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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第四章:栄華の都の娼女〉
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16



 翌日、僕は待ち合わせのため、一人で、《涙滴の都(イリアスティア)》の賑やかな通りを歩いていた。


 澄んだ海を覗き込んだような空に、彼方に伸びる入道雲。

 辺りには背の高い建物が立ち並び、石畳の継ぎ目はとても綺麗だ。

 鮮やかに染色された衣を着て、華やかに身を装った人たちが、召使いを伴って往来する。

 時々、馬車がゆっくりと道の中央を抜けてゆくのが見える。


 目指す建物は大きいので、迷うことはなかった。

 するすると人混みを抜けて、歩いてゆくと、アーケードのような屋根付きの歩道が始まり、少し薄暗くなる。


 道の隅には、ちょっとしたお店が軒を連ねていた。

 ちょっとした軽食を出している食堂に、お守りなんかを並べた土産物屋さん、色とりどりの果物を並べた青果屋さん。

 それらを横目に歩いてゆくと、屋根が途切れて一気に視界が開け、光があふれる。


「わ……」


 ――そこにあったのは、大きな建物だった。

 白塗りの壁。広い石段。太い列柱。

 はるかに見上げないと、先端を見ることのできない尖塔。


 あまりにも巨大な神殿を中央に、周囲にいくつもの建物が連結され、広がり、一つの施設を織りなしている。

 《白帆の都(ホワイトセイルズ)》の神殿も大きかったけれど、これは、さらに規模が違う。


 燦然たる陽の光の下。

 建物の玄関正面に、誇らしげに掲げられているのは、雷の剣の紋章。

 《涙滴の都》でも最大の規模を誇る、雷神ヴォールトの大神殿だ。

 僕はなんだか感動してしまって、しばらく立ち止まって、ずっと大神殿を見つめていた。


 ……もちろん、この感動にある程度、建築者の計算が含まれていることは分かる。

 薄暗く区切られたアーケードから、大神殿の前で一気に光が溢れて開ける。それによって自然と感動と崇敬の情を喚起されるようにした、意図された仕掛けだ。

 

 でも、仕掛けは仕掛けでも、これは安い仕掛けではない。

 設計段階から建物の角度や明暗、開放感や閉塞感。

 本気で考え抜かれて作られたことが、ありありと分かる。


 己の信じる神さまの威光を、どんな人にも分かりやすく示すために考え抜かれた仕掛け。建築者の技術と信仰の結晶だ。

 人間の営為の偉大さを叩きつけられるような、そんな風景。

 しばしそれを眺めると、僕は神殿に向けて歩き出した。


 荘厳な神殿の装いを見回しながら、約束の場所へと歩いてゆく。

 聞いたとおり神殿前の広場には、立ち並ぶ他の神さまがたの像や祠に紛れるようにして、灯火の神さまの祠があった。


 最近は灯火の神さまの名前が取り沙汰されることも多いため、あちこちで祠や像の設置が増えているらしい。

 幾人かの参拝者がいたのか、白煙を揺らめかせる良い匂いの香が、いくつか捧げられている。


 灯火の神さまが、人に慕われている証。

 その光景を見ると、なんだか胸の奥が暖かくなった。


「あ、ウィリアム卿、こちらです!」


 と、明るい声が聞こえた。

 声をかけてきたのは、金色の髪を動きやすそうに括った女性――このあいだ街で出会った、ヴォールト神官戦士のセシリアさんだ。


「あ、どうも。こんにちはっ! 今日はお世話になります」


 応じるように僕も明るい声を上げて、手を振りながら歩み寄る。

 待ち合わせの相手は、彼女だ。




 ◆




「サミュエルの件、和解をしてくださったそうで、本当になんとお礼を申し上げて良いか……」


 出会って早々、まずはその話題だった。

 恐縮しきりの彼女に、いえいえ、と笑う。


「素面でじっくり話してみれば、むしろお互い意気投合してしまいまして。また武術談義でもしたいなと思っています」


 そう言うと、彼女はホッとした様子だった。


「改めて、こちらも先日はお世話になりました。今日はご無理を聞いていただきまして……」

「とんでもない。お安い御用です」


 以前少しお話した、細いツテを通じて、僕は彼女にヴォールト神殿への私的な訪問を打診していた。

 名目としては先日の件のお礼と、サミュエルさんとの和解に関する報告。

 それに、都では鍛錬の相手にも事欠くから、よければヴォールト神殿の練武場を使わせてもらえないか、といった感じだ。


 もちろん、それらは嘘ではないけれど、全部は語っていない。

 どうも不審な噂を聞いたので、軽くヴォールト神殿について探りを入れる目的もあった……のだけれど。

 実際来てみても、ことさら不審な気配は感じない。考え過ぎなのか、それとも――


「練武場は伽藍を抜けて更に奥です。どうぞ」


 話しながら、いくつかの回廊を抜け、神殿の奥へ、奥へ。

 巨大な入り口をくぐった先――薄暗い伽藍には、幾つもの灯火が揺らめいていた。

 ゆらめく炎の明かりに照らされるのは、巨大で、重量感のある石像だ。

 いかずちを象った剣を右手で掲げ、天秤を手にした壮年の、思わず感嘆の声が漏れるほど威厳のある神像。


「…………」

 

 向き合い、静かに祈る。


 ――善なる神々の長、雷神ヴォールト。灯火の神さまの、父親にあたる神さまだ。

 その司るところは秩序と裁き。また正直さや律儀さ、真面目さといった普遍的な徳目を尊ぶことから、社会の上層から下層まで、ヴォールトの信徒は多い。

 神話の時代から数多の偉業を為し、数多の国の成立に関わった大神であり、六大神のうちで、もっとも英雄に関わりの深い神でもある。


 というのもまず、ヴォールトの妻である地母神マーテルは、その慈悲の気質から優れた神官が多いけれど、あまり武張った人物には縁が無い。

 精霊神レアシルウィアや知識神エンライトは、見初める人物の気質からして芸術家や学者の輩出が多いけれど、やはり英雄は少ない。


 自由奔放、独立不羈の自由人、金貨と靴に、流麗な細剣か槍を帯びて軽やかに歩む姿が定番の風神ワール。

 百錬成鋼、不撓不屈の勇気を尊ぶ蓋世不抜の硬骨漢、燃え盛る炉の炎を背に、斧や槌を手にする炎神ブレイズ。

 そして最後に謹厳実直、公明正大を地で行く、まばゆい雷の剣をその象徴とする雷神ヴォールトが、武張った人たちの信仰する神の三巨頭なのだ。


 そんな偉大な英雄神であるヴォールトなのだけれど……実のところこの雷神さま、神話ではけっこう情けないエピソードも多い。


 兄弟神にして永遠の敵手たる、専制と暴虐の神イルトリートには妻たる地母神マーテルの助力がないとなかなか勝てず。

 友人である風神ワールにはさんざんに振り回されるし、精霊神レアシルウィアに誘惑されて逃げまわったりもする。

 探求者たる知識神エンライトに無茶振りをされて、炎神ブレイズと連れ立ってとんでもない冒険に出かける羽目になる話なども有名だ。

 そして悪神とその眷属が大暴れするとき、これら個性の強い善神さまがたとその使徒を束ねて諸方から軍資をかき集め、軍勢を捻り出すのは大概いつも雷神さまだ。

 ……基本的に、毎度苦労ばかりしている。


 けれどバグリー神殿長は、それらの話こそ「秩序の得難さを示しているのだ」と教えてくれたことがある。

 そもそも秩序とは、天然自然に転がっているものではない。

 本来的に存在するものは混沌であり、また危険であり、不和なのだ。


 そこに踏み入り、様々な混沌の要素を除去、あるいは抑制、制御し、対抗を講じる仕組みを健全に働かせ続けること。

 それこそが、秩序であり正義であり調和の根幹だ。


 秩序という名の樹木の果実は、ただぼうっと座り、ぽかんと口を開けて待っていても手に入らない。

 踏み込み、分析し、対策し、同志を募り、調整し、あるいは既存の機能を調整し改善し、幾多の苦労の果てにやっと木は生い茂り、秩序という果実は実る。

 そして手入れを怠れば徐々に弱り、そのうちに実りは失われ、木は枯れ果てるだろう。

 そう語る、バグリー神殿長の真剣な表情を、今でも覚えている。


「…………」


 偉大な主神へ、神殿の施設を使わせて頂くことへの感謝を祈り、捧げる。

 しばらくして目を開くと、セシリアさんは隣でまだ祈っていた。


 目を閉じ、手を組んで祈る彼女の雰囲気は、なんというか絵画の聖女めいていて。

 ……サミュエルさんが拘るのも、ちょっと分かる気がする。


「ふぅ……お待たせしました。さ、参りましょうか」


 少し間を置いてセシリアさんが祈りを終えると、僕に笑いかけてくる。

 なんだかちょっと、挑戦的な笑みだ。


「今は非番の、腕の立つ神官戦士たちが自主練習に集っている時間です」

「ほほう」

「加えて言えば、これで私も、それなりに腕に自信があるのです」


 実際、かなり使うと思っていたのだけれど、やっぱりか。


「ヴォールト神官戦士の名誉にかけても、まさか英雄殿に好き勝手に暴れるだけ暴れさせて帰るわけにも参りませんし……」


 セシリアさんが、犬歯を剥いて笑う。

 こうして笑うと彼女は、なんだかサミュエルさんと似た雰囲気がする。


「とっくりと、我らの強さを味わって帰って頂きましょう」


 これは、とても、楽しみだ。



 ◆




 広い練武場のホールには、汗と、革と、鋼の匂いが満ち満ちていた。


「せぁ――ッ!」


 気合の声が響き渡る。

 

 振り下ろされた木剣を、小盾バックラーで払いのける。

 そのまま側面に回り込もうとしたタイミングで、しかしセシリアさんが小盾で殴りつけてきた。

 木剣を払えば体勢が崩れるだろうとの予測に反し、どうやら払われることは織り込み済みでの誘いだったか、ほとんど完璧なタイミング。

 ヴォールトの神官戦士というのは、荒事の際には祝祷術によって戦線の要となるため、特に盾の扱いに習熟しているというけれど、どうやらそれは事実のようだ。


「っ!」


 ギリギリでのけぞって躱し、間合いを取り直す。


「今のは獲ったと思ったのですが。……やはり流石はウィリアム卿、サミュエルでも勝てぬわけです」

「いや、危なかったですよ」


 サミュエルさんの細剣術はとんでもない練度だったけれど、セシリアさんの片手剣と小盾の取り回しもそれに負けず劣らず、よく鍛えられ、練りこまれた剣技だ。

 ……けれど、流石に僕とて長いこと実戦経験を積んではいない。


「行きます」


 猛然と踏み込むと、フェイントを交えながら上下に刺突を散らす。


「――っ!?」


 対応に迷い、一瞬足が泳いだ瞬間に更に間を詰めて盾と盾を絡め、これを制しながら胸元に木剣の切っ先を突きつける。

 一瞬の攻防で生殺与奪の権を握った形だ。


「……参りました」


 セシリアさんがそう宣言すると、おお、と周囲から声があがった。

 準備運動を終えて、ゆっくりと体を暖めながらの模擬戦闘。

 この時点で既に三戦目なので、ずいぶんとギャラリーが増えている。

 

「あのセシリアを……」

「しかしセシリアも先ほど、一勝はもぎ取っているぞ」

「いや、あれは花一輪、送られただけだろう」

「一輪持たせるとは余裕があるな」


 確かに、この手の立場のある人との試合は体面にも関わるので、僕は彼女の面子を潰さないよう、二戦目には加減して一勝を譲った。

 それが分かるということは、やはり腕も立ち、目も肥えた人が多いのだろう。

 ……ブラッドはこういうの、「余計な恨みと波風を避けたい時の手」だと教えてくれたけど、都の人は『花一輪』なんて表現するのか。優雅だ。


「誰だ、あの怪力優男」

「洒落にならん腕前だぞ」

「見ない顔だが……」

「いや、俺は見たことがあるぞ、ありゃあ灯火の神の使徒――竜殺しの、《最果ての聖騎士》だ」

「! あの英雄が……!」

「そういえば、エセル公に従って入都していると」


 セシリアさんを助け起こして、お互いに一礼する間にも様々な声が耳に入る。

 竜の因子によって強化された聴覚は、彼らの交わすひそやかな会話も全て漏らさず聞き取ってしまう。

 ――僕の顔を知っている人はいるようだし、特に隠し立てする必要もない。


「お邪魔しています、ウィリアムと申します! セシリアさんのご厚意で、この練武場の一隅をお借りしているのですが……」


 辺りを見回しながら、集まってきた神官戦士の皆様がたに声をかける。

 せっかく来たのだ、色々な人と戦わねば損だ。

 それに、探りを入れるという目的を達成するためにも、彼らとは仲良くしたい。

 

「よろしければ、皆様とも相対をお願いできませんでしょうか!」


 そう叫んでみると、皆様、我も我もと競って相手を買って出て下さった。

 ……誉れ高きヴォールト神官戦士団と技を競える。

 ……けれど、彼らと仲良くはなれるだろうか。

 期待と不安に、僕は木剣をぎゅっと握り直した。


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