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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第四章:栄華の都の娼女〉
121/157

6

 時刻は夕。

 赤色や金色が鮮やかにあしらわれた、ロの字型の建物。

 中央部には草木の植えられた庭があり、季節の花がちらほらと咲いている。


 華やかな衣で着飾った女性が、酒肴の盛られた盆を手に回廊を行き交い、辺りには落ち着いた胡琴(リュート)の音が響く。

 そしてそれらをかき消すほどの、人々の歓談のざわめき……

 僕は今、《涙滴の都(イリアスティア)》の歓楽街にある、酒楼の一つにいた。

 

「いやあ! 聖騎士殿の武勇伝は我々も度々耳にしておりまして」

「かくもお若い方だとは」

「しかも小粋な美青年! やはり詩人の歌は誇張も入るものですな」

「まっすぐな目をしておられる! やはりまことの戦士というのは違うものですなぁ」

「南方の情勢は我々も憂えておりまして」

「竜退治の武勇伝など、ぜひ伺いたく」

「過日も、決闘で見事に勝利をおさめられたとか」

「市井ではまこと、知勇兼備の紳士であるとの語り草で……」

 

 無数の営業用の笑顔。

 それにこちらを舞い上がらせようとするお世辞の数々に、こちらも営業用の笑みを浮かべて、「恐縮です」とか「光栄です」とか「舞い上がってしまいそうです」と言葉を返してゆく。

 魔法使いは明確な嘘をつくと《ことば》の切れ味が鈍るので、話し言葉の選択一つもかなり神経を使う。

 ――これもある種の戦場で、しかもかなりの神経戦だ。


「いやしかし、聖騎士殿も急な入都とあっては何かと物入りで御座いましょう!」

「しかも後々、王宮にも参内されるご予定とあっては……」

「うむ。南の民草を安んずる英雄殿に、都で恥をかかせてはなるまいと、我ら一堂、話し合っていたところでして」

「南方の安定にも、灯火の神の教えを伝道されるにも、何かと物入りで御座いましょう」

「竜の財宝に比べれば、まこと些細なものではございますが、我らが志で御座います、ささ、どうぞお納め下さい」


 そして積み上がる金銀や、証文や、贈答品の目録。

 ヴァラキアカの財宝を整理するという途方も無い作業をしていなかったら、目眩を起こしていたかもしれない。

 それほどの額だ。

 

「皆さま懇ろなお志、なんとお礼を申し上げれば良いやら……」


 不慣れながらも営業用の笑みを浮かべ、


「首都で商いをなされる皆さまとは、今後とも是非、良いお付き合いをさせていただきたく存じます」


 などと僕が当り障りのない応答をする横で、トニオさんが「それでは」とばかり、あれこれと実務的な話を進めていく。

 平たく言って、あれだ。

 

 

 ――僕は今、料亭で多額の政治献金を受け取っている。

 

 

 先日、殿下に「カネのことから」と言ってから、僕はトニオさんと二人で、首都の商人さん方と繋ぎを取る作業を続けていた。

 特に貴族社会に対してまだまだパイプが弱く、貪欲に上の階層に食い込んで行きたい中の上くらいのラインの商人や、南方開拓に意欲的な商会を狙って、だ。

 

 彼らの懐には多額の金銭があり、貴族社会や南方の有力者との繋がりを常に欲している。

 そして僕はこれから貴族社会に関わってゆく存在であり、《最果ての聖騎士》の勇名を持ち、南方開拓に大きく関わっているという『投資価値』がある。

 だからとりあえず、取引が成立しうるわけだ。


 あちこちに手紙を出したり、トニオさんやその部下の方々が諸々繋ぎを取って。

 好感触の人たちをこうして酒楼に集めて握手を交わし、お酒を酌み交わし、笑い合い、そしてお金を受け取っている。

 今後、どういう活動をするにしても、実弾(おカネ)があって困ることはないだろう。

 

 ……うん、前世的な感覚から言うとけっこう生臭い感もある。

 

 けれどもちろん、あくまで前世の感覚で生臭い感じがするだけで、法的には問題ない。

 神官としての僕にお布施するにせよ、貴族としての僕に献金するにせよ、この時代この国にそれを咎める法はない。

 バグリー神殿長だって、神殿の運営費を捻出するために似たようなことをしている。

 こういう動きも、これはこれで必要なことだ。


 とはいえ、これだけ多額の下心込みのお金を受け取るのは初めてなので、さらりと対応してフォローをくれるトニオさんが本当にありがたい。

 方針を話した時、彼は「ウィルさんの行動指針は『愛と信仰』ですが、問題解決の手順は『武力で突破』『金銭で解決』『無理ならそれらが通じるように』ですからね」と笑って頷いた。

 なんというか「ええ、分かってますよ。まずパワーチャージですね」って感じだった。


 ……自分を理解してくれる人がいるというのは、幸せなことだと思う。うん。


「ウィリアム卿の名誉と栄光を願って――」

「「「乾杯!」」」

 

 今、お金を供出しているこの人たちは、僕が出世すれば、最上位の豪商たちが既得権益をがっちり固める貴族社会に食い込んでいける。

 僕が南方を安定させてその市場価値を高めれば、南方とのやりとりで儲けることができる。

 ついでに言えば、僕の人気を利用して「聖騎士御用達」みたいな感じで物を売れる。


 だから遠慮無く受け取って、遠慮無く使わせてもらおうと思う。

 油断なくやりとりするべき相手ではあるけれど、基本的に、彼らは敵ではないのだ。

 そして、これで弾は確保したわけだし、次、撃ち込むべき箇所は――などと考えていると。

 

「如何です? ご満足いただけていますかしら」

 

 などと囁かれた。

 耳に当たる吐息の感触に肩を跳ねさせると、クスリと笑う声。

 

「まぁ、驚かせてしまいました? ごめんなさいね」

 

 高級娼婦(コーティザン)かつ、推定《防衛派》の手先であるところのルナーリアさんが、胡琴(リュート)を抱えたまま小首をかしげた。




 ◆




 一口サイズにカットしたチーズと、塩漬けのオリーブの実が盛られた豪奢な杯。

 《ことば》で作った砕氷の山に載せた牡蠣。

 白磁の皿には、はらわたを抜いて香草を詰めた大魚の塩釜焼き。

 銀盆に盛られた、粗塩と香辛料をまぶされた豚の丸焼きに、甘辛いソース。

 大きな香り葉で包まれ、色味のつけられた蒸し米。

 優美な曲線を描くデキャンタには、上質のぶどう酒がなみなみと。

 

「おお」

「これは素晴らしい」

「アンガル地方産のワインですな」

 

 豪華な料理が次々に運び入れられるたび、商人さんたちは大仰に感心してみせたり、あれこれ品評してみせたりする。

 《涙滴の都(イリアスティア)》は陸路と海路の交差する、いわば十字路の中央に位置する都だ。料理も食材も本当に幅広い。


 ……このお店は、僕やトニオさんが探しだしたお店ではなかった。

 商人さんたちを接待するために、ルナーリアさんに紹介してもらったお店だ。

 

「素晴らしいお店をご紹介して下さって、ありがとうございます」

「いえ、騎士さまにはご恩が御座いますもの。……ご満足いただけたなら、幸いですわ。楼主も喜ぶことでしょう」


 そう小声で返しつつも、よどみなく胡琴(リュート)を爪弾きながら、ルナーリアさんは品良く笑う。

 これだけの格の店で、これだけの部屋とサービス。

 おそらく僕やトニオさんでは、お金があっても手配のしようがなかっただろう。

 けれど王都の最新の事情や流行に精通している彼女は、あっさりとこの店を選び、話を通してくれた。


 敵対派閥の手先に何を頼んでいるのかと思われるかもしれない。

 ……実際あれこれ理由をつけて楽器片手に同席しているのを見ると、明らかに情報が目当てでもあるのだろう。

 彼女から見える範囲での僕の行動は、おそらく《防衛派》にそのまま抜けていると考えていい。


 けれど、だからこそ(・・・・・)、僕はこれを彼女に頼んだ。

 

 《防衛派》の手先である彼女を介せば、僕は意図的に、僕を嫌う人たちに『見せたいもの』を見せることができる。

 これは、重要なポイントだ。

 

 ――献金を受ける僕という図は、どちらかといえば『見せたい行動』なのだ。

 

 清廉なばかりではなく、資金の確保や人脈作り、政治工作や駆け引きをそこそこ理解する、「あなたたちの馴染みの手法が通じる相手ですよ」という点。

 もし必要があって内密に僕に接触し、交渉の機会を持ちたければ、ツテを辿ってこの場に出席した商人のうち誰かを介すれば何とかなりますよ、という点。

 この辺りを見せておけば、「交渉可能であること」「交渉窓口があること」を早期にアピールできる。

 

 ……こう、「話し合えば何もかも解決する」というのは夢想家の言だけれど。

 その反対をとれば現実家だと勘違いして「話し合っても何も解決しない」などと言い出せば、そこにはもう、勝って生きるか負けて死ぬかの荒野しか残らない。

 後々どう転ぶにしたって、対話のための窓口を開けておいて損をすることはないのだ。


 もちろん、このへん全て僕の頭だけで考えたことではない。

 大筋の案は僕が組んで、細かいところは殿下に仕える官吏の皆さんやトニオさんと相談して決めたことだ。

 

 ともあれ、そのへん考えたうえでの彼女への打診だったのだけれど。

 ルナーリアさんに手紙を送り、落ち合って、「商人を接待するために酒楼を紹介してもらいたい」と言うと、彼女はパチクリと目を瞬かせると、可憐な唇に手を当ててしばし考え――


「あら、わたくしに頼ってくださるのですね? 嬉しい……」


 と、意味深に唇を歪めつつ、目を細めてみせた。

 ……まぁ、多分だいたい意図を読まれたんだと思う。


 けれど僕も、海千山千の高級娼婦(コーティザン)を手のひらで転がせるとは、一切思っていない。

 読まれる前提で提案しているし、実際、彼女に損は一切ない。

 致命打ではないとはいえ、聖騎士のイメージを若干は損うことのできる話だし、交渉チャンネルの獲得も間諜仕事のポイントになるはずだ。

 

 果たして彼女は、微笑んで頷いた。

 取引成立、というわけだ。


 そうして現在、文句無しに上等な酒楼で、僕は商人さんたちのお世辞に対応している。

 とても不慣れな状況だ。

 魔獣と取っ組み合いしたり、深い森のなか藪を払い探り進むほうがまだ気楽かもしれない。

 

「…………」

 

 ため息なんて絶対につかないと決めていたけれど。

 こういう駆け引きの連続は、精神的にだいぶ疲弊する。


 バグリー神殿長は、これをずっと続けて神殿を繁栄させているのだ。

 深山幽谷に篭って孤高に修行を続けるのも凄いことだけれど、俗塵に塗れてしかし染まらないというのは、なお難しい気がする。

 ……改めて、凄い人だな、と思った。



 ◆




 そんなこんなで夕から始まった会合が終わる頃には、すっかり夜になっていた。

 辞去してゆく商人さんたちを見送ると、僕とトニオさんはほっと息をついた。


「いや、流石に緊張しますねぇ」

「トニオさんでもですか」

「ええ。これほど大きな席は、流石に」


 トニオさんは今、普段の少し冴えない様子とは違って、きちんと髭を整えて髪をなでつけ、上品な服でぴしりと決めている。

 いかにも気鋭の商人と言った風で、頼もしい。

 ……もしかしたら普段の少し抜けた雰囲気は、親しみやすいようにあえてそうしているのかもしれないな、と思った。


「……外聞を考えれば、ウィルさんまで出席なさらずとも、私が代理で処理しても構わなかったのですが」

「それでは流石に不誠実ですから」


 お金を出してもらう以上は、直接出向いて面と向かって挨拶をするべきだと思う。

 これは素直に、礼儀の問題として。

 そう言うと、トニオさんは軽く笑った。


「こういう世界にやってきても、あなたらしくて何よりです」


 温かい笑みだった。

 優しい叔父さんが、甥っ子の成長を見て思わず浮かべるような、そんな笑み。

 ……本当に、トニオさんには、お世話になりっぱなしだ。


「それでは私は、楼主に挨拶に」

「あ、はい。僕の分もお礼をお願いします」

「もちろん。できればこの楼、今後も利用させていただきたいものですねぇ……」


 そう言って、トニオさんは部屋を出て行った。

 そうしてぽつんと残ったのが、僕とルナーリアさんだった。


 彼女は今日は、胡琴(リュート)を演奏する都合だろうか。

 少し落ち着いた色合いの、露出の少ない服をしていた。


「…………」


 僕が何を言おうか、迷っているうちに。


「意外と、このような状況を泳ぎ慣れていらっしゃるのですね」


 と、彼女が言った。


「吟遊詩人は貴方の出自を口々に語りますが、貴き出自というのもあながち嘘では……?」

「まさか。ろくに人もいない、最果ての田舎の出身ですよ」


 軽く笑って返すと、彼女は口元に手を当て、まぁ、と笑った。


「それにしては、場慣れして見えますわ」

「取り繕っているだけです」


 肩をすくめてそう答えると、彼女は少しだけ沈黙した。

 それから――


「一つ、伺いたかったのですが」

「はい」

「なぜ、私をお使いに? ……他にいくらも、手はあったでしょうに」


 まぁ、そう言われてみれば、確かにそうだ。

 対立派閥にこちらの情報を流すにしろ、交渉窓口を維持するにしろ、別のやりようはある。

 特に彼女がポイントを稼げるように動く必要も、無かったのではないかと言われれば、そうだけれど――


「なんだか、貴女が大変そうだったので」


 そう答えると、彼女の表情がぴくりと動いた。

 ほんの一瞬、彼女は僅かに、顔をしかめたのだ。


「……それは、同情でしょうか?」


 意図して抑揚を抑えた声に、


「そうですよ」


 と、僕は頷いた。


「……間諜って大変じゃありません? 笑顔を浮かべて、演技して、あらぬ言葉を並べて」


 少なくとも僕は、今日一日で十分に実感できた。

 僕が向いてないだけかもしれないけれど、割と辛い。


「お戯れを」

「戯れてはいませんよ。……同情がない世界って、辛いでしょう」


 そう言うと、彼女は一瞬虚を突かれたように沈黙し、


「そうかもしれませんわね」


 呟くように言った。

 どこか、硬い声だった。

 ……本当に、きっと大変なのだろうと思う。


「立場的に仲良くとはいかないかもしれません。貴女にもお仕事があることは、承知のうえです」

 

 別に何か、手心を加えて欲しいとか、懐柔したいとか、そういうことではなく。

 間違いなく味方ではないし、油断できない人であることも分かったうえで――それでも、


「せっかく知り合えたんです。……出来る限りのことはしますよ」


 向こうが仕事上、対立する立ち位置にいるからといって、僕にはこの人に敵意を燃やす理由はないのだ。

 他の誰かを困らせたり、不利益を与えない範囲でなら手伝うし、それを躊躇う理由もない。

 誓いにかけて、困りごとがあるならいつでも力を貸しますよ、と伝えると――

 

「…………」


 ルナーリアさんは、なんだか妙な顔をして黙りこんだ。


「……あなた、変な人ね」

「よく言われます」

「あとお人好しとか、馬鹿とか」

「ああ、それもよく言われます」


 鋭いなぁ、と素直に感心する僕に、


「……ほんとうに、変な人」


 彼女はゆっくりと、苦笑した。

 ――嘘じゃない、本当の笑みだった。


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