10
「若君を、従士にですと……?」
「いや……」
「しかしそれは……」
ざわめきが拡大する。
「若、聖騎士殿の従士など、危険です!」
「魔獣狩りに同行するということですぞ……!」
「お考え直し下され!」
と、声を上げ始めるものもいる。
ルゥの目は泳ぎ、額には汗が滲んでいた。
そのルゥを、僕はじっと見た。
「とにかく、もう一度一晩ゆっくり考えて……」
「そう。我らも相談に乗りますから……」
畳み掛けるように放たれる言葉に、ルゥの表情が青ざめ、目が揺れる。
もはや反射になっているのだろう。
彼が頷きかけたその時。
「――君は、どうしたい?」
僕は、それだけを問いかけた。
ルゥが目を見開いて――周囲の声に、迷うように瞳を揺らし。
それから、ぐっと、唇を引き結んだ。
「わ、私は……!」
ルゥが、絞りだすように言葉を発する。
「私は、この方のもとで学びたい!」
その叫びは意外なほどによく通り、響いた。
突然のことに動揺した、ドワーフさんたちを黙させるほどに。
「戦士の何たるかを! 勇気の何たるかを! 己が手で、掴み取りたいのだ!」
熱が篭っていた。炎のような熱が。
「――危険に身を晒さずして! 己が足で一歩を踏み出さずして!
戦士の何を知ることができよう! 勇気の何を知ることができよう!」
すっくと背筋を伸ばすと、ルゥの編んだ赤茶けた髪が跳ねた。
見開かれたハシバミ色の瞳には、灼けつくような光が宿っている。
「私は偉大なる祖霊と祖神にかけて、恥じぬ己でありたい!
戦いと勇気、そして気高き振る舞いを知らずして、何がドワーフか!
――私は! この思いを、覆す気はない!」
無骨な山の民たちが、たった一人の叫びに圧される。
凄いな、と僕は思った。
ここまでハッキリと言えるとは、正直なところ、思っていなかった。
……思った以上に、ルゥは、凄い。
「ウィル殿! 今この場で、私を従士にして頂きたい!」
そう言うとルゥは駆け寄ってきて、跪くと、僕に組んだ両手を差し出した。
ふと、ブラッドの声が、脳裏をよぎった。
――戦士の道において、組んだ両手を突き出すのは、己の『まこと』を捧げる証だ。
――捧げられたら両手で包んで受けるか、拒絶するかの二つに一つ。
――軽々には包むなよ。戦士の『まこと』を包む意味は、重いからな。
神殿の夜。
眼窩の奥に、青白い鬼火を宿らせた骸骨が、カタカタと顎を鳴らして笑う。
――包む意味か? そりゃあな……
「汝の捧げし『まこと』を」
差し出された、熱い両手を。
「――我が手にて護らん」
がっちりと包み取り、変則的な握手を交わす。
高揚と緊張で硬く不安げな表情をしていたルゥの表情が、僕を見上げ、安堵したように緩んだ。
「簡略ですが、従士の誓いを受けました。
――ですので主たる騎士として、今より僕がお話をお受けしますが」
ぽんぽん、とルゥの肩を叩きつつ、ドワーフさんたちを見回す。
「皆さまに、一つ伺いたい。我が名は、一時なれど彼の主たるに不十分でしょうか?」
……従士というのは、この時代においてそう低い身分ではない。
経歴に箔をつけるために、武勇と品行において名高い騎士の従者を務める貴族の子弟もいるという。
僕は、王国にとって陪臣、つまりオーウェン王の臣下であるエセル公の臣下で、最果ての地を治める領主だ。
社会的な序列からすると、実はそこまで高位ではないのだけれど、個人的な勇名は轟き渡っている。
――《飛竜殺し》にして《魔獣殺し》。《灯火の運び手》たる、《最果ての聖騎士》。
ルゥがドワーフのうちでいかなる身分であれ、僕のもとについて、恥にはならない程のことをしてきたという自負はある。
「む……」
「うむ……」
その問いに、皆が答えに淀んだところで。
「――是非も無し」
ゲルレイズさんが、うっそりと、そう呟いた。
「ゲルレイズ、認めるというのか」
「若君のご意志であるぞ」
「しかし――」
「これまで我らの苦境を思い、幼き頃より我儘一つも言わなんだ、その若君のご意志であるぞ」
ゲルレイズさんが重ねると、反論しようとしていたドワーフさんも黙りこんだ。
「若。グレンディルにはそれがしから上手くお伝えしましょう」
「…………あ、ありがとう、ゲルレイズ」
「しかし」
躊躇いがちに礼を言うルゥに、ゲルレイズさんはしかし、ぎろりとした鋭い視線を向けた。
ルゥがびくりと震える。
「そがれしは若は、今日この日、死んだものと思わせて頂きまする」
「そ、それは……」
「優れた戦士に『まこと』を委ねた以上、ゆめ、身命を惜しもうなどと思いなさるな。
いざとなれば、すぱりと死ぬことをお覚悟の上、しかとお仕えなされい」
向こう傷のドワーフは、険しい顔でそう告げた。
その張り詰めた言葉に、ルゥの表情も、引き締まる。
「よろしいか」
「心得ました!」
そして、ゲルレイズさんは僕を見る。
「のち、グレンディルとともに挨拶に伺います。
――若のことを、どうか」
「しかと承りました」
そう答えると、彼は向こう傷を歪めて、武骨に笑った。
ブラッドを思い出す、戦士の笑みだった。
◆
そうして、ルゥが従士になった。
ゲルレイズさんは約束を違えず、グレンディルさんを説き伏せたようで、後日にはグレンディルさんから正式に挨拶もあった。
「えー、というわけで、ルゥ。
従士は、費用を自弁ってケースも多いみたいだけど……とりあえずうちでは、装備は支給してお給金も出します」
「よ、よろしいのですか?」
「よろしいも何も、今のドワーフ移民さんたちからお金巻き上げたら、相当の鬼畜野郎だよ僕」
流石にそれはできない。
「というわけで、給金の額を相談しよう」
「え。えっと、お仕えできれば私はそれで……」
「駄目です」
「だ、駄目ですか」
「昔からある人によく言い聞かされたんだけど、おカネってのは大事なんだ。
……そうだね、従士に迎え入れるってのは、たとえば使用人を雇うのとはまた違うけれど」
「はい」
「僕があなたに対価を払わない、あなたが対価を受け取らないということは。
あなたの『まこと』にはその価値がない、と捉えることもできます」
「…………」
「なんでも値段をつけるのは品が無いかもしれないけど、一番わかりやすい指標だから、金銭関係はきちんとしよう」
「…………大人なんですね」
「大人になろうと頑張ってるだけだよ」
そんなやりとりを経て、お給金とかの細かい話も決まり。
ルゥは住み込みで働くことになり、朝の鍛錬にも加わるようになった。
……そして、そこで何から教えたらいいかと考え始めて、僕はちょっと戸惑うことになった。
「はぁ、はぁっ……っ!」
「はい、もう一周ー」
ルゥを連れて、街の周りを走る。
――考えてみると今まで、僕は弟子の類をとって、何かを教えた経験はない。
ブラッドに教わったことを思い出してみるけど、幼子の頃から習っていた僕と、既に体ができているルゥでは、違う点も多い。
どうやって順序だてて、戦い方とか、戦士のあり方とか、そういうものを教えていくか。
どうすれば彼は、それを学べるのか。
そう考えてみて、改めて分かった。
ブラッドもマリーもガスも、何でもないことのように僕に自分の技術を教えていたけれど……
あれだけ沢山のことを、ああも効率よく僕の中に吸収させるために、彼らはどれだけの工夫をしていたのか。
何気ない、例えば足さばきと構えのどちらを先に教えるかとか。
そんな部分にさえ、後から教える視点に立ってみたら、理があり、工夫がある。
「最後! 全力っ!」
へばりかけの、それでも食らいつこうと駆けるルゥを励ますように走る。
……教えることで、まだまだ3人の居た場所は遠いなと、実感させられた。
でも、いつか。
いつかきっと、追いつくのだ。
「お疲れさまっ! 軽く歩いて息を整えたら、次は筋力の鍛錬だ!」
「は、はいっ!」
「筋力は戦闘における基本の基本だよ。
師曰く、鍛えられた筋力による暴力があれば、大抵のことは解決する!」
「………………は、はいっ!」
3人に肩を並べられるように。
僕もここまで来たよと笑えるように。
ルゥから捧げられた『まこと』に、恥じないように。
……精一杯やろう。
◆
つう、と首を汗が伝う。
庭の草地で、僕とルゥは組み合っていた。
メネルがそれを横から眺めている。
「ぐ……」
色々と考えた末に基礎の次、僕はまずは、組み打ちから教えることにした。
ルゥは生来、体格はいいし、ドワーフ種族の生得的な性質なのか、訓練を受けていない割に筋力もあるようだ。
まず筋力の影響がとくに大きい組み技を教えて、自分の能力に自信を持つところから始められたら、と思ったのだ。
「う……」
――けれど、これは予想外だった。
若干、僕のほうが強いけれど……僕の全力の引き込みに対して、ルゥは食い下がってきている。
単純な押し引きのやりとりで、ある程度、膠着しているのだ。
専門的な鍛錬もしていないはずなのに、とんでもない筋力だ。恐ろしく恵まれた素質がある。
「ぐ、ぐ……」
ルゥが、人を打ったり組んだりするのを、躊躇していた理由が分かった。
確かに生来、こんな桁外れの筋力をしていたら、そうなってもおかしくはない。
……実際に誰かを、意図せず傷つけかけたか、傷つけたことがあるのかもしれない。
「ルゥ」
だから僕は、あえて余裕の顔を作った。
平然とした風で、声をかける。
「その程度で、全力?」
「ぐっ、ぐぅ……!」
物凄い力に、みしみしと全身が軋む。
けれど堪えて押し返す。
ブラッドと造ってきた身体は、この程度の負荷に負けるほどヤワではない。
「それが全力?」
「ううう……!」
思う存分やっていい。
暴れていい。
……ルゥには、多分、まずはそこからだ。
「その程度なら……」
正面から、思い切り。
腰を落として、全力で押し込んでゆく。
「う、ぁ!?」
ずるずると、踏ん張ろうとする足の跡を残して、ルゥがまっすぐ押し込まれてゆく。
「押し勝てるよ。僕のほうが強い」
だからもっと、暴れていいんだ。
思い切り力を奮っていい。
そう心で告げながら、体を捌いて内懐に入ると、ルゥを担ぎ上げ、思い切り地面に叩きつけた。
頭だけはぶつけないように、襟首は離さない。
「ぐぁっ!」
「はい。ルゥの負けだ」
この辺、基本的に容赦はしない。
痛みに慣れるのも訓練のうちだし、嫌われるのは覚悟の上でやらないといけない。
やらないといけない、のだけれど……
「い――」
「ん?」
「今の技はどうやるのですかっ!」
すぐさま起き上がり、キラキラとした目で聞いてくるルゥ。
延々走らせたり、投げ飛ばしたり、けっこう痛いこと苦しいことをしているのに、一向にへこむ様子がない。
本当に頑強だし、意欲的だ。
「今の技は、あー……メネル、ちょっときて」
「俺、実験台かよ……」
「横から見たほうが分かりやすいし、お願い」
「お、お手数おかけします!」
「ったく……しょーがねぇな、綺麗に投げろよ! 綺麗に!」
――ルゥが戦士になる日は、思ったよりも早く来るかもしれない。




