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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第三章:鉄錆の山の王 後編〉
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31

 不死神との予期せぬ邂逅と対話の翌日。

 宴の後のエルフの集落に、朝っぱらから揉め事の声が響いていた。

 昨晩ずいぶん祝祷術を多用した上、不死神との対話で少しばかり気疲れしていた僕は、寝ぼけまなこをこすりながら宛てがわれた小屋から様子をうかがう。


「いいから行かせろっつってんだろうが!」

「だから行かせられるわけがないでしょ!」


 すると、メネルとディーネが揉めていた。

 ぼけっとした頭で考え――


「なんだ痴話喧嘩か」


 と結論し、小屋に戻ってもう一眠りしようとしたところで、ガシリと両肩を掴まれた。


「オイ待て」

「今なんて言ったかしら?」


 ずいぶんと凄みのある声だった。

 その声でようやく眠気が冴えて、同時にだらだらと冷や汗が噴き出してきた。


「……ア、アハハ」


 僕は今、なんと答えるべきなのでしょうか神さま。

 ごまかすように笑うと、ディーネさんははぁ、とため息をついた。


「……今、色恋沙汰にうつつを抜かすわけがないでしょう」


 まぁ、それはそうだ。

 集落存亡の時なのだ、何をどう思ったところでそれより優先すべき事柄がある。


「だな」


 メネルもディーネさんの意見に同意するように頷き、


「こういう時でなきゃな。惜しいことした」


 肩をすくめてこう言った瞬間、ディーネさんがぴくりと肩を揺らし、動揺したのを僕は見逃さなかった。


「こういう時でなきゃ何か言ってたんだ」

「? そりゃ言うだろ、キレーだし」

「……っ」


 思わず話題に食いつくと、ディーネさんは、秀麗な眉間に随分としわを寄せ――

 それからぷいと顔をよそに向けた後、メネルに何か言おうとして、


「挨拶がわりに調子のいい褒め言葉の一つ二つ、並べるだろそりゃ」


 続く言葉に硬直。そしてぷるぷると震えている。


「その感覚は僕にはわからないよ……」

「つーか、お前は女慣れしなさすぎて逆に不安になるんだが」


 女性に対する口説き文句というものの地位について、僕とメネルの間にはかなりの隔たりがある。

 多分、前世の日本人とイタリア人くらいにはあるんじゃないだろうか。

 ……けど、その割にはメネルも時々鈍い。


月の枝(イシル)のエルフの間じゃ、女の前で恋歌の一つも諳んじられて一人前なんだがなぁ……」

「だから月の枝(イシル)の連中は遊び人ばかりって言われるのよ!」


 ディーネさんがすみれ色の瞳でメネルをキッと睨みつけると、メネルは軽く肩をすくめた。


「そういうすばるの枝(レムミラス)の連中は、跳ねっ返りのじゃじゃ馬揃いらしいな」

「言ったわね!?」


 気づいたらなんだか痴話喧嘩が再発した。

 二人とも丁々発止の舌戦を繰り広げ、どんどんエルフ語が早口になっていって、僕には聞き取りきれなくなる。

 この手の揉め事となると、エルフは皮肉や暗喩を多用するので、余計につかめない。


 けれどなんだか、ディーネさんは楽しそうだ。

 ……ふと、この集落についたばかりの、あのエルフさんたちのどんよりした顔を思い出す。


 《大破局》の戦乱で、優秀な戦士や妖精使いを大勢失い。

 文明との接触を断たれ。

 森は呪いと毒に侵され、孤立し、病み、衰微し。

 外部との接触を求めに旅立った勇士たちは、誰ひとりとして帰ってこないままの、二百年――

 それはきっと、こんな他愛もない口喧嘩も忘れるほどの、辛い年月だったのだろう。


「あなたって本当に■■ね!」

「そういうお前こそ■■■だろ」

「~~っ!」


 それはそれとしてその罵倒語、どういう意味なんですかね。

 ……あのガスからさえ習った覚えがないって、相当なんじゃないかなコレ。




 ◆




 それから口喧嘩が落ち着いたあたりで、間に入って話を戻した。


「それで行くとか行かないとか、どういう話だったの?」

「森の主だよ」


 メネルが不機嫌そうに言う。


「この森の主。俺なら少しは癒せるはずだ」


 確かに。

 昨日は治癒で手一杯だったけれど、僕も起きたらそれを相談しようと思っていた。

 メネルであれば、この森の現状を少しは改善できないか、と。

 けれど――


「行かせるわけないじゃない」


 ディーネさんの対応はにべもなかった。


「絶対だめよ」

「お前なぁ……」


 メネルが顔をしかめるが、ディーネさんは腕組みし、断固として応じない構えだ。

 確かに森の主は、森の中枢、最大の急所である存在だ。

 ついこの間、ケルヌンノスに《魔獣の森(ビーストウッズ)》が汚染されかけたように、悪意と力あるものが接触すれば大変なことになる。

 いくら多少の恩があるとはいえ、森の民たるエルフが、余所者をそう簡単に踏み入らせはしないだろう。


「あの、でも、メネルは信頼できるやつです。誓います。もし何か保証が必要なら、僕が人質に……」


 そう思って言うと、ディーネさんは首を左右に振った。

 そうじゃない、というように。


「……あなた達のことは、信頼してるわ」

「へ?」

「信頼しているし、感謝している。昨日一晩で、いったい何人救われたか分からない。

 求めるならばできるかぎりは応えたいわ。戦力を供出しろと言われれば戦士を出すし、道案内が必要なら案内もする」

「なら、なんで」

「……案内しろと言われて、私たちが森の主のところまで安全に案内できれば良かったんだけれどね」


 ディーネさんは目を伏せた。


「森の主の付近は、もう魔獣の縄張りになっているの。私たちの領域じゃあ無いわ」


 案内はできない、とディーネさんは言う。

 けれど、


「なら、なおさら――」

「なおさら、あなた達に頼れって?」


 首を傾げるディーネさん。

 笑みを浮かべ、


「命を救ってもらって。希望を取り戻してくれた恩人に。

 これから戦いへ赴こうとしている勇者たちに、相手の都合も考えずに更に戦いを押し付けるの?

 困っているから、自分たちではなんとかできないから、どうかお願いします勇者さま助けてください。……あなたの用事を後回しにして!」


 肩をすくめ、


「まっぴらごめんよ。そんな恥知らずなお願い、できるものですか」


 他人に助けてもらうのがどうこうじゃない。

 恩人にすがりつき、さらなる負担を与えたくないのだ、と彼女は言った。


 僕は何と言っていいのか分からず、思わず助けを求めるようにメネルを見る。

 えっと、なに、この……なに?

 メネルはものすごく複雑そうな顔で言った。


「な、エルフだろ?」


 うなずかざるを得なかった。

 ものすごく気高くてものすごくめんどくさい気質だ。みんなの言ってたことがよく分かる。


 ……この気質は、長寿不老の種族だからなのかもな、と思う。

 守るべき子供や老人が少なく、自らに責任を持とうとする若者が多いからこその在りようだ。

 あっという間に老いてゆく人間には、とても真似できない。


「そういうわけだから、私たちを助けることに、いたずらに力を使う必要はないわ」


 これ、どうしたものか――と思ってみると、のそりとゲルレイズさんが姿を現した。

 向こう傷の厳つい表情が、今は明け方のために眠たげだ。まぶたが半分落ちている。


「なんじゃ」

「いや、それが……」


 と事情を説明すると、ゲルレイズさんは趣深い表情になる。


「……本当に、エルフは変わらんのう」

「どうしたらいいんでしょう」


 うむ、と彼は頷くとこう言った。


「勝手にやりゃよかろう」


 なるほど、さすがはベテラン。至言だ。


「じゃ、勝手にやろう。メネル、森の主の位置は分かる?」

「弱ってるが、なんとかまぁ探知はできるな」

「ゲルレイズさん、ルゥとレイストフさんを集めて下さい。完全武装で」

「うむ」

「集合次第、朝ごはん食べて出発で」


 ディーネさんは「えっ、えっ」と戸惑っている。


「え、ちょ……待って。ちょっと腹ごなしに散歩でもしようみたいな調子で、何言ってるの?」

「何って魔獣退治ですが」

「だ、だけど、私たちは……!」

「別にそっちにお願いされなきゃ駄目って理屈もないだろ、おせっかいだおせっかい」


 メネルはあっさりそう言って、だいたいな、と僕の腕を小突く。


「俺やこいつが、今さら並の魔獣程度で消耗するわけねーだろ」


 食後の散歩とたいして変わらないし、見捨てていくほうが困るのだ。

 僕は神さまの手として嘆くものを救うと誓っているし、メネルも多くの命を救うと誓っている。


 ……神さまが実在する世界で立てる、厳しく強い誓いは、重い。

 前世のアイルランド神話系の誓約(ゲッシュ)なみだ。

 破ったらえらいことになるのは容易に想像がつくし、それを置いてさえ、帰ってきてこの集落が滅びていたら寝覚めが悪いなんてもんじゃない。


 ゲルレイズさんの言うとおり。

 こっちの都合で、勝手に、おせっかいに手助けをしよう。


「で、誇り高いエルフさんは、恩人が勝手に危地に向かうときはどーすんだ?」

「~~っ! ああ、もうっ!!」


 止めるのも彼らの理屈に合わないだろうし、そもそも物理的に止められないのだ。


「ちょっと待ってて、すぐ動けて腕の立つのに声かけてくるから! 勝手に行くんじゃないわよ、いいわね!」


 ディーネさんはそう言って、バタバタ駆け出していった。

 僕とメネルとゲルレイズさんは、顔を見合わせて、それから声を上げて笑いあった。




 ◆



 エルフの棲まう森は、各地で侵すべからざるの領域とされている。

 理由は色々と挙げられるのだけれど、もっとも単純で強力な理由が、森を守護するエルフの多くが優れた狩人戦士であり妖精使いだからだ。

 森のなかでのエルフ族との敵対は、それすなわち無残な死を意味する。

 具体的に言うと、狩りの獲物のようにひたひたと追い回され、ろくに眠ることもできず、妖精に惑わされた挙句に獣の餌になる。

 ゆえにエルフの森は不可侵であり、あらゆる種族に恐れ敬われる聖域だ。


 けれど、この《花の国(ロスドール)》のエルフ集落には、あまり強い戦士や精霊使いがいない。

 それも道理で、彼らのうちの主要な狩人戦士や妖精使いは、《大破局》で果敢に悪魔たちと戦い討ち死にしてしまったのだという。

 寿命が長くあまり子をなさないエルフ社会では、深刻な損失だ。


 その後、更に《忌み言葉》を受け森が呪われ、《くろがねの国》が陥落して孤立してからはなお酷い。

 徘徊する怪物たちと毒によって、食料も満足に得られず、妖精の力も弱る中で、戦士や妖精使いの育成ができるわけがない。

 わずかに残った腕利きも、外部との接触を試みて失敗し、帰ってこなかったそうだ。

 ……そういえばあの淀んだ河のなかの水死体には、腐りかけのものがあった。

 二百年前の亡骸であれば、いくらなんでもみな骨だけになっているだろう。つまり、そういうことなのだ。


 加えて《くろがねの国》の陥落によって武器の供給も満足にいかなくなったため、金属製品も貴重な様子だ。

 石器時代のように、石の鏃や、石の穂先の槍を使っている人さえいる。

 これでは確かに、森の主の座所を魔獣の縄張りにされたところで、奪還が満足にできるわけもない。


 というか、ここまで追い込まれてまだ統制を保ち、外部との接触を諦めずに人を送っていただけ凄いと思う。

 人間の集落ならとうに崩壊する限界ラインを、数段踏み越えている感じだ。


「……それで、座所を縄張りにしているのは虫系の魔獣……魔虫? なのだけれど」


 曇天の下。枯れ木の多い森を、僕たちは歩いていた。

 ディーネさんは結局、四人ほどのエルフ狩人とともに同行してくれた。


「まず甲殻に覆われた、大鋏虫イヤーウィグの防御力が厄介で……」

「あ、これですね! 頑張ります!」

「うむ。良い訓練ですな、若」


 出現するやいなや、ルゥが《金剛力》のハルバードで叩き潰した。

 さらに取りこぼしをゲルレイズさんの《つるぎ砕き》のメイスが叩き砕く。


「空からは紫毒蛾(パープルモス)が……」

「おう」


 メネルの手元でテルペリオンの《銀の弦》がきりきりと美しい音を立てて引き絞られ、弓音。

 接近する巨大な毒蛾が見事に急所を撃ちぬかれて地に落ちる。


「あ、注意して、毒の鱗粉……」

「はいよ」


 メネルの意に沿うように、詠唱すらなしで風が鱗粉を吹き散らしてゆく。


「…………」


 ほとんど鎧袖一触。

 巨大な魔虫たちを蹴散らしてゆく三人に、ディーネさんは二の句が告げない。

 他のエルフさんたちも、一様に驚いている。


 けれど特に驚くこともない。

 だいぶ弱っていたエルフの集落を滅ぼせない程度の脅威に、今さら苦戦するほどヤワな鍛え方はしていないのだ。


「僕らはすることがありませんね」

「待機も重要だ」


 そんな風につぶやくと、レイストフさんにたしなめられた。

 確かに背後で警戒して立っている僕たちがいるから、ルゥもメネルもゲルレイズさんも前方に集中して大暴れができるのだ。

 これはこれで、大切な役割ではある。


 けれどその役割のまま座所まで突入し、繭や幼虫に満ちた、ちょっと「うげ」と言いたくなるような光景をメネルが一掃し。

 《森の主》にいくらかの力を注ぎなおし、毒気が和らぎ森に力が戻ってエルフさんたちが歓声を上げる――

 そんなところまで何もすることがないと、なんというか、こう、体がウズウズしてしまう。


「暴れておけばよかったかなぁ……」

「お前、おとなしそうに見えて意外と血の気多いよな」


 言われて僕は目を逸らした。


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