第四部 三章
今日の最高気温を見れば徐々にではあるが低くなっている。外へ一歩出た途端に昨日と比較すれば、暑いか涼しいかぐらいはわかった。だからと言って、暑い日が続いていることには変わりない。八月の最終週と言えど、暑さはまだまだ続きそうだった。
「いってきます!」
「行ってらっしゃい」
幼稚園の門前で手を振って玲奈を見送る。他の園児達はまだちらほら母親の井戸端会議を足元で退屈そうに聞いていた。猫垣先生はそんな園児達を園内に引き入れるのに急がしそうにしている。俺はと言えば……。
「獅子井君!おっはよぉ!」
「……おはようございます!」
……井戸端会議に巻き込まれぬよう登校すべくコソコソしていたら捕まった。犬間さんと獅子ヶ谷さん、他にも宇津野さんや神山さんもいる。気付けばバラ組ママさんグループの一つにカウントされてしまっていた。忘れない、返事だけは元気に。
「キャー!獅子井君すんごい久し振り!」
「おはよう」
「おはよ」
幼稚園の門前でたむろするこの井戸端会議は悠登にとって歓迎すべきものではなかった。輪の中へ入り、仲間として迎え入れてくれる気持ちは有り難いがフィールドが違う。夏休み明け初日から巻き込まれるのは想像できていたが。
「ねぇね、獅子井君の家って玲奈ちゃんは何時に寝かしてるの?」
「夜の八時くらいには寝るように言ってますね」
年齢層が違うと言って、中には有用な情報も隠れている。ましてや育児に関してはまったくの素人なのだから。一番辛いと言われる乳幼児期を過ぎてからにしても、まだ半年に届くかどうか。吸収しないといけないところは覚えておきたい。
「ほらぁ!獅子井君も八時だって!」
「やっぱりぃ?うちの子ったら、夏休みだから十時とか十一時までゲームやテレビ!」
人様の家庭事情を知るのはやはり、経験を積んだ人様から聞くしかない。
「それって、どうしてるんですか?」
自分で口を開いてからしまった、では遅い。
「こっちは強制的に電気消すね!」
「うちはもう夏休みだし放っておいたなぁ」
「甘い!二日ゲーム隠したらおとなしくなるよ!」
「え~?それも二、三日でまた調子に乗ってやり出すんでしょ?」
「そうそう……!ほんと、何が面白いんだか」
「色々流行っても、結局テトリスに落ち着くじゃない」
「テトリスも良いけどソリティアも止まらないよね!」
「わかんないってば。ゲームしないし」
「万歩計でキャラが育つのってまだあるの?」
「知ってるそれ!ゲーム機に元から入ってるやつだ。買い物に行く時持たされてさ!」
「たっくんママも知ってるんじゃん」
一度放られた話題は横道へどんどんと広がり、勝手に逸れていった。一人一人がマシンガンを携えた上にぐるぐる回転しながら乱射している。行き先がどんどん遠ざかるのと同じように悠登もじりじり後退した。ここまで来ると今回は有用な情報は得られまい。
「セーブとスリープくらいわかるもん!……獅子井君もゲームってするの?」
「く……」
短く、吐息よりも小さい音で呻く。こちらには必要の無い話でも、相手が逃がしてくれない。
「俺は……」
「あ、獅子井君のとこは言う事聞いて良いよねぇ!でも、玲奈ちゃんってテレビばっかなんでしょ?」
答える前に路線が変更。と言うよりも元に戻ったと言うべきか。良かったような、タイミングを逃したような。
「玲奈は録画を繰り返し再生してるだけなんで、キリの良い所まで行けば結構あっさり切り上げるんです」
自分から話題を振った責任もある。一度はどうでも良くなったが、情報収集のチャンスが再び向かって来たかもしれない。
「へ~。ところで、獅子井君って夏休みは何をしてたの?部活もないんだよね?」
「………」
避けたいのは自分が話題の中心になることだ。これでは何も得られない。
「玲奈の……茄子嫌い克服にチャレンジして、なんとか食べれるようにしました」
ギヴアンドテイク。自分が相手の知識を取り入れるならば、相手にも何かしらのお返しは必要になる。
「獅子井君、どうやったのそれ!」
「詳しく教えて!」
「娘も旦那も茄子嫌いなの!何をしたの!」
「茄子ってクセあるもんねぇ」
教えてもらってばかりは悪い。そう思う気持ちはあるのだが、俺だって今日から登校日だ。もう普段なら学校に着いている時間。……なのに。
「実は……」
こうして口を開くから、止まらない。止めて、くれない。逃げられない。
助け船を出してくれたのは空気を察してくれた猫垣先生だった。門前でずっと立ち話しているようなら、立ち話禁止の手紙を保護者の皆さんに回しますよと警告も交えてある。断り切れずにいた悠登から見れば、本当に救世主のように見えた。このお礼は必ずしたいが、彼もまた恩を売ると面倒な相手だったとは後から気付く。
短い休みだったと思うが充実もしていた。校舎に入ってまず感じたのは、懐かしさ。忘れぬように呪いとも言うべき課題はあったものの、ワイシャツを着るという行為すらもリフレッシュした感覚に陥る。
「でさ……お、獅子井!おはよう!」
「おぉ、おはよう!」
教室に入ると俺に気付いた犀角が、柊馬との話を中断して手を上げる。久々に会った級友の変わらぬ姿に安心した。
「真衣は日焼けしたねぇ?どっか行ってたの?」
「え?うん……ちょっと泊まりで海とか」
「良いなぁ!」
着席すると窓際の女子の会話が耳に入る。先に来ていた保谷さんが平岡さんと話をしていた。内容も一緒に海へ行っていただけあって、ママさん達との会話よりも親近感が強い。
「亜理紗だって、親戚の家に行ってたんでしょ?」
保谷さんと平岡さんに交じって彼女もそこにいた。
「鮎が美味しくてさぁ!名産ってだけあったよ!」
「食い意地張って、亜理紗は日焼けじゃなくてお腹回りが変わったんじゃないの?」
「な……!レディに失礼だよ!」
そんな会話をBGMにしながら教科書を机に入れていると、見慣れた二人が教室に入ってくる。悠登の姿を見付けると片方は足を速めた。
「悠登!遅かったじゃねぇか!」
「主婦に捕まってた……」
詰め寄って来た虎男、章助に簡単に報告する。一言で内容はわかってくれただろう。
「大変だな、お前も……」
そう、朝から振り回されて既にうんざりしている。
「だから狼塚、尻尾触らせてくれよ」
「お断りだ」
一瞥して狼塚が席に座る。目の前に極上の尻尾があるのに見ていることしかできないなんて、生殺しもいいところだ。
「ホームルーム始めんぞー。席戻ってな」
狼塚の尾先を鑑賞していると熊田が教室に入って来た。章助の言ったように登校が随分遅くなった。遅刻ギリギリ、らしくもない。
「………」
「………」
ジャンボの一言に立ち話をしていたクラスメート達が席へ向かう。その中で彼女、桑野明が悠登へ向けて小さく手を振った、ように見えた。
「皆さん、お久し振りです。まずは誰一人欠席せずにまた元気な姿を見れて、何よりです」
熊田のホームルームが始まり、社交辞令の様な挨拶。ラグビー部の夏休みはどうなっていたのだろうか。
「タバコやら無免許運転だとか、深夜徘徊で補導されたとかそういう連絡が来なくて安心してました」
……少し後ろめたいところがあるのだが、バイトと言うか友人の家の手伝いと言うかでニュアンスは変わる。伏せておけば知られることはない。この学級内で知っているのは当人達だけなのだから。
「でも、いつまでも休み気分じゃいらんねぇかんな。文化祭ももうすぐだし、その半月後には二期末考査もあるし……」
休み明け初日から目が覚めるような出来事は既に経験している。情報過多、処理落ちで肩が重い。
「まずは文化祭だな。それは始業式後のホームルームで打ち合わせすっぺし」
そう言えば去年も文化祭は夏休み明けすぐに、気付いたらやってたって感じだったな。
一年生が装飾担当、二年生がアトラクション担当、三年生は屋台担当。この部分は通年通り、屋台は先輩が担当するので残念ながら俺達の夏の経験は活かせない。
「……なぁ、うちの文化祭実行委員って誰だっけ?」
大抵仕切るのは女子だけど。望みは薄いが前に座る狼塚へ向けて呟いた。
「俺」
「ふーん……俺、ね」
意外だな、狼塚が文化祭実行委員が誰か把握してるなんて。俺の所属も知らなかったのに。しかも俺、って言ったら狼塚じゃないか。そんなこと今まで一度も……。
「えっ?」
「だから、俺と猪爪だって」
狼塚が振り向いて答えた。間違い無く、自分が文化祭実行委員だと。
始業式を終えて教室に戻ると既に猪男子が教卓の前に陣取っていた。熊田は配布プリントの用意があるから先に始めるように、と指示を残して職員室へ行ってしまう。
「文化祭まで日がありませんっ!まずは黒板を見てください!」
猪男子、猪爪は言葉に出さずとも、出し物を決めていないということだった。彼の指し示した黒板には狼塚が手帳らしき物を交互に見ながら板書している。
内容は単語の羅列。お化け屋敷、縁日、休憩所、寸劇、ミュージカル、ケモノ叩き等々……。言われたままに書いているのだろうが、ありありと伝わり過ぎてやる気は感じられない。
「終わった」
「おう、サンキュー!って、席に戻るなって!」
狼塚はチョークを置くと猪爪から離れる。心細いのか引き留めると、嫌々そうに窓際へ移動する。皆は笑っているが、猪爪もこの距離感で満足しているらしい。
「よし……。えー、これがここ数年、二年生がやってきた代表的なアトラクションです。俺達も何かやらないといけないわけですが、ご存知の通り何も決まってません!」
「威張るな!」
「そうだそうだ!」
バスケ仲間の兎洞や狐川からヤジが飛んでくる。
「俺達は四階の大教室を使えるようになりました!狼塚が確保してくれたんだぞ!」
猪爪と狼塚、前は席が近かったため猪爪から文化祭実行委員として組もうと持ち掛けたらしい。……大教室の確保は何か考えがあってとは思えないのだが。
「どうするの?黒板に書いてるやつから決めるの?」
教卓の前、猪爪に一番近い席にいた相沢さんが尋ねる。一度黒板を見てから首を振った。
「そういう決まりはありません!まして寸劇やミュージカルとするなら、どうする?俺は脚本を考えるのは苦手だぞ!演じるのもだ!」
大声で言う事ではない。だが、同意はする。……ヒーローショーとかしたら、玲奈は喜ぶだろうか。それとも、低クオリティと断じるだろうか。
「なんで!俺は努力と友情と愛憎が混じったショートムービーとかならやりたかったぞ!」
突如章助が声を張り、異を唱える。猪爪も負けない。
「誰が主役やるんだよ!」
「そりゃあ……」
自分が主役でないならこっちを見るな。気付かぬフリで俺は狼塚の尻尾を眺めていた。
「とにかく、時間が掛かるのはダメだ。そこで俺の考えを皆に提供したいのだが、乗ってくれるか?」
長い前振りだったが、先に用意があれば出し惜しみする理由は無い。これでは狼塚の板書が無駄だった。
「内容次第」
「だな!」
「何でもいいよ……」
「手っ取り早いのな!」
俺の返答に周りの男子が合わせてくれる。女子はどちらかというと引け気味だった。少しアイディアを出し合う時間とかが欲しかったのかも。
「フフフ……。聞いて驚け!その名も……執事喫茶だ!」
「………」
狼塚は初耳だったのか、既に猪爪から聞いていたのかわからないが何も言わない。そして、教室内にいたクラスメート達も。
「………あれ?えっと……執事…カフェ?」
「言い直してどうする!」
兎洞のツッコミに止まった時が再び動き出す。
「羊ならD組にいたよな」
「執事だってば……」
素で聞き違えたか熊代に上野が訂正をする。
「猪爪君は執事ってキャラなの……?」
厳しい意見を言ったのは安斉さんだ。明や保谷さんよりは平岡さんとよく話している印象がある。
「う……」
猪爪の声が詰まるのは無理もない。なのに言葉の砲撃の手が緩められないのは、彼の出した案があまりに突拍子もないからだった。
「だいたい、クラスの予算でできるの?」
「メイド服なら通販で千円切ることも可能だぞ」
「余計なこと言うな」
女子のシビアな疑問にどこぞの通販野郎が答えてしまう。そこで猪爪が胸と股の方へ手を滑らせて体をくねらせた。
「え……まさか女装&男装喫茶……?」
「誰が得するんだよ、それ!」
やぶさかではない、なんて言い出す前に止めに入る。彼の一存だけは絶対に避けねばならないとクラス全員が悟った。
打ち合わせはしばらく続き、納得する部分も多少はあった。まず、時間が足りない。仮にお化け屋敷や演劇をするとしたら、設備の用意が何もない段階から始まる。毎日突貫工事で小道具作りをしつつ、場面の演出も考えねばならないというのは安直なものしか生まれない。ならば、予め必要な物資を最小限かつ明確にできるのが喫茶店、というものだ。俺達は市販の飲み物を紙コップに注ぐことしかぐらいしかできない。妥当だが、解せないのは服装にある。
「……どうしても執事なのか」
「メイドでも良い気がしてきた」
グラグラに揺れる猪爪の心情は読めない。決定権を持つのが彼だけではないと気付いて俺は狼塚の方を見た。
「狼塚からも何か言えよ。……やるなら学ラン喫茶、とかさ」
「獅子井、センスないぞー!」
兎洞の辛口意見を睨んだが、俺の事はいい。自分でも思い付きで言っただけだから。
「いつも通りでつまらん」
「え……!?」
狼塚が面白い、つまらないを考えていた。いや、単に俺の考えが気に入らないだけか?章助よりは同じ意見を持っていると思っていたのに。
「そうだそうだ、やるからにはメイドかナースだ!」
「猪爪のメイドなんて見たら冥途に落ちるっての……」
「もう面倒だしメイドでも執事でもいいよ……」
互いに精神が摩耗してきた頃、妥協という空気が教室内に漂い出す。晩夏の空気は未だ悠登達に纏わり付いていた。
「いざとなればジャンボにピンクナースだな……」
誰が決めたか、最終的に俺達のクラスで行うアトラクションはちょっとしたおやつと飲み物でお客様……ご主人様を持て成す執事&メイド喫茶で確定した。意外にも今年はお化け屋敷がBとF組の二つ。A組とD組はショートムービーの上映で視聴覚室を使うとのことだった。E組は縁日と、俺達との被りがなかった。イロモノとは言え、喫茶店ぐらいならすぐに飛び付きそうに思えたけど。
「やっぱり獅子井君も虎澤君のクラスも大変なんだね……」
応援団の展示について副団長、小松代純平と打ち合わせした後の帰り道。歩きながらクラスのアトラクションについても情報交換。副団長のクラスは勇者が魔王を倒しに行く王道ファンタジームービーの上映。映像に魔法陣や炎のエフェクトを追加編集するのが得意なクラスメートがいるとのことだった。
「小松代クンは美味しい役でいいじゃん」
確か副団長は、女勇者に惹かれているが女戦士に惚れられ言い寄られている僧侶役……だったような。傷を癒す回復役は必要だが、付与された設定をどう回収するのか見ものだ。
「僕はあんなシーン撮影したくなかったのに……」
撮影は夏休みのうちからある程度進んでいたとのことだった。別のクラスは今になって台本を考え始めた段階だというのに。動画編集から撮影から、既に気合の入れ方が違っていた。
「僧侶の人だー!って言われるぜ、きっと」
「上映前の舞台挨拶と、役の格好で校舎を歩いてるから間違いないね……」
章助がからかって言うが副団長は本気で落ち込んでいる。内容から察するに、コスプレを一日中させられるということだ。
「宣伝ってことだろうけど……」
「俺達もあるんだろうな、それ」
章助が嫌な事を言う。途端に看板か何かを持たされて校舎をうろうろする自分達を思い描いてしまった。
「一年生の時の幹高幼稚園を……」
「止めてくれ……」
もう俺達は二年生だ。体育祭前日、幼稚園のコスプレで街中を一周させられたあの日は思い出さないようにしている。……玲奈の送迎で幼稚園児がどういうものか突き付けられているのも事実だけど。
「じゃ、俺達こっちだから」
「そっか。じゃあまたね」
応援団は例年通り、活動写真や伝統を書類で纏め、団旗やセンター台と共に展示する。教室は一年生のF組から借りることになった。
副団長と別れて章助と歩くこと数分、交差点を曲がった先のコンビニ前で見覚えのある人物を発見した。通り過ぎようかとも思ったが、せっかく目が合ったので。
「こんにちは」
「獅子井先輩……!お久し振りです!」
コンビニ前にいたのは伊藤さんだった。会う度に久し振りと思ってしまうが、不思議と彼女には夏休みを挟んだにしてもそれくらいの頻度でしか会わない。
「おー。悠登が話し掛けるから誰かと思えば、いつかの」
「虎澤先輩もお久し振りです」
丁寧に俺と章助に一度ずつお辞儀。
「あ……押忍!の方が良いんでしたっけ」
「気にしなくて良いよ。もう校外だし」
校内でならともかく、とうに敷地外だ。応援団の格好をしているわけでもない俺達に女子が押忍、なんて挨拶をされても周りの目を引くだけ。章助も頷いている。
「ところで買い食いとはいかんぞ、青少年。夕飯が食えなくなっちまう」
チョコレートでコーティングされたアイスを開封していた伊藤さんに章助が指摘する。しかし伊藤さんはすぐにアイスを口へ運んだ。
「夕飯もしっかり食べます!育ち盛りですからね」
「それなら良い。よく噛めよ」
太るとかその辺は考えないのかな。気にして何も食べないよりは良いと思うけど。見ていると俺もアイスが食べたくなってきた。
「先輩達は文化祭の準備……は大丈夫ですか?」
伊藤さんが不安げに俺達を見上げる。早く食べないと溶けるよ、アイス。
「俺達は執事喫茶?だからな。何かあれば声が掛かるが、基本的に委員がやってくれるさ」
人任せではないが、今はやってもらうのを待つしかない。衣装は各自調達といきなり言われれば慌てるだろうが、その心配は現状ないようだ。
「あと、俺と章助は応援団の展示だけ。伊藤さんの組は何をするの?」
一年生は飾り付けと後片付けが忙しい。だが、当日に関しては何もすることがない。言ってしまえば、文化部ではない一年生は自由に一日校内を見て回れる。
「私達のクラスは校門担当です。美術部のクラスメートが今頑張ってアーチ用の板にイラストを描いてます!完成したら私達女子で色塗り、男子で設営します」
「へぇ……」
やる気は十分、今からでも塗りたいといった意気込みだった。
「俺達も去年は夜の八時くらいまで居残りしてた花飾り作ったなぁ……」
お前は別のクラスだから知らないけどな……。
「先輩達、期待しててくださいね!」
「うん。伊藤さんも、暇だったら俺達がいる時にでもうちのクラスも見に来てよ」
ちょっと宣伝で売り上げアップ。こういう地道な告知が後で役に立つ、のかな。
「お誘いありがとうございます!きっと行きます!」
「じゃあ、俺達はそろそろ。アイス溶かさないようにね」
「じゃな」
お客さん一人の予約を入れたところで再び幼稚園へ向かう。コンビニ前で休憩していた間に何人かとはすれ違ってしまっていた。その分玲奈を待たせてしまっている。
「はーい、玲奈ちゃん。お兄ちゃん来たよ」
猫垣先生が園内にいた玲奈を呼んできてくれる。今日は外で遊べる日ではなかったのか。ニコニコしながら合流すると俺のズボンの端を掴む。
「いやぁ、夏休みはどうだった?」
幼稚園の前で群れないようにと今朝注意していた先生はどこへ行ったのか、彼は親しげに話し掛けてくる。人がまばらというのはあるが、勤務中だろうに。
「玲奈と夏祭りや海に行ったよな?」
「みんなでいっぱいあそんだ!」
他にも細々としたエピソードは幾つもあるが、メインはこの二つだ。三七上の祭りと海でのバイト。上手くあの中で集まれて本当に良かった。
「いいねぇ。俺なんて夏バテしちゃってさぁ。夏に遠出もできなかったよ」
羨ましそうに言うが、だったら何をしていたのか。普段の猫垣を知らないだけに気になった。
「遠出していないなら……というか、幼稚園の先生って夏休みとかあるんですか?」
「それなりに休んでるんだけどさ、教育委員の勉強会とか研修があるんだ。あとは普通に日直とかでちょいちょい来てたし」
部活の顧問とかでなくてもやっぱり忙しいんだな。幼稚園と言えど休みの間ずっと留守にもできないし。
「そんな切ない夏を過ごした俺に、君達はお土産とか思い出とかくれないのぉ?」
傍から見れば高校生にたかる、欲しがりなお兄さんにしか見えないわけだが。
「あ、先生!俺達今度の週末に文化祭なんすよ!暇ならどうですか?」
「かろうじて八月内か……」
猫垣が誘いに反応を示す。見逃さずに章助は口の端を歪めた。
「執事やメイドになるんすよ」
「おい、おま……!」
畳み掛ける、とわかったのに止められなかった。
「行く」
追加情報に猫垣が即断した。悠登は玲奈を連れてすぐに帰ろうとしたが、背を向けた途端、しっかりと肩を掴まれる。
「俺達の頃にはなかった執事とメイド喫茶、かぁ……。そこに行けば、悠登君が誠心誠意で御奉仕してくれるんだよねぇ?」
肩を撫でられ、抱かれる。振り解きたかったが猫垣はそれを許さない。
「……今朝のお礼なら、また今度します」
「作った借りをどう返してもらうか。それを決めるのは俺であっても、良いよね?」
囁くような声に身震いを禁じ得ない。何も知らない玲奈の視線が無邪気で辛かった。
「俺にできることは……しますから。是非、来てください」
「うわー!嬉しいなぁ。こうして玲奈ちゃんのお兄ちゃんに呼ばれるなんて。信頼されてきた証、かな」
白々し過ぎて寒気がする。章助も察したか猫垣先生を一歩引いて見ていた。それよりも取り付いて引き剥がしてもらいたかったがもう遅い。
棒読みの招待に猫垣は露骨な演技で応える。玲奈には帰り道に文化祭の話を聞かせた。
「わたしも、いっていい?」
「良いけど……面白いかなぁ」
玲奈が来る分には歓迎するが、親父はクラスメートに見せたくないな……。母ちゃんは家にいたがる気もするし。
「おにいちゃんがべんきょうしてるばしょがみたい!」
「俺と章助は色々やることがあるからさ、帰ってから親父達に相談しようか」
幼稚園児向け、とは言い難いが大人を唸らせる素晴らしい文化祭とも言えない。玲奈に楽しんでもらえるかはわからないが、勉学の場を見たいという好奇心は楢原さんも喜んでくれるんじゃないかな。できることなら一緒に歩き回りたいけど。
「さっきはなんか言っちゃいけないこと言ったか?」
幼稚園が建物で完全に見えなくなってから章助が聞いてきた。
「猫垣先生に助けられてさ。その恩返しをさせようって魂胆みたいだ」
「恩返しに執事で御奉仕とはまた……」
背徳的、ってか。自分より大柄な高校生に、だからこそ燃え上がる……って、想像するんじゃなかった。せいぜい料金割引や肩揉みとか、余計なサービスさせられるぐらいだろ。
「……大人しくしてるかな」
特に意識せずに呟く。
「……どうかな」
聞こえるか聞こえないかの声で章助が答えた。悠登は彼に目を向けたが、章助は前を見て歩いているだけだった。
『貴方の役目はここまでです』
白装束で突如ラボに現れた人間の少女は静かに死歿の時を告げる。その相手が彼だとは誰も思わなかった。
『うっ……!』
モノクルを付けた老紳士、レセプォルガ博士は一瞬だけ目を見開く。腹を押さえ、目線を下へ向けると服に赤黒い染みが広がっていった。やがて押え切れずにいるとポタポタ床に滴り落ちる。それが自身の血液と博士が察すると同時に、咳き込み吐血した。
『貴方は今までこの星のために良くやってくれました。ディスチャージ仮面を支え、今日まで戦わせてくれた。心より感謝します』
少女の指先から微かに発煙している。どうやら指先から出した光弾か何かで攻撃したようだ。
『ぐ、ぐぅぅぅぅううう……!』
痛みに呻く博士が淡々と話す少女を見上げる顔に浮かべた表情。それは恐怖だった。
『ですが、貴方は知り過ぎた。力を与え過ぎたのです。そう、私すら予想がつかなかった程に』
対照的に少女は感謝を述べているにしては、あまりに無表情だった。相手を威圧しているでもなく、喜怒哀楽も感じさせないただの朗読。必死にもがく博士からは無情に血液が溢れ出していった。
『だからゆっくりお休みなさい。二度と目が覚める事もない、深い深い世界へ行って。偉大なる科学者よ……』
『く……!』
レセプォルガ博士は震える手を少女へと伸ばす。
『さようなら』
しかし、手は届く事も無く少女はその場から突然消失した。残されたのは、研究室で血を流している老人が一人。
『博士、戻りました!』
そこに剣がディオバスタ星人を倒して弟のキャメロンと帰還する。当然、何も知らないで。
『は、博士……?』
倒れる博士を見付けて剣は震えた。信じられない光景にキャメロンと共に言葉を失ってしまう。
『博士ぇ!』
訳もわからず叫んだ剣は自分が血に濡れることも構わず、レセプォルガ博士を抱き起こす。
『……っ…』
『博士!しっかり!』
博士が力なく、薄く目を開けた。
『剣君……今日はもう、帰りなさい……』
おぼつかない目線で剣を捉えると、彼は蓄えた髭を歪めて笑った。
『誰がこんなことを!しっかり!今お医者様を呼ぶから!』
『あぁ……』
レセプォルガ博士は息を吐きながら目を閉じていく。
『博士!ダメだ!博士!博士ぇぇ!』
目を閉じると同時に力が抜ける。モノクルが外れ、博士の血溜りに落ちた。
『あ、あぁ……そんな……』
キャメロンは腰が抜け、ぺたんと足元から崩れ落ちた。
『レセプォルガ博士……!くっ……お許しっ…ください……!』
謝罪と共に剣の目から大粒の涙が零れる。非情の信念を貫きディオバスタ星人と戦っていた剣が戦いを続けられたのは、博士の助力あってのこと。
『うっ……うっ…うわぁぁぁぁぁぁあ!』
サポートしてくれたのは武器だけではない。時に戦い方へのアドバイス、時に勉強や級友への恋の悩み相談。博士が剣に与えてくれたものは決して測り知れるものではない。
レセプォルガ博士の遺体を抱き締め慟哭する剣。地獄の番犬となった筈の彼が見せたその姿は、一話の彼よりも弱々しいものだった。
次回予告を見る限り、レセプォルガ博士を殺害した人物は出ないらしい。博士を失った悲しみに暮れているところへ、新たな怪人の魔の手が剣を襲う。新たに決意し剣はディスチャージ仮面・ケルベロスフォームへディスチェンジするらしい。
「はかせ……」
前半パートで星人との戦いを終わらせたので、後半の展開がどうなるか気にしていたところにこの展開。玲奈も言葉を失っている。
「玲奈……」
数日過ぎてやってきてしまった文化祭当日。登校は九時で、文化祭開始は十時からだから俺はまだ玲奈とテレビを見ていた。最終回が近付いていることもあるのだろうが、朝から見るには辛い話だった。
「最近の子ども番組でもこういうのはあるんだ……」
母、涼も朝食を食べながらだがディスチャージ仮面を視聴して絶句していた。その横にいた父、譲司はテレビ前から動かない玲奈の背中を見詰めている。
「あー……玲奈ちゃん?」
「ぐす……」
玲奈が鼻を鳴らした。ライオン三人と虎一人が慌て、俺がすかさずティッシュを玲奈に差し出す。すぐ盛大に鼻をかみ、自分で目を拭った。
「……ディスチャージかめんは…かつもん」
「玲奈ちゃん……」
剣は来週になってから今日の出来事を乗り越えるようだが、玲奈は既に覚悟を決めているようだった。章助は鼻をすすってから無理に笑う。
「へへ、玲奈ちゃんは良い子だな。博士の仇はきっとディスチャージ仮面が取ってくれるよな!」
「うん……。ゆるさないもん、ぜったいに!」
仇討ちなんて良くない、という考え方もあるが悪いことをしたのはあの少女。悪を倒すのは他ならぬヒーローでなければならない。あと何話先になるかはわからないが、その時を迎えるためにも続きを確認していこう。
「じゃ、俺達は行くから」
「おぉ、行ってこい!」
「いってらっしゃい」
鞄だけ担いで章助と玄関へ向かう。玲奈はテレビを見ていたが、早速今の話をもう一度見返そうとは思えないらしい。帰ってから一緒になら観るかもな。
「玲奈も。後で親父達とおいでね」
「……うん!いってらっしゃい!」
玲奈は切り替えて笑顔を作ると頷いてくれる。一度頭を撫でてから、章助を連れて家を出た。
「俺さ、小松代クンの映画が一番楽しみなんだけど!」
「それは俺も気になってた」
話しながら歩けば自然に今日の文化祭に期待を膨らませていた。校門の飾り付けも順調に行われていたし天気も悪くない。雨で客足が減る心配はなさそうだ。
「三年生の屋台って何があるんだろうな」
「チュロスとか食べたいな!今日の祭りは糖分巡りしたいぞ」
メニューは現地で調べないとなんとも言えないな。けど、弁当は持ってきていないから屋台はしっかり見ておきたかった。
「うん?」
「どうした?」
携帯が震えた気がして取り出す。間違いない、メールが届いていた。
「……章助」
「……あぁ」
画面を見せてアイコンタクト。
【今日はどこにいるの?】
無題に内容はこの一言。差出人は……虎澤実恵。
「今日が文化祭って、言ってないんだな?」
「当たり前だろ!」
俺の念押しに章助が吼える。それならば良い。
「無視、で良いか?」
「歩いていると携帯のバイブに気付かないことはよくある。その後忙しさにかまけて、メールを見た頃には返信するのも躊躇われるぐらいに時間が流れていたとしても無理はないぞ」
章助が言い訳に言い訳を塗り固めるようにフォローしてくれる。その言葉に甘えるが、ふと背筋に嫌な気配がしたような。
「……行こう、遅刻は?」
「ゲンキンだ!」
今日は十幹第一高等学校文化祭。張り切っていこうじゃありませんか。
悠登と章助は決して振り返らずに歩を速めた。




