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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第四章:栄華の都の娼女〉
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「う、ぐ、ぐ……」


 僕は痛みに悶えた。

 頭や頬がガンガン痛む。


 なんだっけ。

 あれから確かフラフラの状態で殴り合ったあと、ぶっ倒れた挙句に何がおかしいのか二人で馬鹿笑いして……

 なんかお代を払って、肩を組んで次の店にいこうとしたところで側溝に嘔吐して……

 どうなったっけ、何かそれでも笑っていたような気がするんだけど……


「それで二人してお店で寝潰れて、店の女の子経由で私に連絡が来た、と」


 とん、と目の前のテーブルに、暖かい白湯さゆの注がれたカップが置かれた。

 両手で包んで飲む。暖かい。美味しい。


「…………率直に言うけど馬鹿じゃないの?」

「申し開きのしようも御座いません……」


 目の前には、ルナーリアが居た。

 普段は結い上げられている黒髪は、今は解かれて無造作に背中に流されている。

 整った鼻筋、白い首のライン。紫苑色と黄金の、吸い込まれるような色違いの瞳は、今はさも「呆れた」と言わんばかりに細められている。


 集合住宅インスラの二階の部屋には、落ち着いた調度が並べられていて。

 ――どこか覚えのある、甘やかな匂いがした。

 

「あの、サミュエルさんは……」

「私より先に、夜間警邏にあたってた金髪の神官戦士が知らせを受けてやってきていたわよ。俵みたいに担がれていったわ」

「…………」


 南無。


「それで、体調は戻った? 吐き気はない?」

「なんとか。本当に、ご迷惑おかけしました――」


 頭を下げる。

 まさか、彼女の方に連絡がいってしまうとは思わなかった。

 馬鹿騒ぎをした挙句に、酔いつぶれて引き取りにきてもらうことになるだなんて、本当に申し訳ない。


「まぁ、いいわ。どうせ暇だったし」

「……暇?」

「駆け込み訴えで悪魔を告発して聖騎士さまの活躍に華を添えちゃったりするとね、流石に色々面倒なのよ」


 色々と休業してほとぼりを冷まさないと、と彼女は言った。


「…………」

「もう、そんな顔をしないの。私が勝手にやったことなんだから」


 思わず無言になってしまった僕を見て、彼女は苦笑した。

 テーブルの上、白湯のカップを包んでいた僕の手に、彼女の白く小さな手がそっと添えられる。


「ねぇ。……酔い覚ましに、少し歩かない?」




 ◆




 東の空が、微かに紫がかっている。

 夜明け前の《涙滴の都》は、ひどく暗く、涼しく、そして静かだった。

 昼には賑わう街並みも、こうして歩くとまるで巨大な墓石が並ぶ、太古の遺跡のようにも思えてくる。


「…………」

「…………」


 ――無言で、並んで歩く。


「もうそろそろ、帰るのよね」

「そうだね」


 あまり《灯火の川港(トーチポート)》を空けているわけにもいかない。

 予想外の事態と怪我で予定が狂ったけれど、そもそもが一時的な来訪だ。


 そのまま再び、沈黙。

 互いに言葉もなく、歩く中――


「少し変なこと、言ってみてもいいかな」

「何かしら?」


 そんなことを言おうと思ったのは、どうしてだろう。



「……一緒に来ない?」



 きっと昨晩、サミュエルさんにねじこまれたお酒が、まだ残っていて。

 それで、馬鹿になっていたのかもしれない。


「あら、ずいぶん大胆なことを言うのね」

「そうだね」


 そう言うと、彼女は苦笑した。

 やっぱりどこか、嘘の気配のする、綺麗な笑みで。


「嬉しいけれど。嬉しい、けれど――……でも、お断りね」


 嘘の気配のない、柔らかな言葉を口にした。


 なんでもないことを話すように。

 僕たちの歩調は、変わらない。


「ずっと貴方の傍近くにいたら、たぶん私、命がいくつあっても足りないでしょ」

「そうだね。僕もきっと、そうだと思う。でも――」

「私も命は惜しいのよ」


 嘘の気配もなくそう言い切って。

 彼女は黎明の空を見上げる。


「……死んだら貴方が、けっこう悲しみそうだし」


 そうして発された言葉に、僕は目を見開いて。

 それから、苦笑した。

 ――そう言われてしまったら、もうそれ以上は、何も言えそうになかった。


「そうだね、きっとすごく悲しむよ。泣いちゃうかもしれない」

「まぁ、聖騎士さまともあろう方が」


 肩を竦めてそう言うと、彼女がわざとらしく口を覆って上品に笑った。


「……でも、ね」

「うん」

「私は嘘ばかりだけれど、あの訴えで語ったことは、ヴォールトの天秤にかけて本当よ」

「そっか」


 それからまた、沈黙が落ちた。

 あてもなく、街路を歩く。


「ね。……一つ我儘を、言ってもいいかしら」

「なにかな」


 朝日が見たいわ、と彼女は言った。

 いいよ、と僕は頷いた。




 ◆




 微かに紅がかった紫。青。橙がかった白。

 様々なグラデーションを描きながら、朝日が昇る。


 僕たちはそれを、ひときわ高い建物の屋根に座って眺めていた。

 足場を色々と工夫して、彼女を抱えて、なるたけ静かに登ったのだ。

 ちょっとした悪戯でもするように、互いにくすくすと笑いながら、こっそりと。


「……綺麗だね」

「そうね」

 

 街を覆っていた眠りと沈黙のヴェールは日差しとともに溶け落ちて、静かな遺跡のようだった街々もいつもの喧騒を取り戻そうとしていた。

 目を覚ました鳥たちの鳴き声。

 行き交い始める車馬の音。

 人々のざわめき。


「ホント。色々、ままならないわよね」

「そうだね」

「……貴方たぶん、尋常の相手とはまっとうに結ばれない類よね」

「前に事故物件って言われたけれど、きっとそうなんだろうね」


 黎明の光を浴びながら。

 彼女は僕に向けて、そっと肩を寄せかける。


「貴方はきっと、灯火の神さまと添い遂げる。――灯火の神さまの忠実なしもべ、良き伴侶として」


 見上げる視線。

 悲しげな口角は――けれど直後に、にぃ、と吊り上がった。


「……つまりいわゆる聖物性愛ヒエロフィリアね」

「なんでそうなるの」

「それとも実は、歌で歌われてる銀髪のハーフエルフの男の子とかと」

「なおさら違うよっ!?」


 言うと彼女は、本当かしら、とくすくすと笑った。

 急になんなのさ、と僕はむくれる。


「ねぇ。……私はあなたと一緒に行けないけれど、あなたはまたいずれ、この都に来るのでしょう?」

「そうだね」

「あなたの奥さま(はんりょ)は、グレイスフィールさま。でも――」


 ちょっとした悪巧みでも提案するような。

 そんな笑みで――



「かわいいお妾さんとか、男の夢じゃあないかしら?」



 冗談めかして、そう言った。


「貴方が都に来るたびに、甘やかしてあげる。……あなたの神さまに出来ないことも、みんな」

「それは……」

「……それは?」

「それでも、多分……」


 心の奥で、黒い沼がぼこりと弾ける。


「君を、幸せにはできない」


 胸の奥底の黒い塊を、吐き出すように。

 気づけば絞り出すように発された、震える声は――


「あら、良いじゃない」


 彼女の笑みに、あっさりと断ち切られた。



「だって。――恋なんて案外、禍々しくて不吉で狂気じみたものよ」



 それはいつかの言葉。

 彼女の言葉だ。


「不幸せになることだってあるし――ああ、今なら分かるわ。そうなっても、それはそれ、よ」


 それに第一、私は自分で幸せになるわ、と彼女は笑う。


「…………」


 僕は気づけば、目を見開いていた。

 僕を縛る何かを、彼女の言葉は次々に断ち切ってゆく。


「――それでね、百年もしたら歌になるの」


 彼女はそれこそ、歌うように囁いた。


「神さまに仕える騎士に、最初は間者として近づいて、陰謀に巻き込んで。

 でもいつの間にか目で追いかけて、ささやかな言葉に心を踊らせて、命を救われて。

 身を擲って神前で証を立てて、そして身を引いて想いを募らせる――」


 幸せにできなければならない、と思っていた。

 もちろん、今でも不幸せにしていい、だなんて思ってはいない。


 けれど――



「そんな、都の娼女の恋の歌」



 腹の奥によどむ黒い沼のような義務感は。

 気づけば、どこかへ消えていた。 


「…………それとも、迷惑?」

「…………」

「あるいはホントに聖物性愛ヒエロフィリア?」


 畳み掛けられる。

 ――何かと思ったけれど、まさかの伏線だった。


聖物性愛ヒエロフィリアは否定したいなぁ……」

「そう」

「迷惑じゃない、ってのは、尚更に主張したい」

「なら、証明しないといけないわね?」


 僕を見上げたまま。

 ルナーリアが、そっと目を閉じる。

 流石に僕でも、この状況でどう振る舞えば良いのかは理解できる。

 ……僕はそっと、彼女を抱きしめた。


 朝日が昇る。白光が世界を満たす。

 ――夏の風がやわらかに、栄華の都を吹き抜けていった。




       〈最果てのパラディン  第四章:栄華の都の娼女 完〉

 


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― 新着の感想 ―
私は貴方の小説が堪らなく好きです。是非存分に続けて頂きたいです。
ウィルの初恋、になるのかな。実らなかったけど、きっと忘れられない人のひとりになるんだろうなぁ。 ウィルが規格外だから、やっぱり伴侶となれるのはそれこそ半神くらいじゃないと無理なのかな。。。
[一言] 悲恋も美しいけど、前世で報われなかった分。ウィルには普通の人として幸せになってもらいです。ウィルの家族の分まで!
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