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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第四章:栄華の都の娼女〉
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34



 

 朝方のヴォールト神殿の広い敷地は、現在、前庭や回廊も含めて、先の事件で怪我をしたり、家を失った人たちが寄り集う避難所となっていた。

 老若男女、さまざまな人々が身を寄せ合い、神官たちが水瓶や毛布、包帯などを抱えてあちらこちらと動き回っている。


 とはいえ、そこには怒号や泣き声が飛び交うような、必死な様子はなかった。

 この半日の間に、緊急の処置が必要な怪我人などへの対処はすでに済んでいるのだろう。

 非常時においても明確な指揮系統に服し、義務を着々と遂行する規律の行き渡った神官たちの姿は、避難してきた人々の不安を幾分か和らげているように見えた。


 その中に――いた。


 幾人もの神官戦士たちに周囲を守られる、豪奢な僧服をまとった、ほっそりした白髪の老人。

 彼は避難民に声をかけ、あるいは神官たちに指示を出しつつ、前庭を歩いていた。


 メイナード管区長。悪魔になり変わられた神官。

 本当に僥倖だ、と思った。


 本来ならば恐らく、成り代わった塑像の悪魔スペキュラーも、神官としての務めは最小限に、高齢を言い訳にできるだけ姿を現したくはないだろう。

 秩序の神の信徒たちは規律に従順だけれど愚かではないし、神々も必要とあらばそれ相応の手を打ってくる。

 付け込まれやすい隙は、作らないに越したことはない。



 ……けれど今、彼は姿を現さざるをえない。



 そも、どういう経緯で成り代わりに成功したのかは分からないけれど、管区長といえば状況次第で王への謁見も叶う立場だ。

 《涙滴の都》に打撃を与え、上王の封じられた死者の街への進出阻止を目論む以上、スペキュラーはこの立場を容易には手放せない。

 ファータイル王国を崩しうる、絶好の立場なのだ。


 であるがゆえに、この状況で彼はきちんと衆目の前に現れないとならない。

 悪魔や謎の魔人が大暴れをして、無数の家屋が倒壊し、死傷者が出ている状況で、立場ある人間が陣頭に立たなければ信頼を損ない、強い疑念を生むからだ。

 恐らくスペキュラー本人にとっても大変不本意だろうけれど、いかに「リスクが高い」「危険だ」と認識していようと、この状況でかの悪魔は公衆の前に姿を現さざるをえないのだ。

 

 もちろん、それだって数日のことだ。

 立場ある人間が陣頭に立って、民心を安定させなければならない期間と言うのはそれほど長くはない。

 《涙滴の都》のように豊かな都市であれば尚更のことだし、化けた相手が高齢なのだ、「激務による疲労で」などという言い訳も使える。

 恐らくスペキュラーとしても、数日で姿を引っ込めて、また神殿の奥深くに戻るつもりだろう。


 勤めの多くを後進に譲り、奥まった部屋で祈りの日々を送る老齢の神官。

 時折妙な言動をしたとしても、年齢ゆえのことだと解釈される。

 疑われる要素は、ほとんどない。


 あとは時節を待って、王国に対して致命的な攻撃を仕掛ける。

 わかりやすい筋書き。明確な流れ。


 だから、たった半日で目覚められた、というのは本当に僥倖なのだ。

 サミュエルさんやルナーリアの助力。

 そして何より、神さまの叱咤によって。



 ――今、僕はここに立っている。




 ◆




「…………」


 ずきり、ずきりと全身が痛む。

 古い外套を目深に被り、武器といえば《夜明け呼ぶもの》だけを身に帯びて、僕は神殿を歩いている。

 よたついた足取りは、けれど避難者の多い中では逆に目立たない。


「大丈夫?」


 傍ら、僕を支えるルナーリアが囁く。

 彼女も古外套を被り、ほとんど似たような格好だ。

 心配げなその声に、大丈夫、と僕は小さく頷いた。

 全身がだるいし痛いしキツいけれど、これからもう少し歩いて、わずかの間の戦闘行動をする程度はなんとかなる。


 そのまま支えられつつ、怪我人を装ってメイナード管区長へと近づいていく。

 竜の感覚が告げる。やはり、その心臓は脈を打っていない。


「あ、の……」


 別動のサミュエルさんや、あるいはルナーリアの働きに期待するまでもなく。

 このまま一挙手一投足の間合いまで入れれば、抜き打ちで斬れる。


 そう思い、僕はそのままよたよたとルナーリアに支えられるまま管区長に近づいたのだけれど――


「お怪我でしょうか?」

「少々、その場でお待ちください」


 声とともに、複数名の神官戦士が、僕たちと管区長の間にするりと割って入った。

 彼らの挙措は、もうほとんど臨戦態勢だった。

 軽く足をたわめて、すぐにも僕に飛びかかれるようにしているのがその証拠だ。


 敵意を感知するたぐいの祝祷や、武装を感知する警報系の《しるし》の刻まれた魔法具、それらに重ねて治安維持や護衛で慣らした眼力。

 それらによってもう、接近する僕を危険人物と見なしたのだろう。


 これが故に、僕もサミュエルさんも以前の検討では討ち入りを躊躇したのだ。

 この練度の集団を相手取って、確実に標的を斬れると思うほど、僕は自信過剰ではない。


 ヴォールト神が手助けして下されば、とは思わないでもないけれど……

 あちらこちらに目配りし、世界中でさまざまな重要事件にあたっているであろう主神の助力が、自分にとって絶好の時に注がれる――だなんて、都合のいい空想のたぐいだ。


 人の手でするべきことを全て行って、それでもどうにもならなければ。その時は神さまはきっと助けてくれると、そう信じてはいるけれど。

 同時に、神々は僕にばかり都合のいい恩寵を注いだりしないのだとも、僕はまた確信している。

 だから――


「お顔を改めさせて頂きます」


 神官戦士のひとりの手がフードにかかったとき、僕は覚悟を決めた。

 ――神さま、どうか天の座にて、ご照覧ください。


 内心で呟いた次の瞬間には、フードが取り払われる。

 顔が露わになり、


「あっ……!」


 と、神官戦士たちが息を呑んだ。

 その声に避難民たちの注目も集まり――ざわざわと、徐々に喧騒が大きくなってゆく。


「最果ての、聖騎士……?」

「顔色が悪いが……」

「お、俺は見たぞ、あの男が街を焼くのを……」

「なんでここに」

「悪魔が化けてるんじゃ」


 寄せられる視線。口々に交わされる言葉。

 周囲からの、恐怖や猜疑、好奇の入り混じったさまざまな視線が自分に向けて集まる。

 いくさ場でもないのに、なぜか口の中が乾き、心臓が早鐘を打つような圧迫感。


 そんな中――



「――貴君ら、その男を拘束せよ」



 メイナード管区長が、どこか調子のおかしい塩辛声でそう言った。


「此度の騒動に関与した疑いのある聖騎士が、名乗りも挙げず、顔を隠し、剣を帯びて神殿を訪れる。……身分ある者の行いではない」


 何者かが化けている、あるいは操っている可能性があると、彼は言った。

 神官戦士たちが、目を泳がせ、互いに視線を交わす。

 逡巡する様子に、管区長は更に一言。


「ひとまず拘束せよ。しかし抵抗するならば押し包み、斬り伏せよ」


 強い口調だった。

 その声に押されるようにして、神官戦士たちが動き出す。


 やはり完全な奇襲からの殺害は不可能だった。

 そうして神官戦士たちが僕たちの前に立ちふさがった、その時――



「お待ち下さい!」



 澄んだ声が、壮麗な伽藍の並ぶ前庭に響き渡った。




 ◆



 

 僕と、管区長を守る神官戦士たちの間。


  

「どうかお待ち下さい! 申し上げます、申し上げます! 神官さま……!」



 光差す前庭で。

 黒い髪を振り乱し、色違いの瞳を涙に潤ませ、必死の様子で女が叫ぶ。

 ルナーリアだ。彼女はその場に居合わせた神官戦士たちに、切なる声で哀訴する。


「正義なりしヴォールトの剣たる皆さま、どうか刃を抜かれる前に今一度問うてください! それは正義の行いなのかと!」


 僕の傍ら。

 手を組み、膝をつき、ほろほろと涙を流しながら、戦士たちを見つめる黒髪の佳人。

 それはまるで、物語の場面を描いた一幅の絵画のようだった。


「これなる聖騎士さまがこのように消耗していらっしゃること! そうして我々が素顔を隠してこの神殿を訪ったことには、深い理由があるのです……!」


 胸を焼かれるかのように苦しげに叫びながらも、それでも彼女の声は澄み渡り。

 錯乱したかのような振る舞いにありながら、彼女の一挙手一投足はそれでも美しく――人々の視線を集めていた。

 ざわざわと喧騒が広がり、大騒ぎをする彼女のもとに、野次馬が少しずつ集まってゆく。


 それはもう、お手本のように見事な『駆け込み訴え』だった。


 僕では絶対にこんな真似はできないだろうし、サミュエルさんでも難しいだろう。

 なんだかんだ、僕たちは戦士の類だ。この手の立ち居振る舞いは、専門外だ。


 けれど、彼女は違う。 



「私はすべてをお話いたします! 聖騎士さまの、そしてこれなる管区長さまの恐るべき真実を!

 偉大なる雷の神、正義の化身の加護を受けし皆さま! どうかヴォールトの裁きの天秤にかけて、この訴えが真実であることをお示し頂けますまいでしょうか……!」



 そう言われて、メイナード管区長の肩が、一瞬、びくりと震えた。

 神官戦士たちも、驚きに目を見張り、視線を彷徨わせる。

 秩序と裁きを司る雷神、ヴォールトの与える加護のうちには、確かにそういうものがある。

 

 その者に一定時間、一切の詐称と空言を許さぬ、身の証を立てるがための真実の加護。

 ――《雷神の裁きデヴィヴァイン・ジャッジメント》の祝祷。


「と、突然に何を言い出すか! 悪魔が化けておるのやもしれぬのだぞ、長々と問答を――」

「――おや、裁きの祝祷をもって身の証を立てたいと? 昨今珍しい訴えですね。ですが、よろしいでしょう」


 ふと、横手からいくつもの足音とともに、声がした。

 現われたのはさらなる神官戦士たちを率いた、堂々とした佇まいの金髪の女神官戦士――セシリアさんだ。

 彼女は僕を見て、少し驚いたように目を見開くも、すぐにルナーリアに視線を向け、それから管区長に視線を向ける。

 どうやらサミュエルさんは、上手く一つ目の仕事をこなしてくれたらしい。


「さて。状況は今ひとつ理解しきれてはおりませんが……

 古来よりの定法として、雷神ヴォールトの神殿に駆け込み訴える者には、常に己が弁舌にて真実を証だてる権利があります」


 そうですね、と彼女は管区長に念を押すように告げる。


「しかし――」

「定められし法ゆえに、請われれば私はそれを用いましょう。ただ――」


 彼女は淡々と言葉を続ける。

 確かに、そういう祝祷は存在する。けれど、よほどのことがない限り、この祝祷は用いられない。

 なぜならば――

 

「もしも《雷神の裁きデヴィヴァイン・ジャッジメント》を受けた弁舌のさなか、空言を口にすれば、ヴォールトの裁きの雷は貴方の心の臓を灼き貫きます」


 神の威を以て真実を証だてるには、それ相応の危険が求められるからだ。


「よろしいですか?」

「構いません。私は一切の虚言を申しませんもの」


 ルナーリアが、楚々とした調子で口にした。

 そして彼女は振り返り、僕を見た。


 ――その唇が、一瞬、にぃ、と薄く三日月型に歪んだ。


 まるで毒蛇のような笑み。

 小さく頷くけれど、なんだか背筋をつぅっと指で撫で上げられるみたいな悪寒が走った。


「…………」


 普通なら心配するところだろう。

 というか、心配しなければならないだろう。


 か弱い女性が今、明確に危ない橋を渡ろうとしている。

 それも、僕のために。


 けれど、なぜだろう。

 僕の心には心配も不安も、これっぽっちも湧いてこなかった。

 


 ……なぜなら、僕にはルナーリアがここでしくじる場面が想像できない。



 少なくとも、この手の立ち居振る舞いに関して――僕は、彼女の手腕を、心から信頼している。

 彼女は、《最果ての聖騎士》と、互角以上に渡り合った強者なのだ。

 




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