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第三部 四章

 職員、ましてやPTAの役員でもないのだから、夕涼み会はのんびり回る側だった。本来ならば、だが。当日夕方まで何をしていようか考えていたらその前日、猫垣先生に朝から呼び出しをくらう。

 「いやぁ、お手伝いがママさんばっかでさ。力があって、ムキムキで、若くて、できれば高校生ぐらいの大型ネコ系の獣人男子とかいないかなって話になってたもんでさ。呼んじゃった」

 そこまで条件を絞れば幼稚園内で検索結果は二件くらいしかヒットしないと思う。休日の日中に駆り出されていた俺と章助は長テーブルの運び出しをしていた。

 「俺達、猫垣先生に気に入られたな」

 「目を付けられた、の間違いじゃないのか」

 既に張られたテントの下で、畳まれたテーブルの脚を広げる。章助は猫垣先生と気が合うのかよく話もしていたし、嬉しそうだった。

 「目じゃなくて唾付けときたいんだけど、それじゃ悠登君が妬いちゃうでしょ?」

 俺の横に段ボールの箱を置く先生。中身は色とりどりの水ヨーヨー。午前中はそれを一人で作っていたそうだ。

 「へへ、すみません」

 「そこで謝る意味がわからんぞ」

 口元をだらしなく章助が緩める。俺はその顔にどう応えるべきか。少なくとも、妬かない。

 「なんだよ。悠登の名誉を守ったのに」

 「それじゃ逆効果だよ章助君。この手の子はこっちから誘導して、あくまで自分から言わせないと」

 この人も俺の味方なのか敵なのかイマイチはっきりしない。最近じゃ親しみを込めてるのか、単なる馴れか、俺達を名前で呼ぶようになったけど。

 男女比が明らかに偏っているので俺達はむさ苦しく固まって行動していた。おば……他の保護者の人達も珍しげにこっちを見ていたが、そこは玲奈と同じ組のママさん達が紹介してくれる。挨拶は済ませたが、高校生なんてそんなに珍しくもないだろうに、なかなか飽きてくれない。

 「どっこいしょうがやきぃ、ってか!」

 「おっさん臭い発言禁止な……」

 それも章助が目立っているのが一因だと思う。猫垣先生がネコの男子二人も連れて、とさっき別の先生が言っていた。確かに、他の先生達とは歳が離れていそうだけど。

 「そそ。若くてはちきれんばかりのバディなんだから、そんな聞き苦しい呻きは上げちゃダメだよ。弱音は聞かない!次こっち!」

 「押ッ忍!」

 見た目だけなら正反対なのに、相性は本当に良さそうだ。悠登は段ボールの中身を確認してから空を見上げる。

 「………来る、な」

 陽は射しているが空に浮かぶ雲がやたら厚い。むんむんとした蒸し暑い空気の中に雨の匂いが既に混じっていた。

 「夕立だね。もうちょいで降って、すぐに止むと思うけど」

 猫垣先生も俺と同じように空を見た。

 「どの程度降るかにもよるよな」

 章助が焼きそば用の鉄板を置いてこちらへ来る。言う通り、人間よりは雨の匂いには敏感だが雨量までは予測できない。ましてや今日はテレビの予報でも一時的に雨と言っていた。

 「特に女の子達がさぁ、浴衣で来るんだよね。その浴衣の裾にどろんことか……」

 どろんこという表現は幼稚園の先生らしく可愛いのだが、内容は恐ろしかった。色鮮やかな浴衣を茶に染める泥。砂場に立ち入ることはないにせよ、水たまりがあろうものなら少し撥ねただけでもアウト。

 「玲奈、大丈夫かな……」

 「お?玲奈ちゃんは浴衣なんだ」

 無邪気に浴衣を着て走る玲奈。陽が沈みかけた隙を狙い飛び散る泥。それが拝借した浴衣に付着。……すぐに洗えば落ちる、よな。

 「その予定です」

 猫垣先生に答えながら自分へ言い聞かせる。大丈夫だ、俺なら洗い落とせる。先週楢原さんから聞いて在処を確認して引っ張り出した浴衣は、俺が守る。

 「む」

 その時、章助が唸った。どうしたと見れば、地面のある一点を睨んでいる。

 乾いた黄褐色の地面に一点の茶染み。それがポツ、ポツと音を立てて一つずつ増えた。

 「あれ、もう来たか」

 猫垣先生が呟いた直後、太陽が雲に隠れた。それと同時に一気に雨脚が強くなる。

 「うぉ!濡れる濡れる!」

 「幼稚園入って。一度休もうか」

 エプロンで頭を隠す猫垣先生に続いて俺と章助も幼稚園内に入った。振り返ると既に雨は豪雨と呼ぶに相応しい勢いになっている。挙句、遠くから聞こえたのは重く響く轟音。

 「雷……」

 俺の腰が揺れる。見ずともわかる、やたらデカイ毛玉がしがみ付いてぶるぶると震えていた。

 「……猫垣先生、皆さんってホールですか」

 「……うん」

 悠登に抱き付く毛玉にどう反応したら良いのか。猫垣は困っているようだがなんとか頷いてくれる。それだけ聞くと毛玉、章助の手首を掴む。

 「ほら、そっちで休んでろ」

 「おう……」

 ともかく離れたくないようで、章助の腕が俺の肩にガンガンぶつかってくる。窓から時折稲光が見えたが無視させて章助を皆が揃うホールへ連れて行った。

 「ここなら平気だろ?」

 「あぁ……悪い」

 皆と居たいのか居たくないのか、少し離れた場所に章助を座らせた。突然俺が手を引いて入って来たからどうしたのだろうと視線が向いたが、それも雷鳴で関心が外へ向けられる。紫の細い糸のような光が黒い空にヒビを描くがすぐに消え、また現れた。

 「はぁ」

 章助の耳にイヤホンを突っ込んで音楽を流し、窓からは背を向けさせる。今できるのはこれくらいか。

 「悠登君」

 「先生、すみません急に」

 先生を無視してホールまで来てしまった。

 「……もしかして、章助君って」

 「えぇ……」

 言葉には出さなかったが章助は雷恐怖症、に分類されると思う。具体的に言えば雷の音に震え始め、光ると動悸が激しくなる。最後は光と音、落雷の揺れの共演が起きれば動けなくなってしまう。

 「…………」

 「……さっきの勢いはどこにもないね」

 体育座りする章助を隠すように俺と猫垣先生も座った。黙ったままだがすぐに章助の尻尾が先生に巻き付いたので苦笑する。

 「コイツの不思議なところって、怖がるのに雷注意報とかのチェックはあんまりしないんですよね」

 本来はじめじめ暑いのだが、寒そうに震える章助に仕方なしに背中を押し付ける。それだけでも随分震えは治まった。

 「一人の時はどうしてるの?」

 「布団にくるまってるみたいです。誰かと居るなら、この通りですけど」

 極力目線は外して会話を続ける。一通り話終えると猫垣が笑った。

 「ははっ」

 「……章助には笑いごとじゃないんですよ、先生」

 小さい時はもっと酷かった。小学生の頃、ある日の公園で雨ではなく涙と鼻水で服をぐしょぐしょにされて騒がれた時は随分対処に悩まされたのだから。

 「いや、章助君を笑ったんじゃなくてさ。悠登君も鈍感だなって」

 「お、俺ですか?」

 猫垣先生が俺を指差し頷く。章助が音楽に集中しているのを確かめてから聞き返した。

 「そうだよ。章助君は、君をそれだけ頼りにしているってことでしょ?天気予報を見なくても、今日は悠登がいてくれるからちょっとくらい平気だな、ってさ」

 「………」

 顔を向けたから章助がイヤホンを外そうとする。しかしまだ雷も雨も続いていた。俺は慌てて首を振ってイヤホンは耳に戻してやる。

 「ほら、そうやって世話を焼いてくれるから安心してるんだよ」

 「……甘いってことですか?」

 尋ねると猫垣先生は更に笑った。

 「違う違う。信頼できる友達って良いなと思ったんだよ。……ま、高校生でここまで雷怖がってるんだから対策も要るかもしれないけど」

 信頼できる、か。俺にとって章助がいないと困る場面はいつだろう。

 「……章助の雷嫌いを知ってるのって、同級生だと俺しかいないらしいんですよ。だから余計にこうなったのかも」

 大泣きされて以来、雷が鳴った日は学校でもすぐに章助のところへ行っていた。互いが家に居たなら最近だとメールしたり。章助の雷恐怖症が改善されないのはそうした俺の過保護から来ているのかもしれない。だとしたら、コイツと一緒に雷の中で登下校してみるような荒療治も俺がすべきか。見栄を張らずに怖いなら怖いと周りに言っておけば良いものを。

 「じゃあ今は貴重な一瞬ってわけだ」

 「一瞬にしてはかなり長いですけどね」

 雷が轟く中、猫垣先生は章助の尾を優しく撫でて外を見る。俺は早く止んでくれることだけ願っていた。


                  ♂>☆


 桑野さんに連絡しようか迷い始めた辺りで雷とは違う光が射し込んだ。雲が過ぎ、天気が戻ってきたのだ。時間にして三十分。その遅れを取り戻すように作業はすぐに再開された。

 「あっさり過ぎてくれて良かったねぇ」

 「俺に言わないでくださいよ」

 黙々と作業する背中に生温い視線を送って微笑む猫垣を見て悠登は頬を掻いた。余程恥ずかしかったのだろう、章助は特に張り切って作業に物運びや力仕事に右往左往していた。雷雨が止んだ直後の章助はふらふらになっているので本当はしばらく休ませる。しかし、今日は雷嫌いを隠すためか、平然といつもの自分の様に装っていた。

 「やっぱり、無理してるのかな?」

 「どうでしょうね」

 先生は見透かしているのかもしれないが自分の口からは言わなかった。はぐらかしている間に準備は一通り終わってしまう。それは章助が頑張ってくれたおかげで間違いない。

 「飲み物とクーラーボックス良し!ヨーヨー良し!」

 「氷良ぉし!ホール内の段ボール遊具良ぉし!ベンチも良ぉぉぉし!」

 「く、くじ引き良し!掴み取り用お菓子良し!あとは焼きそば焼くぐらい!」

 辺りを指差しながら確認する猫垣先生と章助のテンションに合わせて声を張る。夕涼み会開始まであと一時間、俺達が担当した部分に関しては問題ない。

 「やっぱり簡単には乾かないっすね」

 「まーねぇ」

 三人でグラウンドを見て肩を落とす。雨上がりは再び強力な日光が照射されていたが、土は大いに水を含んだまま。大きな水溜まりが無いのがせめてもの救いだと思う。なるべくグラウンドは突っ切らず、しっかり乾いたアスファルトを歩いてもらうしかない。

 「おぉ、来た」

 夕涼み会開始まで約一時間前。まだ陽は高いし園児が集まるにも早い。しかし、章助は来たと言った。

 「来ちゃったよ!」

 章助に応えたのは桑野明だった。横には彼女の友人、保谷真衣もいる。

 「お誘いありがと、獅子井君」

 「こっちこそ。来てくれてありがとう」

 保谷さんがにっこり笑う。桑野さんが参加すると聞いてすぐに一緒に来ると言ってくれた。今日は楽しんでもらいたい、とも思っていた。

 「じゃあ早速で悪いけどお嬢さん方、最後のお手伝いをお願いしようかな」

 「え?」

 しかし桑野さんはすぐに頷いたが、保谷さんは先生の一言に首を傾げた。そう、残念ながら彼女達もまた、ゲストではなくスタッフとして招かれていたのだ。

 「あぁ!獅子井君とこの助っ人さん?早く早く!」

 「はい!真衣、行くよ!」

 「え?えぇ?」

 有無を言わさずホールの方で手招きする先生やスタッフ達に合流すべく、桑野さんが保谷さんの肩を押していった。見送ってから章助と顔を見合わせる。

 「保谷さん、知らなかったんだな」

 「桑野が黙ってたんだな」

 少し手伝ってもらうかもしれない、と桑野さんには言ってあった。そのため、園児達が集まる少し前のこの時間に集まってもらっている。だが、保谷さんには言っていなかったかも。

 明が行くなら考える、と言ってもらったので、その通りに桑野さんは来てくれると話した。あとは時間にどう集まって来るかは彼女達に任せた。説明を省いたために今の今まで保谷さんは何も知らなかったらしい。

 「あとは貼り紙ぐらいだからすぐ終わるよ。さ、我々も手伝いに行きましょうじゃありませんか」

 「はい!」

 悪いことしたかな、と思ったが猫垣先生がフォローしてくれる。考える前にまずは手を動かす、タイムリミットは刻一刻と近付いているのだから。

 最後の仕上げにかき氷や提灯の形に切った厚紙を目立つよう窓に貼って回る。総出に加え追加の助っ人もいたので時間はあまり掛からなかった。しかし、今度はどこに配属されるか猫垣によって指示を受けてしまう。悠登と章助は屋内、明と真衣は園内ホールでの手伝いだった。

 「シロップよし」

 引き換えチケットを持った親子にジュースを配るのが章助、かき氷担当が俺。もう分断されて持ち場に着いている。隣の隣だから声を張れば会話も容易い。もっとも、再び雷に苛まれることはないと思うが。

 すっかり天気は回復したが、時間経過で空色は少しずつ深まる。そこに賑やかで楽しげな声が聞こえると、次々に園児とその親が集まる。誰が合図をするともなく、のんびりと夕涼み会が始まった。

 「おにーさん!カキゴーリ!」

 「あいよ!味はどうする?イチゴ、メロン、レモン!更にグレープ、ハワイアン……仕上げにオレンジ!」

 「えっとぉ……ハワイアン!」

 俺の最初のお客さんは玲奈よりも明らかに幼い犬獣人の女の子。事前に配布されていた引換券を受け取り、元気良く味を確認。……こんなに用意しても使い切れるんだろうか。そうは思ったが、数は把握していないのだから仕方ない。無くて使えないよりは、あって使える方が断然良いのだから。

 「しっかり持ってな!お母さんはどうされますか?」

 「あ、私レモンで~」

 「はい!」

 注文に応えて氷を削り、レモンのシロップを垂らす。スプーンストローを突き刺した。

 「ありがとう。ほら、ちぃちゃんもお兄さんにありがとうって」

 「ありがと!」

 「舌、青くなるから後で見てみなよ。ばいばい!」

ママさんはかき氷を受け取ると女の子に手を引かれて園内に入った。ホールで行う輪投げを見に行ったのかも。

 「おじさん、俺イチゴ。こっちにはレモン」

 「と、はい!」

 見送っている間に来た次のお客さんは人間の親子。おじさん、と言うが明らかに話し掛けてきたパパの方が年輩だ。毛並みの若々しさとか、そういう見分けは人間はどうも不得手らしい。さっきのちぃちゃんと呼ばれてた女の子は俺をしっかりおにーさんと言えたのに。

 「さんきゅ。これって園内でも食っていいの?」

 「はい、各教室かそこのベンチでしたら」

 うーい、と返事をして親子は章助の飲み物コーナーに寄った。それを尻目にお客さんが俺の前に集まり、並び出す。おじさんを訂正する間もなかった。

 焼きそばも人気だったがかき氷も引けを取らないと思う。やはり、小腹を空かせたところに暑さも相まって堪えてるみたいだ。俺もそうだし。

 同時注文は多くとも三つ。絶えず手は動かしていたが混乱することはなかった。ただただ目まぐるしくかき氷を手渡すのみ。ここに人手を一人二人でも、と思ったがもしやこの忙しさを見越して先生は押し付けたとか……考え過ぎか。

 「落とさないように気を付けて。ありがとうございました!すみません、次の方どう……ぞって、おぉ?」

 「………」

 順番が回って来た狼塚と目が合った。俺の目をじっと見て、相変わらず口の端は若干の下向き。

 「よっす」

 「あぁ」

 挨拶をすると短く頷いた。

 「引換券は?」

 「あぁ」

 俺が言うと思い出したようで手に持っていた券を差し出す。

 「何味にする?」

 「あぁ……」

 「あぁ、じゃわかんないって……!」

 ただでさえ忙しいのに、それを物ともしない狼塚に俺も悲痛の声が出る。それに後ろで並んでる人もまだいるんだから。

 「……グレープ、二つ」

 「あいよ、ちょい待ち!」

 狼塚の目線はグレープとオレンジに向けられたようだった。だったらその二つにすればとも思ったが、もしや面倒臭がったか?もしくは俺に気を遣って……。いや、それはなさそうだな。

 「ほい、グレープ二つ!」

 「どうも」

 紫のかき氷を二つ手渡してから、列から少し離れた場所に知幸君の姿を見付けた。他に狼塚家の姿は見えない。

 「今日って、お前と知幸君だけ?」

 「券の枚数が少ないし。それに……」

 「それに?」

 狼塚にいかにあぁ、以外の言葉を発せさせるか。考えるのが少し楽しくなってきた昨今だったりする。今は楽しんでいる場合ではないが、狼塚の言葉の続きを待った。

 「明がうるさかったからな」

 「桑野さん……?」

 狼塚の口から桑野さんの名前が出る度に悠登は少し固まっていた。上手く言葉にできない何かが引っ掛かって仕方ない。決して親しげに呼んでいるわけでもないのに。

 言われて思い出すが今回、狼塚本人を夕涼み会の参加に呼んでいた。だが、その時の彼の反応は薄くて来ないかもな、とどこかで思い込んでいた。

何故なら、本来親と子で参加するものなのだから。明と真衣に園児の兄弟はいないため、最初から親子の組み合わせで考える必要も無かった。

 「女子二人は?」

 「たぶん中のホールだ。そっちに章助もいる」

 少し後ろめたくなったが狼塚は気にする様子も見せず、淡々としていた。俺が答えると列から外れる。

 「わかった。また後でな」

 「おう、楽しんでな!」

 さすがに知幸君もいるのに少し手伝ってくれとは言わない。せめて弟と溶けないうちにかき氷を味わってくれれば嬉しいけど。

 「おにいちゃん!」

 「オォー!玲奈!やっと来たな!」

 それからしばらく、かき氷も並ばずに即時対応できる程度まで人に行き渡らせてから玲奈が現れる。淡い桃色の浴衣にサンダルで、見るからに上機嫌だった。

玲奈と一緒に来たのは譲司と涼。この二人の浴衣姿は今日も含めて見た覚えが悠登にはない。

 「混んでるかも、と思ってちょっと時間をずらしたの」

 「だらだらしてたらこんな時間になってただけじゃないのか」

 指摘に母ちゃんはにっこり笑って答えない。賢い言い訳だったがその程度、見抜けぬ俺ではない。

 「悠登、俺イチゴミルク。練乳を情熱的にたっぷりぶっかけで」

 親父が指を立てまずは一つ、と注文を投げる。

 「無いぞ。ただのイチゴならあるけど」

 「な……!」

 リクエストに応えられないのは悪いと思うが、事実だ。

 「玲奈はどれ良い?」

 こういう時はまず小さい子から。俺よりでっかいお子様みたいな中年はシロップを睨んでどれにするか悩んでいる。

 「メロン!」

 「はーい」

 即答にすかさずこちらも氷を手に取り目の前でシロップを満遍なくかける。渡してやるとその場で玲奈は一口頬張った。

 「つめたーい!」

 「頭痛くしないようにな」

 「キーン……!」

 美味しそうに食べているが、一言遅かった。玲奈が眉間に皺を寄せ、スプーンと容器で塞がっているため頭を押さえることもできずに悶えている。落とさないかこっちはハラハラしていた。

 「あ、悠登。私イチゴ」

 「ハワイアン食わなきゃ夏って気にならないから、ハワイアン!」

 「はいはい」

 券だけ受け取って母ちゃんと親父の分もかき氷を用意する。焼きそばはどうすんだか。絶対あれだけじゃ帰ってからお腹空くぞ。

 「悠登は最後までかき氷のおっちゃんしてんのか?」

 「おっちゃん言うな。もうしばらくしたら締め切り。そうしたら職員やPTA役員達のお楽しみ会」

 「写真撮影もあるんでしょ?」

 そう言えば。園児達の集合写真や、夕涼み会の様子を撮影して後からホームページに掲載するって聞いた。カメラマンが見当たらないのは、俺が作業に夢中になっていたせいかも。

 「俺の鬣でも撮ってもらうか?」

 譲司が頭に手を突っ込む。指通り滑らかにいくかと思いきや、すぐに絡まって呻いた。

 「同じジャンプ―使ってるとは思えん剛毛だな……」

 ふ、と短く笑い俺は鬣に指を入れて梳く。種族の特性上言う程柔らかくはないが、少なくとも親父の様にはいかず、ごわごわながらも指は抜けた。

 「くっ……今に見てろ!美しく可愛い鬣の自撮りしてお前にメールで画像添付してやるからな!」

 随分おぞましい捨て台詞に寒気がした。そこらの怪談話よりはよっぽど怖い。

 譲司は悠登の態度にハワイアンで染まった青い舌を見せた。そこに頭痛から復活した玲奈が笑顔で入って来る。

 「おにいちゃんのタテガミも、おじさんのタテガミも、どっちも好きだよ?」

 「玲奈ちゃん……!」

 一緒にされて複雑な気分だったが、親父の機嫌は一気に戻った。

 「玲奈ちゃん、私に鬣ないんだけど?」

 片腕で譲司が玲奈を抱き上げると涼も話に入る。

 「おばちゃんの耳、好き!」

 玲奈が手を伸ばすとすぐに母ちゃんは自分の耳を差し出し触らせる。確かに鬣がある分、俺達の耳は埋もれてしまう。たまに俺も触られていたが、問題は尻尾だ。触りたくても触られたいとはなかなか言えない。

 「ありがと~。じゃ、私達も行ってみよっか」

 「あっちに章助もいるから飲み物も引き換えとけよ」

 最後にアドバイスを送ると両親と玲奈は行ってしまった。少し遅めのスタートだけど、遊ぶには友達も集まっているだろうし丁度良いだろ。

 他の園児達や保護者にもかき氷を渡しているうちに引き換え時間が終わった。シロップはオレンジとイチゴが多めに残っている。……ケチったつもりはない。

 「よし」

 園児達は玄関前に集合してしゃがんでいる。園長先生の話が始まるところで俺は片付けの準備に取り掛かっていた。

 「獅子井君」

 「うっ…!」

 余った紙カップとスプーンを集め、シロップを手に取ったところで背後から声がした。それが桑野さんの声だったもので少し強く握り過ぎた。容器の先端から汁が零れて手に伝う。

 「また驚かした……?」

 「いい加減俺も慣れろってね……」

 横に置いていたティッシュでボトルを拭う。手に付着したシロップは躊躇ったがそのまま舐め取る。後でちゃんと洗い流さないと固まったり痒くなるが、その場しのぎに。やっぱり原液はやたら甘いな。

 「ふふ」

 「うん?」

 手を舐めていると桑野さんが笑った。何か先生のギャグでも始まったかと思うが、見れば園長先生の話が終わったところだった。優しい口調でも内容は普通で園児もあまり楽しそうではない。

 「いやね、獅子井君が手を舐めてるのが猫みたいだと思って」

 「あぁ……って、俺はライオンだよ」

 握った手を舐める俺の仕草が猫っぽかったのか。自分でも気にはなっていたけど両目を閉じて一心不乱にやってた方がよりそれっぽい。

 「ライオンなのに私の足音には気付いてくれないの?」

 自分から言ってしまった話を桑野さんが続けてくれるのは嬉しい。もどかしさもあるが、俺だって人間の話もしたい。

 「元の獣と全部同じってわけじゃないよ。集中してその人の足音を追ってれば、それなりに察知できるけど」

 「じゃあ、私の足音は覚えてくれてないんだ?」

 からかい交じりの質問はちょっと意地悪だった。それでも悪意がないのはわかっていたし、寧ろ、と言うか、是非、いや出来れば、覚えさせて欲……ごめん。

 「一日じっくり覚える気で聞かせてくれたらどうかな」

 はは、と笑って冗談で返す。桑野さんは顎に手を当て短く唸った。

 「うーん……」

 「が……っ、いや、ごめん!そんなまじまじと聞いたり、聞かれたりするもんじゃないよね!」

 軽く引かれた。言い訳がましいが真に受けると思わなかった。

 「めーい!」

 桑野さんは気味悪がっていたり苦笑していたわけではないように見えた。発言を引っ込めたことに対して何か返ってくる前に、今日呼んだ助っ人のもう一人がやって来た。

 「真衣」

 「真衣、じゃないでしょ。片付け始めてたのにどっか行っちゃうんだもん」

 助っ人、真衣は明の薄い反応に力が抜けたようだった。ホールに消えてそれっきりで悠登は彼女達が何をしてこの一時間強を過ごしていたのかは知らない。

 「二人とも、何をしてたの?」

 「ホールで輪投げ」

 「段ボールのトンネルのチェック、かな。あと二人で景品のお菓子あげたり」

 ……聞いておいて、だが先に言う事があった。

 「あの、保谷さん。ごめん、説明してなくて」

 「あぁ、それなら明が謝ってくれたし。気にしてないよ?疲れたけどね」

 保谷さんの笑い声には言葉通り、明らかに疲れがあった。

 「園児達のパワーって半端ないね。もう隙あらばトンネル乗って壊そうとするんだもん。親が見ててくれてるならまだ止めてくれたけど」

 「そうそう、しかもお友達で来ようものなら走り回ったりね」

 共感するとそうそう、と言って保谷さんが俯く。短時間であらゆる経験を積んだんだと思う。

 「おーい悠登ぉ!俺達好きな飲み物もらって良いってよ!」

 お疲れの保谷さんを労うかのように飲み物を持って来た章助と、焼きそばを抱えて狼塚がやって来た。

 「知幸をあの集まりに連れてったら虎澤に捕まった」

 聞いてもいないことをわざわざ狼塚が報告してくれる。なんで俺まで巻き込まれているんだとか思ってるんだろうな……。

 「なんだよ狼塚。焼きそば足りなかったって言ってたろ?」

 「………」

 章助が物申すと狼塚は静かに目を逸らした。これは意外な流れだ。

 「食いしん坊トォちゃん」

 「うるさい。……真衣」

 桑野さんにからかわれて無表情から更に口を曲げる。あそこまで曲げてようやく不機嫌なのか。その場を誤魔化すためか狼塚は保谷さんへ割り箸と一緒に焼きそばを渡してやる。

 「……ありがとう」

 一緒に追撃でからかうこともなく保谷さんは焼きそばを受け取った。狼塚が焼きそばを配っている間に俺も手動のかき氷機に手を伸ばす。

 「じゃあかき氷も俺達食って良いよな?」

 「その辺は任せるよ、何と言っても功労者の皆様だからね」

 確認を取ると一番承認を出してほしかった人物が都合良くやって来た。ストラップ付きデジカメを手にぶら下げた猫垣先生はハワイアンのシロップを指差す。

 「君達は先に焼きそば食べちゃいなよ。悠登君、俺はハワイアンシロップでかき氷だけ」

 「良いんですか、それだけで?」

 たまたまかき氷機を手にしていたので、すぐに氷を削ってシロップをかけて渡す。

 「うん、俺って食後に動き回るの得意じゃないし。君達にも片付け手伝ってもらうしね」

 水分&糖分と言ってかき氷を口に運びながら、猫垣先生は園児達の方へ戻った。最後にしれっと言った言葉に女子が困惑する。

 「え、片付け……?」

 「そりゃああるよねぇ」

 笑って言うが俺は焼きそばの蓋を開けて首を振った。

 「桑野さんと保谷さんはこの後は帰って良いよ。片付けは時間制限ないし。狼塚だって、知幸君帰して寝かせないとだろ?」

 焼きそばをすすりながら狼塚が頷いた。そこで視線を章助へ移す。

 「章助、悪いがちょっと居残りだ」

 「おうよ、悠登がいるなら残るぞ。玲奈ちゃんは今回おじさん達と一緒だしな!」

 ここまでやたら協力的だと逆に申し訳ない。もしも雷の件を引き摺っているなら気にしてほしくはないのだが。

 「ほんと、縞太郎君は獅子井君と一緒にいるのが好きだね」

 保谷さんの指摘に焼きそばを噛まずに呑み込んだ。ちょっと喉に引っ掛かったが、章助を見るとそばをのんびり咀嚼し嚥下してからニッと笑う。

 「なんか粘着されてさ」

 「共生の関係、だろ?」

 生物の授業内容を章助が把握していた理由は知らないがそんなオーバーな表現はいらない。そこまで本能的に求め合ってどうする。焼きそばを早々に平らげて俺は一足先に比較的余っていたメロンシロップを氷へ垂らした。


                  ♀→♂


 園長先生やPTAの代表の話が終わると先生方の手品や紙芝居が始まった。反応は上々と思いきや、やはり幼稚園児。友達が横にいてじっとしていられるわけもなく、聞いている子と聞いてない子では半々ぐらいに分かれていた。玲奈はお喋りに夢中で紙芝居はほぼ見ていなかった。

 続いて行われた盆踊りだが、踊れなかった。振り付けを知らなかったのもあるが、幼稚園児と保護者の間に挟まれ高校生五人が加わるのは精神的にも辛い。豪気節の振り付けは完璧、太鼓なら叩けるが人手は足りている、と若さをぶつけるにはどうにも不完全燃焼だった。じめじめした暑さもあり、端っこで遅くなったかき氷を頬張る方に夢中になってしまう。

 高校生がくすぶっている間に譲司と涼が玲奈に続いて、見よう見まねで踊る。知幸も兄が参加しないため玲奈の隣にくっついて踊る姿は愛らしかった。

 「はーい、バラ組の皆!写真撮りますよぉ!お父さんお母さん方も集まってください!」

 閉会前に各組で集合写真の撮影。園児達だけで撮るのではないと途中で気付いたが、俺達も写って良いものか迷った。狼塚は知幸君と写るだろうけど、こっちには親父達がいた。

 「悠登君、章助君も入って入って」

 「はぁい!良いみたいだな」

 「だな」

 様子見しようとしたが、カメラ背面の液晶を見ていた猫垣先生がすぐに気付いて俺達を呼んだ。そこにふらりと真衣も続く。

 「どうした保谷?」

 「ほら、トォちゃんと明は知幸君とユリ組で撮影でしょ?私はこっちに混ぜてもらおっかなって」

 写るんだったら俺と章助より、桑野さんがいるユリ組の方が良いんじゃないかと思うんだけど。でもこっちに来ると言うならそれでもいいか。

 「あれ?あぁ、じゃあポニーテールの子と知幸君のお兄ちゃんも来ちゃいなよ!」

 「え?私達も?」

 「良いから良いから。どっちにも写っちゃえ!」

 猫垣先生が手招きすると二人が顔を見合せる。桑野さんは笑って狼塚の服の袖を引っ張るとこちらへやって来た。

 「お邪魔します」

 「……いらっしゃい?」

 保谷さんを挟んで桑野さんと狼塚も加わった。狼塚は当然、表情を作ろうともしない。

 「じゃ、撮りますよ。はい、チーズ!」

 照明もあったがもうだいぶ暗くなっていた。フラッシュが一瞬光り、数秒。猫垣先生は満足そうに頷くともう一枚撮影した。

 「はい、バラ組の皆はこれでおしまい!気を付けて帰ってね!続いて、ユリ組の皆で集まってね!」

 ユリ組の担任らしき人間の先生が先導して集める。撮影に関しては猫垣先生が全部担当するみたいだった。先生方は今回、一緒に写らないらしい。玲奈と親父達に片付けのため先に帰ってくれとだけ言うと、入れ替わりで知幸君がすぐにやって来た。

 「……うん!お疲れ様でした!ユリ組の皆もおしまいです!」

 ユリ組の撮影も終えてぱらぱらと皆が帰り始める。それに合わせて俺と章助以外も帰ってもらう。

 「……良いの?」

 「俺が巻き込んじゃったんだし、これ以上帰り遅くなっても危ないしね」

 申し訳なさそうに桑野さんは言うが、これ以上付き合わせるのは悪い。兄を待つ知幸君も眠そうに目を擦っていた。

 「ほれ、オマケに飲み物持ってけよ」

 「あ、ありがとー」

 章助が渡したジュースを保谷さんが桑野さんにも渡す。

 「しかし、やっぱり幼稚園の夕涼み会じゃ俺達の肩見狭かったなー。物足りないっつーか」

 「仕方ないだろ、それに今回は裏方経験ってのがメインだったし」

 章助からすれば冷やした飲み物を渡すだけだったから物足りないのだろう。太鼓も叩けなかったし玲奈とも思うように話せなかった。

 「じゃあ、また学校でね」

 「うん、狼塚も保谷さんも気を付けて。知幸君、バイバイ」

 「バイバイ」

 眠そうな知幸を黙って背におぶり、狼塚は歩いていった。悠登から見れば、尻尾が二本ぶらぶら揺れているのを見せ付けられることになる。車のワイパーの様な動きに飛び付きたかったが、そんな襲撃を人前ではできない。

 「行っちまったな」

 「あぁ。俺達もさっさと片そう」

 狼塚に続いて明と真衣も一緒に帰った。残された保護者や先生達へ振り返ると、先程までの賑やかさが幻の様に感じられる。

 「任せとけよ、作る事と、壊す事なら壊す方が簡単なんだぞ」

 「保存するってのが難しいんだよな。その貼り紙、来年も使うってよ」

 「え……」

 章助が声を洩らすのと窓の貼り紙が破ける音はほぼ同時に聞こえた。……セロテープ借りてこないと。


 やってみれば章助の言う壊す、部分は段ボールに関してのみだった。ただ平たくしてビニール紐で縛る。それはママさん達の方が慣れている感があった。今朝と同じように俺達に求められたのは力仕事。

 「若さってぶつけるところを如何に確保するかで決まると思うんだよねぇ」

 「それが今、って言いたいんですか?」

 長机やベンチも一通り運び終わると猫垣がカメラを見ながら現れた。もう夕涼み会は閉会している。ただデータを確認しているだけのようだった。

 「そうそう。どう?若さは放出できた?」

 「一人で発散するよりも大変っすね……」

 「そうだよ?一人で満足しても終わりじゃないんだからね」

 先生の言う通り、祭りを一つ成功させるのにこれだけ準備や本番、片付けがあるのだ。小さな幼稚園でもこんな夜までかかるのだから、もっと大規模な物になればと想像もできない。

 「まぁ、この経験を高校のお祭りにでも活かしなよ。あとさ、面接で幼稚園のボランティアしてたとかってのも意識高いんじゃない?」

 「おぉ!良いネタゲット?」

 章助は嬉しそうだが活かす方法は自分で考えなければいけない。やっていけないのはそれを無駄にしてしまう事だ。

 「どう活かせるか、ね……」

 「あ、そうだ先生。余ってるイチゴシロップください!俺、プリン作る!」

 考えに沈む前に章助が妙な話に移った。急な路線変更にカメラを見ていた猫垣の手も止まる。

 「別に良いけど……プリン?」

 「どっちかっていうとゼリー?ま、家でかき氷に飽きたらシロップを活かそう、みたいな感じ?」

 話に一応の繋がりがあった。チャンスと余り物の活かし方を一括りにして良いかは疑問が残るが。

 「コイツ、料理やお菓子作りは得意ですよ」

 「意外~!食べるの専門って思ってた!」

 俺が作ると言うと決して作らないのが難点だけど。貴重な章助の調理機会は逃さない方が舌に良い。

 「今度持ってきますよ!その……昼のお詫びもあるし」

 「そこも意外だよね。でもさ、人には弱点が多かれ少なかれあるって」

 どうして雷が苦手なの、と掘り下げる事も無く先生は章助を励ました。それに安心したようで章助も自然に笑んだ。

 「それじゃあまた!」

 「失礼します!」

 「はーい、今日はありがとーね」

 お望みのシロップと余ったジュースを数本渡されて解散した。普段通る道が真っ暗で人通りは皆無。しかし、虫の鳴き声があちこちから聞こえてまた普段とは違う物に気付かされる。

 「ふー!楽しかったな。俺達は後半の出し物見てるだけだったけど」

 「前の対面式と似たようなもんになったな」

 二人だけの帰り道に反省会。文字通り半日近く幼稚園にいたのなんて初めてだった。

 「あんなちっちゃい法被とか浴衣ってよ、すぐに着れなくなるんだよな」

 「そうだな」

 今日来ていた園児達の服全般に言えるが、子どもの成長は本当に早いと見ていて思った。あんな可愛らしい服もすぐに体のサイズに合わなくなって、人にあげるか、捨ててしまうか。

 「玲奈ちゃんもすぐにおっきくなるんだろうな、俺みたいに」

 「お前みたいになられて堪る……う?」

 例えがあまりに不穏で身震いしたが他にも振動を感じて一度立ち止まった。

 「どした?」

 「携帯鳴ってる」

 取り出して見てみると、そこに表示されていた名前には桑野明、とあった。それを見て思わず落としそうになってしまう。

 「うぉっと……!も、もしもし?」

 手に力を込めて通話に移る。章助の目もある、平常心だ俺。

 「あ、獅子井君?」

 電話とは素晴らしい機械だと心から思う。桑野さんが耳元で俺に囁いてくれるんだから。

 「うん」

 「今、大丈夫?」

 「さっき片付け終わってこれから帰るところだから。章助もいるよ」

 電話は素晴らしいが忘れてはいけない。もう一度言うが章助もいる。下手に嬉しそうな声は出さないように。

 「それなら良かった。お疲れ様」

 「ありがとう。それで、どうしたの?」

 章助はぼうっと橋の下を見ているようだったが耳はこちらに向けている。会話だって聞こえていると思った方が自制できそうだ。

 「うん、さっき縞太郎君が言ってたんだけどさ」

 「章助?」

 俺が名前を出すと振り向いた。

 「縞太郎君、物足りないって言ってたじゃない?」

 「あぁー、そう言えば」

 そりゃあ、幼稚園の祭と普段の祭じゃ比べれば比べた分だけ違う。それは後片付けをしていても気付いた。

 「だから、もし良かったら今度の夏祭りとか一緒にどうかな?」

 「え……っ!?」

 予想もしていなかった申し出に耳を疑った。

 「三七上の方の夏祭りに行けないかなって。ほら、あっちの方が花火大会有名だし、近所のお祭りだと知り合いとかも多そうじゃん?」

 「そうだね……」

 桑野さんから電話をもらった。更に言えば一緒に出掛けようとのお誘いだ。こんなラッキーが続いて突然どうしたんだろう。現実と思えていなくて頭も上手く言葉を紡げない。

 「もしかして、もう予定入ってた?」

 少し沈黙が長かった。桑野さんの声が不安そうに俺の耳を刺激する。

 「考えてなかったから予定は大丈夫、うん。行こうよ」

 対章助用に張っていたバリケードを桑野さんから崩されて、とうに取り乱していた。それでも耐えて、流されぬようにとだけ携帯を握る。

 「なら、約束ね。日付近付いたら夏季講習とかで話そうよ」

 「わかった。……章助のためにごめんね」

 章助のワガママをちゃんと考えていてくれたなんて。俺はすぐに聞き流していたのに。

 「ううん、私が行きたかったし。それに……獅子井君だって」

 「俺?」

 俺が言ったのってなんだっけ。裏方がどうとか?じゃあ次は楽しむ側視点で、ってことかな。

 「足音。一日じっくり覚える気で聞かせてくれたらって……言ってたじゃない?」

 「うっ…!」

 そっちか!忘れようと思っていたのに。恥ずかしさで一気に顔が熱くなってきた。

 「だからあの時、一日一緒に居るにはどうしたら良いかなって考えてたんだ……。三七上なら移動に時間も掛かるし」

 「………」

 もしかして、俺が変な発言した時から考えてくれてたのかな……。せめて引かれてなかったらとは思ったけど。

 「し、獅子井君?」

 「あ、あぁ!うん!とにかく、また話そうよ!」

 「うん……そうだね。じゃあ今日は」

 「お疲れ様、おやすみ桑野さん」

 「おやすみ、獅子井君!」

 通話時間はほぼ三分。それだけなのに、その三分で残りの体力を一気に消耗したような気がした。

 「桑野、なんだって?」

 携帯をしまうと章助が口を開いた。

 「聞いてたんじゃないのか?……夏祭り、皆で行かないか、ってよ」

 「行くに決まってんじゃねえか。なぁ?」

 持ち帰り用のお茶を飲みながら章助が俺を見たので力強く頷く。そうだ、行くに決まってる。



 「お、また携帯」

 少し歩いて携帯が再び震える。今度の震え方はメールの着信だった。

 桑野さんから追加で何か来たかな、と新着メールを開く。しかしそれは桑野明からではなく、獅子井譲司からのメールだった。

 見れば風呂上がり直後を撮影したのか、滑らかな鬣を強調するようにブラシを通し半裸でウィンクしている父の画像が添付されていた。ご丁寧に付けたのだろう、女物の髪飾りは撮影した角度のせいでほぼ見えていない。しかも全部は見えていないが色のせいで悪い意味で目立ち、気になって仕方ない。

 送られてきた父の自撮り写メ。それは明に舞い上がった心をクールダウンするには吐き気を伴う程に急激な変化をもたらしてくれた。お礼に後でとびきりの制裁を加えてやると悠登は心に誓って帰路を急いだ。

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