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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第三章:鉄錆の山の王 後編〉
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【竜に挑めば、君は逃れようもなく死ぬ】


 不死神は淡々と言う。


【力を蓄えろ】

「そうすれば、ルゥたちは死ぬでしょうね。彼らドワーフは、竜の害に対して、まずドワーフが血を流すべきだと思っている」

【確かにそうだ、ドワーフたちは死ぬ。そして目覚めた邪竜によって、人もエルフもドワーフも問わず、幾百、幾千と死ぬだろう。

 ……だが、その邪竜の被害によって君と、君の信ずるグレイスフィールに信仰が集まる】


 神々の力は信仰に拠る。

 確かに邪竜の害が増すごとに、神さまにも縋るようにして信仰が集まるだろう。

 竜を除いてくれという願いと祈り。

 それによって生じた力は、僕の戦力にも直結する。


 信仰を得て力を増した神さまが、それを僕へ加護として与えてくれれば。

 それは、竜を討つ大きな力となるだろう。


【竜が害を成せば、それを討って名を上げんと、各地より腕利きの戦士や術者も集うだろう。

 善なる神々の託した使命を帯びた神の使徒たちもな。

 力を取り戻したグレイスフィールの加護を得て、君がそれら英雄たちを束ねれば、邪竜の喉首に刃を届かせうる】


 改めて、それは説得力のある言葉だった。


【私とて、このような提案は本意ではないが……犠牲を許容するべきだ。臆病ではなく、勇気ある行いとして】


 説得力のある、正論だ。けれど――


「従えません」

【なぜだ。そんなにもすべてを救いたいのか?】


 《遣い鴉》が、苛立つように枝の上で身動ぎした。


【……確かに今、君が何もかもを見捨てず進んだとして、あるいは全てを救える可能性が僅かにはあるやもしれん。

 だが失敗すれば、失われる命は一万や二万ではない。そして君に匹敵するだけの英雄はすぐには現れない。

 君はそれでも千や万の命を守るため、その十倍、百倍もの命を危機に晒すというのかね? 無策無謀の極みだ】


 その通りだとも思う。


「……不死神スタグネイト。あなたの仰ることは正論でしょう」


 実際に、非の打ち所がない。

 最適解を求めるならば、そうなのだろう。


【そう思うならば……】

「けれど、そうした瞬間、僕の拠って立つ誓いと信仰は折れる」


 不死神が、目を見開いた。

 ――そうだ。ただひとつの問題は、それだ。


「……あなたはそれを分かって正論を口にしている」

【…………】


 僕の心を折るために。

 自らの陣営に、取り込むために。


 ――まるで祭壇に生け贄を捧げて力を得る、邪教の儀式のように。

 諦め、見過ごし、血と肉を対価に力を得ろと。それが最適なのだと、勧めている。


「違いますか?」

【…………】


 不死神の回答は、沈黙だった。


「……不死神スタグネイト」

【何かね】

「……僕は、弱い人間です。

 自らが易きに流れ、折れ、諦める、移ろう心をもつただの人間だと、知っています」


 生まれ変わって僕は変わった、なんて言うつもりはない。

 僕の心の、魂の本質はきっと、前世から変わっていないだろうと思う。

 だから、何かを見過ごし、何かを諦めたら、そこで僕は折れる。


 仕方なかったとまた言い訳をして。

 きっかけがないからと。もう無理だからと。諦める理由ばかり積み重ねて。

 自分に何度も言い訳を連ね、そうして堕ちてゆくのだと、分かっている。


「それでもやり直していいのだと、グレイスフィールは教えてくれたんです。

 もう一度、立ち上がって、歩むことを許してくれたんです」


 不死神の紅い瞳を見つめながら。

 僕は、灯火の女神への感謝を歌う。


「大切な家族と、出会うことができました。

 大切な友だちや、仲間もできました。

 するべきことも、したいこともできました。

 失ったものに、諦めたものに、彼女はもう一度手を伸ばす機会をくれました」


 どれだけ感謝したら良いのか、わからない。

 あの、フードを被った寡黙な神さまに、僕は本当に大切なものを貰ったのだ。

 だからこそ――


「僕は、それを貫きます。

 誓いを守り、信仰を胸に。死して倒れるその一瞬まで、彼女の手となり、剣となり続けます」


 たとえ、最適でなかったとしても。

 いびつで、無様なやり方だったとしても。

 僕にはそれしかないと、そう思っている。


「グレイスフィールの、灯火にかけて」


 ――それが彼女の灯火に照らされた、僕の、ただひとつの道なのだと。


【…………】


 不死神は沈黙したままだった。

 沈黙したまま僕を見つめ――そして、深く息をついた。


【……やれやれ。籠絡は、またも失敗か】




 ◆




 遠く、エルフの里から楽の音が再び聞こえる。

 竜の唸りで中断されたものを、気を取り直して再開したのだろう。

 澄んだ竪琴の音が、跳ねるように、楽しげに響く。


【そうだ。……初めて出会った時から察していたよ。

 君の魂はさして強くはない。君は、諦めれば折れ、堕ちる。その程度の魂だ。そう気づいていた】


 初めて会った時の、絶望を思い出す。

 強烈な揺さぶりをかけてきたのは、やはり、見抜かれていたためだった。


【英雄になれるとは、思ってもみなかった。三英傑のおまけ、鍛錬により技量が突出しただけの脆い魂。そう思っていた】


 実際に、そうだったはずだ。

 マリーの叱咤がなければ。

 神さまの恩寵がなければ。

 僕は不死神を前に、折れ、潰れていたはずだ。


【だが、君は私の予想を覆した。

 ――諦めなかった。折れなかった。それどころか立ち上がり、私に挑み、倒してのけた】


 不死神の《遣い鴉》が、笑った。

 くつくつと、楽しげに。


【逆説的だが……だからこそ、君は英雄たりうるのだろうな。弱き魂よ】

「英雄になろうと、思ったわけじゃないのですけれどね」

【ハハハ。己の弱きを知り、だからこそ諦めず、折れず、信じたことのために死をも厭わない】


 遠く聞こえるエルフの楽の音。

 不死神は合わせるように、滑らかに言葉を連ねる。


【――それを人は英雄というのだ、ウィリアム・G・マリーブラッド。かつて私が欲した三人の全てを継ぐものよ】


 僕は、なんと返して良いのか分からなかった。

 ただ何か、不思議と穏やかな気持ちだった。

 一度は絶望を叩きつけられ、そして立ち上がり、敵対し、生死をかけて戦った。

 その相手たる悪神と話しているのに、祈りの時のように、心は凪いでいた。


【あえて、いま一度言おう。……私のもとに来い】


 それは、きっと。


【我が右の座を用意しよう。永遠なる加護も、不死なる軍勢も、すべてを与えよう。

 竜を殺し、英雄を討ち、全ての神々を下してこの世界を征服しよう。――君と、私とで】


 その思想も、謀略も、慈悲も、何もかもひっくるめて――

 不死神スタグネイトという神格が、本当に尊敬すべき存在だからなのだろう。

 だからこそ。


「お断り申し上げます。不死神スタグネイトよ」


 左胸に手を当てて、謝絶した。

 心からの、敬意を込めて。


【……やはり、駄目か】


 分かっていたよ、と鴉は笑う。


「ええ」


 頷いた。



「――だって貴方は、堕ちる英雄(・・・・・)を見たくない(・・・・・・)のでしょう?」



 そう言った瞬間、《遣い鴉》が、動きを止めていた。

 不思議と、色々なことが思い出せた。


「僕がグレイスフィールへの信仰を失い、あなたのものになったとしたら。

 ――きっと僕は、あなたが求めたままの存在ではいられない」

【……っ】


 かつて不死神スタグネイトは言っていた。

 永遠に優しい世界を作りたいと。

 引きずり降ろされ、陥れられ、苦渋と後悔の内に輝きを失う魂など見るに堪えないと。


「不死神スタグネイト。あなたは尊敬すべき敵手であり、偉大な神格です」


 心からそう思っているから。だから、


「僕はあなたの誘いに靡きません。あなたの敵であり続けます。――あなたを、尊敬しているから」


 僕はあなたに共感できないけれど。

 出会った時から敵だったけれど。

 あなたが偉大なことは分かるし、あなたなりに慈悲深いことも分かります。

 だからこそ、最大限の敬意を払いたい。

 ――あなたのものにならないことで。あなたの敵であり続けることで。


【…………参ったな】


 不死神は、しばらく沈黙すると、それからぼそりとそう言った。


【人の子にそこまで見通されたのは、初めてだ。

 ……直情的に見えて、意外と敏いのだな、君は。神意を見通したのだ、賢者を名乗れるぞ】

「恐縮です」


 率直な褒め言葉に、なんと答えていいか分からなくて、そう返す。


【だが惜しいかな、君は死ぬ。竜に裂かれて死ぬ】


 皮肉げに、不死神の《遣い鴉》は笑った。


【心変わりするようなら、いつでも私を呼んで良いのだぞ、ン? 瞬く間に最高位の不死者としてやろう。

 死ぬ瞬間でも、首が飛んだ後でも構わん。そうだな――首が飛んだあとなら、首無しの騎士王(デュラハン・ロード)あたりでどうかね?】


 それともやはり、不死なる王(ノーライフキング)がお好みかな、などという不死神に対して。

 僕は肩をすくめて言った。


「竜が相手ですよ。負ければ全身消し飛びます」

【ハハハ、違いない!】


 そしてお互いに笑い合うと――


【では、もうゆこう。いい加減、グレイスフィールもお冠だろう】


 確かに鳴り響く警告の啓示は止んでいたけれど、なんだかふつふつとストレスを溜め込んでいるような気配がする。

 神さまは神さまらしいけれど、不死神が絡むとどうも、稚気を感じるというか人間臭い。


【では、さらばだ。――愚かで賢い私の敵よ、灯火の聖騎士よ!】


 そう言い残し、《遣い鴉》は、夜闇に紛れてどこかへ飛んでいった。

 それを見送って、ふと、少し笑みが浮かんだ瞬間――


「っ、アイタタ!?」


 つねるような痛みのイメージを送り込まれた。

 ……ひ、ひどいです、神さま!




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― 新着の感想 ―
[一言] 「自分が『そうするべきだ』と思ったことから 一度でも逃げたら きっと本当に戦わなくちゃいけない時にも 逃げるようになる 自分がそういう人間だって知ってるんだ」 【ワールドトリガー:三雲修】
[良い点] ここまででも不死神は魅力的でしたが、この話で 更に好きになりました。味方だけでなく敵も魅力的なので、読んでいて不快な気持ちになることも無く、ますます物語に引き込まれます。 [一言] アニメ…
[一言] >「僕がグレイスフィールへの信仰を失い、あなたのものになったとしたら。  ――きっと僕は、あなたが求めたままの存在ではいられない」 【……っ】 スタグネイトのジレンマですね。 欲しい物を…
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