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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第四章:栄華の都の娼女〉
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「些かマズいことに、なりつつある」

「なった、じゃないんですか?」


 顔をしかめたサミュエルさんに、僕はそう返した。

 ……彼の性格上、そんなことはまず言わないだろうけれど、「もう終わりだ」に類する言葉が出ることまで、僕は覚悟していた。


 おそらくは海沿いにあるのだろう、どこからか潮の匂いのする倉庫か何かの地下室――《空ゆく者》の義賊で仕事に使われているであろうセーフハウスの類だろうか。

 《しるし》の明かりに照らされて、テーブルを囲んでいるのは僕と、だいぶくたびれた様子のサミュエルさん、それにルナーリアだ。

 

 先程まではサミュエルさんのメイドさん――青い髪のあの女の人も居たのだけれど、《光のことば》に触れて明かりを灯すと退出していってしまった。

 先日も彼女が《しるし》を扱う場面を見た。

 マナの収束の手際の良さを見るに、一流とは言わないまでも、それなりに魔法の心得があるらしい。


「完全に悪くはなってはいない。なりつつある状況なのは確かだがな。

 どのくらい寝ていたつもりかは知らねぇが、今はお前が倒れてから半日と経っていない夜明け前だ。噂も錯綜して、まだあちこち混乱してやがる」

「…………あれ? その程度だったんですか?」


 ちょっと寝過ごした程度の時間経過に、僕は少々びっくりしてしまった。

 流石にこれだけ甚大なダメージを負って、しかも呪いや毒なども、今思い返すとゾッとしてしまうほどの量を打ち込まれていた。

 あの呪いと毒、致死量換算で何十人分、ひょっとして何百人分になるのかちょっと見当がつかない。


 強烈な呪いの滞留や、竜の憑依による気脈の乱れもある。

 祝祷術で回復させるにしても限度があることも勘案して、かなり長く昏睡をしていたのではないか。

 僕はそう考えていたのだけれど。


「ああ。ラズ……うちのメイドも、こんだけ毒と呪いと傷でズタボロな上にマナの流れをグチャグチャにされてたら、少なくとも数日、あるいはもっと長く目覚めないだろうと見立ててたんだが」

「私もそのつもりで、付き添うつもりだったのだけれど――」

「けれど、いま僕が起きてるってことは何かあったんだよね」


 祝祷だろうか。それとも魔法?

 サミュエルさんはいったいどんな手管を使って――


「いや、何も使ってねぇんだが」

「へ」

「なんで今起き上がれるんだお前」

「……へ?」


 なんだか変なものを見る目で見られて、僕は思わずポカンとしてしまった。

 思わずルナーリアに目を向けるけれど、


「……私だって、何もしてないわよ」

「熱烈な看病ぶりだったけどな」

「う、うるさいわね。そういうこと言ってる場合じゃないでしょ」

「いやいや、愛の力って可能性も……」

「愛で毒や呪いが癒せるなら、医者も神官も商売あがったりよね」


 からかい口調のサミュエルさんと、邪険に手を振るルナーリア。

 この様子だと、本当に二人とも心あたりがないようだ。

 で、まさかヴァラキアカがこんな気の利いた置き土産をしてくれるわけもなし――と、僕は口元に手をやって考えようとして。

 そして、ふと気づいた。



 ――手に絡みつく、火傷痕。



 あの『勲章』が。地母神の炎を受けた腕が、微かに熱を帯びていた。

 幼い日の思い出が、瞬くように脳裏をよぎる。

 そしてあの冬至の決戦の、不死神の言葉。



 ――その体、まさか大半が聖餅か!?


 

 毎日、マリーが、おかあさんが痛みとともに祈り、授かり、そして僕へと与えてくれた聖餐パン

 僕は聖餐を食べて体を育んで、そしてその体を、ずっとブラッドと、おとうさんと鍛えてきた。


「……ああ」


 起き上がれた理由が、分かった。

 これは、あるいは、失われるはずの時間だったのだ。


 ほんの少しだけ、何かが噛み合っていなかったら――ほんの少しだけ、何かを怠っていたら。

 僕は倒れて、長い眠りに落ちて。敵にみすみす時間を与え、そのまま汚名を被って終わるはずだった。

 

 少しだけ目を伏せ、灯火の神様に、容赦なく叩き起こしてくれたことへの感謝を捧げる。

 彼女が、微かに微笑む気配する。


 ……竜の力を得ても、変わらないように努めた。

 ずっとずっと、彼らと共に居たときのように、祈って、食べて、鍛えてきた。

 だからまだ、僕は立ち上がれる。取り返しにゆける。


「こんなにも早く起き上がれたのはね」


 失われるはずだった、貴重な時間を失わずに済んだのは――


 

「……毎日パンを食べて、ちゃんと鍛えていたからだよ」

  


 そう真相を告げて、僕は、心から笑った。

 どこかでマリーとブラッドが、微笑んでくれた気がした。

 

「パン……?」

「……??」


 サミュエルさんとルナーリアが疑問げに首を傾げ――


「聖なる筋肉は無敵、ってことで」


 僕は冗談めかして笑った。

 

 ――鍛え抜かれた筋肉による暴力は、だいたいの問題を解決する。

 ブラッドの言葉は、やっぱり正しいのだ。

 

  

 

 ◆




 現時刻は夜明け前。夕刻に僕が暴れてからほぼ半日が経過した形。

 悪魔たちが巻き起こし、ヴァラキアカが加速させた騒乱と破壊は、当然ながら大規模な騒動になったらしい。

 

 今も騎士や神官戦士たちが駆け回り、怪我をしたり、家を壊されたりした人たちの保護や治療にあたっている。

 神殿や公的施設はそれらの受け入れに大わらわ。

 お城の方でも文武の臣が大慌てで登城して、諸々の処理にあたっている。

 瓦礫の撤去、重要施設の警備の強化、悪魔の残党の狩り出し、暴動などへの対策も含めた民心の慰撫、エトセトラ、エトセトラ――やることは多い。


 そして、


「お前……っつーか、竜の暴れぶりだが、当然ながら噂になっている」


 炎の翼、風の爪。金色の瞳をした、魔人。

 恐るべき「何か」の破壊は、当然ながら多く目撃され、語り草となっている。

 

「が、現段階では話はずいぶん錯綜しているな。

 信頼できる手の者を調査に動かしてるんだが、『聖騎士に似ていた』って話も無論あれば、『《空ゆく者》と戦っていたあれは上位の悪魔か?』みたいな話にもなっている」


 即座に断定、といかないのも納得だ。都の人口は多い。

 その中で、あの戦いを目撃した者の数は、比率で言えばまったく大したことはないだろう。


 さらに言えば、あの状態の僕を見て、それが何か即座に理解できる者など更に少ない。

 上位の悪魔も竜も、ごくごく普通に生きている人間からすれば「自分を一瞬で殺せる恐ろしいなにか」であることに変わりはないのだ。

 ただ――


「そのへんの噂に関しては、悪魔の側がすぐに広めてくる、と思ったのですが。

 正面から問いただされれば、僕も立場がある以上は逃げるわけにもいきませんし、嘘はつけませんから言い逃れもできません」


 となれば悪魔たちが、あれを利用しない、とは考えづらい。

 サミュエルさんも頷きを返す。


「ああ。悪魔側としちゃもう、うまいこと話をもっていきたいところだろうよ。都合よく嘘の吐けない《最果ての聖騎士》さまが相手ってのも実にいい。

 最低でも《聖騎士》はその地位を剥奪、南方開拓もその勢いを削がれ、本拠地である《南辺境大陸》での活動も楽になり、って寸法だろう。が――」


 サミュエルさんは軽く首をすくめるような仕草をした。


「お前の暗殺に動員したあれだけの手下ども、邪竜サマに紙クズでも破くみてぇに皆殺しにされた直後だぞ」


 悪魔にとっても、完全に予想外の事態であり、想定外の損失だ。

 それなりに状況を把握していたとしても、事前の仕込みは一切ないだろうから、迅速に動くにしても限度がある。

 

「悪魔が化けている、メイナード管区長は?」

「なおさらだ。管区であんだけの破壊行為をされちゃな」


 神官たちの手前、身動きが取れるはずもなし、忙殺されているとサミュエルさんは言った。


「ただ、奴も馬鹿じゃない。『暴れていた人型の何かが、聖騎士に似た姿をしていた』って噂に関しては確認を急げと指示を出したようでな。

 恐らく噂の下地づくりの意図もあるんだろう。エセル殿下のもとに目立つ形で問い合わせの使者が行った。

 殿下は現時点で、聖騎士と連絡がつかなくなっている、事件に巻き込まれた様子だ、民心を惑わす噂を煽るような真似は控えろ、と回答したようだ」

「そのへんのやりとりは、確実な話ですか?」

「神殿内部の動きについては、セシリアにあたった。殿下の方にはお前を確保した後、一人、無事の連絡も兼ねて信頼できる使いを送ったよ」


 とすると、確実とみていい。


「つまり――僕の社会的な立場とか名誉は、もってあと数日ってことですか」

「そうなるな」


 管区長に化けた《将軍級》の悪魔、スペキュラーは、早い段階から糾弾に動くだろう。

 実際に、濡れ衣、というわけでもないのだ。そうなれば僕に抗うすべはほぼない。


「んで、殿下にお前さん確保してることも密かに伝えたんだが――」


 サミュエルさんがそのあたりまで語った時に、扉が開いた。

 

 やってきたのは先程退出していった、青い髪のメイドさん。

 その両腕で、細長い布包みをうやうやしげに、僕に向けて差し出してくる。


「一つ、届け物と言伝を頼まれた」

「届け物?」

「ああ。――開けてみろよ」


 言われて包みを受け取ると、ずしりとした金属の重み。

 その重みだけで、僕にはそれが何か理解できた。

 包みを開くと――ただそれだけで、部屋に暖かい光が満ちた。


 無骨な黒鞘。

 それとは対照的に、優美な曲線を描く金色の鍔。

 ざらりとした手触りの、黄金の柄。


 ――《夜明け呼ぶもの(コールドゥン)》。


「言伝は一つ」


 一息。


「好きに暴れろ、後はなんとか収拾の努力はする」


 あまりにあまりな言葉に、僕は少しだけ笑ってしまった。

 殿下は僕のことを、ずいぶんとご理解して下さっているようだ。


「それじゃ、暴れにいきますか」

「まぁ、この状況から取り返すにはそれしかねぇよな」


 頷きあったところで――


「ちょっと待ちなさい、何するつもりなの?」


 ルナーリアが僕たちに慌てたように言った。

 理解が追いつかない様子だ。


「何って、そりゃ、なぁ」

「うん、そりゃまぁ……」


 僕たちは、声を揃えて言った。



「「討ち入り」」


 

 ことこの段に至っては、もう選べる選択肢は多くはない。

 リスクがあろうがなんだろうが、余計な動きをされるまえに、さっさとヴォールト神殿に踏み込んで、あの塑造の悪魔の首を飛ばしてしまうのだ。

 最優先でしなければならないことと言ったら、それ以外にない。


「悪魔が上位の神官に化けて、神殿に入り込んでる。最大の問題はそれだ」

「他のことは結局のところ、後で考えればいい問題だよ。――僕だって最悪、社会的に破滅しても命が残ればなんとかなる」


 今ならまだ、強引に踏み込んで首を断てる可能性は残っている。

 自分の立場とか、社会的な諸々とか、そういう余計なことを考えすぎて動けなかったけれど。

 

 もう放っておけば、僕の立場とかそういうのは終わる、というのが確定したのだ。


 ――つまり、そんな余計なものを気にする必要はなくなった。

 ただ良心と神に従って、最短最適の行動を取ればいい。

 

 それからはまぁ、後のことは後のことだ。

 相応の処断を受けるとしても致し方がない。


「思えば迂遠すぎた。余計なこと考えず、最初からそうしときゃよかったぜ」

「まったく同感です」


 都市部だからって色々とリスクを重く見すぎていた。

 だから相手に主導権を握られてしまったのだ。

 我ながら反省点が多い――などと思っていたら、


「あなたたちね……」


 ルナーリアが険しい目で僕たちを見てきた。


「? なんだよ」

「何か変なことでも言った?」


 思わずきょとりと首を傾げると、


「なんなの、血に狂ってるの? 戦士ってみんなそうなの? 潔すぎない?」


 呆れたように目を細める彼女。

 頭痛をこらえるように額に手を当てて、それから、少し考えて――

 心の中から何かを絞り出すように、ゆっくりと息を吐いて、吸って。


「…………私に少し、考えがあるの」


 彼女は、真摯な表情で僕を見た。

 紫苑色と黄金の瞳が、僕を見つめている。


「ウィル。――あなたは私を助けてくれた。暖かい言葉をくれた。

 それにひきかえ、私はあなたを裏切って、迷惑をかけて、足手まといになって……」


 それを、これだけで返せるとは思わないけれど。

 そう言って、彼女は唇を噛んだ。


「ただ、まっすぐ悪魔に斬りつけに行くよりは、少しマシな手順があるかもしれない。悪巧みとか、小細工の類、かもしれないし」


 どこか恐れと、憂いを帯びた顔色で。


「信頼は、できないかもしれないけれど……」

「信頼しているよ。――友だちでしょ?」


 僕は即座にそう言った。

 彼女の目が見開かれ、唇が震えた。

 それから、苦笑。


「……あなたのそういうところ、ホント心配になるわね」

「メネル……別の友だちにもよくそう言われるよ。あ、でも、その策が首尾よく運ばなかったらどうなるかは気になるかな」

「その時は普通に斬りかかればいいんじゃないかしら? しょせん悪巧みよ、失敗してあなたが困るたぐいの細工じゃないわ」


 実に明快な回答だった。


「ならそれでいこう」


 僕とサミュエルさんは頷き合った。




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