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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第四章:栄華の都の娼女〉
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36


 ……情けない話だけど、あの後のことはあんまり覚えていない。

 一撃斬りつけて首が飛んだのを確認した瞬間、僕はそのまま昏倒し、行動不能になった。


 呪いの残滓やら疲弊やら内傷やらでズタボロの限界近い体を、根性と信仰で無理やり動かしていたのだ。

 やり遂げて脳内麻薬が切れた瞬間に、スイッチを切るように視界が暗くなり、膝の力が抜けて倒れた。

 自分でもびっくりするほどの昏倒ぶりであり――



 ……そして本当に、恐ろしい綱渡りだった。



 一撃で殺し切ることに成功したから、安心して倒れることができたけれど。

 もしも一つ間違えば、絶望のまま意識を失うところだった。


 不準備を突いたから魔法的な強化はなされていないとはいえ、対峙したのは《将軍級ジェネラル》の悪魔。

 逆に首をもがれていたのは僕の方、というその可能性は実のところ、それなりに高かった。

 全身の不調で、あの払いからの連続技が一つでも乱れていたら、あるいは相手方の動きがこちらを上回ったり、斬撃への高い耐性でも持っていたらその時点で終わりだ。


 一撃で勝ったのは余裕だったからでも、僕が強いからでもない。

 もしそれで殺せなかったら順当に僕が死ぬだけの、一撃必殺に賭け「なければならない」――

 つまりはそこそこに分のある程度のところに命を張る、やけっぱちの博徒の賭けみたいな戦いだったというだけの話だ。


 もちろん戦いであれば、そういう場面は往々にしてある。だからこそ日頃、鍛えに鍛え抜いてきた体と技を信じたけれど……

 それでも正直、博打の守護神である風神さまが見ていてくれて良かった、というのが正直な感想だ。


 正直に言って、僕好みの戦い方ではない。

 もっと主導権を握り、相手の情報を押さえ、対策をきちんと講じて優位を確保して、まず「負けない」状態を作ってから圧殺するのが戦いの正道だと思う。

 常にそう上手くゆくとは限らないけれど、こんな戦いを繰り返していたら命がいくつあっても足りないし、次はここまで追い込まれないようにしたい。


 そのためには――などと、反省や今後の鍛錬の計画などを、僕は今、ぼんやりと考えていた。

 ズタボロの僕のために用意された、エセル殿下の邸宅の一室の寝台は、体が沈むほど柔らかいもので、どうにもふわふわして、落ち着かない。

 つい不用意に寝返りを打とうとして――


「あ、あがが……!?」


 無理を重ねた体が軋み上がった。

 ズキズキと芯に響く痛みを堪えながらなんとか姿勢を変えて、


「はー……」


 ゆっくりと息をつく。


 スペキュラーを斬ってから数日。

 療養のためにベッドに縛り付けられている間に、色々なことが起こっては過ぎていった。


 ……まず、魔人の件。

 あれはルナーリアがあの見事な演技で誘導したとおり、あの騒動は悪魔たちの仕業、ということで片付いたようだ。

 聖騎士を撃破した後、聖騎士に化けた塑像の悪魔が暴れることでその名を落とし街を混乱に陥れる。

 そういう策だったのだ、という解釈だ。


 けど――あの状況で最善は尽くしたとは思っているけれど、それでもヴァラキアカを制し切れなかった責任はある。

 ヴァラキアカの手で、多くの物が壊され、多くの人が傷ついた。犯人は僕ではないけれど、責任までまったく無いとは言い切れないだろう。

 ルナーリアの配慮はありがたいけれど、やはりしかるべき裁きを受けるべきではないか、と考え――


「本当に収拾がつかなくなる、それだけはやめろ」


 とエセル殿下に、ほとんど命令調で言い渡された。

 更には「償いたいならば、今後の働きでファータイル王国、ひいては《涙滴の都》に返せ」とも。


 そう言われると、周りに迷惑をかけてまで裁かれにゆくわけにもいかない。

 ずいぶん悩んだ末に、口を噤むことにした。


 そして僕にそう言い渡したエセル殿下は、あれからものすごく慌ただしく動き回った。

 特に、今回の件で名前に傷がついたヴォールト神殿とは、水面下で何度も交渉を重ねていた。

 表向きは神殿を庇い、その名誉の保全に努めつつ、裏ではかなりの貸しを作ったようだ。

 ――目的だった政治交渉は、それなりに上手く進んでいる様子だ。


 ヴォールト神殿の皆さんたちは、成り代わりの発覚直後こそ混乱はあれ、立ち直りは早かったようだ。

 もともと治安を預かる、割と武張った側面もある組織だ。

 急に要職が欠けても、すぐに次席が引き継いで回す体制は整っているのだ。


 彼らは変わらず日々の勤めをこなし、また名誉挽回とばかりに今回の騒動の後始末に邁進している。

 多少傷ついた信頼も、回復はすぐだろう。

 

 ……そしてまた、義賊《空ゆくもの》が出た、という話を聞いた。

 邪教信奉者と悪魔たちが隠れ家にしていたある家屋を襲撃して制圧し去っていったのだけれど、後から踏み込んだ神官戦士団は驚愕を余儀なくされたという。


 ――その悪魔たちの拠点の奥に、やつれ果てた本物の管区長(・・・・・・)が転がっていたのだ。


 悪魔たちが管区長を生かしていた、というのは驚くべきことではない。

 スペキュラーがしくじった場合、「そのタイミングで本物に首でも括らせて逃げれば、本物に責任を負わせることができる」という利用価値もあるし……

 何よりこの世界、あの不死神の祝福が存在するので、下手なタイミングで殺すと不死者アンデッドになる可能性があるのだ。

 高位のゴーストなどに変化されては拘束は至難だし、真実をぶちまけられてしまう。


 管区長はほとんど瀕死に近い状態だったようだけれど、なんとか一命を取り留めたようだ。

 殺害された可能性のほうも十分に考えられる状況だっただけに、神殿関係の人たちは、みなその無事を喜んでいた。

 ……そんな中、ご当人は周囲に礼を述べるとともに、「修行が足りなかった」などとやせ衰えた顔で真顔で言っていたそうだ。

 やはり本物は勇猛精進ゆみょうしょうじんの権化のような人だ、などとお見舞にきたセシリアさんが苦笑していたっけ。


 ――そんな話を聞きながら、僕はずっと寝台に横になっていた。

 悪魔の群れと戦い、呪いを打ち込まれ、竜に乗っ取られ、押さえ込み、半日で起き上がって悪魔の将軍を切り伏せ……そんな無茶の反動は、見事に体に出た。

 祝祷で治せれば起き上がれるけれど、呪いの残滓のおかげでそうもいかず、まる十日ほどは起き上がるのも辛い状態が続いた。


 そして――

 

 


 ◆




 その日は、日差しの強い夏の午後だった。

 マロニエの木が等間隔に並ぶ庭園の花棚には、ガーベラやゼラニウムが鮮やかに咲き誇っている。

 クレマチスの蔓が這う小さな石垣の向こう、木々の木陰に、白いテーブルがある。


 ――そこに、待ち人の背が見えた。


 僕はゆっくりと、片手に杖をついて歩く。

 まだ全身が本調子ではない。

 あの酷い痛みはだいぶ引いてきたけれど、それでも時々と痛みが走って体が崩れそうになるので、もう少し杖のお世話になることになるだろう。


「……はじめまして」


 そう声をかけると、


「あら、お客さま……?」


 彼女は振り向いた。 

 ふわりとした柔らかな印象の白い髪に、灰色の目。耳はメネルを思い出す、いくらか尖った耳。

 背筋のスッと伸びた、物柔らかな印象の、品の良い老女。


 彼女は瞳を彷徨わせ――けれど、僕の姿を捉えられなかった。


「あ……」


 心臓が一瞬、縮むような感覚があった。


「……目、が?」

「ええ、最近はもう、すっかり目も弱ってしまって」


 彼女は灰色に濁った瞳を細めて、穏やかに微笑んだ。


「ぼんやりした輪郭とか、明るさくらいなら、まだ分かるのですけれど……」


 ……たぶん、祝祷でも癒せない、老いに伴う自然な衰えだ。


 人間とエルフの混血、ハーフエルフは人より長く生きるけれど、それでも平均してせいぜい人の数倍――二百年か三百年か、そのくらいだと言われている。

 個人によってもその生の長さはまちまちで、平均よりもずっと長く生きる人もいれば、ずっと短い人もいる。


 エルフの血のあらわれの濃さによるものだ、という説もあるけれど、メネルはそれを否定する。

 そうではなく、ハーフエルフというのは、自覚的にか無自覚にかの差はあれ、いつか決定的に選ばなければならないのだと。


 森のなか、水と土とともに悠久を生きる、精霊に近きもの、エルフたちの生き方か。

 それとも猛る火のようにきらめいて、吹く風のように消える、人間たちの生き方か。

 ふたつの血のはざまにあるものは、選択をする。


「あなたのお声は、若々しくて張りがあるわねぇ。……足音からして、少し体の調子がお悪いのかしら?」

「あ、はい。少し大きな怪我をして、昨日まで寝込んでおりまして」

「まぁいけない。どこか痛みません? さあさ、おかけになって」

「ありがとうございます。だいぶ治ってきたのですけれど、まだ少し歩きづらくて」


 杖にすがりながらの不器用な動きで、小さなテーブルを挟んで向かいの席に座りながら、思う。


 ……きっと彼女は、選んだのだろう。

 炎のように輝いて、そして風のように儚く吹き去る人々のうちで。

 彼らとともに在ることを、彼らのように生きることを。


「ふふ、うちの玄孫やしゃごったらひどいのよ。お客さまが来るけれど、来れば誰でどういう用件かは分かるから、だなんて」


 いい加減よねぇ、と苦笑する彼女に、僕は微笑みを返す。


「きっと驚かせたかったんでしょう」

「あらあら、いけない人ね。こんなおばあちゃんを驚かせたら、心臓が止まってしまうわ」


 私はもう少し、生きないといけないのに。

 彼女はごく自然に、そう呟いた。

 それはもう何度も繰り返したような淀みない言葉であり――そしてどこか少しだけ、空々しかった。


「詩人も歌う、かの待ち人、ですか」

「ええ。……もう叶わないだろう、って、分かってはいるのだけれどね」


 それはそうだろう。

 だって、まともに考えれば、もう来るはずもない。


 誰だって、「二百年前に死地に向かったはずの人たちに、借りたものを返す日を待っている」なんて言われたら、流石に望みは無いと考えるに違いない。

 叶わぬ願い、哀しい物語だと、そう思わざるをえない。


「それでもね。……夫と交わした、最後の約束なの」


 彼女は目を細め、口元をゆるめる、笑う。

 何か懐かしいものを、朧な視界の向こうに見るようにして。


 ……二百年。

 その歳月の重みは、僕には分からない。


 たった数十年がとてつもない重荷だった、朧な記憶の前世の僕にも。

 まだ十八年しか生きていない、今生の僕にも、分からない重み。

 その重みを、ずっと背負ってきたのだ。


 穏やかな沈黙。

 ――丁寧に剪定された庭を、夏の風が吹き抜ける。


 目の前で微笑んでいるこの人を見ると、なんだか言葉が出てこない。

 僕はゆっくりと息を吸って、吐いて、もう一度吸う。


「それで……本日、お訪ねした用件なのですが」

「はい」


 姿勢を正す。



我が祖父たる賢者(・・・・・・・・)オーガスタス(・・・・・・)に代わり、罷り越しました」



 その一言を告げた瞬間。


「え……」


 彼女は目を、まん丸に見開いた。

 それに構わず、僕は続ける。


「『短剣一振り、銅貨と銀貨一袋。加えて歌には省略されたようじゃが革の水袋に古外套、荷袋の中には針と糸に火口箱と堅パンにチーズ。

  加えて、その、なんじゃ。ワシのほうで紹介状を一筆と縁の削れた金貨一枚を底に潜ませた』と祖父は申しておりましたが」


 貸し付けたぶんの財物は、これで全てでよろしいでしょうか。

 かしこまった口調で、そう確認する。

 と、彼女は見開いた目を瞬かせ――


「……これは、夢、なのかしら」


 と、呆然とした様子で言った。

 いいえ、と僕は静かに首を横に振る。


「だって、そんな。あの人たちは、帰ってこなくて……」

「はい」

「子孫だって、いなくて……夫も、ちゃんと、調べて……」

「はい」

「詩人に頼んで歌にもしたわ。たくさん広まった。それでも来なかった」

「はい」

「ずっと、来なかった。待ってた夫が年をとって、おじいちゃんになっても、ずっと」


 呟くような彼女の言葉に、頷く。

 彼女の灰色の瞳には、涙が滲んでいた。


「……彼ね。『それでも』って言っていたの。もうすっかり年を取ってしまって、それでも誰も来なくて。

 それでも。それでも。って。それでも、もしかしたら……もしかしたら、神さまが何かものすごい奇跡を起こしてくださるかもしれないから、だから待っててくれないかって。お前にしか頼めないから、」


 もういなくなってしまう自分の分も。

 降り積もる、冷たい年月の中で、ずっと、ずっと――


「待っててくれないか、って……」

「はい」


 すぅっと、彼女の頬を涙が伝う。

 朧な僕の影が夢ではないと確かめるように、彼女は僕へと、テーブル越しにその手を伸ばした。

 恐る恐ると言った手つきで、腕や、肩や、顔に触れる。


 触れられる僕は――なんて言ったらいいのか分からなくて、それでも。


「――ウィリアム・G・マリーブラッドと申します」


 左胸に手を当てて。

 ただ、大切な名前を名乗った。


「ブラッドとマリーの子で、ガスの孫です」

「……そう。そうなの……」


 たぶん年齢のこととか、経緯のこととか、たくさんの疑問はあるのだろう。

 あるのだろうけれど、彼女は一切の疑問を挟まず、ただ微笑んで、


「……喋り方はお母さまに似て優しいけれど、声の張りはお父さまにそっくりね」


 優しい口調で、そう言った。

 なぜだか僕も、泣きそうになった。


 そんな僕を、灰色の瞳で見つめて。

 彼女は椅子から立ち上がると、僕を見つめたまま――



「ありがとうございます。……亡き夫の魂とともに、頂戴したご厚意、貸して頂いた数々の品々に、心よりの感謝を申し上げます」



 すっと、上品にスカートを摘んで一礼した。

 それはとても、美しい一礼だった。


「きょ、恐縮ですっ。こちらこそ、お会いできて本当に光栄です」


 僕も痛む体をこらえ、慌てて立ち上がって礼を返す。


「それで、あのっ」

「ええ」


 勢い込んで続けようとすると、彼女は微笑み、頷いてくれた。


「もしよければ、父や母の話を聞かせて頂けませんかっ?」


 この人の目から見た彼ら。

 家族の昔の話が、聞きたいと思った。


「もちろん喜んで。私こそ、貴方の話がとても聞きたいわ。……ああ、そうだ、お茶を淹れさせましょうか」


 お互いに、長い話になりそうですものね、と彼女が冗談めかした。

 そのとおりだと、僕はその言葉に頷く。

 ……きっと長く、そして楽しいお話になるだろう。



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何度も何度も何度も繰り返し最初から読み直し、このお話にたどり着くたびに年甲斐もなく涙を流してしまいます。 こんなに美しく幸せなお話に未だ巡り会えていません。 最果てのパラディンという作品に巡り合わ…
うおおぉーっ、泣ける!
何度読んでも泣いてしまうよね。 このエピソードは本当に好きなんだ。
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