第三部 エピローグ
授業納め式が行われても翌日は大半が登校日。夏季講習という名のお節介が七月末まで行われていた。三年生に至っては八月に入ってからも講習は続く。進学希望の君達に予備校の月謝を減らせるチャンス、或いは善意と高校側は主張するが実際はそうとも限らない。本当に狙っている大学がどこかにあるならば、やはり実力を持った講師に頼るべきだ。実際、先輩の中には講習後に予備校に行っている人もいる。
来年は他人事ではないと思いつつも、もう過去の話。俺達の夏季講習は終わった。残されているのはてんこ盛りの課題に半月少々の少し短い自由な休暇。
「………」
その半端な期間の間にも、部活動所属者は容赦なく呼び出しを受けて拘束される。その分、自由に時間を悠登は使えた筈、だった。
しかし実際に休みに入ればこの数日、家事に夢中になっていた。普段は入らない親の部屋へ押し入り、その中の惨状を目にして息を呑む。足の踏み場もない程に散らばったあんな物やそんな物。アレを野放しにして生かしておいたなんて許せない。即座にその晩、二人に事情を説明させて悠登の手で意識改革を促した。
「寝不足か」
俺の隣にいた狼塚が俺の顔を横目で見ている。一度首を振ると俺は狼塚からの気遣いに笑みを浮かべた。
「違う。嫌なものを思い出してたんだ」
暗い表情をしていただろうか。これからの楽しみに自分から水を差してどうする。駅の待合室で横に玲奈や章助もいるのに。見られたら茶化されるぞ。
「嫌……。そうか、課題があったな」
狼塚が耳の先を微かにだが、曲げた。表情が変わらない分、仕草に注目した方がわかりやすいやつかもしれない。
「それもあるんだった……」
玲奈は勉強を始めると妨害はしてこない。しばらくはテレビを見ていたり、違う部屋で待っているのだが、たまに構ってほしいのか視線を感じることがあった。察知した以上は無視できず一緒に何か始めるのだが、結果課題が停滞する。夏季講習の合間に進めた課題はクラスメート達よりも遅れているのでは、という危機感が少しあった。
「狼塚の方は課題どうなんだ?割と進んでたり……」
「休暇の課題は、休暇に入ってからやるものだ」
もしや、講習中は触れてなかったのか。だとしてもあの量をこれからの短期間で終わらせるには計画性と体力が要るぞ。
「……」
「どうした」
「いや、なんでも」
今、このタイミングで言うのは野暮というものだ。苦しむのが後になるとは、言い出した本人もわかっているだろう。自分も他所の話をできないが。
「おいのづかのおにいちゃん」
夕涼み会と同じ、浴衣姿の玲奈は章助とディスチャージ仮面・ケルベロスフォームについて語り合っていた。話し終わったのか、気付けば俺と狼塚の方を向いている。
「どうかした?」
普段狼塚と話しているから気付く。気を遣っているのか微かに、ほんの少しだが、声が高い。
「めいおねえちゃんたち、まだ?」
「玲奈、下駄脱げちゃうよ」
椅子から浮いた足をゆらゆらさせながら尋ねる。待ち合わせ時間にはまだ早いのだが、あと二人がまだ来ない。
「………メールするか?」
携帯を取り出して狼塚が文字を入れ始める。その間に悠登は今日の予定を確認した。
現在午後二時二十五分。二時半集合でそこから電車移動。着いてから祭りを一通り歩いてから、最後に花火を見てから帰るというもの。集まるのは今この場に居る者に加え、明と真衣。その二人がまだ来ていなかった。
「いや、その必要はないみたいだ」
章助が駅の西口外を見て、ニヤリと笑う。目線の先にいたのは見慣れぬ女子二人。
「あれ……?」
目を疑うと章助と玲奈が立ち上がった。遅れて悠登も立ち上がり、待合室から出る。
「お待たせ!」
「早いね、皆……」
そこにいたのは紛れもなく、明と真衣だった。服装が前回会った時と大きく違っていたから気付けなかった。
現れた二人の浴衣姿が、あまりに普段と違い、それでいて似合っていて言葉を失った。
「準備に手間取って、遅刻するんじゃないかって慌てちゃった」
明は普段結わえていた髪を更に上げてお団子風に纏め、シンプルな花飾りの付いたかんざしを挿していた。着た浴衣は露草色と言うのか、明るい薄青の花模様に染められている。
「どうせ電車来るまで待つんだし、急いでも意味ないって言ったのに」
真衣も浴衣だったが、彼女の方がまだ普段と雰囲気が近かった。髪型はいつもより巻いているのか、ふんわりと浮いて歩く度に揺れる。浴衣は浅葱色に染まった布地に白い蝶がいくつも模様として描かれていた。
「二人とも涼しげな浴衣だね。似合ってる」
悠登が素直に感想を述べると二人の顔が綻んだ。
「ありがとう」
「帯のとこ以外は結構すーすーして、良いんだよね」
保谷さんが言ってくるりと回って見せる。確かに、袖や足元の通気性は抜群だと思う。
「俺達も浴衣にするんだったなー?」
章助が俺の肩に手を乗せた。確かに、女子三人が浴衣に対して俺は白いアウターに黒のタンクトップ。章助は無地のティーシャツで、狼塚はスポーツメーカーのロゴ入りのポロシャツ。全員夏らしい服装ではあるが……。
「かもなぁ」
夏らしさはあっても、同意する。先に話を聞いておけば良かった。親父なら浴衣ぐらい持っていたかもしれない。適当なタンスの奥に眠っているオチはありそうだ。借りたいかはともかくとして。
「切符、買わなくていいのか」
そこに淡々と狼塚が言った。
「……トォちゃんは感想くれないの?」
「………着るの大変そうだな」
桑野さんの問いへの回答。多少考えたのか間があったが、それにしては言葉のチョイスが不適。
「真衣、切符買お……」
「そだね……」
女子二人はそれ以上狼塚と会話を続けられなくなってしまい、券売機に向かった。
「………」
「……ミスったと思ってるのか?」
固まって狼塚は床の一点を見詰めていた。もしやと思い話し掛けると、狼塚の視線が上へと戻る。
「いや」
二文字で終わらせると狼塚も財布を出しながら券売機へと向かった。
「おにいちゃん、わたしたちもキップ」
「うん?あぁ、玲奈は小学生じゃないから切符は要らないんだよ」
服を掴みながら急かすので答えると、不満なのか玲奈は頬を膨らませた。
「キップいれたい!」
そう言うが、幼児は保護者同伴なら二人まで無料と書いていある。どうするかと考えたが、解決は簡単にできた。
「じゃあ、俺のを代わりに入れてくれる?」
単純な話だ。改札に切符を入れたいだけなんだから。
「うん!」
それだけでこんなにも嬉しそうに笑う。双方納得したことで全員切符を買い終えた。
「もう電車来るんじゃん。出発するまでちょっと待つみたいだけど」
「先に席だけ確保しとこうよ」
女子達に異論はないので、少し早いがホームに向かうことにした。
「玲奈、届く?……いや、抱っこの方が良いか」
手を伸ばせば十分だと思うが、下手に折ってしまうよりも目線は高い方が安心だ。切符を渡すと、わざと駅員さんが良く見える改札を通る。
「スロット・イン!」
テレビで覚えるんだろうな、そういう言葉。
「パパとお祭り?いいねぇ!」
玲奈の言葉は流せたが、俺達へ人の良さそうな笑みを向ける人間の駅員さんの言葉が胸にスロット・イン。それどころかブレイク・スルーした。
「俺、高校生っす……」
「おにいちゃんなんだよー!」
「あ……失礼、しました…」
中年の駅員さんは気まずそうに自分の帽子の位置を直した。改札を抜け、玲奈がしっかり切符を取ったのを確認すると下ろしてやる。
「はい、玲奈。預かるよ」
「うん!」
切符を受け取ったがなんだか力が入らない。兄と妹だろ、どう見ても……。
「よう、パパ」
ママは誰だよ。聞いていた章助を睨むが切符を失くさぬように財布へしまった。
「なんとか座れたね?」
「そうだね」
長い座席に綺麗に全員で座れた。乗客はいるのだが、平日の通勤通学ラッシュに比べればがらがらと言って良い。端から玲奈、俺、桑野さん、保谷さん、章助と狼塚が並ぶ。
「あとごめん、獅子井君」
「ごめん?」
発車を待っていると桑野さんが俺に謝る。心当たりが何も無かった。
「今日、下駄なんだ」
足元に目線を落とすと、紅い鼻緒に黒い下駄。それよりも、桑野さんの腕や顔の肌よりも若干白い足の甲をしばし見ていたかった。
「浴衣だもん、下駄なのは……」
当然、と言いかけたがそこで思い出した。
「いつもよりも足音、うるさいし違うかな、って……」
「覚えてたんだ、それ……」
顔が熱くなってきて手で押さえるが、熱は引かなかった。夕涼み会で話した足音を覚えるまで聞かせてもらいたい、という話をこの下駄ではできないと言いたいらしい。
「ちょっとおめかしするタイミング間違えた、かな」
「………」
桑野さんが目線を外したので、俺は手を退かせた。それが謝った理由、か。
「……いや」
「いや?」
「……要は足音の立て方、だから。その癖を覚えれば、どの靴でもだいたいわかるようになるかな……って」
自分でも何を言ってるんだ。そんな癖を把握しようものなら、どれだけ相手を身近に考えているんだというか。いやいや、しかし覚えてくれてないんだ?というのは親しく思ってくれていないんだ?と同義に捉えられないんじゃないか。そう、思ってくれと言うのなら拒否する理由は……って、ご都合解釈極まれりじゃないのか、俺。
自分で変な発言をして後悔するのも何度目だ、と思いながら恐る恐る桑野さんへ目だけ向けると、視線がカッチリぶつかった。それだけで口元がひくつく。
「……じゃ、予定通り?かな。近くで聴いててね」
「……うん」
続行決定宣言に俺はただ、頷くことしかできなかった。
♂! ♂♂♀♀♀
駅を経る毎に乗客は増えるとばかり思っていたが、思いの外スムーズに乗降が繰り返され、混み合うことはなかった。三七上の花火大会や夏祭りが開催される割には客が少な過ぎる。
それを口に出して言ってみると、保谷さんが教えてくれる。俺達の出発時間が早いのと、三七上の祭りで集まるのはもっと北寄りに住んでいる人達が多いので、三七上へ北上して集まる人はいても車移動が多いのだそうだ。聞いて帰り道ももしかすると混まないかも、と安心する。玲奈にもう一度切符を改札に通してもらって抜けた。
「うぉっしゃぁ!祭りだ!着いた!」
「ここはまだ駅だ……。大町までは少し歩くみたいだぞ」
実は三七上の夏祭りは小学生の頃、一度親父に連れられて来たことがあるだけだった。そんなにたくさん歩いた覚えはないんだが……。
「北口を直進すれば着くらしい。行こう」
改札脇に置いてあったチラシを一枚手に取って、狼塚が道を確認。先導して歩き出すが、何かおかしい。さっきよりも歩が早く、尻尾が揺れていた。
「……もしかして」
「気付いた?トォちゃん、はしゃいでるんだよ」
俺の推論を口に出す前に、桑野さんが笑った。
「置いてかれないようにしないと、トォちゃんは一人で行っちゃうよ?」
「あぁ……。玲奈、行くよ」
「うん!」
あんなにわかりにくくそわそわするやつもあまりいないだろうな。振り返ろうともしないので玲奈にも少し急いでもらいながら駅を出た。
「眩し……」
一歩外へ出て、空を見上げれば雲が一つもない。風もなく、快晴と呼ぶに相応しい日だ。洗濯も気持ち良く乾くのだろうが、難点を挙げるなら日射しの強さも絶好調なところか。
「私は浴衣だからまだマシなんだろうけど、獅子井君は暑くないの?」
「はは、暑いよ」
アウターは薄布を羽織っているだけだが、それ以前にもさもさした毛皮がどうしようもなくある。ブラッシングして余分な毛は梳いたと思うが、こういうのは刈るぐらいしなければ根本的な解決にはならない。
「浴衣の人がやっぱり多いね、特に女の人」
「あっちの駅じゃ私と真衣と、あと何人かしかいなかったもんね。ちょっと恥ずかしかったかな」
ここまで来れば浴衣姿の人が何人もいるから気にしないだろうが、言われてみると向こうではほとんどいなかった。
「自転車とか使えないよね?歩いたの?」
「うん。やっぱり日中歩くのは辛いね。ちょっと汗かいちゃった」
そう言うがスポーツで激しく運動したわけではないのだから、堪えていないように見えた。
「まだまだ余裕そうだけど?」
「それはもう、これからが本番だもん」
桑野さんが一歩進み、下駄が鳴る。自分で立てた音に気付いたのか、一度足元を確認すると俺を見た。
「……行こっ」
「うん」
何も言われなかったが、ちゃんと足音聞いてる?と目が訴えているように見えた。……これも俺のポジティブ解釈か。それでも、聞き逃さないように耳を立てた。
歩き出せばどこからともなく祭囃子が聞こえてくる。軽快な篠笛と絶えず響く太鼓の音に、尾が無意識に揺れる。
「俺達の太鼓とはやっぱ違うな?」
「そりゃそうだ。何年も祭りに向けて練習してるんだろうし」
歩きながら何人か太鼓を叩く奏者を見たが、俺や章助の叩く太鼓とは音が違った。一つ一つの音に込められたリズムと残響。演奏の合間に挟まれる一撃の重さは、太鼓に触れた事のある俺達でもどう叩いているのかわからない。
「………」
太鼓や篠笛、アナウンスや道行く人の雑踏。立ち止まろうとも構うことなく耳に入ってくる音の中、悠登は集中してある音を聴いていた。カッ…カッ……と短く鳴る下駄、桑野明の足音だった。
「小腹空かない?」
「空いた!けど、今から食べ始めて大丈夫かな……」
無論、足音を聞きながら明と真衣の会話も聞き逃していない。いつもより少し、明の足音を気にするだけ。
「六人……。たこ焼きとか?」
目の前の屋台が目に入った俺の提案に章助が指を鳴らした。
「よっしゃ、悠登!たこ焼き!」
「五百円、な。ほれ」
差し出された手に五百円玉を握らせる。予算に関しては譲司からある程度の許可は得ているから問題ない。それどころか、昨日は地元の夏祭りではしゃいで帰ってきたためペナルティを課したぐらいだ。
「買ってきた!鰹節多め!」
「一人一個か」
「六つだしな」
屋台から戻った章助に少しだけ不満そうな狼塚だったが、見れば周りにあるのはたこ焼きだけではない。焼きトウモロコシ、イカ焼きに鮎の塩焼き……焼き物ばっかりだな。もちろん、わたあめや定番メニューも溢れかえってるけど。それらを制覇する前に腹を必要以上に膨らませるのはいただけない。
「はい、玲奈。熱いから気を付けて。あーん」
「あーん」
玲奈の口にたこ焼きを詰めると、俺も口へたこ焼きを放る。その間に四人もそれぞれ頬張った。
「あちぃ!」
「あちゅ」
「……あひゅい」
獣人男子がそれぞれ声を出してリアクションしているのに対して向かい側。
「はふ……!」
「ふほー!ふー!」
「ふっ……ふっ!」
口元を押さえる桑野さん、熱を逃がそうと口を開けて空を仰ぐ玲奈、何故か俺達に背を向ける保谷さん。俺達も俺達だが、女子のリアクションも相当面白い。
「やっべー!熱い!虎舌にはキツいぜ……」
「あちち……やっぱり、猫の舌ってことなの?」
やっと呑み込んだのか保谷さんが章助に尋ねる。
「だったらこの場に居る全員が猫舌だな」
「違いないな」
狼塚が章助に代わって答えたので俺も頷く。猫舌という言葉は世に浸透し過ぎているが犬も狼も、猫も獅子も人も過度な熱さには呻く。そういった個々の体質を、全て猫の舌に押し付けるのは風評被害のようなものだ。ネコジタ、という言葉がしっくりくるのもよくわかるけど。
「でも、おいしかった!」
「それは良かった」
食べてみれば一瞬だったが、たこの大きさには申し分なかった。ゴロリと舌に転がった程良い弾力。牙を立てて咀嚼する間が堪らなかった。玲奈も気に入ったようでまずは安心。
「次は……かき氷か!」
「やってるよー」
章助の声を聞き付けたのか、屋台の犬おじさんがこちらへ笑顔を向ける。
「この前食ってゼリーも作ったんだろ」
「猫垣先生、夏休みだから会えないんだよな……」
猫垣先生に持っていく、という話だったが今は幼稚園も夏休み。当然、猫垣先生に会えた幼稚園も普段は閉まっている。かき氷のシロップで作ったお菓子を持っていくという話は社交辞令のようなものになってしまった。意外にも章助はたまに気にしている。
「俺、じゃがバター食べたい」
「あ、俺もー!」
あちこち見ていたが狼塚が率先して食べたい物を主張。それに同意票を集めて次の食べ物が決まった。分け合うので以外と胃には溜まらないし、お金も減らなかった。
「トォちゃんって食い意地の割には引き締まってるんだよね」
「燃焼させてるんだよ、きっと。恨めしい」
羨ましい、じゃないらしい。女子の会話を聞きながら俺も引き続き夏の風物詩を楽しむことにした。
着いた頃はまだまだ陽が高く、早く着き過ぎて時間を持て余すのではないかと危惧していた。だが実際にこの第五十一回三七上・芸能夏祭りの中へ入ると時間は過ぎてゆくばかりだった。
意外な才能を見せたスナイパー真衣は百円五発で四発的中させて周りを沸かせた。その中で玲奈がねだったディスチャージ仮面のソフビフィギュアが一番悠登を救った。以降、玲奈は食べ物以外はねだらなくなってしまう。数日で空気がしぼみ抜けてしまうガス風船に、ディスチャージ仮面がプリントされただけのもので六百円するのに、なんて悩まなくて済んだ。お菓子の詰め合わせは明の機転で来ることができなかった狼塚の弟と妹に渡すことに。
「そろそろ?」
「かな」
ダーツやボール当てではスナイパーもその腕を発揮できず、全員が散々な結果になった。玲奈はフィギュアの可動域をチェックして待っていた。
くじ引きにも挑んでみたが木製の小さなけん玉が当たっただけ。表にデカデカと飾られたゲーム機やクッションが当たるとは到底思えない。……当たっても持ち帰るの大変だろうけど。
「玲奈、暗くなってきたから離れないようにな」
「うん……」
過ぎてしまうともう少し効率的な回り方があったのでは、と思うが既に外は暗くなっていた。人の流れができる前に、祭り会場から少し離れた三七上川の河川敷に六人は移動する。
その途中、玲奈の手はしっかり握っているのだが、返事が優れないことにすぐ気付いた。
「この辺で良いよね?」
「うん。それに、ここから動くの難しそうだし……」
明と真衣に見物場所を確保してもらうと、悠登は屈んで玲奈に声を掛ける。
「玲奈、疲れたか?」
「ううん……」
声を聞くに眠そう、というわけでもなかった。
「足が痛い?」
「ちがう……」
一歩引いた玲奈は身をくねらせた。
「……トイレ?」
やっと頷いた。参ったな、と立ち上がると異変に気付いた四人もやって来る。
「どした?」
「玲奈がお花を摘みたいんだ」
遠回しな表現にすぐに桑野さんと保谷さんは気付いてくれた。
「でも、はなびはじまっちゃう!」
「花火は三十分くらいドンドコ打ち上げるから、ちょっとくらい大丈夫だよ」
章助が説得するが玲奈は我慢したがっていた。
「じゃ、お姉ちゃんも行きたいから一緒に行かない?」
「え……」
保谷さんが驚く玲奈の手を取った。
「始まっちゃったら皆は先に見てて!私、途中でトイレ見付けたから」
あぁ、トイレってわざと言わなかったのに。……そこまで気にする必要ないってことかな。そう言っている間に玲奈を引いて、保谷さんは来た道を引き返す。
「……あと五分か。間に合うのか?」
腕時計を確認した狼塚が呟く。すると章助が川から背を向けた。
「……まだ時間があるな。そこの屋台で何か買ってくるか」
「まだつまむ程度でしっかり食べてないな、そう言えば」
お前ら、この期に及んでまだ食うのか。しかもこのタイミングで。
「悠登、今回は人数分買ってくる」
「……ほら」
それなりに軽くなった財布ごと渡してやる。相手は章助だ、中身の心配はしなくても良いだろう。行くと言うなら止めはしない。
「じゃ、行ってくる!」
「……俺も」
章助に続いて狼塚も俺達から背を向けた。
「狼塚もかよ!花火は……」
「食べ物が呼んでる」
今から章助が買い出しに行くだけでも驚いたのに、狼塚も続くのか。それに、短い返事だけでスタスタ階段下りてくし……。
「行っちゃったねぇ……」
「……うん」
残されたのが、俺と桑野さんだけ。六人いたのに四人が離れた。河川敷階段前に陣取ったから位置はわかりやすいと思う。……故に、これ以上は動けないというか。
「………」
「………」
すぐ横にいるのに、会話が途切れた。さっきまであんなに楽しく話をできていたと思ったのに。この祭りに来る前と今じゃ、今の方が仲良くなれた気がしたのに。周りが賑やかなのに、俺達だけシン、として目も見れなくなってしまった。
「………あの」
「獅子井君」
何か思い付いたわけじゃなかった。それでもこの長かった沈黙を破ろうと声を出したが、それに被せるように桑野さんも口を開く。
「う…!?なに?」
「そっちこそ。どうかした……?」
明がやっとこちらを向いた。その視線を今度は悠登が直視できない。
「いや……桑野さんの方からどうぞ」
「そう?」
良いのか、と確認したがっているので続きを促すように手を明の方へ出した。悠登の手を数秒見て、明は顔を上げる。
「……足音、覚えられた?」
服の裾を指でそっと挟まれ、引かれる。思わずそちらを向いて明と目が合った。
「……少しだけど、右足を地面につけてる時間の方が長い。でも、下駄を引き摺らないしっかりした足取りだと思う。きびきびした歩き方って言う……か…」
聞かれたことに答えただけだが、内容のせいで尻すぼみになってしまう。大真面目に答えるべきではなかった。
「右足?ふぅん……意識してなかったな」
「利き足とか、軸足なんじゃないかな?」
補足して、早速自分が嫌になる。だから、そうじゃない。冗談交じりに言うならまだしも、一歩間違えば変態だ。
「……ちゃんと聴いててくれたんだね」
「……機会をくれたのは桑野さんだから」
そうじゃないのに。言ってしまう。思ったままに。
「良かった」
桑野明の笑顔が前より艶っぽく見えた。どうしてその笑みを悠登に向けてくれるのか、わからなかった。
「桑……」
会話を繋ごうとしたが、突如空に花が咲いた。一拍置いてドン、と轟音が辺りに響く。
「あ、始まった!」
明が空を見上げる。遅れて悠登も空を見た。
立て続けに上がる五発の花火。赤い玉が大きく広がると、次に青い花火に遅れて金色の花火が小さく展開し、花のように咲いて空へ消えていく。その度に周りからは感嘆の声が上がる。その五発が終わってやっとアナウンスが花火大会の開始を宣言した。
しばらく静かになったがまた少しすると夜空が急に明るくなる。一度始まると、今度は出だしのようにすぐ止むことはない。絶えず人の作った芸術で夜を吹き飛ばす。
「綺麗だねー!」
「そうだね!」
花火の爆発音、周りの歓声から互いに声を張る必要があった。大声を出すだけで、楽しい。
その中で俺は花火よりも、花火の光に照らされる桑野さんを見てた。花火毎に違った彩りをされる彼女を見て、息が詰まる。
「……来て良かった」
思わず呟いていた。
「私も!良かった!」
花火に紛れて聞こえていないと思ったのに。桑野さんは花火から俺へ目を移して笑った。
「………」
君と一緒だから良かった。桑野さんに誘ってもらえたから今日、楽しかった。そのお礼は言わないと。
「桑野さん、今日はありがとう」
「こちらこそ。一人や真衣とだけじゃ来なかったと思う。悠登君がOKしてくれて、嬉しかった」
自分が礼を述べて、お互い様と言われた。その一瞬なのに、酷く胸が高鳴った。桑野さんが今、俺を名前で呼んだ気がする。
「あ、あの……」
「あは、やっぱ……」
「め~い!」
俺達に妙な空気が流れそうになったタイミングで、保谷さんの声がした。何故か互いに一歩引いてから声の方へ向き直る。すると玲奈がこちらに走って来た。
「おにいちゃん!」
「おっとおかえり、遅かったなぁ。よっ……」
「たかーい!きれー!」
抱き付いてきた玲奈をすかさず肩車してやる。その間に保谷さんだけでなく、丁度合流したのか章助と狼塚も現れた。
「ごめん獅子井君、トイレ混んでて……」
保谷さんが俺と桑野さんの間に入って並ぶと謝った。
「むしろごめん、俺もついてけば良かったかな……」
「ううん、ここを確保してくれてたんでしょ?縞太郎君達もいなくなってると思わなかったし」
その二人へ視線を向けると、章助がフランクフルト三本、狼塚がオムそば四つを持っていた。
「人数分買うんじゃなかったのか?」
「保谷にダメ出し食らった。そんなに入らないって」
章助はまだ食べれると思っているのだろうが、女子も同じとは限らない。玲奈も途中からお腹いっぱいと意思表示はしていた。
「俺のフランクフルト食うか?ほれ」
「あぐ」
花火が続く中、章助が俺の口元に突き出してきたフランクフルトの一本をかじる。結局は花より団子、というやつだろうか。
「おにいちゃん!くものすみたい!」
「うん、綺麗だな」
光とワンテンポずれて聞こえてくる花火の破裂音、ススキ状の花火が尾を引くように消えていく様を見て、段々と花火大会も終わりに近づいていくのを感じた。
「真衣、花火の写真撮れた?」
「携帯じゃやっぱり綺麗に撮れないんだよね……」
「たーまやぁ!」
「………」
それぞれが思い思いに花火を見ている。悠登もまた、玲奈を肩車したまま残りの花火を楽しんだ。
「おにいちゃん」
「うん?」
あれだけはしゃいでいた玲奈が、花火が止んだためか今度は静かに俺に話し掛けた。その途中で、アナウンスも花火大会の終了を告げた。
「またはなび、みたい」
俺の頭をくしゃくしゃしながら言うのでそっと下ろしてやる。無理矢理肩車したせいか少し着崩れしてしまった。
「そうだな。また来年、行こうか?」
「うんっ!」
俺の提案に玲奈はにっこり笑って頷いた。直後、背中を指で突かれる。
「俺達は誘ってくれないのかよ」
「そうだよ。今回悠登君に声掛けたの、私だよ?」
章助と桑野さんが物申す。てか、さりげにまた名前……。
「皆でまた来ようよ。受験勉強とかあるかもしれないけどさ」
「最後の一言余計だっての」
ツッコミを章助に入れられたものの、桑野さんと保谷さんは笑ってくれた。狼塚は何も言わなかったが、断らなかったのなら来る男だ。少し嫌がったとしても、一緒が良い。
言葉にはできず、形にも無い。それでも確かな繋がりが俺達の中にあると感じられた夏。そんな季節が中盤に差し掛かってから、俺達の夏が始まったと言っても間違いではなかったと思う。
了




