21
「全く面倒をかけよって……」
帰り道、バグリー神殿長はそれはもうぶちぶちと愚痴をこぼしていた。
メネルはイライラした様子でそれを聞いている。
……ああ、うん、この二人は相性悪そうだ。
「あの、」
間に入ってとにかく何か言おうとしたところで、
「特にお前、この若造! よくもまぁ勝手をしおってからに……!」
「勝手も何も俺らはアンタの部下でもなんでもねぇだろうが」
「なんだと貴様ァッ!」
バグリー神殿長は更に言い募り、ついにメネルも言い返し始めた。
「ワシは神殿長だぞ!」
「だからなんだよ!」
……ぎゃんぎゃん言い合いはじめた二者の間に割り込むことは僕には不可能だった。
ああ、やっぱり相性悪い……!
「すみません。最近、父は懸案が多く、だいぶ苛立っている様子で……」
そんな僕に小さく声をかけてきたのは、領主館で神殿長を止めようとしていた助祭さんだ。
亜麻色の髪をゆるく編み、生真面目そうに上着と短衣、長いスカートを身につけている。
「いえ、こちらこそ連れが申し訳ありません。
……ところで、その、バグリー神殿長の娘さんなのですか?」
ちょっと疑問だったことだ。
確かに、この世界の聖職者に婚姻禁止のルールはなかったはずだけれど、神殿長、既婚者なのだろうか。
「ええ、娘です。血は繋がっていませんけれどね」
「というと……」
「ここに赴任する前は、父は首都で大きな孤児院を併設した神殿の運営を任されておりまして」
「ああ、なるほど」
そこから、どういう経緯で目をつけられたのか、エセル殿下に引っこ抜かれたのか。
まだ会ったばかりだけれど、バグリー神殿長が押しの強い振る舞いができる人物であるのは、今回でよく分かった。
僻地での神殿運営には向いている、という判断だろうか。
「院を出た先輩や同輩は、多くは父の紹介もありまして本国各地で職に就きましたが……
私ほか十数名は、おとうさ……父に付いてこの大陸へ」
しかも各地にコネクションがあり、忠誠度の高い部下まで抱えてる、と。
うん、色々と判断を保留にしていたけれどそろそろ断言しよう。
……バグリー神殿長は、たぶん相当に有能だ。
見た目的になんか「おとうさま」呼ばわりは事案っぽいし、不平屋で一見した印象も凄いけれど、それはそれとして、だ。
そして――
「バグリー神殿長」
メネルと何やら言い合っていた神殿長に声をかける。
「ありがとうございました。神殿長が割って入ってくださったおかげで、助かりました」
「礼を言われる覚えはない! ワシは王弟殿下の身勝手より、神殿の権威を守ったまで。貴様はそのついでだ!」
だいたいあのお方は興が乗ると、とんでもないことをなさる。本当にいかん、と神殿長はまたグチグチ言っている。
本当にこの人は不平不満が多い。
……恐らく吐き出して精神の平衡を保っているのだろうけれど、神殿内であんまり好かれていない風なのも分かる気がする。
「……だが、まぁ、それはそれとして世俗の権力は尊重せねばならん。
王弟殿下のご提案を検討するゆえ、夕の祈りの後に礼拝堂に残るのだ」
「はい、かしこまりました。……あ、でも、その……」
「なんだ!」
「その、夕の祈りって……?」
「…………」
神殿長のこめかみにそれと分かるくらい青筋が浮かび、間を置いて、猛烈な勢いで罵りが口から放たれ始める。
……うん、ホント世間知らずで申し訳ありません。
◆
どうも200年が経過するうち、典礼関係がだいぶ改訂されたらしい。
マリーの時代に晩課や晩堂課と呼ばれた幾つかの聖務日課が統合されて、夕の祈りという呼称になったのだ。
複数の聖務日課が統合され語も平易になったのを見るに、恐らく《大連邦時代》の崩壊の影響で、煩瑣な儀式体系を各地で維持しきれなかったのだろう。
なお晩課や晩堂課なら分かると言ったら、神殿長も助祭さんもギョッとした顔をしたので、それはもう今ではあまり聞かない言葉らしい。
どこかの山奥で、古典礼に馴染んだ長寿種族の修道僧か何かにでも習ったのかと問われたので、そんなところですと答えることにした。
……アンデッド化を長寿というかはともかく、マリーが古い典礼を知っていたのは間違いない。
「まるきりの無知というわけではなかったか」
ううむ、とバグリー神殿長が唸る。
「アンナ。典礼の改訂部分をまとめた書籍があったはずだ。図書室より回収して、あと誰ぞ適切な教師を見繕っておくのだ。
コイツは成りたての小僧で……しかも200年前からやってきた古代人だ、手間のかかる」
酷いことを言われている気がするけど、おおむね正鵠を射ているから文句が言えない……
助祭のひと――アンナさんというらしい――が神殿長の後ろで、すごく申し訳無さそうに僕にぺこぺこと頭を下げていた。
それから神殿に戻り、ビィとトニオさんと合流し、主にビィから質問攻めにあい……
なんだかんだと雑事を済ませてから、夕の祈りに参加した。
まだ瓦礫の撤去作業や、各地の怪我人の治療でみな慌ただしい様子だったけれど、神殿の人々は祈りを絶やすつもりはないようだ。
行われた儀式は大変な時なりに荘厳であったけれど……ただ、ちょっと居心地が悪かった。
みな僕にいい席を勧めてくるし、四方八方からこっちにちらちらと視線が向いてくるし……
歓待されたり注目されたりすることに慣れていないので、なんとも落ち着かない礼拝になってしまった。
そして人々が退出した礼拝堂で、一人で祈りながら待っていると、神殿長がやってきた。
定刻の祈りもすっぽかして何か打ち合わせをしていたらしい。
「少し待っておれ」
と、僕以外に誰もいなくなった礼拝堂で、神殿長は手を組み、膝をついて祈りを捧げる。
――その瞬間、場の空気が一気に切り替わった。
「…………」
祈る姿が、恐ろしく堂に入っている。
けして美しい外見をしていないのに、美しい。
……これ以上に祈りが堂に入っている人など、僕はマリーしか見たことがない。
思わず、僕もまた手を組んでいた。
「――……さて」
しかし、神殿長の祈りは予想以上に短かった。
「え、あの」
「なんじゃ」
「……バグリー神殿長。色々と、気になっていたのですが」
ええと、と言葉を選び。
「間違いなく、神殿長は高位の加護を得ていらっしゃいますよね」
この気配は、たぶん間違いない。
最初に会った時から何となく感じていたけれど、神殿長に与えられた加護は……たぶん僕と等しいか、あるいは上回る。
「神殿の方々から、祝祷を使わないと伺いました。
祈りもその様子だと、見せていらっしゃらないか、人前では手を抜いていらっしゃる」
何故ですか、と問いかけた。
「成り立ての阿呆め」
罵られた。
「若造、貴様は祝祷術をなんと心得る」
「神より与えられた加護と」
「では神はなぜ貴様に加護を与えた。貴様を特別扱いするためか。違うであろう」
「……」
「貴様を通じて――分かるか? 神は貴様を通じて成し遂げられたいことがあるのだ」
そして我々は加護を与えた神々の意向にかなうよう、祝祷の使い道を常に考えねばならん。
便利な道具扱いは、神の威光を減じはすれ増しはせん。そのような愚か者への加護は時とともに目減りするばかりだ。
成り立てのボンクラは、多くがそこを分かっておらん。分かっておらんから、成り立てに留まる。
そう神殿長は続ける。
「ワシは神殿長だ。拓かれたばかりの荒っぽい土地柄だ、金策や権利確保のため恫喝もすれば怒鳴り合いもする、根回しのために接待も賄賂のやりとりもする。
……こんな状況で高位の祝祷をこれみよがしに振るってみよ、『あのような男に加護を与えるとは神は何をお考えなのか』と衆人は考える」
さて、若造。
「これは神の御心に叶うことか?
我が守護神、裁きと雷光のヴォールトの威光を宣揚する役に立つとでも?」
「いいえ」
「そうだ、その通りだ。であれば祝祷も祈りも内に蓄えるが正しい振る舞いとなる。
加護を派手に用いて神々の威光を宣揚するのは、副神殿長の奴に任せておるしな」
あやつは優秀だ、適度に人心を掌握するのも上手い。
綺麗で、そして面倒で神経を使う看板役を任せられる、とバグリー神殿長は言った。
「貴様はどうだ、未熟者め。飛竜を殺した程度で英雄気取りか?」
そう問われて、思わず僕は沈黙した。
「聖騎士。……ふん、聖騎士だと?」
祝祷のなんたるかもいまだ心得てきっておらぬ若造が、パラディン!
王弟殿下は冗談がお好きでいらっしゃる!
大仰な動作で驚いてみせる神殿長に対して、正直、言葉も無い。
「……おい」
「…………」
「ワシから断りを入れてやってもいい。王弟殿下もワシに断固として拒絶されれば、諦めよう」
え? どうだ、と神殿長は威圧的な口調で問いかけてくる。
睨み据えるその視線は、巨体と相まって、あの時のエセル殿下の威圧感にも劣らない。
「やめておけ、未熟者が。ろくなことにはならん」
「……それでも」
視線はそらさない。
神殿長の目を、見つめ返した。
「それでも、私を通じて、我が神は何かを成そうとなさっています」
そう返す。
神殿長は、沈黙した。
「翻さぬか」
「翻しません」
「愚か者め」
「だと思います」
「流転の神に何を誓った」
「生涯を捧げ、邪悪を討ち嘆く人を救うと」
「喜べ。ワシが見てきたボンクラどものうちでも最高のボンクラだ貴様は」
盛大なため息。
「…………人を何人かつけてやる。あとは貴様でなんとかせい」
ありがとうございますと、僕は、深く深く頭を下げた。
◆
そこからはもうなんだか、驚くほど慌ただしかった。
王弟殿下にも神殿長が受諾の意向を連絡しているのを横目に……
アンナ助祭が引っ張ってきた、謹厳そうな神官さんに礼儀作法やら神官としての典礼作法やらを今の様式に則って叩きこまれていたら、恐ろしい速度で叙勲の運びになった。
いくらなんでも騎士爵が軽すぎないか。何がどうなってこんな異例の速度で、と思ったのだけれど……
どうも飛竜被害が割と馬鹿にならず、家や職を失った人もいるので、臨時の仕事が発生する慶事が欲しかったのだとか。
……ああ、そういえば前世の古代史や中世史でも、災害が起こるたびに寺社仏閣の造営やら行われてたけど、あれって一面、富の再分配だったのか。
ともあれ、騎士爵が得られるなら、色々と話が早くなる。
人も、物も、お金も、権威と、それに基づく権力の下にあれば運用しやすくなる。
そう考えれば、あの王弟殿下や神殿長に首輪をかけられるというのも、何ほどのことではない。
……実際あの二人なら、そこまで酷い扱いはしないだろうし。多分。
「いずこより来たりしや。いずこにて鍛え、いずこにて学びしや。
失われし流転の神、灯火の女神の使徒なりと、ただ人はそれのみぞ知る」
これは、多分必要なことだ。
「その信仰の篤きは司教に等しく、その学識の深きは賢者にも等し。
しかして、その腕に秘められしは、飛竜を拉ぎし無双の剛力。
もしは三英傑の魂よ、その身に転じて再び武名を打ち鳴らすか!」
……ひ、必要なことだ。
「《灯火の使徒》《飛竜殺し》《剛力無双》――《最果ての聖騎士》ウィリアム・G・マリーブラッド。
白帆の街に現れし、新しき英雄の名を人よ知れ! ……んー、こんなとこかしらね」
必要なことだけどさぁ!!
「ビィ、僕の前で僕の武勲詩の練習とかやめてくれない!?」
「なによー、いいでしょー?」
「いくらなんでもこっ恥ずかしいよ!」
「実際そんだけの業績あげてんだから仕方ねーだろ……」
「恥ずかしいものは恥ずかしいんだって!」
などと僕たちが神殿の部屋で言い合っている横で、トニオさんが算盤を弾いている。
「ふーむ」
「どうしたんです、トニオさん?」
「役畜を大量に、となると、やはり結構な値段になるな、と」
「ああ、それなんですが」
飛竜を討伐した結果、騎士だなんだとゴタゴタしているけれど、本命は忘れていない。
あくまで目的は、《獣の森》の薄闇に光を灯すことだ。
だから、腹案がある。
「ほう、どうなさるのです?」
「病気や怪我をしている役畜を、うまく交渉して安値で買い取って頂けませんか」
「え」
「それ全部、僕が治しますから」
「……あっ」
トニオさんが目を見開いた。
うん、ちゃんと考えてるんですよ。僕も色々。
家畜商は傷病持ちの役畜をさばけて満足、こちらは役畜が得られて満足、《獣の森》の村落は寒村ばかりで購買力が極めて低くて、家畜商にとって大した顧客じゃないから迷惑にもなりづらい。
病気や怪我に苦しむ役畜も救えて――まぁ彼らに関しては役畜続行なのでそれが幸せかは分からないけど――理屈の上では八方丸く収まるはずだ。
実際にはちょっと、安く売ったのが治されちゃったらいい気はしないだろうから、そのへん注意がいるけれど。
「……あと、このまま《獣の森》と《白帆の都》を繋ぐ商売、トニオさんにお願いしたいのですが」
僕は幾らくらい出資すればいいですかね。
そう問いかけると、トニオさんは顎に手を当て、ふむ、と言った。
「ウィルさん。少し真面目に商談をしてみましょうか」
「お手柔らかに……」
するべきことが増えてゆく。
でも、目的は一つで、そして前進している。
……神さま。なんとかやっています。やってみます。
心のなかでそう呟くと、あの寡黙で無表情な女神さまが、かすかに微笑んだ気がした。




