のもののように思えたから、確かめたかった。
「………」
「………」
悠登も章助も一度その場で声を失う。誰とも知らない生徒が声を掛けているが、反応は会話として成立しない。自分達の耳は予想していた人物の声と間違いなく合致して捉えていた。
二階の階段の踊り場、脂汗をじっとり滲ませて苦悶の悲鳴を上げていたのは副団長、小松代純平だった。
了




