22
フアグンを無力化し、勝利を喜び合って。
それから僕たちは、改めて邸内に残敵がもういないことを確認し。
奥の部屋にあった怪しげな薬物の類をいくらか証拠として確保してから――
「《縛り付け》、《結び目よ》」
瀕死の《隊長級》悪魔フアグンを、改めて、念入りに《ことば》によって縛り上げる。
「すみません、これで布巻きにするの、手伝ってもらえますか?」
ここまでの変装に使ったマントでフアグンを包み、持参の細縄を内懐から取り出して、三人に協力を頼む。
僕が携帯している細縄は、《獣の森》に住まう《大蜘蛛》の巣の縦糸で撚り上げたものだ。
これで縛ってしまえば、焼き切りでもしない限りはまず千切れない。
「いいけどよぅ――」
「コイツ縛って、そんでその先……」
「これからどうすんだ?」
フアグンを縛り上げながら、三人がそう問いかけてくる。
そう、問題はこれからだ。
「ええ、それなんですが……」
色々と彼らにも負担を強いてしまうことになるかもしれない。
申し訳ないな、と思いつつ話を切り出そうとすると――
「いいってことよ」
「分かってるさ」
と、ロッドさんとトッドさんがさっぱりとした調子で言った。
ジニさんは首を傾げている。
「いいってなんだよぅ、兄貴」
「ったく、おめぇはバカだなぁ、ジニ」
「聖騎士さまがこんなカッコでやってきて、街に潜む悪魔を退治してるんだぞ」
どう考えても表沙汰にできないたぐいの話だろ? と、トッドさんが推理を披露する。
なんというか、凄く自信満々だ。
「なるほどぉ! 兄貴は賢いなぁ! ……あ、でも、てことは」
ジニさんもすっかり納得して、そして一転、表情が曇る。
「……この悪魔殺しの話、言いふらしたりできねぇのか……」
「ああ。これは表沙汰にできない討伐なんだろうよ――だから俺たちの武勲も、きっと口にはできねぇ」
「けど、まぁいいさ。アンタと一緒に冒険して、なんか自信と勇気をもらった気がするしな」
だから大丈夫。
俺たちは俺たちで、こっからやり直そうぜ――と、慰めるようにジニさんの背を叩きながら、ロッドさんとトッドさんは吹っ切れたように笑って言う。
「え、いや、あの……」
「さ、俺たちも再出発だ! 武勲は吹聴できなくても、案内料はたっぷり頂けるんだろ?」
「武器と防具を買い直して、いっちょ冒険の旅といきますかねぇ……」
「あ、兄貴ぃ……!」
「あの!」
重ねて申し訳ない気持ちになりながらやりとりを遮る。
「……ん?」
「どうしたんだよ」
あの、ですね。
たいへん申し訳ないことにというべきか、朗報ですがというべきか――
「……そもそもこの件、言いふらして良いです。ていうか大いに喧伝させて下さい」
へ? と、三人が首を傾げた。
「ていうか今から縛ったこいつらを明るみに引きずり出して、市中引き回して神殿か騎士団詰め所に放り込んでくる予定なんですが」
「…………」
「…………」
「…………」
三人の目が、真ん丸になった。
◆
とりあえず、宣言通りに捕らえた悪魔たちを貧民窟から引きずり出して。
ディーと合流すると、
「うわぁっ!?」
と、担いだ悪魔に彼女は驚いて。
けれど事情を説明すると、彼女は案外肝が座っているのか、
「うへぇ、これ、キモいなぁ……悪魔ってみんなこうなのか?」
などと、興味深げに悪魔を観察していた。
案外、学者とか冒険者向けなのかもしれない。
ともあれまた手配に協力してもらって、今度はちょっとした人が引く荷車を用意してもらい。
そうして悪魔たちの罪状をさらさらと書き並べて、縛った悪魔を荷台に乗せて――僕たちは市中へと歩き出した。
ちなみに荷車を引いたり押したりするのはロッドさん、トッドさん、ジニさんにお願いして、僕とディーは傍らを歩いていた。
これはサボりたかったとか偉そうに振る舞いたかったわけではなく、悪魔が万が一、拘束を脱した際に迅速に始末するためだ。
最大戦力が両手を空けておくというのは、こういう時には大事なことだ。
フアグンは、魔法でその身をくくられたまま、こころなしか絶望的な目をしていたように思う。
……うん、悪いけれど、君には脱出の隙なんて一分たりとも与える気はない。
ともあれ、そんな風にして市中をねり歩くと――ありていに言って、とんでもない大騒ぎになった。
何かしらと近づいてきて、悪魔の異相に悲鳴を上げる娘さん。
興味本位で駆け寄ろうとする子どもとそれを抱きしめて止めるご婦人。
ギョッと目を見開いてから、バタバタと駆け出し仲間にニュースを伝えにゆく若者。
騒ぎにつられてなんだなんだと寄ってきて、フアグンと視線が合ってうわあ! とのけぞる壮年の男性。
反応は本当に色々だった。
明らかにそれと分かる怪物を捕縛して引き連れているのだ。
基本的には遠巻きにされたのだけれど、やっぱり大都市ともなれば色んな人がいる。
興味関心や義務感が保身に勝ったのか、「何が起こったのか」と傍らを歩く僕たちに問いかけてくる人もいた。
そういう人が現れるたび、ディーは得意気に、意気揚々と語りをやってくれた。
「このロッド、トッド、ジニの三兄弟がな! 貧民窟で悪さをする連中を見かねてるところに現れたのが――」
義士三人が聖騎士さまの助けを借りて、貧民窟に潜んで、毒を売り人を食らっていた悪魔を退治したのだと。
……ビィあたりの本職には及ばないけれど、なかなか真に迫ったいい語りだった。
そしてこういうのを聞きたがる、興味関心が強い人というのは、たいてい人に話をすることも好きだ。
自分が得た話を、人に語りたくてたまらないのだ。
彼らは見る間にディーの話を、他の人に語りだした。
時には我が目で見たかのように自慢気に語る人とかもいたけれど、まぁこれはご愛嬌というものだろう。
「やぁ、これは明日には有名人ですね」
「い、いやいやいや!? なんで俺たちが主みたいな……ほとんどお伴だっただろ!?」
「俺たちずっとアンタの背中に隠れてばっかりで、最後にゃ逃げてたし……」
「おこぼれに預かっただけ、だよなぁ」
「おこぼれで悪魔は生け捕りにできませんよ」
……真っ向から立ち向かうばかりが全てではない。
逃げることも隠れることも立派な戦法だ。
勝てない相手、無理そうな状況からはむしろ、卑怯者とか男らしくないと思われる覚悟を決めてでも、勇気をもって逃げ隠れするべきなのだ。
彼らはそうしてチャンスをつかみ、そしてチャンスに賭けて勝利を得た。
フアグン捕縛は、彼らの武勲だ。
僕のものではない。
「胸を張って下さい。――皆さんは、もう立派な悪魔殺しです。」
そう笑いかけると、彼らはなんとも複雑そうな表情で。
鼻の下を人差し指でこすったり、頭を掻いたり、手を握ったり開いたりして落ち着かなげにして。
それから髪を整えたり、服の襟を正したりして。
なんだか不慣れな感じだけれど、彼らは、胸を張った。
――悪魔殺しの、戦士たちの姿だった。
「…………」
僕はなんだか嬉しくなって、目を細めたのだけれど。
……その直後、殺気立った騎士や神官戦士の皆さんが、鎧の擦れる金属音も高らかに、何十人も駆け寄ってきた。
通報を受けたのだろう。
「そ、そこの荷車の者! ま、待て! 待て、止まれ! 動くな!」
臨戦態勢の彼らに、制止を呼びかけられる。
三人は胸を張ったまま、硬直してだらだらと脂汗を流し始めた。
楽しげに武勲話を語っていたディーも、びくりと硬直している。
――うん、まぁ、一朝一夕にはいきませんよね。
◆
かなり殺気立っていた騎士さんがたなのだけど、僕が名乗りをあげたら驚くほどに態度が軟化した。
《最果ての聖騎士》の名前は、それなりに通る。
連れの三人やディーともども、丁重な対応とともに手近の炎神ブレイズの神殿へと連行され。
そうして悪魔を引き渡し、事情を説明する――といっても全部は語れないので、嘘にならない範囲で語れる限り答える――と、彼らの顔色が変わった。
即座に貧民窟の問題の家屋に向けて、幾人もの騎士と神官戦士が派遣され。
捕縛されたフアグンに対しては《賢者の学院》から腕利きの魔法使いが招聘され、幾つもの希少な魔法によって強引に頭のなかから情報を引きずり出す措置が取られた。
この手の尋問系の《ことば》は《忌みことば》にかなり近い位置にある上、せいぜい表層的な思考の一部を浚える程度の効果しか持たない。
悪魔のような異質な存在の思考では、更に読み取りづらいのだろう。
施術した魔法使いさんも、相当に憔悴して、ものの数時間でげっそりと頬がこけていた。
とうぶん、肉が食えない……などと漏らしていたので、かなり狂気的な思考を覗いてしまったのだろう。
とはいえそれでも、問題の家屋の詳細な調査と、この魔法的な尋問の二つがあれば、僕たちの証言は問題なく裏が取れる。
《涙滴の都》の内部に相当数の悪魔が侵入済みであることが露見するには、十分だった。
……実のところ、ここからの対応を僕は少し心配していた。
《涙滴の都》はだいぶ長い間平和だったようだ。
その治安の維持を担当する人々にも、もしかしたら若干の緩みがあるかもしれない。
もしそうであれば、悪魔たちの跳梁を露骨に指弾することは、無用の争乱を招く引き金にもなりかねなかった。
そういう最悪の場合の方策も、考えていなかったわけではないけれど――
幸いにも、《涙滴の都》の騎士や神官戦士たちは勤勉で使命感を持ち、優秀な人々だった。
――僕たちが悪魔連れで街を練り歩いたため、「悪魔がいる」という噂が既にだいぶ広まっているのを見ると、噂を打ち消すのは不可能だと判断。
現在得られている情報の中から、パニックを誘発しにくいものを優先して積極的に情報を開示。
街々を巡回する人員を増員し、無用な争乱を厳に慎むように繰り返し布告。
それと併行して精鋭を動かし、貧民窟や郊外の、悪魔が拠点化できそうなポイントを徹底的に捜索。
幾つもの悪魔たちの拠点を摘発し、討伐し、その成果を喧伝して民心を安定させる――といった具合の計画を早々に用意するのを見て、僕はホッとした。
これでおおよそ、望んだ形に整えられた。
……現在、ヴォールト神殿の上層部、管区長のメイナード氏が、塑像の悪魔、《将軍級》のスペキュラーに成り代わられている。
彼には社会的な地位と信頼があり、政治的な立場があり、平和なさなかに告発したところで容易に受け入れられるものではない。
何を言っているのだ、陰謀ではないか、ありえない、とトボけられてしまう。
周囲にも、あまり鋭い反応は期待できないだろう。
一番ありえそうなのが、「何を言っているんだ?」という感じの反応だ。
今まで平和だったのに、いきなりそんなことを言われても信じられないし、すぐに積極的に疑おうとも思わない。
前世の心理学で言う、正常性バイアスというやつだ。
こういう無形の防備に、スペキュラーは守られている。
幾重もの堀に守られた城塞のようなものだ。
迂闊に突っ込んだら迎撃されて怪我をしてしまう。
けれど、この防備は破壊可能なものだ。
たとえば――こうやって、意図して悪魔の潜伏騒ぎを起こしたら、どうだろう。
街に悪魔が潜んでいる。
英雄が現れて、潜んでいた悪魔を退治した。
だが騎士団や神殿はまだまだ動いている。どうやら邪神の眷属たちは、更にまだ潜んでいるようだ――
こんなふうに事実と広がる噂をもって危機意識が醸成された状況下で、僕がメイナード管区長を告発したらどうだろう。
周囲の反応も変わってくるだろうし、即座に祝祷術による検知等を行うだけの名分も立つ。
スペキュラー側の手としては、もう逃亡したほうがいい状況だとは思うけれど――
もし現在の立場を捨てて逃亡を行うようなら、神殿を張っているサミュエルさんのほうが、適切な対応をしてくれるだろう。
――これで詰みだ。
その時の僕は、すっかりそう考えていた。
実際に慢心していたつもりはないし、確かに手は尽くした。
……けれど、それでも、これは戦いだ。
策を弄し、機を待ち、追い詰められた弱者が強者の喉首に食らいつくことがあるだなんて……僕はもう、とうに知っていたはずなのに。