18
「ぐぅぅぅっ!」
「痛い、痛い、痛いぃぃぃ……!」
「誰かっ! 誰か来てくれ、下敷きになった人が!」
「どうなってるんだ!」
「押さないで、押さないで!」
「子供を、子供を見ませんでしたか!」
「神よ……!」
混乱が起こる神殿内。
僕は装備を着けながら回廊に囲まれた中庭に出ると、2、3回ほど柱や装飾を足場に跳躍を繰り返し、屋根に躍り上がった。
見回すと、幾棟もの施設――本殿のほかに居住施設や集会用の広間など――で構成された神殿のうち、広間の屋根が崩落していた。
下敷きにされた人もいるのか、眼下の神殿内では大きな混乱が生じている。
高位の神職が出払っているらしいことも災いして、すぐには収拾がつきそうにない。
思わず眉根が寄る。
だけど、こちらを助けにいくわけにはいかない。
……視線を転じれば、《白帆の都》上空を、灰色の影が飛び回っていた。
長い尾。
巨大な翼膜。
刃のような棘が一列に並ぶ背。
一抱えほどもあるであろう太い首。
その口からは時折、ちらちらと赤い火が見え隠れしている。
すらりとしたシルエットが旋回とともにくねる様子は、力と躍動に溢れており、見るものに戦慄を与えずにはおかないだろう。
――飛竜。
それが街の尖塔の一つに後脚で取り付き、飛行の勢い任せに叩き崩した。
石が崩落する。
崩れる尖塔を蹴りつけた反動で、再び街の上空を旋回する飛竜。
時折、兵士らしき影が地上から石弓を放っているが、飛竜には気にした様子もない。
機動力が違いすぎるのだ。
石弓を抱えた数人の兵士が追いかけまわったところで、射程に収めることすらできない。
そして射程に収めたところで、高速で空をゆく飛竜にはまともに太矢が当たらない。
飛竜の口から、火炎が噴き放たれる。
炎の吐息だ。
その吐息に舐められた地域から、こちらにも伝わるほどの悲鳴と絶叫があがる。
家々が燃え出し、逃げゆく人々は混乱の中で押し合い、へしあい……
そこに叫びをあげて飛竜が突っ込んだ。
風圧に屋根瓦が剥がれて舞い上がり、街路にばらばらと落下する。
倒壊した家もある。
混乱が加速。
幾人も倒れる。
蹴倒され、踏み潰された人もいるだろう。
崩落音。また飛竜が、一つ建物を壊した。
何が起こっているのかわからない。
いったいどうして飛竜が。
でも、街が壊れてゆく。
文明が。
3人が守ったものが。
今も人が人らしく生きる場所が。
……かぁっと、頭に血がのぼった。
「《言の葉は》、《飛び行く》――」
普段は使わない長めの詠唱。
口の他に併行して指運一つで《ことば》を更に連ね、射程を伸長。
「《雷条》ッッ!!」
その瞬間、破れ鐘を思い切り鳴らしたような、あるいは大砲のような大音が響き渡った。
大気の焦げるような匂いをまき散らし、神殿の屋根から我が物顔に街の上空を飛び回る飛竜にむけて、一条の雷光。
……だけれど、当たらない!
距離が遠い。そのうえ縦、横、高さの立体的な機動を行っている飛竜に対して、線の攻撃では命中率が悪い。
古代語魔法の射程自体がさほど長大ではないということもあるだろう。
《ことば》が《ことば》である以上、遠ければ遠いほど減衰し、その影響は小さくなる。
「くそっ!」
悪態をついて、更に2射目の用意にかかる。
《いかずちのことば》は、僕がある程度安定して用いられる中では最高の射程を誇る《ことば》だ。
命中するまで何度でも……! と考える僕の頭からは、後から思えば怒りでガスの教えがすっぽ抜けていた。
「阿呆ッ! 何やってんだ!」
途端、後頭部をはっ叩かれた。
振り向くと、追いついたのだろう。メネルが屋根に登ってきていた。
「なに怒り任せに連射しようとしてんだ、自爆して死ぬぞ!」
しかもそんな高位魔法! とメネルは怒っている。
「でもっ!」
「でもじゃねぇ!」
メネルは僕の襟首を掴む。
「相手は飛竜だ、効率よくやれって言ってんだよ!
その出来のいい頭で考えろ阿呆っ! 突っ走ってんじゃねぇ!!」
その翡翠の目に射抜かれ、叱られて、はっとした。
――とにかく小さい魔法を巧く、精度よく使う。
頭のなかにガスの教えがよみがえる。
すぅっと、頭が冷えた。
……ガスなら、こんな状況で取り乱したりは、しない。
効率よく。精度よく。必要な威力を必要なだけ。
「……分かった」
「よし」
思考する。
手持ちの札で、あの飛竜をなんとかするには?
脳内の回路に、火花のように無数の思考が閃いては検討され、消えてゆく。
「――よし」
頷く。
「メネル。協力してほしい、キミと妖精の力が必要だ」
「おし」
メネルが頷く。
「それとビィ、トニオさん!」
中庭に見える、二人の姿にむけて呼びかける。
先ほどの《いかずちのことば》で、屋根の上の僕たちにはずいぶんと注目が集まっていた。
「周りの人と協力して、神殿の前庭から人を避難させてください!」
大きく手を振り、叫ぶ。
「そこにワイバーンを、落としますっ!」
◆
「『シルフ。シルフ。風の乙女よ――汝が歩みは風の歩み。汝が歌は風の歌』」
朗唱が響き渡る。
妖精たちが集い踊る。
「『合唱せよ、輪唱せよ、喝采せよ。汝らの声のもと、始原の《ことば》は十方に至らん――』」
メネルが呪文を唱える。
視界のあちこちで、さっきからちらちらと、風の流れに紛れて白く小さな乙女の姿が見える。
シルフ。風の妖精。
それを確認すると、僕は《ことば》の詠唱を始めた。
「《言の葉は》、《飛び行く》――」
先ほどと同じ《いかずちのことば》の詠唱。
それに加わるのは、
「《結びつき》、《追尾せよ》」
かつてガスが不死神の片割れを倒した際に使った、追尾の《ことば》だ。
更に指を動かすと、幾つもの複雑な《ことば》を宙に描く。
紋章のように。魔法陣のように。装飾的な《ことば》が宙空に広がる。
そして最後に、厳かに両腕を広げて、言い放つ――
「――《雷条の》、《蜘蛛網》ッッ!!」
その瞬間、《ことば》は反響した。
集まったシルフたちが楽しげに《ことば》を輪唱し、空間を雷光が幾重にも枝分かれし駆け巡る。
放射状に広がる雷光の網は、距離によって減衰されながらも、広がる投網のように遠方上空を舞うワイバーンを捕らえ――
飛竜の、苦鳴があがった。
飛行姿勢が崩れた、痙攣している。
だけれど、幾重にも分散させ、距離による減衰も受けて放たれた一撃では、落下にまでは至らない。
すぐに飛竜は姿勢を持ち直した。恐らくあちらの被害はといえば「けっこう痛かった」程度だろう。
だけれど、それで十分だ。
飛竜は確かにその瞬間、こちらを見た。
痛撃を与えたこちらを見て――そして、ぐるりと旋回すると飛翔してくる。
飛竜は僕たちを、敵と認識した。
魔獣のたぐいはおしなべて攻撃的だ。
通常の野生動物なら逃げるような場面で、攻撃行動を選択する。
「…………来るぞ」
あとは問題は一つ。
僕の今の腕前が、かつての3人にどこまで及んでいるか、だ。
飛竜が接近してくる間、僕は自分とメネルに矢継ぎ早に、自らの身体能力を強化する魔法や祝祷をかけてゆく。
メネルも幾つかの妖精に呼びかけて、同じく僕とメネルを強化。
そうしている間にも、鳥のようだった影が、ぐんぐんと大きくなり、近づいてくる。
神さま。いま、誓いのために戦います。
邪悪を打ち払い、嘆くものを救うため。
――どうかご加護を!
「グレイスフィールの灯火にかけて!」
短槍《おぼろ月》を両手で握り、祈りを捧げる。
メネル曰く司教級、《聖域》の祝祷。
神殿周辺に巨大な光の壁が立ちあがる。
どよめきがあがった。
今は無視。気にしている時間はない。
ワイバーンが突進してくる。
光壁に衝突。激音。
祈る。祈る。
金剛の如く不壊なれと。
とこしなえに。とこしなえに。――悪しきものを拒絶しろ!
「……っ!」
――だけれど。
音が響く。亀裂の走る音。
「な……っ!」
メネルの、そして人々の呆然とした声。
僕も一瞬だけ祈りを忘れ、目を見開いた。
なんだ、あれは。
光壁と競り合うワイバーンの体が。
全身の血管が、黒く染まってゆく。
ありとあらゆる血管から吹き出す瘴気。
黒い瘴気が浄域の壁を侵し、崩し……
蹴爪が、光の壁を破る。
硝子の砕けるような音。
降下しながら、瘴気に染まったワイバーンの爬虫類らしい無感情な瞳が、僕を見つめるのが確かに見え、
「っ!!」
太い爪のある後脚を、屋根の上を転がってかろうじて回避。
風圧とともに屋根瓦が巻き上げられ、姿勢が崩れ――そのまま屋根の上から転落しかける。
「『シルフ! 麗しき風の乙女! 旋風の舞姫よ!』」
メネルの声。
彼はうまく姿勢を保ち、まだ屋根の上に居た。
飛び抜け、旋回し、宙に瘴気の尾を引きつつ再び迫るワイバーンに対して――
「『汝らと舞を競いたる 愚か者の翼より――』」
詠唱。
「『風を奪いて 地の味を知らしめよ!』」
その瞬間、風が吹き抜けた。
強烈な下降気流。
いかにワイバーンがおかしな状態にあっても、翼に対して強烈な下降気流が当たれば物理的にどうしようもない。
大きく飛行姿勢を崩し――
「……ウィルッ!!」
「《縛り付け》《結び目よ》、《束縛せよ》!」
続けざまに《くくりのことば》を放つ。
翼が硬直。
ワイバーンが暴れながら宙を落下。
衝撃。大音。地響き。
前庭の噴水のあたりに落下したそれを確認しつつ……
僕も屋根から飛び降り着地、ワイバーンに躍りかかった。
◆
頭のなかでギシギシと鎖がきしみ、鉄の輪に裂け目が入ってゆくイメージ。
ワイバーンは《くくりのことば》に抵抗している。
時間をかければ弾き飛ばし、再び空に飛び立つだろう。
それを許すつもりはない。
砕けた噴水、吹き上がる水。
神殿の前庭に突っ込んだワイバーンに向けて、短槍を構えて疾駆する。
狙いは単純。
心臓か喉笛に対する槍での突撃。
一刀でケリをつけたブラッドのように、一撃で急所を抜いて勝負を決める。
ワイバーンが僕の接近を感知。
振り向く。
「《加速》ッ!!」
弾丸のように加速。
おぼろ月のきらめきをもって、狙うのは心臓部。
周囲の風景が猛烈な勢いで流れ、ワイバーンの巨体が一気に近づき――
次の瞬間、猛烈な咆哮。
ワイバーンもまたこちらに突撃。
交差。衝撃。
「――っ!」
瘴気を吹き出す胸に短槍を突き込み、互いの突撃の勢いに巻き込まれて手首や肘を壊されないよう、素早く手放して転がる。
確かに刺さった。
歓声があがる。
だけれど。
「嘘でしょ……」
ビィの声がどこかから聞こえた。
嫌な予感を抱えながら、振り返る。
ゆらり、とワイバーンも、こちらを振り返っていた。
ゴムのような外皮、強靭な筋肉に阻まれたか。
それとも純粋に狙いを外したのか。
――心臓を貫ききれていないのだ。
吹き出す瘴気が増す。
ワイバーンがこちらを見る。
その口には、赤々とした火炎。
「逃げてッ! ブレスがくるわ……!」
背後にはまだ避難中の人々がいる。
放たせるわけにはいかない。
だけれど時間がない、適切な策がない。
――どうする。どうする。そういう時は、どうする?
心のなかでブラッドが笑った。
大笑いした。
やっちまえ、やっちまえ、と笑った。
「《加速》ッ!!」
加速。
ワイバーンに突っ込む。
ブレスを放つには近い距離、自爆を恐れてワイバーンは、口の端から炎を吹きこぼしつつ噛み付きにくる。
ギリギリで身を躱す。
そしてワイバーンの、一抱えはある首を――僕は両腕で、抱え込んだ。
良い解決法が思いつかない? 敵の性質が不明?
――なら、筋肉だ! 暴力だッ! やっちまえ! 心のなかで、ブラッドが拳を振り上げて叫んでいた。
ワイバーンから吹きあがる瘴気がじわじわと腕を侵そうとするが、腕の火傷痕が。
男の勲章が白炎をあげて、それを阻む。
「お、おぉ……!!」
抵抗するワイバーン。
首を抱えて気道と血流を塞ぐ僕。
両足を開いて腰を落とし、がっちりと地面を確保。
満身の力を込めて、ワイバーンの抵抗する動作に合わせて身を捻る。
――飛竜の巨体が、宙を舞った。
前庭の、とうに壊れてデタラメに水を吹き上げる噴水へ、ワイバーンが転倒する。
衝撃。地響き。
だけれど首に回した腕を、しっかりと掴み合わせる。離さない。
「く、首投げ……?」
誰かの声が聞こえた。
そう、首投げだ。
首を抱えて投げるのだから、そりゃ首投げに決まっている。
当たり前だと思いながら、ぎりぎりと転倒した飛竜の上に覆いかぶさるように締め上げを続行。
背後、ワイバーンの体がものすごい勢いで暴れ、跳ね回り、痙攣している。
なんとか僕の締め上げを外そうと、必死になっている。
「ぉ、ぉ、お、おッ!!」
全身の筋肉に力を込める。
満身の力で、飛竜と力比べ。
抵抗を抑えこむ。
むしろ押しこむ、地面に捩じ伏せる。
逃がさない。
おまえは逃さない。
お前のその口から、それ以上その炎は吐かせない。
その翼でそれ以上空を飛ばせない。
その牙で、その爪で。
それ以上、誰も傷つけさせない――!
ぎりぎりと、首を締め上げ、曲がっていけない方向へ捻り――
観衆が息を呑むなか、ぼきり、と。
ついにワイバーンの頚骨から、鳴ってはいけない音が響いた。




